2004年スマトラ沖地震・津波 関連情報

トップ > 短報 > ジャワ地震/津波関連情報

ジャワ地震/津波関連情報

2006.6.6更新


被災と救援の現場

被災や救援の現場でどういうことが起こっているのか、報道などを通じて場面ごとの情景は思い浮かぶが、それらの場面どうしがどう結びついているのかがよくわからない。記事の多くは「○○県××村」となっているため、うまく地図が見つかれば地図上にそれぞれの場面を貼り付けることはできるだろうけれど、それらがお互いにどう結びついているかがわからないため。

もしかしたら県・市などの行政区画別ではなく、例えば「道沿い」や「川沿い」などのような括り方をした方が実情がわかるかもしれない。しかし、ここでは県・市別に分け、県内・市内はただ並べるだけになっている。

■広域/地域不明

都市部では救援物資の配給が本格化したが、いまだに十分な物資が届かない地域も多い。各地の病院は負傷者を収容し切れず、建物の外にまで患者があふれている。被災民を収容する避難施設や仮設テントさえ絶対的に不足し、夜露に震えながら屋外で過ごす人も見られる。とても「アチェの教訓」が生かされたとは言えない状況だ。(時事通信 2006.6.2)

被災地を管轄するジョクジャカルタ特別州は、4機のヘリコプターを使って上空から被災地の状況を調査。食料や水などの救援物資の空輸を開始したが、空輸の規模は小さく、限られた被災地にしか届いていない。(東京新聞 2006.5.30)

倒壊した家屋や建物の下には、依然多数の住民がいるもよう。国軍は兵士約2000人を投入し、外国軍部隊やボランティアなどの協力を得て、生存者の捜索・救出を進めている。外国部隊の幹部は、今後新たな生存者を発見するのは難しいとの見通しを示した。(時事通信 2006.5.30)

一部地区では支援の遅れにいら立つ被災者が物資を運ぶトラックを止め、テントなどを奪う事態も起きた。(共同通信 2006.5.29)

■バントゥル県

2004年12月のスマトラ沖地震では、孤児を人身売買目的などで連れ去る事件が多発。特別州の要請を受けて国連児童基金(ユニセフ)は、最も被害の大きいバントゥル県に、子どもたちを一時的に収容するセンターを開設するなど対策に本格的に乗り出した。(読売新聞 2006.6.2)

被災者の多くは自宅近くでテント暮らしを送っている。「テント」といっても、ビニールシートを柱で支えただけのものがほとんどだ。ジョクジャカルタ特別州バントゥル県ジュジュラン村では、6家族が男性陣と女性陣に分かれて二つの「テント」で夜を過ごす。壁がないため蚊が入り放題で、蚊取り線香もあまり役立たない。
村にはまだ支援物資や食料が少なく、食事を政党や親類の差し入れに頼っている。震災で濁った井戸水をわかして飲むが、コンロや燃料がないため、崩壊家屋からの廃材を燃やすしかない。洗濯や男性の水浴びは近くの川で行い、女性の水浴びは損壊した小さい井戸を共同で使う。震災が「共同生活」という生活の知恵をはぐくんでいる。(毎日新聞 2006.6.2)

ジョクジャカルタ市から南東に約25キロ離れたバントゥル県プチュン村のカランアセム地区。
車の通れない細道を20分以上歩く山中に位置する同地区では全5棟が全壊、5世帯25人が仮設テントで暮らし続けるが、公的な食糧支援はほとんど届かない。雨水がテントの中に流れこむこともしばしば。地元で栽培するピーナツを分け合い、飢えをしのいでいる。
周辺では物資泥棒も出没、自警団が夜警にあたっている。泥棒を見つけたことを知らせる「カーン、カーン」と木をたたく音が夜を通して何回も鳴り響く。(読売新聞 2006.6.2)

ジャワ島中部地震で家屋や店舗などが倒壊し、壊滅的な被害を受けたインドネシアのジョクジャカルタ特別州バントゥル県セウォン。公営市場が6月1日、屋外のテントで再開された。久しぶりの市場に約90店舗が並び、活気が戻った。やっと食料の買い出しができた被災者もほっとした表情だった。(毎日新聞 2006.6.1)

