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2004年スマトラ沖地震・津波 関連情報 トップ > 地域研究について 地域研究について 2007.8.14更新
■このページの構成
■いくつもの「地域研究」
「地域研究」は最近注目されている学問ですが、学問分野としてまだ十分に確立されたと言えず、何種類もの「地域研究」があります。既存の学問の発展が専門ごとの細分化を極度に進めた結果として、人類社会を全体として捉える見方が軽んじられる傾向が生じたという反省に立ち、それぞれの学問分野の中で既成の枠にとらわれない学問のあり方を求める努力が行われるようになりました。これらの努力がそれぞれ「地域研究」という名前を使ったため、学問分野ごとにさまざまな「地域研究」が生まれることになりました。(したがって、「地域研究」について語るときは、どの学問分野の出身の地域研究について言っているのか確かめる必要があります。出身分野が違うと「地域研究」と言っても話が大きく食い違うことがあるためです。)
■「敵国研究」としての「地域研究」
さまざまな地域研究のうちよく知られたものに、かつて「敵国研究」として行われた地域研究があります。
二度の世界大戦を経て欧米以外の国々が国際社会の構成員となると、欧米社会では自分たちと異質な社会と政治経済的な関係を築く必要が生じ、異質な人々の文化を理解するという国家的な要請が生じました。第二次世界大戦中に米国で地域研究が盛んに進められ、このとき地域研究が「敵国研究」として発展したことは、異質な文化を理解するという国家的な要請が背景にあったことをよく示しています。
このような地域研究には、「国単位」「異質性の強調」などの特徴が見られました。そのことを踏まえて、現在行われている地域研究は、それぞれ既存の学問分野に挑戦しているだけでなく、かつての「敵国研究」としての地域研究に対してどのように乗り越えるかという課題も背負っています。
■「地域とは何か」
このように、「地域研究」にはさまざまなものがあります。ただし、「地域研究」を掲げる研究者たちの間には共通した特徴があるように思います。そのうち最も重要なものとして、「地域とは何か」を調査研究の出発点としていることが挙げられます。
「地域」にはさまざまなものが考えられます。日本やイギリスなどの国を指すこともあれば、九州地方のように国内の一部を指すこともあり、また、県や市町村などさらに小さな単位も地域と見ることができます。逆に、東アジアや東南アジアなど、世界を大きくいくつかに分けた地域も考えられます。アフリカとアジアをあわせたアフロ・アジア、ヨーロッパとアジアをあわせたユーラシア、さらにそれにアフリカを加えたアフロ・ユーラシアなど、さまざまな大きさの地域を考えることができます。
行政単位と異なる観点からも地域を考えることができます。例えば、イスラム教圏(イスラーム圏)やキリスト教圏のように特定の宗教や民族が分布している地域や、気候や農作物で括った地域などが考えられます。そのほかにも、共通の歴史的な経験を持っている地域という括り方など、さらに多くの地域を考えることができます。
このように「地域」にはさまざまなものがありますが、それらに共通して地域研究で常に問われるのは、ある地域を調査研究の対象としたとき、「なぜそれを「地域」として設定するのか」という問いです。地域の捉え方がさまざまであるために、自分はなぜある地域を「地域」と捉えるのかを明らかにする必要があります。別の見方をすれば、それを1つの地域と見ることで何が見えてくるのかを自問することから地域研究が始まるのです。
■地域のさまざまな捉え方
このように、地域研究とは、まず調査研究の土俵作りからはじめなければならない学問のあり方であると言えます。そうであるからこそ、それぞれの学問分野出身の地域研究者どうしが、「地域とは何か」をめぐって互いに異なる意見を戦わせることになります。
例えば、地質や植生がわからないと地域研究が始まらないという考え方があります。また、人は食べないと生きていけないのだから、まず人々が何を食べているのか、食べ物がどのように作られているのかを見るところから地域研究が始まるという考え方もあります。その土地の歴史がわからなければその地域について語ることはできないという考え方もあります。調査の方法についても、現地体験が不可欠であるとする考え方もあれば、文献資料による調査がなければ地域を理解できないという考え方もあります。専門が異なる複数の研究者が1つの地域に入って共同で調査研究するのが地域研究だという考え方もあります。さらに地域の区切り方についても、例えばフィリピン研究やタイ研究のような一国研究でなく東南アジア地域全体を研究対象とすべきだという主張もあれば、それに対してなぜ「東南アジア」でなければならないのかという批判もあります。
