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2004年スマトラ沖地震・津波 関連情報 トップ > 短報 > 2007年スマトラ島南西部沖地震 関連情報 2007年スマトラ島南西部沖地震 関連情報 2007.9.20更新 関連地図情報 大規模自然災害が発生すると、政府や国際機関などが救援活動のために作成した情報がRelief Webに掲載・蓄積されます。Relief Webの情報は国別や災害別に検索でき、救援活動が行われているあいだは各種の情報が日々更新されています。 Relief Webの2007年スマトラ島南西部沖地震の情報・地図のページで入手できる情報のうち主なものは次の通りです。
スマトラ島南西部の地形図(2007.9.13)
必要なのはメンタワイ諸島への緊急支援、そして工学の専門知識 2007年9月20日 2007年9月14日から20日まで、人道支援団体のニーズ調査に同行してベンクル州と西スマトラ州の被災地をまわりました。今回の震災は死傷者が多くないため国際的にもあまり注目を集めていないようですが、被災した人々は余震でいつ崩れるかわからない家で心配して日々暮らしています。 いま特に必要とされているのはメンタワイ諸島への緊急支援、そして工学の専門知識の伝達だと考えます。災害後の「トラウマ・ケア」と言えば一般に心理・社会面のみを考えがちですが、工学の専門知識を伝えることによるトラウマ・ケアもあります。今回の震災では特にそれが必要とされているように思います。 被災地はスマトラ島南西部のメンタワイ諸島とスマトラ島本土。被災地の最寄の主要都市はパダン市(西スマトラ州の州都)とベンクル市(ベンクル州の州都)。パダン市もベンクル市も今回の地震による被害をほとんど受けず、通常通り機能している。 メンタワイ諸島の被害状況 メンタワイ諸島は行政上は西スマトラ州の一部。州都パダンからフェリーで約7時間の距離にある。フェリーの運行状況は天候に大きく左右され、島と本土を結ぶ通信手段も悪いことから、正確な被害状況がパダンに届きにくい。特に視覚に訴えるメンタワイ諸島の情報(写真やテレビ映像)が届いていないため、人々の目がメンタワイ諸島に向きにくい状況にある。 メンタワイ諸島に関する唯一のタブロイド紙であるPuailiggoubat(パダン発行、隔週刊)は9月18日号から地震被害を掲載している。Puailiggoubatなどの情報によれば、メンタワイ諸島の4つある島のうち南の2つの島(北パガイ島と南パガイ島、あわせて通称シカカップ島)で被害が大きく、約1万3000人の住民のほぼ半数が津波を恐れて内陸部に避難している。避難先の状況は悪く、避難先で3名が体調を悪化させて死亡している。 メンタワイ諸島の島々には村が点在している。内陸部の道は雨が降ると使えないために島内の移動や物資の運搬はボートに頼らざるを得ず、しかもボートの運航も天候に大きく左右されるため、救援物資が被災者に届きにくい。政府の最初の救援物資が被災者に届けられたのは地震から5日後の9月17日だった。 スマトラ島本土の被害状況 スマトラ島本土では、西スマトラ州南部とベンクル州北部で両州に(およびその境界付近の内陸部でジャンビ州の一部にも)またがる形で地震の被害を受けている。 パダン市とベンクル市を結ぶ沿岸部の幹線道路に沿って居住地が点在しており、街道沿いの家屋などに被害が出た。特に州境の地域(北スマトラ州では南部の南プシシル県、ベンクル州では北部のモコモコ県)で被害が大きい。いずれもそれぞれの州都からも車で7〜8時間の距離にある。被災地どうしは近いが、政府による救援活動は行政単位ごとに行われるため、州を越えた調整はほとんどなされていない。 ベンクル州では、ベンクル市から車で約1時間のライスおよびその近隣地区が被害の大きな地域となっており、救援団体がいくつか入っている。ライス=ムコムコ間はアブラヤシやゴムのプランテーションが広がっており、民家や町は街道沿いにときどき出てくる程度でしかない。ただし、一部の地域では沿岸部に漁村があり、地震で家屋が被害を受けているほか、高波の被害も受けている。 西スマトラ州では、パダン=ルナンシラウト間の街道沿いの建物の被害はあまり大きくないように見えるが、街道から内陸に入ると水田とともに集落が広がっており、民家や学校・宗教施設などに被害が出ている。 宿泊・移動・通信 ベンクル市、パダン市ともに被害の規模は小さく、ホテル、食事、電話、レンタカーなどは通常通り機能している。 パダン市とベンクル市のあいだには宿泊施設がほとんどないが、ムコムコ県の県政府近くには民家を改築したホテルがある。Hotel Ratu Thursina(所在地Jalan Je deral Sudirman, Bandar Ratu, Moko-Moko、電話0737-71147)。エアコン付きが3部屋(1泊15万〜20万ルピア)、エアコンなしが数部屋(1泊7万5000ルピア)ある。朝食は1人1万ルピア。夕食はないが、ホテル付近に簡単な食堂が何軒かある。 ベンクル=パダン間の幹線道路は、ベンクル州でライスとケタウンの間で地震により何箇所か大きな亀裂が入って車が通れなくなり、内陸の迂回路を通っていたが、修復が進められ、9月19日までには15tトラック程度なら通行可能になった。この区間を除けばベンクル=パダン間は車両の通行が可能。この幹線道路は海岸から十数〜数十メートル離れたところを通っているが、海岸部分はほとんどの部分で数メートルの崖になっており、津波の影響は受けていない。