被害が最も大きかったジョクジャカルタ特別州バントゥル県の災害対策本部の倉庫には、インスタントめんやござ、ビスケット、タオル、下着などの箱が山積みになっている。トラックやワゴン車がこうした物資を運び出すと、比較的短時間で補給され、支援物資の支給はようやく本格化したようだ。
同州の大学生らが震災当日に組織した「ボランティアチーム・バントゥル」には学生約150人が参加。このチームは31日朝、インスタント焼き飯70箱(1箱20袋入り)を軽トラックで、同倉庫から数キロ離れた同県プルレット郡の被災地に配った。(毎日新聞 2006.6.1)

バントゥル県では日本など多国籍の医療支援チームが地震の2、3日後から活動を始めているほか、国連機関と国際NGOが既に約60団体、緊急支援を展開している。現地の国連機関幹部によると、州北部のムラピ山の噴火被災地支援のため震災直前にジョクジャカルタ入りしていた国連関係者らが震災当日に支援者調整会議を作り、国際機関や国際NGOが次々に加わっているという。(毎日新聞 2006.6.1)

ジャワ島中部地震で被害が集中したバントゥル県と周辺地区の学校や病院、イスラム教モスクなど公共施設の8割以上が使用不能となっていることが6月1日分かった。地元の国立ガジャマダ大学の調査チームは「復旧にどのくらいの時間がかかるか見当も付かない。教育や経済活動の早期復旧は極めて困難だろう」との見方を示した。(毎日新聞 2006.6.1)

ジャワ島中部地震で被害が集中したバントゥル県一帯で5月31日、政府機関による本格的な物資の配給が始まった。食料と飲料水各約1000箱の支援物資配給が始まると、住民がセンターに殺到。物資を奪い合う混乱状態になった。「一列に並んで」と警察官が声をからし、配給場所への立ち入りを一時規制するなどした。(毎日新聞 2006.5.31)

現地で陣頭指揮を執るユドヨノ大統領は5月30日、「住民の要求に十分応えていない」と関係者を叱責。これを受けて、ジョクジャカルタ特別州政府は同日、住民の要求把握と救援物資の分配を、国軍に委ねるシステムに変更した。だが、行政のもたつきで募った住民らの不安や不満を解消するのは並大抵ではない。(読売新聞 2006.5.31)
バントゥルでは地震発生から停電が続き、復旧した地域は25%にも満たない。簡易トイレや水の供給不足で、感染症が広がる恐れもある。
バントゥルの行政担当者は「数千張りのテントが必要なのに、中央政府から提供されたのはわずか72張り。配給したくてもできない状態が続いている」と語った。(東京新聞 2006.5.30)

インドネシア・スマトラ島メダンから駆けつけ、医療支援に当たる非政府組織(NGO)のスタッフの1人、ティモティス・シラバンさん(28)は、2004年末のスマトラ沖地震津波の際に比べて支援活動の動きの鈍さを指摘。「医療支援もあちこちで最低限のレベル。地震津波は国家災害として政府も相当の危機意識があったが、今回の地震は一部地域の非常事態にしか扱われていない」と話す。(東京新聞 2006.5.30)

最大被災地のバントゥル。赤十字事務所の前には大きな人の群がりができていた。テントや食料を求めて近郊の村からやって来た人々だ。「配給された食べ物は即席めんだけ。それも1家族にたった5個だけだ。これでは死んでしまう」とスタジさん(49)は怒りをあらわにした。
別の村から来たサミランさん(45)も「役所に行っても名前や住所、身分証明書の提示を求められ、登録を済ますだけ。その後は何もない」と訴える。2人とも地震発生日から村人のためにテントと食料を探し回っているのだという。(東京新聞 2006.5.30)

地震で大きな被害を受けたバントゥル県ガンドォ村では、ほとんどの住宅が被災した。県内を南下する主要道路沿いに並ぶテントでは、多くの被災者が肩を寄せ合う。中では、地震で顔と左肩にケガをした少女が疲れた表情で横になっていた。(毎日新聞 2006.5.30)

最大被災地のバントゥル県では、幹線道路の中央に段ボール紙を持った被災者が並び、行き交う車やオートバイからの寄付を募っている。(中略)「食料も水も薬も、きょう(29日)まで、政府からは何の援助もない。手元にあるのは、がれきの中から辛うじて集めたものばかり。あとは自分たちで助けを請うしかない」と、集落の責任者トゥワンディさん(42)は怒りをこらえた口調で話した。(毎日新聞 2006.5.30)