これらはいずれも、「地域とは何か、それをどう把握するのか」を大まじめに考えたからこそ出てきた違いであると言えます。
■多様性と協働性
多様な「地域研究」に共通するもう1つの特徴は、社会における学問の特権的な地位を疑う態度であるように思います。かつては、学問上の「あるべき姿」と現実の姿が異なる場合、それをその地域の「未開性」や「未成熟さ」のせいにする議論がしばしば見られました。例えば、「植民地支配を受けた人々は反植民地主義の独立革命を起こすはずだ。植民地支配されたのに独立戦争を戦わなかった人々は政治意識が未成熟だったためだ」などという主張です。これは、理論と現実が食い違ったとき、現実を理論にあわせようとする考え方であると言えます。
これに対して地域研究では、理論と現実の食い違いを解決するための道を、地域の現実の中に、あるいは地域との関わりの中に見出そうとしてきました。「あるべき姿」を想定して、それが実現していないことを嘲ったり嘆いたりするのではなく、現実がどうなっているかを明らかにして、そこにどのような意味が見出せるかを考えようとするのが地域研究の態度です。
これを現地体験に照らして言えば、従来の自分たちの「常識」では思考や行動が予測できない多様な人々と関わり、一緒にものごとを進めていく中で、一方で相手に合わせながらも他方で自分らしさを考えていかなければならないということになります。
やや話がそれますが、地域研究者どうしの間でも同じことが言えます。上で書いたように地域研究のスタイルは多様なので、地域研究者たちが集まると、自分の考える地域研究と異なるスタイルの地域研究者に出会うことがよくあります。しかし、他人の研究のスタイルが自分の考える地域研究のスタイルと異なるという理由だけで「それは地域研究ではない」と言う人がいるとしたら、そのような態度はここで言う地域研究者から最も遠いあり方ということになります。
以上のことを踏まえた上で、以下では私たちの考える地域研究について書くことにします。それは私たちの立場を明らかにするためであり、繰り返しになりますが、私たちが考える地域研究と異なるスタイルの地域研究が誤りである、あるいは劣っていると主張するためではありません。(なお、上で「地域研究」について語るときにはどの分野出身かを明らかにする必要があると書きましたが、私たちは大学で学んだ最初から「地域研究」(地域文化研究)というコースに属していました。そのため、特定の出身分野が明確にあるわけではありません。ただし、私たちが習った先生がたは、主に歴史学、文化人類学、国際関係論を専門としていましたので、私たちが学んだ地域研究はそれらの専門分野が背景にあります。)
■フィールド(現場)との関わり
地域研究者にはフィールドでの経験や調査を重視する人が多いように思います。フィールド経験が地域研究に不可欠であるかどうかは措くとして、ここで考えてみたいのはフィールドでの経験が持つ意味の世代差です。
今のように自由に海外渡航ができなかった頃に研究の道を志した研究者たちは、研究者として学問的にも社会的な地位も確立された後にようやくフィールドに長期滞在する機会が得られるのが普通だったそうです。これに対して私たちは、学問的にも社会的にも地位が確立されていない状態で現地社会を訪れ、暮らした経験を持つ世代に属します。先輩研究者たちが企業や大学や政府の看板を背負い、教師や研究者として現地社会を訪れ、それなりの責任を負うのと同時に相応の扱いを受けたのと異なり、私たちは旅行者や学生として現地を訪れ、滞在費や生活費を安くあげるための金銭のやり取り、調査許可取得や大学在籍などの事務手続き、さらには交友・恋愛など、さまざまな場面で自分で1つ1つ交渉しながら現地社会で生活してきました。社会的な立場が確立されていなかったこともあり、また、下宿先で家族の一員扱いを受けたこともあり、フィールドで私たちは透明な観察者になることができず、好むと好まざるとにかかわらず、何らかの形で現地社会に組み込まれて暮らしていました。そのための苦労もありましたが、それが楽しみでもありました。
この過程で、単に現地の言葉を習得しただけでなく、相手にどのような理屈で説明すれば納得してもらいやすいかといったことを身につけました。これが私たちの「現地感覚」であり、理論と現実が食い違ったときに私たちが頼る判断材料の1つです。私たちは現地社会との関わりの中でこの「現地感覚」を大切にし、その後も現地社会と新しい関わりがあるたびに「現地感覚」の「調律」を行っています。
■「個人的な解釈」
