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2004年スマトラ沖地震・津波 関連情報 トップ > 短報 > ジャワ地震/津波関連情報 ジャワ地震/津波関連情報 2006.7.19更新 関連地図情報
国土地理院 「ジャワ南方沖地震」関連地図 ■5月27日地震 ジャワ中部地震の関連情報・地図はReliefWebで入手できます。各種あり、日々追加されています。ReliefWebの2006年ジャワ中部地震の地図ページにある主な地図は以下の通りです。 被災地の郡名入り地図(2006.5.28) 被災地の主要な村名入り地図(2006.6.2) 地震被害地図にムラピ山噴火の被害予想を重ねた地図(2006.5.29)■7月17日津波 7月17日に発生した津波の関連地図も、同じくReliefWebで入手できます。Relief Webのインドネシアの地図ページには以下の地図があります。 ジャワ南部の県名入り地図(2006.7.18) 津波被害範囲(想定)地図(2006.7.18)
関連サイト
京都産業大学外国語学部言語学科インドネシア語専修 ジャワ島中部地震の被災地復興支援のために http://gempajawa.exblog.jp/ KALAM http://d.hatena.ne.jp/kenken31/ インドネシア・ジャワ島中部地震情報 http://rescuenow2.cocolog-nifty.com/java_quake/ 東京新聞 特集「ジャワ島地震」 http://www.tokyo-np.co.jp/feature/quakejava/
■このサイト内の関連ページ
2006.6.6更新 ジャワ地震報道でわかること・わからないこと 自然災害が起こると、被災した社会の「かたち」が見やすくなります。特に、被災した社会の「弱さ」が明らかになります。被災自体は不幸なできごとですが、被災を契機に社会の「かたち」をうまく捉え、それを念頭において救援・復興活動を進めることで、被災を契機としてよりよい社会を作ることができるはずです。スマトラ沖地震・津波の被災地アチェについては、私たちは集まった情報をどう整理すべきかなお検討中ですが、その過程で私たちはアチェ社会の特徴が「囲い込み」にあると捉えて、「経路」がその解決の鍵になると考えてきました。 ジャワ中部地震でも、ジャワ社会の「弱さ」が見えてくるだろうと思います。ただし、今の時点では、新聞やテレビによって伝えられる被災地の様子をどう結びつけて理解すればいいか、私たちにはまだ十分に掴めずにいます。気を抜いて読み流していると大事な部分を読み過ごしてしまい、「降ってわいた大惨事」「懸命の救援活動」「悲劇の中の人情話」などの型にはまった記事としてしか読めなくなってしまいます。 ジャワ中部地震の報道記事を読みながらジャワ社会の「かたち」を捉えようとすることで、アチェについて整理する参考になるのではないかと考えています。このページは、アチェを念頭に置きながらジャワの新聞報道を読んで私たちなりに整理を試みて、どこまでわかっていて、さらにどんな情報が必要なのかを確認する作業の場所です。ジョグジャカルタやその近隣地区は詳しい情報を持った人が日本にたくさんいるので、そういう人たちが発信するウェブサイトやブログを参考にさせていただきながら考えたいと思います。
1.被災者数の下方修正
1.被災者数の下方修正 二重集計をどう評価するか。自然災害研究者によれば、被害規模の下方修正は世界のかなりの地域で「常識」らしい。被害の規模を大づかみにして対策を考えるため、初動の段階では疑わしいケースを被災者にカウントしておき、後で無事がわかると被災者数を減らしていく。これに対して日本などでは確実に遺体が見つかるまで死者としてカウントしないため、被害規模は下方修正されずに少しずつ上がっていく。米国のカトリーナ被害でも被災者数の下方修正があったように、開発途上国だからいい加減にカウントするという見方は正しくない。下方修正されたということは厳密に数えるべきという力が働いているということであり、それはそれでけっこうなことだろうと思う。 アチェ(スマトラ沖地震・津波)でも被害規模は下方修正されたが、下方修正自体は大きな問題ではない。アチェのときに混乱を招いたのは、関係省庁・団体がそれぞれ現場で被災者数を集計して縦割りでジャカルタに伝えたため、省庁ごとに発表する数字が大きく食い違っていたことだった。
2.交通と物流 被災地に救援物資が十分に行き渡っていないという報道が少なくない。アチェの地震・津波の時は、アチェが紛争地であることを理由に国軍が救援物資を管理し、そのため空港に山積みにされた救援物資が被災者に届かないという批判が相次いだ。ジョグジャカルタは紛争地ではないが被災地に救援物資が届きにくいということは、救援物資がジョグジャカルタに入りにくい状態になっているということだろうか。 インドネシアでは、今回に限らず行政の対応のまずさの原因として政府の行政能力の問題や地方行政の官僚的体質がしばしば指摘されるが、それ以前に基本的な情報として今回の地震による輸送経路の被害状況についての情報があまり出ていないようだ。道路や鉄道網のどこが寸断されているのか。バントゥル、クラテン、ジョグジャカルタ周辺の物流経路に関する基本的な情報はどこかで手に入るのだろうか。
いくつかの記事を読むと、交通網は十分機能しているが、渋滞がひどいために車での移動が困難になっているようだ。ジャワ島はアチェより道路網が整備されていて小さな村落にまで舗装道路が通じているのだろうという印象を持っていたが、必ずしもそうではないようだ。
また、車が通れる道路から離れた村がいくつもあり、それらの村の被災者の支援が困難になっているようで、そのことは何人かによって指摘されている。
