■このページの構成
はじめに
軍事戒厳令から津波被災まで
戒厳令下のアチェ情勢日誌(2003年5月〜2004年12月)
はじめに
2003年5月、インドネシア政府と自由アチェ運動(GAM)の間の停戦合意が崩れ、政府はアチェ州に軍事戒厳令を敷いた。これによって、政府のアチェ問題に対する臨み方は、政府が2000年以降進めてきた「対話による問題解決」というアプローチから、「実力によるGAMの排除によるアチェの復興・建設」というアプローチへと大きく方向転換した。アチェの停戦を監視する目的でアチェに駐留していた国際監視団もアチェからの撤退を余儀なくされた。
この結果、アチェの状況は大きく変化した。治安当局がアチェを囲い込み、アチェとアチェ外部との情報や人のやり取りを遮断・制限した。そのうえで、(1)殺人をはじめとする「超法規的措置」の実施、(2)行政の代行、(3)復興等に関わる各種事業の請負いを行った。このようにして、治安当局がアチェにおける情報、人、物資、金の流れを一元的に管理する体制が作られていった。治安当局がアチェを囲い込んだことに対しては、人権活動家などから人権侵害に対する監視力が弱まるという問題点が指摘されていた。
このような治安当局の態度に対し、GAMもまた、同様の方法で対抗しようと試みた。
以下では、2003年5月に停戦合意が崩れて「統合作戦」と呼ばれる軍事作戦が進められるようになる少し前から、2004年12月のスマトラ沖地震・津波の被災まで、アチェ問題がどのように推移したかを整理した。(本文中で言及されている個別のできごとについては情勢日誌(2003年4月〜2004年12月)を参照。)
軍事戒厳令から津波被災まで
(1)停戦合意から「統合作戦」へ
1999年から2000年にかけて、GAMとインドネシア国軍・警察との戦闘が激化した。これに伴って大きな問題として認識されるようになったのは、民間人の犠牲者の増加、ならびに紛争による地域社会・地域経済の疲弊だった。政府関係者や人権NGOに加え、GAMの声明を掲載するメディア、そして問題解決を提案する知識人などに対して匿名の暴力が横行し始めた。また、公立学校や郡役場などへの攻撃も増加した。
このため、地域社会の人道的な状況の改善、復興、そして紛争の平和的解決を目的として、武力紛争の当事者であるGAMとインドネシア政府とのあいだで対話の場が設定され、停戦が試みられてきた。その結果、2002年12月にはインドネシア政府とGAMの間で敵対行為停止の枠組合意が成立した。
東京会合のホスト役を務めた日本を含めて、国際社会も停戦から復興への動きを支援した。インドネシア政府とGAMの両当事者に、停戦合意の仲介役となったアンリ・デュナン・センター(HDC)を加え、三者からなる合同治安委員会(JSC)が設置された。JSCはアチェ州各地に事務所を置き、インドネシア政府とGAMが相互の信頼を醸成し、さらに武装解除の段階に進むことが期待された。
ただし、武装解除をどのように行い、それを誰が確認するのかといった問題は未解決のままだった。また、武装解除が達成された後の「包括的対話」については、それが選挙を意味するのか、選挙だとしたら2004年に予定されている総選挙や大統領選挙を指すのか、それともアチェの住民投票のようなものを指すのか、といった点で意見の食い違いが大きいままだった。
さらに、停戦合意がなされた後も散発的な銃撃戦は続き、治安当局(国軍・警察)側もGAM側も死者を出していた。この銃撃戦に巻き込まれて10歳の少女が死亡するなど、民間人が巻き添えで死亡する事件も起きていた(4月12日)。
2003年4月に入ると、アチェ各地で住民によるJSCへの焼き討ちが起こり、JSCは一時引き上げを余儀なくされた(4月6日、7日、8日)。政治家や治安当局からは、JSCの枠組ではアチェ問題は解決できないとして、軍事作戦によるGAMの制圧を求める声が上がりはじめた(4月10日、5月1日)。このとき出された理由には、アチェ問題はインドネシア国内の問題であり、外国人に介入させるべきでないという主張があった(5月3日、5日)。国内問題に外国人を介入させるべきでないという主張は、その後現在に至るまで、アチェ問題に対するインドネシア政府側の一貫した態度となっている。
このころちょうど、テレビではバクダッドでのイラク人と米海兵隊による「サダム・フセイン銅像引き倒し」の映像が何度も流された。北スマトラ州メダンでは、人々が「力による悪者の征伐」という爽快感を得ているように感じられた。これがアチェの話とどれだけ重ね合わせて見られていたかを具体的に示すことはできないが、この時期、インドネシアの人々の間でも政治家や治安当局がいう「力によるGAM制圧」を支持する雰囲気が感じられ、各紙の社説などでしばしば取り上げられていた。
このような状況で、政府内でアチェ問題を担当していたユドヨノ政治治安担当調整相(現大統領)は、GAMに対して対話を呼びかけた(5月2日)。しかし、インドネシア政府側はGAMがアチェの分離独立を撤回することを対話の条件としたため、政府側が対話による問題解決をどれだけ真剣に求めているかは疑わしかった。政府は5月13日に正式にGAMとの停戦合意を破棄し、19日に「統合作戦」を実施した。
「統合作戦」とは事実上の軍事作戦であり、政府が2000年以降進めてきた「対話による問題解決」というアプローチから、「実力によるGAMの排除によるアチェの復興・建設」というアプローチへと大きく方向転換したことを意味している。
国軍によれば、このとき掃討の対象とされたGAMの勢力は、兵士7140人、火器2516丁だった(5月20日)。これに対し、インドネシア政府は2万6000人の兵力を投入した。これにともない、アチェの停戦を監視する目的でアチェに駐留していた国際監視団もアチェから撤退を余儀なくされた(5月12日)。
(2)治安当局・GAMによるアチェの囲い込み
この結果、アチェの状況は大きく変化した。以下に見るように、治安当局がアチェを囲い込み、アチェとアチェ外部との情報、人、物資、金のやり取りを遮断・制限した。そのうえで、(1)殺人をはじめとする「超法規的措置」の実施、(2)行政の代行、(3)復興等に関わる各種事業の請負いを行った。このようにして、治安当局がアチェにおける情報、人、物資、金の流れを一元的に管理する体制が作られていった。
5月15日にはアチェから北スマトラ州に入る公式の経路がすべて封鎖された。GAM兵士の逃亡を防ぐ目的で、マラッカ海峡の監視と陸路における検問が強化された(5月22日)。GAMを情報源とする記事の報道が禁止された(5月22日)。郵便物も、一部を除いて配達が制限された(6月12日)。
アチェにおける外国人、NGO、ジャーナリストの活動を制限する大統領令が発令された(6月18日)。軍事非常事態の執行官であるエンダン・スワルヤは、「外国人のアチェへの入域は禁止」とまで語った(6月27日)。こうした状況下で、ドイツ人が国軍兵士の「誤射」によって殺される事件(6月6日)や、米国人ジャーナリストがスパイ容疑で逮捕される事件(6月24日)も起こった。9月19日には、滞在許可が切れた世界保健機関(WHO)職員がアチェから出境し、これによってアチェには国際援助スタッフがいなくなった(9月19日)。