このような態度で研究発表を行うと、地域研究以外の研究者から「それはあなたの個人的な解釈ではないのか」と尋ねられることがあります。その場の雰囲気から、それは批判の意味を込めた発言であることがうかがえます。おそらく、その研究者が身を置く学問分野では、研究には研究者の個人的な解釈を差し挟んではいけないとされてきたのだろうと想像します。
私たちが大学や大学院で学んだのはその逆です。「研究とはすべて何らかの偏見である」というのが私たちが大学で最初に学んだことです。研究も偏見であることには変わりなく、そのような偏見の中で、研究が研究であることを保証するのは反証可能性を備えているかどうかによるということです。別の言い方をすれば、適切なデータをもとに説得的な議論を展開しているかどうかが重要なのであり、議論の方向がどちらを向くかはそれぞれの研究者の問題意識によって異なるのが当然だという考え方です。議論の方向が妥当であるかは他人には判断できず、研究者が自分自身で判断しなければなりません。そのための判断材料の1つが先ほど触れた「現地感覚」なのです。
■「地域だけの研究」と「地域からの研究」
もう1つ、私たちが考える地域研究で大切なことは、対象地域の固有性を括り出すことは調査研究の重要な作業の1つではあるけれど、そのこと自体を地域研究の目的にしないということです。地域に固有の価値観があることを認めることは、世の中全体にたった1つの価値観しか認めないという態度を批判する意味があるために基本的に賛成なのですが、対象地域の固有性を強調しすぎると対象地域の特殊性が強調されてしまい、結局「世の中はいろいろある」としかならないように思うためです。「変わったもの探し」をすれば、見る側と見られる側を切り離すことになりかねません。私たちは研究対象地域とそのような関係を作りたくないためです。
これに対し、個別の地域を見て、そこから世界全体に通用する法則性を見出そうとすることによって、個別の地域から得られた議論がその地域に限定されずに世界全体に適用できるようになることを目指すのが私たちの考える地域研究です。地域の固有性の括り出しを強調する地域研究を「地域だけの研究」と呼ぶならば、私たちが目指す地域研究は「地域からの研究」と呼ぶことができます。
「地域研究は特定の地域しか見ない」という批判を聞くことがありますが、「地域からの研究」が目指しているのはそのような地域研究ではありません。人類学の例をとれば、特定の村の研究を通じて人類全体を研究する人類学を「村から人類への研究」とするならば、私たちが考える地域研究は「地域から世界への研究」と呼ぶことができます。人類学が村を語りながらも人類全体を語ろうとしているのと同じように、地域研究も地域を語りながら世界全体を語ろうとしているのです。
■地域研究の可能性
地域研究は、特定の研究対象地域の実態や特徴を明らかにすることだけではありません。世界全体に通用する法則性を見出そうとし、人類社会の発展という歴史の中に自らを位置付けることによって、これからの人類社会のあり方や、その一員としての自分たちの進路を考える上で有用な知的基盤を提供してくれるはずです。
自然災害との関連にその例を見ることができます。これまで自然災害による被害は、物理的な力による破壊を中心に考えられてきました。地震や津波の力の大きさと建物の強度がわかれば、被害の規模は計算で求められるという考え方です。しかし、今回のスマトラ沖地震・インド洋大津波で明らかになったことは、被害の規模は物理的な力だけで決まるのではなく、社会の強さや弱さによっても変わるということでした。紛争などの理由で社会的基盤が弱い地域に大きな被害が生じ、さらにその中でも社会的な弱者に被害が集中したことが報告されています。また、そのような社会では円滑な救援活動を進める上で困難が多く、このことが被害の拡大を招いたことが指摘されています。被害規模は、災害の規模だけでなく、社会のあり方も加味しないと適切に把握できないのです。
緊急支援についても同様のことが言えます。今回のスマトラ沖地震・津波では、アチェの地方行政は地震と津波によって壊滅的な打撃を受けましたが、インドネシアの中央政府は無傷であるために命令系統はアチェの外に残っていました。また、被災前に事実上アチェの行政を掌握していた治安当局は、被災直後に被災地で事態の掌握を試みました。そのため、津波でもっとも大きな被害を受けたアチェでは、被災直後の被災地に、命令系統が不明瞭なまま行政権限を持つと主張するさまざまな勢力が存在していました。このような状況で支援活動を行う場合、局面ごとにさまざまな勢力とのネゴシエーションを通じて活動領域を確保していかなければなりません。ここでも、対象地域で局面ごとにさまざまな交渉を重ねてきた地域研究者の経験が有用性を持つように思われます。