3.文化・観光 ジョグジャカルタと言えば多くの人はまずボロブドゥールなどの観光地が思い浮かぶのではないか。世界遺産が地震被害に遭ったとなれば、世界各地から関心を集めることができる。被害が大きい方が関心もより大きくなるだろうから、被害の大きさを強調しようとする気持ちが働いたとしても十分理解できる。ただし、その一方で、観光地を含む地域の被災を強調しすぎると、観光客が減ってしまいかねない。
観光客が減っていることは何度も報じられているが、次の記事から観光バスが動いていることがわかる。このことから、被災地の周辺に、被災した場所と、被害が軽微で支援活動の拠点になるような場所が混在している様子がうかがえる。
いずれにしろ、今回の地震の被災地では観光が重要な鍵であると言えるだろう。
タイの観光地になかなか日本人観光客が戻らないというスマトラ沖地震・津波の話と重なってくる。この問題に関して、今回の地震を「ジョグジャカルタ周辺の地震」と捉えることの問題点を次の文章が的確に指摘している。
4.仮設住宅
確かにアチェでは仮設住宅に住んで支援物資で食いつないでいる人たちもいたが、そのために仮設住宅を作らないという判断に直接結びついたわけではないだろう。アチェでは恒久住宅が作られるまでずいぶん時間がかかっているうえ、NGOによっては瑕疵建築のまま放り出して帰ってしまった例もある。恒久住宅の建設が完了するまでテント生活をさせるという判断なのだろうか。 仮設住宅を作らない積極的な理由を考えてみた。仮設住宅に入居するには、被災前の世帯のかたちを仮設住宅にあわせて変えなければならない。もしかしたら、ジャワはさまざまな矛盾や弱者を各世帯がある程度吸収していて、それによって社会が維持されていたところなのだろうか。そうだとすると、世帯内で抱えている矛盾を外部社会から来た支援者がまるごと吸い上げて対処することはとてもできない。アチェでは未開拓の土地やちょっとした空き地がけっこうあって、そういう土地に仮設住宅を建てることができたが、ジャワだと土地の権利なども複雑なのかもしれない。次の記事には、被災者の求めによって仮設住宅ではなく自宅再建支援を行うことにしたとある。
仮設住宅と関連して、以下の記事を見つけた。ジャワでは一軒の家に20人も住んでいるということだろうか。今回のジャワの地震では、地震の規模から比べて家を失った人の数がとても多いという印象を受けている。その理由の1つに一世帯あたりの人数が多いことがあるのかもしれない。避難テントであれ仮設住宅であれ、支援計画を立てるにあたっては家屋と世帯の関係や世帯の構成を把握することが重要だと思うけれど、この点はジャワではどうなっているのだろうか。
一族約40人が食堂の収入で生活しているという記事もある。
5.ゴトン・ロヨン 今回の地震では、住民どうしが助け合っている光景を「伝統的な相互扶助の精神」や「ゴトン・ロヨン」などとする記事が多い。ジャワをよく知っている人たちの間では「相互扶助」「ゴトン・ロヨン」で話が通じるのだろうか。「相互扶助」というと日本人にとっても馴染みがある考え方なので、つい自分たちの考える「相互扶助」と重ねて捉えてしまいがちだけれど、ジャワの(あるいはインドネシアの)「ゴトン・ロヨン」はそれと同じものとして捉えていいのか。 こんなことを考えるのは、アチェの津波被災地を訪れたときに、そこで語られていた「ゴトン・ロヨン」という言葉の使われ方が「相互扶助」とはずいぶん違っていて驚いた経験があるためだ。 アチェの津波被災地では、被災者に一時的な現金収入を与えるため、国際NGOなどの支援団体が瓦礫整理や公共施設(水路や道路)の整備の仕事を住民に請け負わせた。これをNGO側は「Cash for Work」と呼び、アチェの人々は「ゴトン・ロヨン」と呼んだ。津波被災前のアチェでは、「ゴトン・ロヨン」とは、政府関係者などに対して村の見栄えをよくするために行う作業であり、上級の政府機関などからの指示で行われるものだった。津波の前も後も、村の外から来て「仕切る」人々の指示によって行う作業であり、村での自分たちの暮らしをよくすることが直接の目的ではないことが共通している。
この記事を見る限り、ジャワでは(ジャワの一部の農村では?)政府や支援団体など外部から来るものが当てにならないために人々が自分たちの力を集めてことに当たることを「ゴトン・ロヨン」と呼んでいるようだ。そしてその単位が村ということになる。ジャワ社会では村が日常的にそのような共同体としての機能を担っていたのだろうか。その点を含めて、ジャワの 「ゴトン・ロヨン」について、ジャワの専門家による解説を読んでみたい。
6.被災と救援の現場 被災や救援の現場でどういうことが起こっているのか、報道などを通じて場面ごとの情景は思い浮かぶが、それらの場面どうしがどう結びついているのかがよくわからない。記事の多くは「○○県××村」となっているため、うまく地図が見つかれば地図上にそれぞれの場面を貼り付けることはできるだろうけれど、それらがお互いにどう結びついているかがわからないため。 もしかしたら県・市などの行政区画別ではなく、例えば「道沿い」や「川沿い」などのような括り方をした方が実情がわかるかもしれない。しかし、ここでは県・市別に分け、県内・市内はただ並べるだけになっている。(量が多くなるので別ページで。)
■広域/地域不明
■バントゥル県
■ジョクジャカルタ市
■中ジャワ州クラテン県 (クラテン県の記事が少ないことについては、上で引用したブログ(http://www.suigyu.com/sg0606.html)に興味深い分析がある。)
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スマトラ沖地震・津波 災害対応過程研究会 (JRT-DMS)