アチェを外部と切り離した上で、治安当局はアチェにおける行政だけでなく、復興等に関わる各種事業も行なった。不足し始めた日常必需品は政府が配給を行った(5月23日)。予定されていた県長選挙は延期され、アチェの228の郡のうち36の郡で治安当局の人員が郡長に就任した(5月29日)。外国からの援助も、支援機関が現地に直接入って行うのではなく、ジャカルタの政府を通じて行う方針が発表された(5月27日)。アチェでは戦闘のなかで公立学校が放火の対象となり、多くの学校が焼失していたが、この復興も国軍が率先して行った(9月19日)。
アチェは、地理的に切り離されただけでなく、アチェ出身者が「アチェ人」と括られてそれ以外のインドネシア人と区別された。アチェ住民は、軍政当局が新たに発行する「紅白」住民登録証の携帯を義務づけられ、アチェ人とアチェ人以外のインドネシア人の区別が容易に行なえるようになった(7月7日、9月10日)。アチェ州外に住むアチェ人についても、自らの所在を当局に報告することが義務づけられた(5月12日、27日)。「アチェの分離を求めるものはインドネシア国民ではない」との発言(5月12日)と重ねてみれば、「すべてのアチェ人は分離主義者であってインドネシア国家の敵である」とする治安当局側の考えが透けて見えるかのようだ。
治安当局は、このようにアチェ人をマーキングした上で、その中からGAMの活動家や支持者を見つけ出そうとした。
軍事非常事態の執行官は、公共の施設を破壊しているGAM兵士を見つけたらその場で射殺するよう指示を発出した(5月22日)。これを裏打ちするかのように、マトリ・アブドゥル・ジャリル国防相は「インドネシア共和国の一体性は人権よりも重い」と発言している(7月9日)
自らは武装せず、対話によるアチェ問題の解決を主張していた人であっても、GAMを支持するか、あるいは支持者とみなされた知識人、活動家、地方政府関係者は逮捕・勾留の対象となった。停戦のための対話にGAM側代表として参加していたソフヤン・イブラヒム・ティバら非武装の活動家も逮捕された(5月20日)。これらの被疑者に対する裁判が進められ、住民投票要求運動を指導していたSIRAのムハマド・ナザルは5年の懲役刑を(7月2日)、ソフヤン・イブラヒム・ティバらは12年から15年の懲役刑を(10月21日)、アチェ独立運動を支持していたとされた女性活動家チュ・ヌル・アシキンは11年の懲役刑(10月21日)をそれぞれ言い渡された。(ソフヤン・イブラヒム・ティバとチュ・ヌル・アシキンは、2004年12月26日の津波によってバンダ・アチェの刑務所で死亡した。)
その一方で、GAM支持者でないとされた人々は、インドネシア共和国政府に対する忠誠を示すことが求められた。インドネシア政府への支持を表明するだけでなく、治安当局とともにGAMに対峙することが求められた(8月5日)。
治安当局がアチェを囲い込んだことに対しては、人権活動家などから人権侵害に対する監視力が弱まるという問題点が指摘されていた(10月10日)。これに対して国軍は、強姦や拷問などの人権侵害を行った国軍兵士に対する裁判の実施などによって自己改革の姿勢を示そうとしているが、十分な成果をあげたとは言いがたい状況にある(10月10日)。
このような治安当局の態度に対し、GAMもまた、同様の方法で対抗しようとしているように見える。独自の車両登録証を発行し(5月29日)、バンダ・アチェ=メダン間の幹線道路を倒木によって封鎖した(6月7日)。報道によれば、一般民間人への無差別攻撃も活発化した。また、報道関係者に対する誘拐事件も断続的に発生した(6月19日、7月2日)。GAMが報道関係者を誘拐するようになったのは、GAMに関する報道が制限されている状況で、解放交渉などを通じてGAMの活動内容や停戦要求などをアチェの外部に伝える手段の1つとされたと考えられる。
(3)軍事戒厳令の延長
6ヵ月間の軍事戒厳令が期限切れを迎えた2003年11月19日、メガワティ大統領は軍事戒厳令をさらに6ヵ月間延長した。
治安当局がアチェを囲い込んでいる状況には大きな変化がないが、国際社会との関係でいくつか新しい動きが見られた。
国際機関のアチェ入りが一部で認められ、赤十字国際委員会(ICRI)がバンダ・アチェ事務所を再開し(12月5日)、さらに国連開発計画(UNDP)、世界食糧計画(WFP)、国際教育科学文化機構(ユネスコ)、国連児童基金(ユニセフ)による人道支援活動にも許可が与えられた(12月23日)。
アチェの人々の国際機関への期待の強さは、たとえば、赤十字国際委員会バンダ・アチェ事務所に対してGAMの人質になっている民間人解放の仲介役を要求する動き(2004年1月19日)などにも見て取ることができる。しかし、国際機関以外の国際NGOの活動は依然として制限されたままだった。また、2004年4月の総選挙ではインドネシア各地に外国人選挙監視団が入り、アチェにも選挙監視団が入境を認められたが、活動領域や行動は大きく制限を受けていた(4月1日)。
アチェ州内やインドネシア国内におけるアチェ問題への発言が制限される中で、インドネシア国外に居住するアチェ人がインドネシア政府の人権侵害に抗議する共同声明を出した(2月13日)。また、亡命先のスウェーデンに拠点を置くGAM幹部も、機会あるごとにインドネシア政府に対する抗議の声名を発表してきた。
この一方で、アチェ内では、いわゆる「民兵」の組織化も進められた(1月19日)。
(4)軍事戒厳令から民事戒厳令へ
治安当局とGAMの武力衝突とは違うところでアチェ問題に関する事態の展開が見られた。
民事戒厳令への切り替えに伴って注目されたのは、以前からNGOなどに指摘されていた地方政府関係者による汚職問題への対応だった。軍事戒厳令を民事戒厳令に格下げすれば、文民である州知事がアチェ州行政の全権を握ることになる。とりわけ、州政府が極めて大きな権限を握るアチェ州において、州行政のトップであるアブドゥラ・プテ州知事の汚職問題は州行政の効率化・透明化のための大きな障害であるとの認識が広く共有されており、軍事戒厳令継続を唱える声の根拠の1つとされていた。
2004年に入ると、地方予算の不正流用のかどでバンダ・アチェ市議会議長を含む7名の議員が逮捕された(2月9日)。さらに、アブドゥラ・プテ州知事が州政府予算の不正流用疑惑などの参考人として取調べを受けた(6月2日、4日)。アブドゥラ・プテ州知事がヘリコプター購入に絡む汚職事件の容疑者とされ、取調べを受けると(7月14日)、メガワティ大統領はアブドゥラ・プテ州知事の職権を停止し、非常事態最高責任者の職務を州警察長官に代行させた(7月23日)。アブドゥラ・プテ州知事はその後ジャカルタに移され、メガワティにかわって大統領になっていたユドヨノによって、スマトラ島沖地震が発生した12月26日、州知事の停職処分を受けた。