携帯電話は会社によって州境付近で通じにくいものがある。通じるのはTelekomsel、Simpati、Indosatの3つ。いずれも街道沿いの店でSIMカードやプリペイドカードを購入できる。 家屋の被害 同じ集落の中に全壊した家屋と被害のほとんどない家屋がある。家屋が倒壊していない家でも、余震による倒壊を恐れて家の庭にビニールシート等で簡易テントを作り、そこで寝泊りしている。余震がいつまで続くのか、そしてそれぞれの家屋がどの程度倒壊の恐れがあるのかがわかれば安心するだろうと思われる。後者については工学の専門知識が必要だろう。 また、海に近い地域では余震に加えて津波を心配している人たちも多い。調査期間中にも津波の噂が流れて住民が避難するできごとがあったが、津波警報は誰がどのように住民に伝えるかを明確にすることで噂に惑わされなくなるのではないか。(県政府や郡政府よりも、集落ごとに建っていて拡声器があり地域社会での信用もあるモスクのネットワークを利用する可能性が考えられる。そのためにも、モスクの耐震性(後述)は重要な課題であるように思われる。) 津波の噂が流れる別の背景として、この地域の人々の間では2004年12月にアチェを襲った大津波のイメージがとても強いことが挙げられる。人々は、「津波の恐れがある」と聞くと、巨大な津波に村がのみ込まれると恐れている。津波にもいろいろな規模のものがあることや、地震が起こると必ず津波が起こるとは限らないことなど、地震や津波に関する専門知識を伝えることで不要な心配を取り除くことができるように思われる。 宗教施設・公共施設の被害 2004年12月のインド洋大津波では、建物が津波ですっかり流されたアチェでモスクだけ残ったことが特徴的だった。今回の地震では、学校やモスクなど災害発生時の避難場所になりうる建物が大きな被害を受けた。この地域のモスクは、主に丸い柱だけで屋根を支える開放的な作りになっていたアチェのものと違い、四面をレンガの壁で覆ってその上に瓦屋根を乗せたものが多い。村によっては、住民の家はほとんど被害を受けずにモスクだけ全壊したところもある。 モスクや学校などを再建する過程で専門家が協力して耐震技術を伝えることで、再建に携わった人たちが次にそれぞれの家を再建するときに耐震技術を役立てることができるだろう。(2005年のジャワ島中部地震で日本国際民間協力会(NICCO)がそのような支援活動を行った例がある。) 「被災者」と「避難民」 街道沿いに住んでいて被災した住民は、家屋が全壊か一部損壊かを問わず、余震による倒壊を恐れて、それぞれ自分の家の庭先にビニールシートで簡易テントを作って寝泊りしている。 他方、沿岸部の漁村の住民は津波を恐れて街道まで逃げてきて、街道沿いの民家の庭先や学校・役所などに避難している。政府の統計で避難民としてカウントされるのは地方政府が指定した学校や役所にいる被災者のみで、自分の家の庭先に避難している被災者は避難民としてカウントされない。 ムコムコ県付近はもともと人がほとんど住まない土地だった。この地域の住民のほとんどは、1982年以降にアブラヤシのプランテーションが拓かれた後にやってきた移民で、ジャワ人も多い。はじめのうちはプランテーション労働や小売や漁労などをしていたが、経済的に余裕が出ると少しずつ土地を買って農業経営をするようになり、街道沿いに家を建ててそこに住むようになった。あるいは、漁船を買って人を雇って漁に出るようになった人たちは、街道沿いに家を建てて漁村から移り住んだ。そのためもあり、この地域では、漁村の住民たち、特に自分で船を持っていない人たちを経済的に成功していない人たちと見てきたという背景がある。 今回の震災では、沿岸部では津波の恐れがあることに加え、救援活動が街道沿いを中心に行われていることから、漁村の住民は街道沿いまで出ることで「避難民」になり、支援の対象となった。そのため、街道沿いの被災者と漁村からの避難民の間で感情的な対立が起こり、街道沿いの被災者は「ここから出て行かないとテントを焼くぞ」と避難民たちを脅し、他方で漁村からの避難民は配給物資が少ないのは自分たちを見下していることの表れだと怒り、配給されたコメを道にぶちまけ、その映像がメトロTVを通じて全国に報じられるというできごともあった。 幸いにもこの事件はその後大きな問題となることなく終息したようだが、この事件が起こった地域の郡長は、「現場の事情をよくわかっている自分たちを通じて物資の配給をしてくれればこのような不幸な事態は避けられたはずだ」と残念がり、「私たちはどの地域の出身者でも被災者は被災者として対等に扱うが、問題はそのような私たちを誰が支えてくれるかだ」と語っていた。 