合唱劇 よだかの星
作曲:萩 京子 原作:宮沢賢治
合唱劇版初演:1995.11.14山形市民会館大ホール(第22回定期演奏会)


原 作 宮澤 賢治
作 曲 萩 京子
指 揮 萩 京子
演 出 加藤 直
照 明 安達 俊章
ピ ア ノ 萩 京子
宮澤賢治の童話『よだかの星』をもとに、萩京子さんが、谷篤・谷潤子のふたりのコンサートのために1995年4月に作曲。同月、東京・埼玉などで演奏会形式で初演された。宮澤賢治の書いた原文を一言も変えずに作曲されている。
いずれオペラ的な上演をと考えていた萩さんに合唱団じゃがいもが合唱劇化を依頼した。
加藤直さんの演出により、今回が合唱劇としての初演となった。

おいしいお薬 萩 京子
私は宮澤賢治の詩に曲をつけたり、オペラをつくるようになって、ますます「賢治っておもしろい」と思うようになっています。
童話の中にはへんてこな登場人物(人物かな?)がいっぱいでてきます。(「よだかの星」にも、へんな鷹、へんなお日さん、へんな星たちがでてきますね。)そして、笑って笑ってしまうけれど、心の中がしんとするような気持ちになります。大いに楽しみ、そして心が洗われる・・・言いかえれば、賢治の作品は、おいしいお薬みたいなところがあるのではないでしょうか。
ひとつひとつの作品は、賢治らしさという共通性をもちながら、それぞれに違った文体があって、それがまた魅力です。
私は今まで「シグナルとシグナレス」とか「北守将軍と三人兄弟の医者」など、少しいびつな、ゴーシュ的作品(ゴーシュというのは、いびつな、とか、ゆがんだ、という意味だったと思うんだけど)を選んできましたが、「よだかの星」は、作品そのものは、あんまりゴーシュ的でない。美しく整っていると思います。しかし、〈よだか〉という存在は、ゴーシュそのもの。
今回、加藤直さんの演出のもと、「合唱団じゃがいも」の皆さんによって、合唱劇として誕生する「よだかの星」が、観客の皆さんの心の中で、いつまでもいつまでも燃えつづけますように。

萩さんと賢治とオペレッタと 加藤 直
オペレッタを作曲するのに どうやらボクは 女性の作曲家は似合わない と決めていたふしがある。本当の理由は わからない。多分 繊細にして弾力に富んだその肌ざわりや指先は ロマンティックな抒情やら感傷的なメロディは生みだしても 理屈に合わない滑稽や大胆かつ単純な悪意 軽快な出鱈目は生みださないに違いない。 とかってに思い込んでいたからかもしれない。
ボクの大好きな作品の一つに 萩京子さんが作曲した宮澤賢治の“注文の多い料理店”がある。十年近く前に 黒テントの“赤いキャバレェ・宮澤賢治旅行記”の中の一つとして曲を作って貰ったものだ。近代をからかった賢治のブラックなユーモアを 萩さんは見事もうひとつ対象化した。
乾いた筆さばきで軽やかに距離化した。
あんなに楽しくも怖ろしい 人間全て道化とばかりシニックに曲をつけた傑作を こんにゃく座はどうしてレパートリーにしないのさ? と質ねたら だって曲が少いんですもの。科白にくらべて。と答えが返ってきた。でもね萩さん オペレッタを作ろうといって出来た作品じゃないか。とってもオペレッタだと思うがな。賢治の文章のリズミカルな特徴を巧みにいかし さらに地の文や科白にまで 音楽を感じさせるよう構成している。
そう。萩京子は 数少ない いや稀有な女性作曲家だ。オペレッタの似合う。その文体やスタイルはクールで しばしば残酷と冗談に満ち満ちていて そのくせウィットを感じさせる。
ほとんど独断的に 音楽は死へむかう欲望を そして演技は生にむかう欲望に裏づけられたものだと 最近考えるボクに 死と生がその見栄っ張りな権威をかなぐりすて遊ぶオペレッタを 萩さんに期待する理由である。