こうした一連の施策の結果、インドネシア政府は、アチェにおけるインドネシア政府の統治が大幅に回復されたとしている。2004年10月のハリ・サバルノ臨時政治治安担当調整相の談話によれば、アチェの21県・市すべてで県・市議会議員が就任しており、村落行政が機能していないのは7村のみとなり、「紅白」住民登録証は住民の96.7%に配布されたという。しかし、治安当局は依然としてアチェに2000人のGAMメンバーが潜伏しているとして軍事作戦を継続しており、アチェにおける治安当局の駐留および作戦を正当化している。地震・津波によって交通・通信や地方行政が甚大な被害を受けた状況で、治安当局によるアチェの囲い込みと管理の一元化が強化されること、また、治安当局によるこれらの動きを妨げる試みに対し、分離主義勢力の制圧を口実に、治安当局が実力行使によって排除しようとすることが懸念される。
戒厳令下のアチェ情勢日誌 (2003年4月〜2004年12月)
主な略号
GAM 自由アチェ運動
HDC アンリ・デュナン・センター
JSC 合同治安委員会
Kontras 行方不明者と暴力犠牲者のための委員会
SIRA アチェ住民投票情報センター
2003年4月
[3日] ピディ県でGAMメンバー3人が射殺される。
数日前より行方不明だった国軍兵士1人が死体で発見される。
[6日] 東アチェ県の住民1500人がJSC事務所を襲撃して放火。
[7日] 南アチェ県の住民数千人がJSC事務所に対してデモ。
[8日] JSC、アチェ各地の停戦監視団のバンダ・アチェへの一時引き揚げを決定。
ピディ県でGAMメンバーほか9人が銃撃により死亡。
[10日]スシロ・バンバン・ユドヨノ政治治安担当調整相、アチェへの「軍事作戦」の可能性に言及。
ビルン県とピディ県で発砲事件。6人が死亡、3人が負傷。
[12日]ビルン県で10歳の少女が銃撃戦に巻き込まれて死亡。
2003年5月
[1日] アクバル・タンジュン国会議長、政府は躊躇せず断固とした手段を採るべきと談。
海軍、タイから武器を密輸しようと試みるいかなる船も攻撃すると表明。
ビルン県でGAMが民間人一家3人を拉致。そのうち2人が遺体で発見される。
中アチェ県の戦闘でGAM兵士6人が死亡。
[2日] スシロ・バンバン・ユドヨノ政治治安担当調整相、GAM側が合同委員会の協議に応じるか10日間待つと表明。
[3日] ファトワ国会副議長、アチェ問題に外国勢力を介入させるべきでないと発言。
警察、JSCのGAMメンバー6人を逮捕。
ロクスマウェでGAM兵士による攻撃を受け、10代の民間人2人が重傷。
[4日] ハムザ・ハズ副大統領、HDCは効果的でないと発言。
[5日] アミン・ライス国民協議会議長、HDCはトラブルメーカーであり、アチェ問題はインドネシア国内で解決すべきと表明。
国軍の増派部隊1200人がアチェに到着。
[6日] 空軍、2個大隊をアチェに投入する用意があると談。
ソフヤン・イブラヒム・ティバJSC・GAM代表、非武装化は政府とGAMの双方が同時進行で行うべきであると表明。
政府、合同委員会の開催を5月12日以降にしたいとのGAMからの提案を拒絶。
イスカンダル・ムダ軍管区のジャリ・ユスフ司令官、停戦合意によって国軍が攻撃的な態度を取っていないためアチェでは地方行政が実効性を失っていると発言。
[7日] 東アチェ県で県議会議員ら6人が殺害される。
ビルン県プダナ郡およびジュンパ郡の住民2000人、国軍とGAMの武力衝突に巻き込まれることを恐れて避難。
ピディとランサでそれぞれ銃撃事件が発生、合わせて6人が死亡。
ソフヤン・イブラヒム・ティバJSC・GAM代表、政府がインドネシア共和国の枠内での自治という条件を取り下げるのならGAMは5月12日以前の合同委員会に同意すると表明。
政府、アチェに対する「統合作戦」の実施を決定。実施日時は未定。軍事作戦とともに、人道作戦、法秩序の維持作戦、治安回復作戦を行う。
[8日] 東アチェ県で何者かが小学校の校舎を焼き討ち。
ダイ・バクティアル国家警察長官、政府は停戦合意を破棄してGAMに対処すべきと発言。
ジャリ・ユスフ司令官、国軍はインドネシア国家の統一及びアチェ住民の安全のため武力を用いてGAMに対処する必要があると談。
治安当局によれば、GAMの兵力は兵士5000人、火器1800丁。
[9日] メガワティ大統領、一両日中に統合作戦の実施命令を下すとの見込み。
ジャリ・ユスフ司令官、国軍は通常の作戦では敵の3倍の勢力で臨むが、今回は対ゲリラ戦であるために敵の10倍とすると談。目下、アチェにおける国軍の兵力は26000人でGAMの勢力の5倍。
[12日]統合作戦に先立ち、JSCの国際監視団52人がバンダ・アチェからジャカルタに移動。
ハムザ・ハズ副大統領、「アチェの分離を求める者はインドネシア国民ではない」と発言。
北スマトラ州知事、アチェからの入境者がいたら警戒するよう州内の村長に指示。
[13日]政府、GAMとの停戦合意を正式に破棄。
メダン=バンダ・アチェ間の公共バスは運行停止。
バンダ・アチェでは公共交通機関がすべて運行停止。治安当局が運行を代行。
アチェに向けて出発した国軍兵士1万人のうち6000人が到着。
ビルン県で住民1万人が村を離れて避難民化。避難先のモスクで物資が欠乏し、生後20ヵ月の幼児が死亡。アチェ全体ではすでに20人の幼児が同様に命を落としている。
[14日]GAMのアムリ・アブドゥル・ワハブ、GAMの闘争は本来の目的から大きく離れてしまったとして政府に投降。
[15日]ダイ・バクティアル国家警察長官、アチェから北スマトラ州に入境する公式の経路はすべて封鎖したと談。
[16日]インドネシア政府とGAMが17日に東京で会合を開くことに合意。
[18日]東京での交渉が決裂。メガワティ大統領、統合作戦を実施する大統領令に署名。
海軍の1個大隊が北アチェ県に到着。
[20日]国軍情報部によれば、現在のGAMの兵力は兵士7140人、火器2516丁。
警察、クアラ・トリパ・ホテルでソフヤン・イブラヒム・ティバJSC・GAM代表ら5人を逮捕。
[21日]ピディ県、ビルン県、大アチェ県で何者かが学校192校に放火。
ビルン県で何者かが県議会議員を射殺。
[22日]警察、GAM兵士がマレーシアに逃亡しないよう経路を閉鎖。
エンダン・スワルヤ軍事非常事態執行官、公共の施設を破壊しているGAM兵士を見つけたらその場で射殺するよう指示を発出。
ビルン県での戦闘で17人が死亡。
メダン=バンダ・アチェ間の幹線道路で何者かが車両5台に放火。
ジャリ・ユスフ司令官、ジャーナリストがGAM側から得た情報を報じることを禁止。
[23日]GAM、メダン=バンダ・アチェ間の幹線道路を走る車両を無差別に銃撃。
統合作戦の実施以来、アチェでは5県で1万852人が避難民化。
アチェでは日常必需品が不足し始め、政府が配給を開始。
ビルン県で灯油と食糧が底をついた。
[24日]外国のNGOはアチェへの入境が禁止された。
アチェの75%の地域で2004年に総選挙が実施できない見通し。