街道沿いを中心とする救援と情報 今回の地震の被害は海岸に沿って広い範囲に及んでいるが、その多くはプランテーションで民家や町は街道沿いに集まっており、しかも街道は主なものが1本しかないため、街道を通して走れば情報収集や救援活動を一通り行うことができるという手軽さがある。ただし、その手軽さに安易に乗ってしまうと、街道から外れた地域の情報が入ってこなかったり、救援が届けられなかったりすることにもなりかねない。 報道によれば、北ベンクル県バティックナウ郡付近の街道を走っていた救援関係者の車の前に武器を持った地域住民が飛び出して車を停め、自分たちのことを報じてほしいと訴えるできごとがあったらしい。それとは違う村だが、同じ日に自分たちもバティックナウ郡を車で走っていたとき、街道に出てきた地域住民によって車を停められ、自分たちの村を見て報じてほしいと求められた。彼らは北ベンクル県から南の地域に古くから住んでいるレジャン人で、その村では砂利をセメントで固めて作った家と木で作った家が半々あり、砂利をセメントで固めた家はほとんどすべてが全壊したが、自分たちで木材を調達してきて家の再建を始めているところだった。村から目と鼻の先にある街道を毎日たくさんの車が通るものの、自分たちの村は街道から少し離れているために報道の対象になっていないという不満を抱いて数日間過ごしていたという。 この話は、街道沿いには情報や救援活動が集まるが、そこから外れると情報や救援とのアクセスを失い、そのため街道沿いに出てきて地元の被災者と対立した漁民の話と共通する部分がある。また、スマトラ本島から遠く離れたメンタワイ諸島も、情報収集や救援活動の「街道沿い」から外れた地域であると言えるだろう。情報だけ与えられても飢えや寒さは防げず、その意味では情報よりも衣食住や医療が優先されるが、情報の不足が生死に関わることもある。災害時の情報の収集・整理・発信のより有効なあり方について考える必要を強く感じた。
人々の備えと政府高官の怠り 2007年9月13日 2004年スマトラ沖地震・津波の発生から1000日になる2007年9月、バンダアチェを訪問していたところ、スマトラ島南西部沖で大きな地震が発生し、西スマトラ州・ベンクル(ブンクル)州・ジャンビ州の沿岸部を中心に被害が出ていると報じられています。
9月14日に現地入りする日本のNGOに同行することになり、予備調査としてインドネシアで手に入る一般報道情報を整理していて感じたことを記しておきます。(一般報道情報を地図の形で整理したものをこの下に置いておきます。) これまでのところ、新聞やテレビでは、沿岸部の住民の多くが高台に避難している様子などとともに、2004年スマトラ沖地震・津波の経験から西スマトラやベンクルの人々が適切な地震対策をとり、人々の備えがあったために人的被害が少なかったことなどが報じられています。 ただし、政府発表や報道で人的被害が少ないことの背景に、もう1つ別の要因もあるようです。 9月13日はインドネシアのイスラム教徒にとって断食月の初日にあたります。この日から約1ヶ月間、イスラム教徒は日の出から日没まで飲食を断つ日々を送ります。ところで、インドネシアでは、断食月の初日には、体調不良のために休養したり、仕事のため国内外に出張したりする人が増え、多くの職場では働く人がとても少なくなります。政府も例外ではなく、地方行政のトップである州知事をはじめ、県知事・市長の多くも休養をとったり出張したりするようです。そのため、断食月のはじめには行政がほとんど機能しない状態になります。 今回の震災は、ちょうど断食月のはじまりと重なる形で起こりました。報道によれば、ジャンビの州知事は9月13日の昼まで官邸で休養していたというし、ベンクルの州知事にいたっては海外出張中で震災でも帰ってこないため、「直ちに帰国して震災への対策の指揮をとるように」とユドヨノ大統領が要請したくらいです。 同様に、県知事・市長も不在の地域が多く、それらの県・市から被害状況の報告が州政府に上がってこないそうです。州政府の災害対策部署が発表する被害が大きくないのはそのためで、実際の被害はもっと大きいはずだと言う人も少なくありません。 人的被害が少なかったことには、人々の備えがあっただけでなく、政府高官の怠りで被害が報告されていないからという背景もあるようです。(もちろん、死者が少ないからといって震災の被害が小さいとは限らないことは言うまでもありません。) (※標準インドネシア語では語頭の「e」を「ウ」に近い音で発音するため、Bengkuluを「ブンクル」、Mentawaiを「ムンタワイ」、Ketahunを「クタウン」のように発音する人もいますが、スマトラ島南西部、特に西スマトラ州では「e」を「エ」と発音する人が多いため、このページでは現地の発音に倣ってBengkuluを「ベンクル」、Mentawaiを「メンタワイ」、Ketahunを「ケタウン」などと表記しています。)
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スマトラ沖地震・津波 災害対応過程研究会 (JRT-DMS)