
| 本名:山下清泉(やましたきよもと) 1935年6月10日、旧満州奉天市(現・瀋陽)に生まれる。 大阪府立市岡高校演劇部在籍中、大阪府高校演劇コンクールで優勝 したのを期に役者の才能があると思い込み、さっさと高校を中退し上京。 劇団俳優座の養成所に入り、演劇の勉強にいそしむも、生活窮乏のため アルバイトをいくつも掛け持ち。結果、疲労、睡眠不足から授業をサボる 日が増える。悶々としながら、ある日バイト先で目にした夕刊に、 「テイチク新人コンクール」の広告を見つけ、藁をもつかむ思いで応募。 約2千人の中から奇跡的に合格してしまう。これで有頂天になり、役者修行を 辞める。当時ビクターが売り出し、低音の魅力で人気を博していた フランク永井の対抗馬として、歌手デビューが決まる。颯爽とデビュー を果たした、紅顔の美青年ジェームス三木、出す曲出す曲夢のように、 もとへ悪夢のように、あまり・・・いやほとんど・・・全然売れず。 人気歌手の前座を務める他、長〜い地方巡業も経験し、横浜のナイトクラブ の専属歌手として再起を計るも、同僚で後輩の女性歌手がメジャーデビュー。 この女性歌手がたちまちブレイク。今は亡き、青江三奈その人である。 先を越されて落ち込む毎日の中、気が付けば女房はいるわ、子供はいるわで、 これはヤバイと、将来に不安を感じ始めたある日、またまた目にした夕刊に、 シナリオ研究所の生徒募集を見つけ、昼間ゴロゴロしているよりはと、 早速入所。通い始めて半年、33歳の時。 月刊シナリオの「新人映画シナリオコンクール」に、生まれて初めて 書いた作品「アダムの星」を応募。 脱稿直後に厚かましくも受賞の言葉を書き、机にしまっておいたところ、 ホントに一位になってしまう。この時の作品が、「ゼロの焦点」「鬼畜」 などで有名な、野村芳太郎監督の目に止まり、同監督に師事、以後約3年、 みっちり脚本の修行を積む。最初はクレジットもされず、十二指腸潰瘍に悩ま される毎日だったが、69年、映画「夕月」で、晴れて脚本家デビューを果たす。 その後、「花と喧嘩」「赤い鳥逃げた?」「さらば夏の光よ」「ふりむけば愛」 など、数々のシナリオを手がける。また、テレビドラマ では、同じく69年、 「七人の刑事」の最終回でデビュー。その後、TBS「白い滑走路」、 NTV「西遊記」、NHK「煙が目にしみる」「けものみち」などを手がける。 順調に脚本家としての道を歩んでいたが、83年、体調を崩し検査を受けた ところなんと「脳腫瘍、即入院」の宣告。 「俺の人生もここまでか」と、文字通り死ぬ気で受けた手術は無事成功。 静養中の85年、NHK朝の連続テレビ小説「澪つくし」の高視聴率に、 弱った身体もどんどん回復。禁煙もとっとと撤回。 気を良くして86年、NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」を執筆。これが、 歴代最高平均視聴率をマークする。 89年の松竹映画「善人の条件」では、脚本だけでなく、監督もやってしまう。 現在は、テレビドラマの他に、舞台の脚本・演出、小説などなど たくさん引き受けてしまい、毎日真面目に書きつづけている、模様。 |