北スマトラ在住のアチェ人団体、政府の統合作戦を支持。
統合作戦開始から7日間で、GAM側は死亡68人、逮捕24人。国軍側は死亡5人、負傷19人。警察側は死亡2人、負傷1人。民間人は死亡5人。放火された学校は343校に上る。
[27日]ジャカルタ在住のアチェ人に対し、自らの所在を警察に報告するよう指示が出される。
メダンからバンダ・アチェへの生活必需品の輸送を国軍が警護。
ユスフ・カラ調整相、外国からの援助は全てジャカルタ政府を通じて行うと発表。
[28日]ジャカルタで青年約200人がKontras事務所を襲撃。
[29日]GAM、アチェにおける独自の車両登録証を発行。
ハリ・サバルノ内務相、軍事非常事態にともなってアチェの9県における県長選挙を当面延期すると発表。36の郡では国軍・警察の人員が郡長に就任。
アチェ=メダン間の物資の輸送に関して、国軍・警察はアチェからメダンに向かう20台及びメダンからアチェに向かう23台を警護。
2003年6月
[3日] 南アチェ県でのGAMによるバス3台の放火事件を受けて、南アチェ県タパクトゥアンと北スマトラ州メダン市を結ぶ陸路が完全に断絶された。
軍事非常事態の施行から15日間で学校441校が放火された。
警察、GAMを支援していたNGOの活動家・指導者らを捜索中。
[4日]ビルン県で国立小学校の女性教師2人がGAMに銃撃され、1人が死亡、1人が重傷。
ピディ県インドラジャヤ郡でGAMが村長を銃撃。他の村長7人に対し、インドネシア国旗を掲揚しないよう警告。
アチェ・タミアン県では4304人が避難民キャンプで生活している。
リャミザード・リャクドゥ陸軍参謀長、治安回復作戦が順調に進めば国軍は年内にアチェから撤退するとの見通し。
海軍、アチェ西海岸の水域に戦艦20隻を配備。外国籍船舶のアチェ寄港を防ぐ。
[6日] アチェ・ジャヤ県で国軍兵士がドイツ人を銃撃、1人が死亡、1人が負傷。
[7日] 過去3週間でGAM兵士は150人が死亡。88人が逮捕され、95人が投降した。国軍は12人が死亡、27人が負傷。警察は3人が死亡、5人が負傷。
GAM、バンダ・アチェ=メダン間の道路を倒木によって封鎖。
[12日]一般の書状を除き、アチェへの郵便サービスが停止された。
アチェに入境する外国人は地方軍政当局の許可を得ることが必要とされた。
アチェ州の公務員6万7000人、インドネシア共和国への忠誠を誓った上で公務員として再登録。
[18日]アチェにおける外国人、NGO、ジャーナリストの行動を制限する大統領令が発令された。
東アチェ県でGAMの襲撃により中学生1人が死亡。
アチェにおける避難民の数は約4万人。
2ヵ月間で放火された学校は507校。
[19日]エンドリアルト・スタルト国軍司令官、アチェで取材が許されている20人の外国人ジャーナリストに対して国軍は特別の保護を与えないと発言。
行方不明になっていたTVRIバンダ・アチェ支局の職員が死体で発見された。
スシロ・バンバン・ユドヨノ調整相、アチェの公務員の一部がGAMの活動に関与していたとの疑いがあるため、アチェの公務員の調査を実施中と発言。
[21日]メダン=バンダ・アチェ幹線上でバスの乗客に対する銃撃が再び発生。
バンダ・アチェ=ロクスマウェ間のバス交通が麻痺。
[24日]アメリカ人ジャーナリストのウィリアム・ネッセン、アチェでGAMと行動をともにしていたためにスパイ容疑で逮捕される。
[25日]アチェの12の県・市に4万517人の避難民。
[26日]海軍司令官、GAMは河川や沼地を戦闘の場としはじめていると談。
GAM兵士、ビルン県で夕暮れの礼拝を行っている最中の民間人を銃撃して死亡させる。
[27日]メガワティ大統領、アチェにおける統合作戦を延長する可能性を示唆。
東南アチェ、アチェ・シンキル、ガヨ・ルス、アチェ・タミアン、中アチェ、南アチェの6県、アチェ州から分離してアチェ・ヌサンタラ州を設置することに同意。
エンダン・スワルヤ軍事非常事態執行官、アチェに外国人は入境禁止と言明。
ピディ県でGAMが公共のバスを襲撃、乗客3人が負傷。
[28日]物資不足のためGAMが民間住民から物資を強奪するようになった。
軍警察、北アチェ県で住民4人を強姦した疑いの軍人3人に対し事情聴取。
海軍、アチェに2個大隊を増派する用意があると談。
2003年7月
[1日] バンダ・アチェの市場でGAMによる爆弾が爆発、3人が負傷。
[2日] 民間テレビ局RCTIのクルーがアチェで行方不明。
国軍幹部によれば、残っているGAM兵士は600人程度。
バンダ・アチェ地方裁判所、SIRAのムハマド・ナザル代表に対し、政府に対する誹謗中傷の罪で5年の懲役を言い渡した。
[3日] アチェの避難民は4万8247人。
エンドリアルトノ・スタルト国軍司令官、国軍はアチェ全域を統制下に置いたと談。
[4日] 外国人のアチェ入境はイスカンダル・ムダ空港を通じた14日間の滞在のみ認められる。
[5日] 焼かれた学校538校のうち252校を軍・警察が修復。このため国は100億ルピアを出資。
[6日] 北アチェ県でGAMが住民登録証を略取。
北アチェ県でGAMが5つの橋を焼き落とし、住民2753人が食糧不足の危機に直面。
[7日] アチェで「紅白」住民登録証を再発行、住民250万人の13%に発給済み。
[8日] アチェの女性を強姦した国軍兵士3人の軍法裁判が始まる。
[9日] マトリ・アブドゥル・ジャリル国防相、インドネシア共和国の一体性は人権よりも重いと発言。
[10日]リャミザード・リャクドゥ陸軍参謀長、アチェの75%は国軍の支配下にあると談。
[12日]バクティアル・ハムシャ社会相、北アチェの避難民に外国からの援助は必要ないと談。
[15日]アブドゥラ・プテ・アチェ州知事、13の郡で国軍士官を郡長に任命。
[18日]軍事非常事態の実施から2ヵ月でGAM側は473人が死亡。365人が国軍に拘束され、277人が警察に拘束され、350人が投降した。国軍は33人が死亡、39人が負傷、警察は10人が死亡、56人が負傷。
[19日]GAMがワスパダ紙の記者宅を襲撃、同記者の妻が死亡。
強姦事件を起こした国軍兵士に懲役3年と3年半の判決。
[24日]北アチェ県でセランビ・インドネシア紙の車両が放火された。
[28日]エンドリアルトノ・スタルト国軍司令官、アチェは2003年12月にはGAMから解放されるだろうと談。
[29日]国軍関係者によれば、GAMは兵士1300人を残すのみ。
2003年8月
[2日]ビザ不正使用の罪で40日間の刑に服していたアメリカ人ジャーナリストのウィリアム・ネッセンが釈放された。
[5日]バンダ・アチェの中国系住民5000人、GAMに対峙する覚悟があると表明。
[11日]エンドリアルトノ・スタルト国軍司令官、テロ行為を阻止するために国内治安法の適用を支持する考えを表明。
[12日]アチェで独立のための住民投票を求める活動を行なっていたチュッ・ヌル・アシキンの裁判がはじまる。
[13日]スシロ・バンバン・ユドヨノ政治治安担当調整相、政府に国内治安法を導入する意図はないと明言。
