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| 聴覚障害、それはただ聞こえの問題と言うだけではなく、人と人、人と社会との問題なのです。 |
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今回は、日本JCRCがレーサー水谷勝さんの参戦とイベントをサポートすると言う事から、G3も久しぶりに仲間の顔も見たいし、 車椅子のサポートだと言うのと、ネットでたまたまメンバーが見つけたノブさんと連絡が取れたので自分もそれを見届けようと思ったわけです。 ![]() 水谷さんを中心に参加した歴代レーサー達。憧れの人たちです。 この時すでに鎖骨を骨折していたなんてすこしも気づかせなかった水谷さん。 ![]() 4日、ブースに顔を見せてくれた応援団長の大鶴義丹さんと。深夜、隼を駆って駆けつけてくれたそうです。 ![]() 芳賀さんとノブさんノブさんの彼女 |
報告が遅れましたが、昨年10月に熊本で行われた「アビリンピックくまもと2002」に一昨年の無念を晴らすため引き続き参加してまいりました。 結果はすでに専門誌やなんやらで公表されているとおりまたまた無念の銀メダルと相成りました。 これを書いている時点ですでに記憶が薄れてきている恩知らず且つノー天気なG3でありますが、それでもきっといつかは金メダルという夢は失いたくありません。 今年はインドで国際大会が開催される関係から、国内大会はありません。 次回は来年宮城県の予定です。 ここ何年か仕事仕事で旅行も侭ならなかったので、熊本大会は日程的にはタイトなものでしたが、飛行機にも乗れたし箱石さんとも会えたし、新しい仲間も出来たしと、その上、ぬまさんの紹介で日本JCRCのメンバーで熊本JCOBの方にお会いでき、夜の町も楽しませていただけるなど、メダル以上に思い出深い大会となりました。 お世話になった皆さん本当にありがとうございました。 そして県の皆さん、これからも神奈川県第一号の金メダルを目指して努力していきますのでよろしくお願いします。 |
火事に遭ってしまった。2002年6月6日木曜日、いつもどおりラボにこもって翌日納品のメタボン7本を作っていた。 午後1時過ぎ、半信の塚田さんがローンの件で寄ってくれた。 彼がその時来なければ、このHPはおろかラボも母屋もバイクで埋まったガレージも全て失っていただろう。![]() 偶々、車を買うことにした、ローンを信組で組むことにした、其の日書類を取りに来てもらった、コピーする書類を取りに行く為にラボから出た、そして母屋から裏の自宅に向いた時私は車が燃え上がるのを見たのだ。「火事だ!!」。偶然とはいえそれらの積み重ねが、幸運を招いたのかそれともやっぱり私には守護霊が憑いているのか。 どれか一つが欠けていても出火に気がつくことは無かっただろうし、ただ発見が遅れただけではすまなかったと思う。 ラボの周りは貸し工場になっている。 一番大きなプレハブと鉄骨スレートの建物はパキスタン人に貸した板金塗装工場となっていた。働いているのはモーリシャスからきた外国人。どう見ても観光ピザで入国しているとしか思えない、事実半年くらいで姿が消えるのである。隣接する更地もラボの目の前の土地も全て彼らに占領されゴミは何に寄らず棄て放題、可燃物に囲まれた状態でアセチレントーチを使い、すぐそばで塗装をするなどやりたい放題の状態だったのである。いつか何かが起きるのじゃないかとの不安とフラストレーションが溜まっていた。 そう、起きるべき事が起きたのだ。 後は何がどうなったのか、何度となく恐怖とともに思い返している。 消防署への連絡を促した事、工場やたまたま屋根の塗装に来ていた職人さん達にも分かるように声を出しながら消火器を取りにラボに駆け戻り、燃え上がりだした車の火を消そうとしたが、火勢が強く消火器くらいでは手におえなかったこと。 じき、積んであったタイヤに火が移り隣接するプレハブ工場に燃え出した。 中には酸素やアセチレンのボンベがゴロゴロし、塗料やシンナーも多数ある。 外人労働者たちは工場内にあった車を出している、だが止めた所は本家の前である。一体どうやって消防車を入れる気なんだ!言っても通じない、石を投げてこちらに気をつかせ移動させるのが精一杯。 すぐ、プレハブ工場に兵頭さんや米川さんらと飛び込む。ボンベや塗料を持ち出す。すでに他の車にも燃え移り、ガソリンが爆発している。窓の外が熱い、じき内部も燃え出し黒煙が迫ってきた。 最後に兵頭さんと出ようとしたとき、間にあるシャッターに目が行った。 事務室はすでに燃え上がっている、シャッターの手前にはタイヤが置かれている、「シャッターを下ろしましょう」兵頭さんに言って シャッターに手をかけた「熱い」素手では触れなくなっていた。落ちていた毛布をつかんで下ろした。 ラボに引き返しブレーカーを落とした「もう見納めかな」ふとそう思った。だが何かを持ち出す気にもならないしそんな余裕も無い 先発の救急車が到着した。ありがたいでも消防車はまだか。 駆けていくと橋のところで消火栓に取り付いている鈴木プロパンのお二人に気がついた。天の助けとはこの事か。砲水口を受け取りホースを延ばす鈴木君と走る。 白衣姿の平本隊員ともう一人も走る。 何とかホースを延ばし放水を開始する。 消防車がきた。 だが火はスレートの工場にも広がり、内部の車も何台か燃え出している。 