2004年スマトラ沖地震・津波 関連情報

トップ > 短報 > アチェ問題の解決のための4つの鍵

アチェ問題の解決のための4つの鍵

――時間と地域の広がりのなかで考える――

2005.1.5公開


■このページの構成

宗教と文化

交易・物流

地方分権と自治

人権


宗教と文化

「アチェはイスラム教が強い地域」という主張があるが、アチェの人々がイスラム教に求めているのは社会正義の源としての役割。社会正義をいかに実現するのか。

一般に「アチェ人」と呼ばれるアチェの住民は、民族別に見るとおおまかに次のように分けることができる。

 1.アチェ系 (50.3%。主にバンダ・アチェ周辺、北海岸、西南海岸北部などの沿岸部に居住)
 2.ジャワ系 (15.9%、州内各地)
 3.ガヨ系  (11.5%、内陸部)
 4.シムル系 (2.5%、シムル島)
 5.華人系  (都市部)

また、アチェには古く中東やインドから移住してきた人々もいるが、その多くは現在では「アチェ系」の中に含まれており、人口統計的にも文化的にもその独自性はほとんど失われている。

これらの他に、ミナンカバウ系(西南海岸南部)、バタック系(内陸部)、マレー系(北海岸部東部)の人々が古くから居住していた。(この3つの民族は、アチェに古くから居住していた人もいるが、アチェの外にそれぞれの民族にとっての故地とみなされる州がある(ミナンカバウ系は西スマトラ州、バタック系は北スマトラ州、マレー系は北スマトラ州やリアウ州など)ことから、「アチェ人」ではないと考える人もいる。)

これらの人々は、民族ごとにそれぞれ異なる言語をもっている。しかし、古くから東西交通の要衝として栄えてきたこの地域では、現在のマレーシア・インドネシアにあたる地域で広く交易言語として使われてきたマレー語が普及している。そのため、アチェではマレー語(インドネシアではインドネシア語と呼ばれる)を話す人の比率が住民の70%を越えている。これは、ジャワ島でのマレー語の普及率よりも高い。

アチェの住民の97%以上がムスリム(イスラム教徒)である。また、歴史的に、アチェ戦争やインドネシア独立革命といった反植民地戦争において、イスラム教の指導者が大きな役割を果たした。これらのことから、広くインドネシア社会において、アチェ社会はイスラム教指導者の影響力が強いという印象や、アチェ社会は外来者に対して敵対的な行動をとり、その背景には熱狂的なイスラム教への信仰があるという理解が受け入れられてきた。しかし、こうした考え方では、アチェの人々にとっての現実を把握しそこねるだろう。

中央政府は1999年にアチェ州に特別自治を与え、その一環としてアチェ州にイスラム法の導入を認めた。しかし、1998年頃、アチェにはイスラム法の実施を求める声がほとんどなかった。アチェの人々が求めていたものは、アチェの特別州としての地位を首相通達ではなく法律によって確実なものとすること、そして公正な社会を手に入れることだった。

この背景として、1950年代にアチェが特別州とされたとき、その地位が法律で定められたものでなく首相通達によるものだったため、その後の地方自治法の改正によってアチェから地方自治の特別性が失われてしまった経緯がある。

1998年のスハルト体制崩壊を契機に、1999年にアチェに特別州の地位を与える法律が成立した。ところで、その法律の中に「イスラム的な生活の実施をイスラム法によって行う」という条項が織り込まれていた。法律が成立した以上、役人はその実施に取り組まなければならない。そのため、女性はジルバブを被るべきだとか看板はジャウィ(アラビア文字)で書かなければならないとかいった話がされるようになった。関係者の話では、イスラム法を導入したことが見た目でわかる手っ取り早い施策を探しているという印象で、そのことと個人の信仰上の問題とはまったく別ものと捉えられていたという。

アチェ関係者の話を聞いていて感じることは、アチェの人々にとって重要なのは「イスラム教を通じて何が実現されるか」であって、「イスラム法を実施すること」そのものではないということだ。実際、GAMにしてもアチェの活動家にしても、ウラマーによる統治の実現という意味でイスラム法の実施を要求したことはない。

このことと関連して、自分たちの社会を作るうえで手本として参照できる社会が国の外にあるかどうかという問題がある。マレーシアでは、マレー人、華人、インド人が、それぞれイスラム世界、中華世界、インド世界といったマレーシアの外の「世界」を常に意識し、必要に応じてそれら外部「世界」での社会のあり方を参照して、マレーシアの枠内で相互の関係を作り上げようと努力してきた。アチェではそのような外部「世界」に手本を求めにくい状況にあり、「イスラム教」は、参照できる外部「世界」としてアチェが取りえた数少ない可能性だったのかもしれない。

別の言い方をすれば、現実社会で正義が実現されないとき、社会正義を実現する手段としてアチェの人々に利用可能だったものがイスラム教だったということになる。ここでイスラム教とは、アチェの人々が自分たちを取り巻く諸勢力との関係を調整するための手段としての意味を持っている。