また、一口に「紛争」と言ってもその性格はそれぞれ異なり、単に「抑圧と貧困に苦しむ民衆が政府に抵抗している」という「政府対民衆」の図式では捉えられない場合もあります。アチェの場合、インドネシア政府(国軍)と分離独立派(GAM)はいずれも資源が豊富なアチェを囲い込んで統治権を確立しようとして争っていたのであり、これに対してアチェの多くの人々は囲い込みのない社会のあり方を望んでいました。アチェの人々を支援したいと思っても、分離独立運動を「政府対民衆」の図式で捉える限り、分離独立運動を支持することになり、それは結果としてアチェの人々をGAMによる新たな囲い込みの中に置くことを手助けすることになりかねません。災害や紛争など緊急支援を招く状況は不幸なことですが、その機会をうまく利用してよりよい社会のあり方を考える上で、地域研究者の関与は重要な意味を持つように思われます。
むろん、対象地域の社会変動に対して地域研究者が常に十分に対応できるわけではありません。しかし、対象地域における人々の関係の作り方や交渉のしかたを身につけていることで、予期しない状況に直面しても、少ない試行錯誤で適切な対応を探り当てることができるという自負があります。その裏づけとなるのが、地域研究者が日ごろから行っている基礎的な研究の積み重ねです。私たちは、それぞれの地域に関する基礎的な研究の積み重ねの上に、現実社会のさまざまな社会的ニーズに対応する中で、地域研究のさらなる可能性を切りひらいていく一端を担うことができればと思っています。
地域研究については地域研究方法論研究会もあわせてご覧ください。
■ウェブサイト
このウェブサイト「2004年スマトラ沖地震・津波 関連情報」は、山本と西が2005年1月5日に公開したものをもとに、更新を重ねてきたものです。2004年12月26日のスマトラ沖地震・津波の発生直後、緊急支援のために現地入りする複数の支援団体から現地事情に関する問い合わせがあり、できる限り個別にお答えしていたのですが、仲介役となる人によって現場にうまく情報が伝わっていないような印象を受けたこともあり、現場にいる人に直接伝わることを期待してウェブサイトを通じて発信を試みたのがはじまりです。
公開当初はアチェに関する地理・地図情報および歴史的背景(紛争の歴史)についての情報を掲載していましたが、アチェや近隣地域の地元紙から得られる被災地の情報を日本語にして発信することも行い、後にこれが量の上で主要な部分を占めるようになりました。通信環境がよくないスマトラになるべく多くの情報を届けることができるように、公開当初は1枚のページに文字情報だけを並べる形で発信していました。
その後、当時マレーシアに長期滞在中だった篠崎が加わりました。これにより、マレーシアにおける被災と復興の状況に関する情報に加え、隣国であるマレーシアから見るアチェの状況についての情報も得られるようになり、アチェの状況を見る視角がさらに広がりました。
地震・津波の発生から1、2ヵ月の間は一般報道情報に大量の情報が流れていました。私たちが発信する情報のほとんどはこれらの一般報道情報をもとにしたものであり、「当事者から得た情報をもとに語る」という地域研究の考え方からはやや外れるかもしれません。ただし、それらの情報をただ時間別や内容別に分類するだけでなく、それらの情報をどのような枠組で理解すべきかという点を工夫したことは、地域研究の考え方の延長として出てきたことでした。この時点では、私たちにできることとして、「何が起こっているか」という事実を伝えることよりも、「それをどう見るか」という解釈や理解の枠組を提示することを常に意識しながら情報を整理し、発信するよう心がけました。
■研究会
2005年2月に山本と西がアチェで現地調査を行う機会がありました。同行した堀江啓さん(防災科学技術研究所・地震防災フロンティア研究センター。現在は阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター)から、自然災害への対応過程には一定のパターンがあり、日本では阪神・淡路大震災への対応過程を中心に研究が進んでいることなどを教えていただきました。アチェの災害対応過程を他の自然災害の復興過程の事例と比較しながら中長期的に検討するため、スマトラ沖地震・津波 災害対応過程研究会(JRT-DMS)を立ち上げました。
この研究会には、堀江啓さんとシャフウィナさん(シアクアラ大学)に加わっていただき、堀江さんには日本の災害対応過程との比較、シャフウィナさんにはアチェおよびインドネシア社会への発信の面で協力していただいています。これを機会にウェブサイトのリニューアルを行い、一般報道情報をいくつかに切り分けて整理しましたが、まだ整理が十分にできていません。今後は、一般報道情報の収集には重点をおかず、すでに蓄積された情報の整理と提示の方法を検討していきたいと考えています。