隣接する兵頭さんの工場に火が移るのも時間の問題だと思えた時に、消防車からのホースも伸びてきた。 最初の放水地点は隊員に任せ、工場の前に移動する。平本さんから「窓を開けるんだ」との指示で兵頭さんのプレハブの窓を開けて回る。 此処には何千万のプレス器械が置いてある。「 此処だけは守らなきゃいけない。」 だが容赦なく火と煙は襲ってくる。 平本さんに頼んで窓から連接する壁に放水してもらう。 ![]() 工場入り口の前で鳥屋分署の隊員の後についてホースを確保、内部に向けて放水が始まった。 閉めたシャッターも熱で膨れ上がり、前に置かれたタイヤが燃えている。 眼前の壁が燃え落ちてきた、目の前には50kgのプロパンボンベ2本がある。 気が気じゃない。 ボンベにも放水した。 後続の隊員がやってくる。 前線に自分の出る幕は無い。 火の手は依然強く野積みされた車からは爆発の振動と音が伝わってくる。後で聞いた話だが2キロくらい離れた保育園や尾崎理化でも花火が上がるような爆発音が聞こえたそうである。 ラボへの延焼を食い止められなければ、母屋も持たないと思い中にいたお袋達に位牌だけでも持って避難するように言った。 スーツケースを引きずって出て行こうとする外国人がいたので、とっ捕まえて他の奴らとまとまっているように言いつけた。 現場では科学消火剤も使って必死の消火作業が続いている。2メートル3メートル離れた車にも次々と火が移り燃え上がっていく。自宅の前にいても熱さが伝わってくる。消火作業がなされていなければ気が狂っていただろう。 兵頭さんは納品どころじゃないことを携帯で親会社に伝えていた。 自分もと思ったがかみさんは息子をつれて役場に行っている。子供に火事場を見せずに済んだだけでもまあいいかと。 仕事もラボが燃えちまえば終わりである。 本家の前に避難出来た時には胃は縮み上がり吐き気と悪寒が襲ってきた。 関の哲も足を運んできた。 町内放送で知ったのだろう。 道路のほうをみると結構な数の野次馬が集まっていた。 火事場は道路から一段低いところにあるからさぞや見ものだったろうと思う。 結局、野積みされた自動車20台ちかくと廃棄されたパーツ、タイヤ、大型プレハブ1棟、鉄骨スレートを焼いて一度は鎮火した。兵頭さんの工場も私のラボも無事だった。 だが、ガレージの雨どいは熱で溶け、前に置いてあった車止めのコーンも半分溶けていた。 ![]() 電柱は黒く煤けて電線も電話線も燃えていた。 一度は鎮火したと思ったが、火元近くのタイヤが再び燃え出した。 内部は依然としてくすぶっていると言う。 放水が始まる。 すでに出火から2時間近くが経っていた。再びの鎮火を見て隊員たちが壁などを落とし現場内部に入っていく。 其の頃になってやっと回りを見る余裕も出てきた。 駐在さん、議員さん、娘を送ってきてくれた先生もいた。 親戚や近所の皆さんが見舞いに駆けつけていてくれた。 皆さんにお礼お言って回る。 消防団の部長がいつでも放水できるようにしたままにすると伝えてくれた。 ![]() 鎮火とともに関電工の作業車とNTTの作業車がライフラインの復旧に来てくれた。 電気と電話は7時前には復旧した。 仕事どうするかと思ったがオペークの作業中だったし、このことで仕事に穴を空けるのも癪だしで朝までにやってしまおうと決めた。 ラボの中も煙の臭いが充満していた。10時前に守屋くんとちーちゃんが寄ってくれたが、溶けた雨どいや臭いに驚いていたと思う。12時前に消防団の皆が見回りに来てホースも片付けて行った。 だが、私の長い一日はまだ終わらない。 暑くて窓を開けたくても煤が入ってくるし焼け跡の臭いも入ってくるから。気が高ぶったままMBを進めブリッジを磨く。 夜が明けてきた。作ったものを全て届けて回ったらすこしだけ休むとしよう。 |
子供たちを相手に何をどう話したらいいのか、直前まで悩んでおりましたが、当日は私の担任だった石塚先生(藤野町立吉野小学校校長)が態々きてくださったこともあり、先生とのエピソードなどを織り交ぜて何とか終えることができました。 思うに、恩師にこのような形で恩返しができるのも私が聴覚障害者なればこそ。 聞こえないことがちょっと自慢できる日でした。 最近は教育の荒廃などがニュースになり先生たちには大変な状況にあるのかもしれませんが、どの子供たちにとっても先生はたった一人の先生なんですから、がんばってほしいと思います。 石塚先生が「よく覚えているなあ」と言って下さいましたが、子供たちの記憶に残るようなインパクトを残すと言うか与えることができる先生が、私にとってはよい先生だと言えます。 私の娘も4月から根小屋小の一年生です。 若い先生たちが娘にどんな記憶を残してくれるのか、今から楽しみです。 生徒の皆さん、感想文ありがとうございました。m(. .)m
アビリンピック入賞を果たし胸を張って行く事ができました。 事前に聴覚障害者に対する印象などのアンケートを頂き、それに答えるような形にと考えていましたが、話はあっちこっちにそれておまけにえらそうなことを言うやつだと思われてしまいそうな内容の話でしたが、あとで頂いた感想文を読むと本当によく聞いていてくれていたんだと胸が熱くなる思いです。
G3は昨年11月千葉県の幕張にある障害者職業総合センターで行われた第25回全国障害者職業技能大会の歯科技工部門に神奈川県の一員として参加しました。
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