[14日]アチェで中学校3年の少女を強姦した北スマトラ州警察機動隊員の裁判がビルン裁判所ではじまる。
[20日]中央ジャカルタ地方裁判所、アチェに軍事戒厳令を布いたメガワティに対する民衆弁護士連盟(SPR)の集団訴訟の公判を延期。
[21日]スシロ・バンバン・ユドヨノ政治治安担当調整相、政府はいかなる形であれアチェで分離主義者と和平交渉を行うつもりがないと明言。
[22日]国家人権委員会アチェ特別チーム代表のMM・ビラ、5日間のアチェ視察の後、アチェの大規模な人権侵害問題が解決しなければ国連が介入する可能性もあると警告。
[26日]東アチェ県ランサ市議会議長のブディマン・サマウンが行方不明。GAMが誘拐したものと報じられた。
[27日]軍事戒厳令当局広報特別編成チーム司令官ディトゥヤ・スダルソノ大佐、軍事戒厳令布告から最初の100日間でGAMメンバー752人を殺害し、555人を逮捕したと発表。さらに457人のGAMメンバー・支持者が降伏し、335の武器が押収された。一方、45人の国軍兵士、13人の警察官が殺害され、112人の兵士、60人の警察官が負傷した。
スシロ・バンバン・ユドヨノ政治治安担当調整相、政府はGAMに対する軍事作戦に3万5000人の国軍兵士を投じたが、この3ヵ月間で「破壊」できたのはGAM5000人の35%のみ、押収できた武器も15%のみであると談。
[29日]国軍、アチェで7名の分離主義者を殺害。
2003年9月
[3日]エンドリアルトノ・スタルト国軍司令官、アチェでの軍事作戦に期限を設けないよう政府に要求。
[4日]アチェには現在、国軍3万5000人、警察部隊1万4000人が駐留中。
[5日]アチェ州警察広報部長サイド・フサイニ、軍事戒厳令下のアチェにおける犠牲者数を公開。5月19日から9月3日まで、民間人に少なくとも319人の死者、108人の行方不明、117人の負傷者。
[6日]アチェ軍事戒厳令責任者エンダン・スワルヤ少将、国軍はアチェにおける分離主義者の拠点をすべて占領したと談。
[10日]北アチェ県広報部長のアズハリ・ハサン、武装集団が紅白住民登録証を強奪する動きが激しくなっていると談。8月のはじめから9月のはじめまでに1722枚の紅白住民登録証が強奪された。これまでに北アチェ県の22の郡で発行された紅白住民登録証は24万5116枚。同県で紅白住民登録証を所持する義務のある住民数は最大で27万4611人。
[15日]アチェ出身学生約50人、アチェの行政・議会が関与した汚職疑惑事件に関する捜査、軍事戒厳令の解除、アブドゥラ・プテ州知事の解任を要求してジョグジャカルタで抗議行動。
[19日]アチェの軍事戒厳令当局広報特別編成チーム司令官ディトゥヤ・スダルソノ大佐、アチェで焼かれた607の学校のうち596校が、地元団体との協力のもとで国軍兵士・警察官により修復されたと発表。
滞在許可切れでWHO職員がアチェから出境、これによってアチェの国際援助スタッフがゼロに。
[28日]リャミザード・リャクドゥ陸軍参謀長、アチェなど紛争地域に外国人が直接・間接に関与していると述べ、これら外国人を捜査中と談。
2003年10月
[2日]地方軍事戒厳令責任者エンダン・スワルヤ少将、アチェにおける軍事戒厳令の適用を2004年総選挙まで延長するよう政府に要請。
[4日]ロクスマウェ北部海岸沖海上で降下演習中の国軍ヘリコプターが墜落、8名の兵士が行方不明。
[5日]メガワティ大統領、アチェにおいて国軍は過剰な介入を避けるべきであると発言。
[10日]民主主義と基本的人権分析機関所長のアスマラ・ナババン、アチェに関する主流メディアの報道が最近めっきり減り、人権侵害に対する監視力が弱まるという消極的な影響が出ていると発言。
ロクスマウェ軍事法廷、北アチェ県西グルンパン・スル村と東グルンパン・スル村の住民を拷問した罪で裁判にかけられていた国軍第301歩兵大隊の兵士12人を証拠不十分で全員無罪放免にした。
[11日]バンダ・アチェ地方裁判所、アチェの学生活動家レザ・パレビに対して3年の懲役刑を言い渡した。
[21日]バンダ・アチェ地方裁判所、女性独立活動家チュッ・ヌル・アシキンに対し、国家反逆の罪で11年の懲役刑を言い渡した。
バンダ・アチェ地方裁判所、国家転覆行為と反テロリズム法に違反した罪に問われていたGAM交渉担当者ソフヤン・イブラヒム・ティバ、アムニ・アフマド・マルズキ、ムハンマド・ウスマン・ランポ・アウェの3被告にそれぞれ15年、13年、12年の懲役刑を言い渡した。
[22日]バンダ・アチェ地方裁判所、国家反逆とテロリズム活動のかどで、GAM交渉担当者ナシルディン・アフマドとカマルザマンに13年の懲役刑を言い渡した。
2003年11月
[3日]バンダ・アチェ地方裁判所、シャ・クアラ国立大学獣医学部のイルワンディ・ユスフ教授に対し、GAMのプロパガンダを広める手助けをしたとして7年の懲役刑を言い渡した。
ユスリル・イフザ・マヘンドラ法・人権相、政治治安関連閣僚調整会議でアチェの軍事戒厳令の6ヵ月延長が決定されたことを明らかにした。
[4日]数十人のジャーナリスト、今年6月29日以来GAMの人質にとられている民放TV局RCTIジャーナリスト2名(レポーターのエルサ・シレガー、カメラマンのフェリー・サントロ)の救出を求め、政治治安担当調整相事務所前でデモ。
[5日]国家人権委員会アチェ特別チーム代表のM・M・ビラ、軍事戒厳令延長の再考を求め、「アチェの住民が本当に戒厳令の延長を求めているのか住民投票にかける必要がある」と主張。
[13日]スドラジャット国防省防衛戦略局長、アチェ軍事作戦の会計監査報告は一般に公表されないと発言。
[15日]ロクスマウェ地方裁判所、GAMサゴ・チョッ・クプラ司令官のムスタファ・ビン・イブラヒムに17年の懲役刑を言い渡した。
[19日]軍事戒厳令を6ヵ月間延長。
[22日]アチェ軍事作戦司令官バンバン・ダルモノ少将が更迭され、ジョージ・トイスッタ准将に代わった。
[26日]アチェ・シンキル県スルタン・ダウラット郡ジャンビ村で、陸軍参謀長兵站副補佐官の一行を護衛していた装甲車が転倒し、同行していた民放テレビ局インドシアルの記者アリ・ウォイラン・オラが死亡、軍兵士6名が負傷。
2003年12月
[4日]27回目のアチェ「独立記念日」。戦闘で国軍側に犠牲者。
[5日]アチェでの活動を4ヵ月間停止されていた赤十字国際委員会、アチェ滞在の正式許可を政府より受け、バンダ・アチェで事務所を再開。
[15日]スシロ・バンバン・ユドヨノ政治治安担当調整相、アチェに外国組織が入ることによってアチェでインドネシア政府がおこなっていることが伝わり、諸外国のアチェ問題への見方が変わることが期待されると談。
アチェ軍事戒厳令責任者エンダン・スワルヤ少将、アチェにおける総選挙を監視する海外からのチームについて不要との見解を示した。
アチェ人の救援活動にあたっていた「ピープル・クライシス・センター」(PCC)のフスニ・アブドゥラとマフユディン、GAMメンバーとみなされて逮捕された。