■現地社会との関わり方
どうして私たちがスマトラ沖地震・津波にこのような形で関わることになったのか、私たち自身にも明確な答えがあるわけではありません。ただし、強調しておきたいのは、「知り合いに地震・津波の被害者がいたから」ではないということです。また、「研究対象が被災したから」という単純な理由からでもありません。(私たちの中には、直接の研究対象が津波の被害をまったく受けなかった人もいます。)1年たった今の時点で考えるならば、自分の研究対象に大きな社会変動が生じたときに、それに対して(研究者であろうとする)自分がどう関わることができるかと考えた結果の行動だったと言えるかもしれません。
自分が社会の一員として一定の期間を過ごした社会に関わりたいという思いをどのように現実のものにするのか。このような思いを抱いたのは、もちろん私たちだけではありません。ビジネスの分野で、あるいは外交関係を通じて、現地社会に関わろうとした人たちは昔からいました。外交関係を通じた現地社会との関わり方は、かつて軍事的に一方的に関係を結ぼうとした失敗を踏まえて、今では政府開発援助(ODA)を通じた関わり方に重点が移っています。また、近年では非政府組織(NGO)を通じた関わり方も多く見られます。これらはいずれも、現地社会に関係するあり方のさまざまな形であると言えます。
研究者の中にも、研究活動と別にNGOなどを通じて現地社会に関わっている人たちがいます。そのような「研究者であるとともに」現地社会に関わるというあり方に対して、私たちは素直に尊敬の念を抱いています。その一方で、私たちは「研究者として」現地社会に関わるにはどのような方法があるのかということも考えてきました。このような考えの先に、今回のスマトラ沖地震・津波への私たちの関わりがあると考えています。
スマトラ沖地震・津波 災害対応過程研究会(JRT-DMS)
■メンバー
山本博之(京都大学地域研究統合情報センター)
■経歴
山本博之 専門はマレーシア地域研究/現代史。1995年〜2001年にマレーシア・サバ州(1995年〜1998年にサバ開発問題研究所(IDS)客員研究員、1998年〜2000年にマレーシア・サバ大学(UMS)講師など)、2003〜2004年にインドネシア・北スマトラ州(在メダン日本国総領事館委嘱調査員)に滞在。著書に『脱植民地化とナショナリズム――英領北ボルネオにおける民族形成』(東京大学出版会、2006年)がある。
西芳実 専門はアチェ地域研究/近現代史。1997〜2000年にシアクアラ大学教育学部歴史学科の留学生としてインドネシア・アチェ州に滞在(文部省アジア諸国等派遣留学生、平和中島財団日本人留学生)。2004年、東京大学大学院総合文化研究科博士課程(地域文化研究専攻)満期退学。主な論文に、「アチェ紛争――ポスト・スハルト体制下の分離主義的運動の発展」(比較政治学会編『民族共存の条件』早稲田大学出版会、2001年)、「止められなかった紛争――1998年〜2000年におけるアチェ紛争激化の展開と構造」(武内進一編『アジア・アフリカの武力紛争』(共同研究会報告書)、アジア経済研究所、2002年)、「書評論文:東南アジアにおけるナショナリズム研究の課題と現状」『東南アジア 歴史と文化』(32号、2003年)、「アチェ紛争の起源と展開:被災を契機とした紛争の非軍事化」『ODYSSEUS』(11号、2007年)がある。
篠崎香織 専門はマレーシア地域研究/近現代史。1999〜2001年にマラヤ大学人文社会学部歴史学科留学生としてマレーシア・クアラルンプールに滞在(文部省アジア諸国等派遣留学生)、2002〜2003年に国際交流基金アジア次世代フェローシップを受けてシンガポールで、2004〜2005年にりそなアジア・オセアニア財団の国際交流助成を受けてクアラルンプールおよびペナンでそれぞれ現地調査を行う。2005年、東京大学大学院総合文化研究科博士課程(地域文化研究専攻)を満期退学。主な論文に、「シンガポール華人商業会議所の設立(1906年)とその背景――移民による出身国での安全確保と出身国との関係強化」(『アジア研究』50巻4号、2004年)、「シンガポールの華人社会における剪辮論争――異質な人々の中で集団性を維持するための諸対応」(『中国研究月報』58巻10号、2004年)、「ペナン華人商業会議所の設立(1903年)とその背景――前国民国家期における越境する人々と国家との関係」(『アジア経済』46巻4号、2005年)がある。
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スマトラ沖地震・津波 災害対応過程研究会 (JRT-DMS)