つまり、アチェの人々が「イスラム教に照らして」と言うのは、むしろ外部世界とのつながりを求めているのであって、アチェ社会内部にイスラム法を導入することではないということになる。そうであれば、アチェにイスラム法を導入しても問題は解決しないかもしれない。外部のイスラム世界とどのようにつながりうるかが重要だということだ。あるいは、イスラム世界とは別の形で外とのつながり方を探す必要がある。

「マレー世界」あるいは「東南アジア」という枠組は、それに足りうる枠組になるのだろうか。


交易・物流

アチェの人々が外来の支配者に反旗を翻す背景の1つが交易・物流の一元的管理への反発。「囲い込み」を強化する分離独立ではアチェ問題は解決しない。

ダウド・ブルエは、かつてアチェ反乱を起こした際にダルル・イスラム(イスラムの家/イスラム国家)を掲げた。イスラム教の役割を見直すとしたら、ダウド・ブルエの反乱の原因はどのように捉え直すことができるだろうか。

現在のアチェで行われていることが、アチェを囲い込んで、その中での行政や物流の統制権の奪い合いであると見るならば、この視点からアチェ問題を捉え直すことができる。

かつてマラッカ海峡の両岸を支配していたアチェは交易立国だった。アチェはシグリやサバンを通してペナンやシンガポールとの交易を盛んに行っていた。しかし、植民地勢力によってマラッカ海峡に国境が引かれ、オランダによって「海賊」行為が取り締まられ、交易が統制された。

1945年のインドネシア独立とともにアチェは北スマトラ州に併合され、交易を北スマトラ州のメダン経由で行わなければならなくなった。その後アチェは北スマトラ州から切り離されてアチェ特別州となり、教育と宗教面での特別の地位は得たが、交易の経路がメダンに一元化されている状況は改善されなかった。

交易の経路が一元化されているということは、物流を管理しようとする立場からは管理が容易であるということである。国軍がアチェの物流を押さえていられるのはそのためだし、GAMはそれを嫌って分離独立を主張している。このように見れば、現状は国軍とGAMのアチェにおける物流の統制権の奪い合いと見ることもできる。

GAMがアチェの分離独立を主張するのは、インドネシアから切り離せばアチェから国軍を排除することができると考えているためだ。しかし、仮にアチェがインドネシアから分離独立して国軍がアチェから排除されたとしても、替わってGAMがアチェの物流を一元的に支配することにしかならないだろう。そのため、アチェの分離独立は、アチェの人々にとって、真の意味でアチェ問題の解決には結びつかない。

その一方で、アチェがインドネシアの一部である限り、「山賊から守る」などの名目で国軍が「保護料」を取る構造はなくならないだろう。究極的には国軍の改革によってこのような慣行をなくす方向で解決を図る必要があるが、容易ではない。

さしあたって現実的な解決策としては、シグリやサバンなどの港湾施設を充実させて、そこへの住民のアクセスを容易にすることで、アチェとアチェ外を結ぶ物流のルートを複数作ることが考えられる。そうすれば、仮に国軍が港や道路を押さえていたとしても、選択肢が複数あれば、「客足」が遠のくことを恐れて国軍もあまりひどいことはできないのではないだろうか。


地方分権と自治

地方分権の制度を整えれば開発独裁がなくなるわけではない。各地方に小さな独裁者を生むおそれもある。必要なのは地方行政の効率をよくすること。

現在、インドネシアでは地方分権化が進められている。また、アチェ州に対しては、他州と比較してより高度の分権が進められようとしている。しかし、地方分権が問題解決に直結すると考えるべきではない。

1998年のスハルト体制崩壊を契機に、それまでの中央集権的な行政の見直しが行われた。スハルト体制期において、州政府は中央政府の代行機関に過ぎず、地方議会は中央政府の意向をうかがいつつ、首長選出を行うのが通例だった。また、予算配分は、中央政府の裁量による部分が大きかった。こうした点を改革すべく、1999年に地方行政法と中央・地方財政均衡法の2つの法律が制定され、地方分権化が進められた。中央から地方政府への予算配分の規定が明確化され、地方首長は地方議会に対して責任を負うようになった。

これにより、権限を大幅に拡大した地方政府が、地域住民の代表から構成される地方議会の監視を受けながら、地域社会に密着した地域開発が行われるはずだった。しかし、事態は必ずしもそのように進展していない。地方首長は支持取り付けのために以前にまして地方議会議員の動向に敏感にならざるを得なくなり、手っ取り早い方法として、地方政府のもつ資金や利権が地方議会議員の支持取りつけに流用されるといったことが増えている。このため、実施される施策も、中長期的な視野に立った恒常的な利益をもたらす開発よりも、短期的に利益を回収できる施策に偏る傾向がある。

選挙は5年に1度であり、地域住民の意向を反映する仕組みは十分にできていない。地域住民が自分たちに望ましい地域開発を実施に移すためには、自らNGO等を組織して開発事業を請け負うか、集団的示威行動などによって不正を告発するかなど、方法は限られている。

こうした問題を避けるため、2001年に制定された「アチェに対する特別自治法」では、地方首長を地域住民による直接選挙で選出することが謳われた。しかし、「特別自治法」が実施されたのは2000年11月に地方議会によってアブドゥラ・プテがアチェ州知事に選ばれた後のことであり、アチェにおける州知事の直接選挙は2005年以降に持ち越された。