[18日]アチェ・ジャヤ県で数千人のアチェ人が反アチェ分離運動前線(FAGSAM)を結成、GAMから住民を守ると誓った。1万5000人が登録していると言われる。同様の団体がアチェ各地で結成されており、GAMと戦う国軍を援護するために武器をもつ。
[19日]GAMに人質にとられていた民放テレビ局RCTI運転手ラフマットシャー、東アチェ県シンパン・ウリムの武力衝突後に海兵隊によって救出された。
[22日]イスカンダル・ムダ軍官区司令官エンダン・スワルヤ、盗伐やサバンからの自動車密輸などの任務違反をおこなった国軍兵士80名を軍警察が勾留したことを明らかにした。
[23日]スシロ・バンバン・ユドヨノ政治治安担当調整相、ナングロアチェ・ダルサラム州における包括的作戦に対する包括的モニター・チームは、資金の不正使用を含む不正問題に関するモニターを早急に実施すると談。
スシロ・バンバン・ユドヨノ政治治安担当調整相、国連開発計画(UNDP)、世界食糧計画(WFP)、国際教育科学文化機関(UNESCO)、国連児童基金(UNICEF)がアチェ州で人道支援活動にあたることを許可すると発表。
[25日]リャミザード・リャクドゥ陸軍参謀長、3つの歩兵大隊計2247人をアチェ州に派遣したと談。
[29日]GAMの人質となっていた民放テレビ局RCTI記者のエルサ・シレガル、遺体で発見される。
[30日]リャミザード・リャクドゥ陸軍参謀長、エルサ・シレガルの命を奪った弾丸が国軍のものであることを認めた。東アチェ県シンパン・ウリム郡で国軍とGAMが武力衝突したとき流れ弾にあたって死亡した。
2004年1月
[5日]スシロ・バンバン・ユドヨノ政治治安担当調整相、昨年6月以来GAMが拘束している民放テレビ局RCTIのカメラマンのフェリー・サントロを釈放するためにGAMが2日間の停戦を要求してきたと明らかにした。
[7日]「インドネシア共和国アチェ防衛戦線」(FPARI)を名乗る数十人、バンダ・アチェの赤十字国際委員会(ICRC)事務所でデモをおこない、GAMの人質になっている民間人を早急に解放するよう要求。
[10日]スシロ・バンバン・ユドヨノ政治治安担当調整相、GAMが捕らえている277人(政府推定)の人質を無条件で釈放するよう要求。
[19日]アチェ各地でGAMに対する民兵組織が結成されている。大アチェ県では約1500人が「反分離主義・自由アチェ運動闘争戦線」(FPASGAM)、アチェ・ジャヤ県では「反自由アチェ運動前線」(FAGSAM)、南アチェ県では「反分離主義運動」(GPSG)、北アチェ県ロクスマウェでは「アチェ分離主義者と戦う民衆の要塞」(Berantas)をそれぞれ立ち上げ。
[21日]メダン市庁舎爆破事件の首謀者として容疑をかけられているGAMメダン・デリ地域司令官マナフ・アブディ、メダン地方裁判所の法廷の席で、自分はインドネシア国民ではなくアチェ国民であるとして、国際法廷の場で裁かれることを要求。
[23日]ドイツのフリーランス・ジャーナリストがアチェに不法に入域し、無許可で報道して逮捕された。
[28日]赤十字国際委員会(ICRC)、GAMの人質にされた民間人を解放するための仲介役から降りると表明。
[29日]故エルサ・シレガルとともにGAMの人質となっていた空軍将校の妻2人が解放された。
2004年2月
[3日]スシロ・バンバン・ユドヨノ政治治安担当調整相、アチェの状況が安定化しているとはいえ、アチェで展開中の国軍・警察の兵力を縮小しないと談。
[9日]労働・移住省、近くアチェへの移住政策を再開すると発表。「白」すなわちGAMから解放された地域に限定し、アチェからアチェ外に避難している人びとを優先。
56億ルピアにのぼる2002年度アチェ地方予算の不正流用に関与したとして、バンダ・アチェ市議会議長サイド・アミンを含む7名の議員が逮捕された。
[11日]医療緊急救援委員会(Mer-C)、GAMの人質になっている民間人の解放の仲介役からおりると表明。
[12日]スシロ・バンバン・ヨドヨノ政治治安担当調整相、政府はアチェ州における外国人選挙監視員の総選挙への参加を許可したと発表。
[13日]米国在住のアチェ人とマルク人、インドネシア政府がアチェ、マルク諸島、パプアで人権侵害を繰り返すことに抗議して共同声明を発表。
[16日]中アチェ県の「リンケ学生・生徒協会」(IMPEL)および「民主アチェ女性組織」(Orpad)の学生・生徒活動家や女性活動家5人が行方不明に。国軍・警察に逮捕された可能性が高いとの声がある。
[18日]国軍広報官アセップ・サパリ中佐、国軍は作戦に伴うGAMの死者数の公表を止めたと発表。
[23日]政治治安担当調整相秘書官スディ・シラライ中将、第2次軍事作戦の進捗状況をチェックするための監視チームをアチェに来週派遣する予定であると明らかにした。
[28日]ジャント地方裁判所、大アチェ県会議員マルワン・ビン・ムハマドに対し、GAMに資金援助したとして3年の実刑判決を言い渡した。
2004年3月
[3月]警察、アチェ州の分離主義者による「蔵相」の高級補佐官と思われるモハンマド・ビン・モハンマド・トイブを西ジャワ州バンドゥンのアチェ人学生寮で逮捕したと発表。
[7日]メガワティ大統領、アチェを訪問し、アチェの開発は治安問題が解決しないかぎり円滑に進まないだろうと談。
[8日]アクバル・タンジュン国会議長、アチェにおける軍事戒厳令を非常事態(民事戒厳令)の適用に引き下げるというメガワティ大統領の考えを国会が支持すると談。
[12日]メガワティ大統領、スシロ・バンバン・ユドヨノが政治治安担当調整相職から辞任することを受理し、当面ハリ・サバルノがその職務にあたることを決定。
[13日]スシロ・バンバン・ユドヨノ前政治治安担当調整相、大統領選への出馬を表明。
[15日]GAMメンバーのナドゥルディン・ビン・ムハマド、2003年8月に2人の警察官の殺害事件に共謀した罪で懲役18年の判決を受けた。
ハムザSIRA代表、国軍が村長1人を銃殺し、総選挙ボイコットを呼びかける者たちを射殺すると脅していると訴えた。
[18日]東アチェ県ジュロック郡郡長ハサン・イブラヒム(国軍歩兵部隊中尉)、GAMが総選挙の実施プロセスを妨害する企てとして選挙活動に協力しないよう住民、村長、教師を威嚇していると談。
[21日]スウェーデンの検察チーム、アチェで約1週間にわたるGAMとスウェーデンとの関係に関する尋問を終了。
[24日]バンダ・アチェ地方裁判所、シャ・クアラ大学学長ダヤン・ダウド殺害事件で被告のひとりであるマフユディンに対して懲役17年の判決を言い渡した。
2004年4月
[1日]アチェ軍事戒厳令責任者、アチェ州における外国人の選挙監視活動を規制する布告を発表。アチェへの出入りはスルタン・イスカンダル・ムダ空港のみ許されること、到着後すみやかに軍事戒厳令責任者に出頭し許可を得ること、州警察に報告することなどが義務付けられた。
[3日]EUからの4人の選挙監視員がバンダ・アチェに到着。バンダ・アチェとピディ県ほか郡レベルで選挙監視任務を遂行する。
[5日]総選挙投票日。
