2009年4月改訂
兵庫県生まれ(1)
1977年:北海道有珠山が噴火(昭和52年有珠山噴火)し、1981年まで現地総合観測班の一員として火山観測にあたる。(2)
日本火山学会・日本地震学会会員
北海道大学大学院理学研究科地球物理学専攻修士課程修了。(3)(4)
兵庫県高等学校理科教諭に採用される。
物理・理科1などを担当、放送部の顧問として生徒の指導にあたる。(5)
1995年:阪神・淡路大震災(平成7年兵庫県南部地震)では震度7を体験し自宅は半壊する。学校と自宅の復旧にあたる。(6)
県立芦屋高等学校在職中の1996年度より「地学1B」の授業などを通じて地震防災教育に取り組む。「震災と復興の記録」ウェブサイトを開設し被災地よりの発信を行う。(7)
1996年:日本地震学会学校教育委員会に参加する。1997年より同委員会委員。
1999年より地震火山こどもサマースクールの企画・運営に参加する。
2002年:第2回インターネット活用教育実践コンクールにおいて「インターネット発表を活用した防災教育の実践報告」
が同コンクール実行委員会賞を受賞する。(8)
2002年度より県立須磨友が丘高等学校(総合学科)に勤務し、「地学1」、「地学2」、「産業社会と人間」、「情報基礎」、「課題研究」などを担当する。
2004年度より日本火山学会火山教育ワーキンググループ委員
2006年:第53回NHK杯全国高校放送コンテスト創作ラジオドラマ部門において神戸空襲を題材にした「潮騒ノ記憶」(須磨友が丘高校放送委員会)が文部科学大臣賞を受賞する。
2006年:兵庫県県立高等学校文化部指導者表彰を受賞する。
2009年度より県立神戸高等学校(普通科総合理学科)に勤務し、「物理2」、「理科総合」、「課題研究」などを担当する。2009年:神戸高校で新型インフルエンザ国内初確認。
取り組んでいること:
地震防災教育や減災教育をどのように行えば、児童・生徒の生きるための力になるか。
インターネットやマルチメディアをどのように活用すれば、わかりやすい授業が展開できるのか。
長期間にわたるリスク教育をキャリア・ガイダンスにいかに取り入れるか。
平成21年4月現在、兵庫県立神戸高等学校教諭【理科・情報】
日本地震学会会員(学校教育委員会委員・普及行事委員会委員・中国高校生交流特別委員会委員)、日本火山学会会員(火山教育ワーキンググループ委員)
兵庫県高等学校教育研究会視聴覚部会理事(研修事業副部長)、理化学会員、地学会会員
著書 私の理科の部屋活用法(民衆社)(共著)
理科・数学教育の危機と再生(岩波書店)(共著)
どうでもいい注
(1) 中学
では物理天象部(電気班)(JA3YEM)に所属、高校入学後すぐにアマチュア無線研究部(JA3YHL)を設立し2年間部長を務める。大学では
JA8YBY。中高の友人達の協力のもとに芦屋高校卒業生有志メーリングリスト
e-aが現在運営されている。高校の同窓会活動の新しい形だと考えているが、なかなか理解されない。
(2) こどもの時の夢は南極越冬隊員だったので雪氷学を専攻するつもりだったが、大学3年生のときに屈斜路湖畔の水準測量を手伝ったことをきっかけに、地震学および火山学講座に進学した。人生というのは巡り合わせがあるもので、火山物理学を専攻しようと「地震および火山学講座」に 所属した4ヶ月後、有珠山噴火に遭遇することになった。大学を離れるまで3年半のうち延べ半年以上を有珠火山観測所(壮瞥町)で過すこととなった。
(3) 当時の「地震および火山 学講座」のスタッフは横山泉教授(火山物理学、北大名誉教授)、阿部勝征助教授(地震学、東大名誉教授)、西田泰典助手(地球電磁気学、北大名誉教授)、岡 田弘助手(地震学、北大名誉教授、元有珠火山観測所所長)、応援に行った有珠火山観測所のスタッフは、横山教授が所長を兼任し、森済助手(現職)、渡辺秀文助 手(現東大教授、伊豆大島火山観測所所長)というそうそうたるメンバーだった。私は野外観測は得意であったが、データ解析はからきしダメだった。一般向け の著書をたくさん書いておられる島村英紀先生(元国立極地研究所所長)は隣の「応用地球物理学講座」の助教授でした。
(4) 火山物理学を
専攻して、修士論文では誰もやっていない研究ということで火山熱学に決めた。テーマ【1997~1980有珠火山活動の熱学的研究】。やったことは有珠山の赤外
線画像の解析、I火口と昭和新山の噴気温度の観測、有珠山から放出される熱エネルギーの推定、I火口周辺での微動観測などであった。600度C以上の噴気
を放出している火口へハシゴを踏みながら入っていって、熱電対温度計で噴気温度を測定するのが私の仕事だった。
誰もやっていないということは、それだけ解析が難しいということで、わかったことは火山活動のエネルギーは大部分が熱で放出されるということだった。
(笑)
(5) 物理の教師な ら電気がわかるだろうということで、放送部の顧問を任された。1993年よりMacintosh2Viを使いはじめ、そのマルチメディアの先進性をあまり にも宣伝したため、視聴覚教育にを生かせと高等学校教育研究会視聴覚部会マルチメディア研究グループの代表になってしまった。これがマルチメディアとインターネットを使った授業研究を 行うきっかけとなった。研究の経過は県立高校におけるインターネット活用授業をご覧ください。
(6) 自宅の震災復興についてはマンション復旧の記録をご覧ください。
(7) 教師になり14年、阪神・淡路大震災が発生した。地震学会では「学校教育委員会」を結成し地震学の研究成果を社会に還元することをはじめた。私も誘われ結成メンバーになった。芦屋高校のウェブサイト【震災と復興の記録】は地震学会と理科の部屋の皆さまから多大な激励と応援を受けた。日本教育情報学会第1回ホームページコンテストで教育情報学会賞
(最優秀賞)、第3回ス
クールページコンテスト(朝日新聞社主催)で審査員特別賞、第
1回OMEプログラミングコンテスト(明星大学主催)高校ホームページ部門で優勝。
これが防災・減災教育に取り組むきっかけとなった。
(8) 兵庫県南部地震の翌年1996年よりサイト【震災と復興の記録】を開設した。2000年に事業予算が打ち切られ【震災と復興の記録】は閉鎖された。芦屋高校の公式サイトに生徒作品と授業紹介を収録する予定であったが、公式サイトが開設されないうちに転勤が決まってしまい、個人でサイトを開いた。生徒作品は芦高のHDの中に眠っています。