一面の緑に輝く水田の海に浮かんだ島のような小さな集落[バントゥル県]レンデン村では、約250軒がほぼ全壊した。住民は竹の枠にビニールシートを張っただけの簡易テントで生活する。20平方メートルほどの広さに30人以上を収容せざるを得ず、「テントだけでも最低あと50は必要」(トゥワンディさん)という。(毎日新聞 2006.5.30)

■ジョクジャカルタ市

イスラム教徒が多数を占める住民は6月2日、被災後初の金曜礼拝に臨み、犠牲者の冥福を祈り復興を誓った。古都ジョクジャカルタの最大の礼拝所アグン・カウマンで行われた礼拝の説教で、地元イスラム指導者は「混乱を利用して支援物資で私腹を肥やそうとする者がいる。悲しむべきことだ」と述べた。(共同通信 2006.6.2)

ジョクジャカルタ市中心部、マリオボロ通りには多くの小規模店が集まる。震災後3、4日間は余震を警戒して大半が閉店していたが、2、3日前から多くが再開し、深夜までにぎわっている。店が小さいだけに立ち直りも早い。一方、別の場所で昨年秋に開店した5階建てモール「サフィール・スクエア」は壁の各所が崩落し、ぽっかりと大きな口を開けたままで、再開は遠そうだ。大型モールには損壊の大きいものが多く、市内の他の数カ所も閉店中だ。(毎日新聞 2006.6.2)

ジョクジャカルタ市中心部の観光名所、王宮の数百メートル東の家屋密集地では、半数前後の家屋が全半壊した。(中略)この一帯には広場などを利用した11の避難所が設けられ、そのうちモスク(イスラム礼拝堂)わきの広場には大小六つのテントが並ぶ。夜には約1000人が集まる。地域ごとに6〜8人の男性が自警団をつくり、家に残った家財が盗まれないように集団で夜警する。
夜警の男たちは、ビニールシートを路面に敷いた上で一部が仮眠し、残りが起きて見張る。が、地震翌日の5月28日夜には6、7時間にわたって強い雨が降り、くるぶし付近まで水がたまった。横になることさえできず、全員がいすに座ったまま一夜を明かした。
避難所には28日に県が仮設トイレや給水タンク(1基2000リットル)を配布し、郡が当面の米を配った。しかし、缶詰やインスタントめんなどの配給はない。町内会で集金して食材を共同購入し、広場で炊き出ししてしのいでいるが、店の9割が閉まっている。食料確保への不安は消えない。(毎日新聞 2006.5.30)

■中ジャワ州クラテン県

大半の家屋が全半壊した中部ジャワ州クラテン県南西部。レンガ造りの自宅を失った稲作農家、スプラプトさん(53)は家族と一緒に31日からがれき除去を始めた。娘婿のトラック運転手、スナルディさん(32)が再利用できそうなレンガを選んで接合部のモルタルをハンマーでたたき落とす。きれいになったレンガをスプラプトさんが積み上げ、残ったがれきを長男がちり取りですくって端に寄せる。家族や近所同士の共同作業がそこかしこに見られる。(毎日新聞 2006.6.2)

インドネシアのジャワ島中部地震の被災地・中ジャワ州クラテン県内の避難所で1日午後、子どもら数百人が集団食中毒にかかったもようだ。被災地では衛生状態の悪化が伝えられ、被災民の健康状態に対する懸念が高まっている。今後は健康被害が拡大することも予想され、政府は早急な対応を迫られることになる。
メトロテレビによれば、県内の避難所では昼食に配給された「ナシブンクス」(ご飯の包み)を食べた後、子どもを中心に腹痛や嘔吐(おうと)を訴える被災民が続出した。患者らは近くの医療施設に運ばれ応急手当てを受けた。ジョクジャカルタ特別州バントゥル県では飲料水不足から脱水症状になった3歳の乳児が死亡した例はあるが、これだけ大量の食中毒が伝えられたのは初めて。(時事通信 2006.6.2)

トップページに戻る


スマトラ沖地震・津波 災害対応過程研究会 (JRT-DMS)