[8日]リャミザード・リャクドゥ陸軍参謀長、先日5日のアチェ州における総選挙の投票が安全かつ円滑に実施されたと談。
[15日]プテ州知事、アチェ州政府に300億ルピアの汚職事件の疑いがあるのであれば事情聴取を受ける用意があると表明。
[19日]シャフリ・シャムスディン国軍広報局長、GAMに対峙させるため国軍が民兵組織を訓練しているというNGOからの批判に対し、近隣治安組織のようなものだと反論。
[25日]国軍、住民からの報告をもとに、北アチェ県ロクスマウェから30km地点にあるシャムタリラ・バユ郡ロッ・ハサン村のブキット・ガジャで大規模な埋葬地を発見。
[29日]シャ・クアラ大学の学生ら数十名、アチェ州高検前でデモをおこない、同州における汚職問題の調査を実施するよう要求。
[30日]国家人権委員会、昨年5月の軍事戒厳令施行以降のアチェにおける人権侵害に関する報告書を政府に提出。
2004年5月
[5日]エンドリアルトノ・スタルト国軍司令官、アチェでの包括的作戦の継続を訴える。国軍発表によれば、軍事戒厳令下でGAMの死者1963人、逮捕者2100人、投降者1276人。押収した銃は1045丁。国軍側の犠牲者は419人で、そのうち78人が戦闘中に死亡、70人が戦闘外で死亡。国軍兵士および警察官による規律違反は511件で、そのうち429件の裁判が終了し、82件は現在審理中。57名の国軍兵士が3ヵ月間から3年間の刑を受け、3名は免職処分を受けた。
[8日]来る11日、元GAMメンバー663人が北アチェ県ルルット訓練センターでの5ヵ月間の訓練を終え、それぞれの出身地に帰還する。
[13日]ハリ・サバルノ政治治安担当調整相代理、アチェの地位を軍事戒厳令から非常事態(民事戒厳令)に引き下げることが決まったと発表。
[14日]インドネシア法律擁護協会(YLBHI)のムナルマン代表、中央政府がアチェの地位を軍事戒厳令から非常事態(民事戒厳令)に引き下げるならば、まず20件以上の汚職疑惑があるプテ州知事を罷免するべきだと声明。
[15日]GAMの人質になっていたRCTIカメラマンのフェリー・サントロおよび民間人が解放され、赤十字国際委員会に引き渡された。
[16日]亡命アチェ政府「首相」マリク・マフムド、スウェーデンで、アチェ紛争解決のための平和的な方法を探るために交渉のテーブルに戻る準備ができており、国際社会、とくに国連がインドネシア政府にそのための圧力をかけるよう望むと表明。
[18日]メガワティ大統領、アチェ州の地位を軍事戒厳令から非常事態(民事戒厳令)に引き下げる大統領決定2004年第43号を発令。19日午前0時から実効になり、プテ州知事が実施責任者となる。
[19日]国軍作戦司令部報道官アフマド・ヤニ・バスキ中佐、アチェの地位を軍事戒厳令から非常事態(民事戒厳令)に引き下げた政府の決定にもかかわらず、分離主義運動が国の主権を脅かす限りアチェでの兵力は維持されるであろうと談。
100名を越える地元住民や反分離主義者運動メンバーと名乗るアチェ人、約1週間にわたる政府後援の講習の一環として国防省役人と会合。
[20日]プテ州知事、自分が汚職に関与していると表明した司法機関はひとつもないと明言。
[23日]海兵隊977人、アチェで12ヵ月の任務を終えて交替のためジャカルタに帰還。
[26日]SIRA、GAMに属する「イノン・バレー」(女性部隊)のメンバーとして治安当局に逮捕され、反逆罪にかけられている32人の女性たちの解放を要求。
[27日]メガワティ大統領、プテ州知事の取調べを許可。
2004年6月
[2日]プテ州知事、国家警察本部にて発電機購入汚職疑惑の参考人として7時間の取調べを受けた。
[4日]プテ州知事、汚職撲滅委員会(KPK)事務所にてヘリコプター汚職疑惑について4時間の事情聴取を受けた。書類不備のため質問に答えられず、10日に再聴取の予定。
[6日]インドネシアのテロリスト・グループに関するアメリカの指導的専門家である国際危機グループ(ICG)のシドニー・ジョーンズ、就労ビザの更新が認められなかったためインドネシアを出国。
[7日]ハリ・サバルノ臨時政治治安担当調整相、プテ州知事は刑事事件の被告にならない限り地方非常事態最高責任者としての地位に変更はないと明言。
[8日]バンダ・アチェ地方検察庁、汚職の容疑でバンダ・アチェ市議会副議長アヒヤル・アブドゥラを逮捕。
[15日]スウェーデン警察、国際法に違反した疑いがあるとして、同国に亡命しているGAM指導者3人を逮捕。ハサン・ティロ、ザイニ・アブドゥラ、マリク・マフムド。ハサン・ティロを除く2人が勾留されている。
[18日]アチェ州副知事アズワル・アブバカル、ジャカルタの国家警察本部汚職犯罪課で、約300億ルピアに上る発電機購入の汚職容疑事件に関して参考人として取調べを受けた。
[19日]スウェーデンのストックホルム地方裁判所、GAM指導者マリク・マフムドとザイニ・アブドゥラを証拠不十分のため釈放。
[21日]イスカンダル・ムダ軍管区報道官アフマド・フセインによれば、現在アチェには3万5000人の国軍兵士が駐留中。
[22日]保健省、地方保健局からの報告をもとに、西ジャワ、リアウ、ナングロ・アチェ・ダルサラム州をマラリア多発地域に指定。アチェでは西アチェ県の9つの村でマラリア多発の報告がある。
[27日]プテ州知事、アチェの5000村のうちGAMが支配している村は11村にすぎないと談。
[29日]汚職撲滅委員会(KPK)、プテ州知事をアチェ州政府のヘリコプター購入汚職疑惑の容疑者として確定したと発表。
2004年7月
[3日]バンダ・アチェ地方裁判所、インドネシア環境フォーラム(WALHI)がラディア・ガラスカ道路の建設差し止めを求めた訴えの棄却を決定。
アチェ州の23のNGOと学生団体、内相および汚職撲滅委員会(KPK)委員長に対し、プテ州知事の職務を停止させる要求書を提出。
[5日]大統領選挙投票日。
[14日]汚職撲滅委員会(KPK)、ロシア製のMi-2ヘリコプター購入に絡む汚職疑惑に関与しているとして、プテ州知事を容疑者として断定し、取調べを開始。
[16日]「紛争・暴力被害者女性訓練・カウンセリング実行委員会(第2段階)」代表のライリスマン・ソフヤティ、バンダ・アチェで、アチェの紛争によって少なくとも1万4000人の女性が寡婦になったと談。
[18日]スウェーデン検察、同国に亡命中のGAM指導者ハサン・ティロについて、すでに高齢であり、もはやグループを統括する力がないとの理由から調査を取りやめたことを明らかにした。
[19日]メガワティ大統領、プテ州知事に対する汚職事件の調査が実施されているあいだ、その任務の大部分を停止させると決定。州知事の職務は副州知事が代行し、地方非常事態最高責任者の任務は臨時政治治安担当調整相のハリ・サバルノが引き継ぐ。
[23日]ハリ・サバルノ臨時政治治安担当調整相、アチェ州警察長官を地方非常事態最高責任者に任命。
2004年8月
[22日]アチェ州警察広報部長のサイド・フサイニ、2004年5月19日から開始された民事戒厳令下で、少なくとも民間人47人が死亡、47人が負傷、45人がGAMの人質となっていることを明らかにした。
