貝蔵遺跡の調査

 

 

調査地  三重県一志郡嬉野町中川字貝蔵ほか

調査期間 平成9年2月1日〜平成9年6月30日

調査主体 嬉野町教育委員会

調査担当者 和気清章 村瀬勝樹

 

1 調査の経過

今回の調査地は、中川駅前周辺土地区画整理事業に先立ち調査を実施したものである。調査は昨年度調査地の北側調査区と南側調査区の2地区で調査を実施。弥生時代中期〜古墳時代の流路、奈良時代の条里大溝などの遺構を確認した。

今回確認された墨書土器は南側調査区の溝内から確認されたものである。

 墨書土器については4月に遺物洗浄中確認されたことから、南側調査区の遺物洗浄と遺物の確認を行い出土点数の確認を行った。

 現在、記号が施されたものが2点、人面が施されたものが1点、墨書の可能性があるものが1点の計4点が確認されている。

 他に可能性があるものは若干あると推定されるが、現在遺物整理中である。

 

 理化学調査の経過

 赤外線分析

 今回確認された墨書について浜松フォトニクス社製赤外線カメラ、赤外線投影機、赤外線フィルタ(ニコン社製IR−80)により投影実験を行った。

 今回確認された墨書土器については全て赤外線により検出する事ができた。

 成分分析

 昨年度片部遺跡出土墨書土器以来、各種墨書土器などの成分分析を奈良大学、株式会社堀湯製作所、日製産業株式会社、株式会社ミツワ理化の協力を得て]線マイクロアナライザによる成分分析を実施しており、今回の土器についても同様の分析を行った。

 今回確認された墨書土器は、他実験の中世の墨書土器などの傾向である、墨書部の炭素元素が母材部より炭素がわずかであるが減少するといった傾向がみられた。

まだまだ分析途上であるが単純な比較をするならば墨書の可能性が高いと推定される。

 

2 遺跡の概要

 

今回の調査では、北発掘区のほぼ中央部に、幅4m深さ2mの古境時代後半から奈良時代を中心とした人工掘削の大溝が1条確認された。この大津は貝蔵遺跡1次調査においても確認されていることなどからすれば、条里などの区画溝である可態性が高いものと推定することができるものである。   

溝内には、最下部で杭などがわずかに確認された以外は素堀の大溝である。

 これ以外には南北に蛇行する、SD14(溝)が確認された。溝の規模は幅2m、深さ1m前後であり。溝内には古墳時代前期の土器が多数確認された。構内の土器には、前回確認されている、北陸系の土器なども含まれいる。

 これ以外の遺構としては井戸1土坑などが多数確認されたが、古墳時代の明確な住居跡などについては確認されなかった。

 また、今回の調査では明確な遺構が確認するに至っていないが、縄文時代中期、晩期の遺物なども確認されている。

 縄文時代晩期の土器としては、平成4年に実施した野田遺跡において晩期の土器が出土する事が知られていることなどから、この周辺に晩期の集落跡の存在が推定される。

 南調査区のほぼ中央部でL型に曲がる流路とそれを弧状に取り囲む溝や集落の外周を巡る環壕が確認された。

 中央部に流れる流路は幅14m、深さ3mと大規模な溝であり、溝内では関跡が5ヶ所確認されている。今回の関の中には表面にアシなどを敷き詰めた梁に利用された遺構や、導水を施す丸太材などが多数確認されています。

 また溝内からは、木製の舟形製品や、角型の土製支脚などが確認されています。

 弧状に巡る溝内からは自然の木を利用した堰鉢や杉皮を敷き詰めた梁などの遺横が確認されています。

 こうした個々の溝はそれぞれが連結されていることなどから、一連の遺構であることが確認することができます。

  特に中央部の流路は片部遺跡2次調査で確認された溝へつながるものと推定されることなどから、片部、貝蔵遭跡が一連の遺跡であることが推定できます。

 今回確認された墨書土器はすべてこの流路中より出土したものです。

 

3 墨書土器について

 

 今回確認された墨書土器は4点確認されている。すべての土器は廻間1式4段階までの土器であり、推定年代はほぼ3世紀初頭の土器群であると推定される。

 これらは全て、貝蔵遺跡2調査B区とした調査区の幅16m深さ2mの人工水路の中から出土したものです。

 墨書土器1

 3世紀初頭の広口壷の体部にw字状の墨書が施されていました。墨書の形などから見れば龍文が退化したものと考えられます。

 また、筆運びについては、土器をさかさまにして書いたのではと考えています。

墨書土器2

 同じく3世紀前半の直口壷の体部に人面を墨書したものです。

 人面を施したものにはほぼ同時期に線刻の人面土器が存在しますが墨書のものはこの土器が最古のものです。また、人面を施した墨書土器は奈良時代には多数確認されていますが、やや形が異なることなどからすれば弥生時代の線刻人面からの系籍と考えることが出来ます。

墨書土器3

赤彩を施した高杯の破片にやや細い筆によって書かれた墨書です。その墨書については現在検討中ですが、何らかの記号と推定されます。

墨書土器4

高杯の内面に1条の線が施された物である。

これらの4点が今回明確に確認できた墨書土器である。

 

4 片部遺跡の墨書土器と貝蔵遺跡の墨書土器

 平成7年に確認された墨書土器は4世紀初頭の壷に「田」が書かれた土器でした。今回の墨書土器は、それよりも約100年古い土器に墨書が施されたものです。また墨書土器2の人面が施された土器には文字らしきもの等も存在することや、墨、筆が存在することなどから考えれば日本の文字の歴史は3世紀まで遡るものと考えられます。

 また片部速跡、貝鹿速餅の調査で3世紀に嬉野町一帯に大きな灌漑施設を施した人工の流路が一帯に造営されていたことが伺えます。こうした遺跡が中村川周辺に点在することはこの地が海上交通と陸上交通の要所であったことを物語るものでしょう。

 

――――― 注 ――――――

以上の資料は「嬉野町ふるさと会館」での 配布資料をスキャナーで読み取り、一部誤植と思われる部分を加筆しました。

 

公開資料につきWEBMASTERの判断で掲載させていただきました