また、県知事の任期が切れた県から住民の直接選挙による県知事選出が行われるはずだったが、軍事非常事態宣言の発令により、県知事選挙は凍結されたままだ。

また、「アチェに対する特別自治法」の実施により、中央政府から地方政府に配分される財源は増加したが、このことは地域住民の福利厚生の向上や地域経済の活性化に必ずしも結びついてこなかった。資金の多くは紛争によって焼失した公共施設の復興にあてられたが、こうした建設関係のプロジェクトに対しては、「GAM関係者」を名乗る勢力が受注金額の一部を「税金」として支払うよう受注者に求める動きが日常化していた。プロジェクト受注者から「税金」を徴収するというのは、スハルト時代には国軍によって行われていたとされることだ。

地域開発を策定する人材や技術の問題もある。これまで中央政府がもっぱら地域開発を担ってきたため、地方の開発局の人材には限りがある。こうした点を是正するため、地方自治の経験を積んでいる諸国の技術や経験を取り入れようとする動きがあり、人材交流も進められてきてはいる。しかし、その交流相手は、日米欧といったアチェとは社会文化的に大きな隔たりのある地域が中心である。

ところで、歴史的にアチェと密接な関係を持ち、言語や宗教の上でもアチェと共通性が大きく、人的な交流も密であるマレーシアは、イギリスからの独立にあたって連邦制を選択した。このことは、政治経済や文化の面で地方の独自性を保証したが、他方、地方レベルで中央集権化を生み、少数の政治指導者が地方の天然資源を独占して乱開発を進めるという問題も生じた。特に森林資源が豊富だったサバ州では、1980年代末に森林資源がほぼ枯渇し、1990年代に入ると州財政を中央政府の開発基金に依存せざるを得ない事態が生じた。

この反省を踏まえて、サバでは1994年に州首相職を州内の主要3民族の間で2年ごとに交代させる州首相輪番制を導入した。州首相輪番制は2004年に廃止されたが、この制度の是非を巡る10年間の議論の中で、州首相への権力集中を防ぐことが必要であることがサバの人々の間に広く共有され、それを防ぐ工夫が考えられてきた。このように、地方分権は中央集権の持つ問題を解消する手段となりうるが、連邦制や地方分権の導入がただちに問題を解決に導くわけではない。

マレーシアの経験は、アチェの人々にとって、いろいろな意味で参考になるのではないか。


人権

スハルト政権下、アチェの人々は日常的かつ深刻な人権侵害に苦しんだ。その実態を明らかにして人々の不信感を解消しない限り、アチェ問題の真の解決はない。

26年間にわたるGAMと共和国政府の間の紛争は、国軍・警察によるアチェ住民への深刻な人権侵害を生んだ。

被害状況を最も小さく見積もっている国家人権委員会の報告でも、1989〜98年8月までのDOM期間中、アチェでは781人が死亡し、163人が行方不明となった。さらに、368人が拷問を受け、3000人が夫を失い、1万5000〜2万人の子どもが親を失い、102人が強姦され、102軒の建造物が放火された。これは国軍・警察による人権侵害をアチェ住民が申告したもので、GAMによるものは計上されていない。

DOM解除後も人権侵害はやまず、アチェ人権NGOの調査では、1999年1月から2000年6月にかけての4回にわたる国軍の作戦期間中に949人が殺され、1469人が拷問を受け、700人が逮捕され、5人が強姦され、2人が性的辱めを受けた。

また、HDCの仲介でアチェ住民への人道援助のための停戦合意が為されていた2000年6月から2001年1月の間にも、256人が殺され、536人が拷問を受け、365人が不当に逮捕され、2人が性的辱めを受け、1032軒の建造物が放火された。

治安当局の発表によれば、軍事非常事態が敷かれてから100日間で、GAMメンバー752人が殺害され、555人が逮捕された。

また、殺害や拷問などのほかに、
・東アチェ県クアラ・イディエ村で操業する漁民たちは治安部隊員に1隻あたり10万ルピアの支払いを要求され、断った者は暴行を受けただけでなく舟を焼き払うという仕打ちを受けている。
・西アチェ県からバンダ・アチェに向かう幹線道路沿いにある軍の検問では、通行する車両に声をかけるふりをして3〜10万ルピアを徴収している。
・GAMと疑われて軍や警察に連行され死亡した身内を引き取りに行くと、1体あたり300万ルピアの遺体引き取り料を要求される。
といったことも日常的に発生している。

これらのことが直ちに住民のGAM支持に結びつくわけではないが、少なくとも国軍・警察及びその背後にあるインドネシア政府に対する住民の不信感は強い。この問題が解決されない限り、真の意味でアチェ問題は解決されない。具体的な事例の調査を行った上で、それらの人権侵害の被害をいかにして回復しうるか、また、同様の状況で人権侵害が起こらないようにするにはどのような取り組みが可能か、といった点の検討が必要になるだろう。

トップページに戻る


スマトラ沖地震・津波 災害対応過程研究会 (JRT-DMS)