[24日]バンダ・アチェの国軍兵舎で海軍中尉が陸軍兵士5人を銃撃、うち4人が死亡、残り1人は重体。
[26日]エンドリアルトノ・スタルト国軍司令官、重要施設で任務にあたっている国軍兵士を早急に各自の部隊に呼び戻すことを明らかにした。紛争地における兵士の任期は8ヵ月が標準だが、アチェやマルク、ポソの国軍兵士はすでに8ヵ月以上交代なしで活動している。
2004年9月
[1日]エンドリアルトノ・スタルト国軍司令官、軍事戒厳令期間のアチェにおける2兆7000億ルピアの汚職疑惑を解明する予定と明言。
[6日]『アチェの友人』コーディネーターのボナス・ティゴール・ナイポスポス、アチェに存在するといわれる19の民兵組織が国軍の指揮下にあると懸念を表明。
[9日]GAM東アチェ県プルラック地区司令官イシャク・ダウド、妻のチュッ・ルスティナとともに東プルラックのババ・クルンでの銃撃戦で死亡。
汚職容疑のため停職中のプテ州知事、州知事庁舎にて記者会見をおこない、自身がGAMの活動に関与していたとの嫌疑を否定。
[10日]GAM司令官ムザキル・マナフの第3夫人であるシャムシダル(22歳)とその母親のハウィヤ(58歳)、北アチェ県サワン郡クブ村で海兵隊に逮捕された。
[14日]労働移住省人口移動局長のディア・パラマワルタニンシ、政府がジャワ島出身の国策移住民を早急にアチェに帰還させる予定であると述べた。初期段階として736世帯3680人をアチェ・ジャヤ県とナガン・ラヤ県に定住させる。
[16日]ラジュク地方マヘン村に駐屯していた国軍シリワンギ大隊第320部隊、GAMメンバーとされる人物の家を訪れ、その甥にあたる14歳の少年ナズワディ・ムハマドを銃殺した。
地方非常事態当局広報官サイド・フサイニによれば、非常事態に移行して以後の4ヵ月間で、アチェでは182人の民間人が犠牲になった。内訳は67人が死亡、56人が負傷、59人が行方不明。
[20日]大統領選挙の決選投票。ユドヨノ=カラ組が勝利。
[22日]政治治安担当調整相秘書官ラクサマナ・マダャ・ジョコ・スマルヨノ、アチェ州の非常事態(民事戒厳令)の継続を検討中と談。
[23日]アチェ州女性エンパワーメント局のデータによれば、1989年から2004年に紛争下のアチェにおいて少なくとも1万4000人の女性が寡婦となり、5万8127人の子供が孤児になった。
[28日]国会本会議、アチェ・ルサ・アンタラ(ALA)州の分割法案を審議し、2004〜09年度国会に勧告することに合意。ALA州は、中アチェ、東南アチェ、アチェ・シンキル、ガヨ・ルスおよびベネル・ムリアの5つの県からなる。
シャフリ・シャムスディン国軍広報局長、治安部隊がGAMメンバーと見なして拘束した民間人を拷問したとの疑惑について、国軍本部が調査を行なう予定であり、もし事実なら断固たる措置を取るだろうと述べた。
2004年10月
[4日]ハリ・サバルノ臨時政治治安担当調整相、アチェでの5ヵ月間の非常事態期間中、国軍がGAMメンバー142人を無力化し、480丁の武器を押収したと明らかにした。目下、アチェ州4県に2000人のGAMメンバーが潜伏し、900丁の武器を保持していると見られる。同相によれば、現在アチェ21県・市のすべての県・市議会議員が就任し、5947村のうち機能していないのは7村のみ。また、アチェ住民の約96.7%に紅白住民登録証が配布された。
スウェーデン在住のGAM広報官バフティアル・アブドゥラー、GAMは常に対話への扉を開いており、そのためには現地での停戦が必要であると談。
[9日]プテ州知事、アチェ紛争が3ヵ月以内に解決されるとの見通しを述べた。
[12日]中アチェ県から北アチェ県ロクスマウェへ向かっていた国軍のヘリコプター、嵐と濃霧に巻き込まれてビルン県のスカタニ村付近で墜落。国軍はこの墜落がGAMによるものとの主張を否定。
[13日]リャミザード・リャクドゥ陸軍参謀長、国軍はパプアやアチェなどの紛争地域から撤退しないと談。
少なくとも14の市民団体がKontras事務所で記者会見を行ない、ユドヨノ大統領とGAMに対し、断食の間は停戦をするよう呼びかけた。
[25日]プテ州知事、11月19日に非常事態が終了するにあたり非常事態の継続を提案。
[26日]「国際人権アドボカシーのためのインドネシアNGO連合」コーディネーターのラフェンディ・ジャミン、アチェにおける非常事態は文民の権利を消失させるものであって解除すべきであり、非常事態の適用に関する1959年法律に代えて国防に関する2002年法律第3号を適用すべきと述べた。
[28日]8月に国軍兵士が4人の同僚国軍兵士を射殺した事件の裁判がイスカンダル・ムダ軍管区の軍事法廷で開かれ、事件発生時、容疑者と犠牲者たちが麻薬パーティーを行なっていたことが明らかになった。
2004年11月
[1日]ウィドド政治・法・治安担当調整相ら、18日に終了する非常事態の評価のためアチェを訪問。
[10日]リビアのカダフィ大統領の息子サイフル・イスラーム、ユスフ・カラ副大統領と会談し、GAMがリビアに支援を求めたがリビアは断ったことを明らかにした。
[11日]ユスフ・カラ副大統率いる限定閣僚会議、アチェで現在施行中の非常事態の適用について、期間および場所を限定した上で延長することを決定。
[16日]ザエナル・マアリフ国会副議長、アチェの非常事態を延長しないよう政府に要請。
[17日]政府と国会、アチェ問題に関して4時間にわたり討議し、アチェの非常事態を6ヵ月延長することで合意。
[18日]選挙改革センター(Cetro)、アチェ・ワーキング・グループ(AWG)、KontrasのNGO3団体、ジャカルタのインパーシャル事務所で記者会見を開き、アチェでの非常事態の延期を非難。
[23日]ウィドド政治・法・治安担当調整相、バフルムシャ・カスマン州警察長官が非常事態責任者として指名されたと発表。
[25日]東アチェ県プダワ第111中隊の国軍部隊、スヌボ村の国家警察機動部隊詰め所を襲い、同機動隊隊員のジョンソンが死亡した。また、ほかの機動部隊隊員3名が負傷し、ランサ公立病院に搬送された。
2004年12月
[4日]GAM創設28周年。GAMはこの日の朝6時から深夜12時まで外出を控えるよう指令を出したが、住民はふだんと変わりない日常生活を行なった。
[9日]イスカンダル・ムダ軍管区司令官のエンダン・スワルヤ少将、国軍兵士が元バンダ・アチェ市長夫人であるチュッ・スルヤティを殺害した実行犯であることを認めた。
[13日]Kontrasコーディネーターのウスマン・ハミド、活動家ムニルは殺害される以前にアチェ州での治安維持活動の資金の不正使用問題に関して調査していたことを明らかにした。
[24日]国軍によれば、4ヵ所で国軍とGAMメンバーとの戦闘があり、少なくとも18人のGAMメンバーが国軍によって殺害された。
[26日]ユドヨノ大統領、プテ州知事を汚職疑惑のため停職処分に。プテは現在ジャカルタのサレンバ拘置所に勾留されている。
アチェ西南海岸沖で地震発生。