きずな

<2001年>

※「きずな」は東京教会の広報誌です。詳しい内容をお知りになりたい方は、
電話メールなどで教会までお問合わせください。

◇きずな363号 2001.12.23◇
天に栄光、地に平和を!  クリスマスのいろいろ  聖書アラカルト29 天使-2
教会この一年のあゆみ  「原点」から「展開」を求めて  ガネーシャチャーチ    
◇きずな362号 2001.11.25◇
終わりに立って ―朽ちるべき私が、朽ちない者とされる―  「主のはしため」から聖女へ
聖書アラカルト28 天使-1  新しい問いかけ
カンボジアレポート8  教会の家族の一人として
◇きずな361号 2001.10.28◇
大胆に善い業を行おう  宗教改革余話  聖書アラカルト28 「樫の木」
一日神学校に参加して
  村上陽一郎先生講演会 報告
ミニバザー報告  カンボジアレポート7  ネパールに着くやいなや・・・・・
◇きずな360号 2001.9.30◇
今こそ主の御前で生きよう  カンボジアレポート6
◇きずな359号 2001.8.26◇
「剣を打ち直して鋤とし」今こそ平和を祈ろう!  特別伝道? 少し考えてみます。
聖書アラカルト 27「ウシ」  東京教会の思い出
佐々木正美先生のお話「児童精神科医から見た子育て」を伺って
  一日神学校へのご案内  パイプオルガンニュース 9
「幼児と家族の集い」  狂犬病ワクチンを送る会からの報告
◇きずな358号 2001.7.29◇
目をあげて、わたしは山々を仰ぐ わたしの助けはどこから来るのか
愛するって? 少し考えてみます。  聖書アラカルト26「トウゴマ」
カンボジアレポート 5  秋の講演会を迎えるにあたって
◇きずな357号 2001.6.24◇
 夜も昼も、御目を注いで下さい  献堂五周年を迎えて  聖書アラカルト25「家に入る」
カンボジアレポート 4  「求道者会」(洗礼準備会)に出席しませんか
◇きずな356号 2001.5.27◇
 聖霊によって新しくいきよう!  聖霊って? 少し考えてみます。  聖書アラカルト 24「シカ」
パイプオルガンニュース 8  カンボジアレポート 3  ルーテル学院大学・神学校後援会報告   
◇きずな355号 2001.4.29◇
 信仰による確かさを求めて  弟子たちに顕現されたイエス様  聖書アラカルト「ゆり」
「男の名前は・・・」  カンボジアレポート2  伝道集会のご案内
◇きずな354号 2001.3.25◇
 復活の希望に生きる  復活を目撃した女性たち  聖書アラカルト「十字架」
宣教研修を終えて  カンボジアレポート 1
◇きずな353号 2001.2.25◇
◇きずな352号 2001.1.28◇
 
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きずな363号 2001年12月23日発行 より
天に栄光、地に平和を!      内 海 望
 神さまのひとり子であるイエスさまが、この地上にむけて旅立つ、この地上のすべての人々を救うためにご自分の命を捨てようとなさっている、と聞いたとき天上では大きなざわめきが起こりました。「天使は一人残らず歌いました。『いと高きところには栄光、神にあれ』と。天の全軍がオルガンや笛の音を奏でつつ」とルターはまことに美しく描いています。
 更にルターは「天使たちは喜びのあまり、じっとしておられなくなって、天(あま)かけって地上の人々にこれを伝えずにはおれませんでした」と続けています。クリスマスの出来事は先ず天上を喜びで満たし、地上に届いたのです。
 その時、地上では、暗い夜の闇の中で羊飼いたちがじっと羊の群れの番をしていました。現在の世界を思わせます。ところが、突然、主の栄光が周りを照らし出し、羊飼いたちに天使の全軍が歌う讃美の声が聞こえてきたのです。
 インマヌエル!最初のクリスマスの夜、神さまが私たちの世界とともにある、という恵みが天から降り注いだのです。羊飼いに、博士に、そして暗黒の地に住むすべての人々に。これを聞いて羊飼いたちは立ち上がりました。
 この世界は暗闇のままで終わってしまうのだろうか、と予感させられることが次々に起こって来ます。望みを絶たれる思いに沈むこともあります。
 その時、私たちは新しい思いをもってクリスマスの光を見つめたいと思います。既に救い主イエスさまはこの地上に来られたのだということをしっかり心に留めたいと思います。まだ世界の隅々にまでは届いていませんが、恵みは今も私たちの上に降り注いでいるのです。天の軍勢は一人残らずこのことを伝えようと天(あま)かけっています。私たちがどうしてじっとしてよいでしょうか。
 立ち上がって、世界の希望である平和の主イエス・キリストは確かにこの地上に来られたのだ、という喜びを人々に伝え、地に満たしましょう。
クリスマスのいろいろ          松 田 繁 雄                                     
☆クリスマス・カラー
 
 礼拝色としてのクリスマス・カラーは、白です。典礼色の基本の意味は、「神とキリストの栄光、完全」ですが、クリスマスの場合、世界の光である、キリストという意味も加わります。白はまた、お祝いの意味で、待望、準備を表わすアドベントの紫色(未来形)と対照的に、《今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった》という純粋な喜び(過去形)を表現します。24日の日没を期して、紫から白にいっせいに変えられるクロスは、この喜びとすべての人に宣べ伝えられるべき福音の象徴と言えるでしょう。白はまた、純潔というイメージも担ってきました。西欧中世以来の伝統的な、聖処女マリアに対する憧憬も、少なくともローマカトリック教会では、この色の選択の中に込められているようです。
 さて、一般的なクリスマス・カラーとしては、
が良く知られています。これらの由来については、諸説入り乱れていて、確実なところは分かっていません。は太陽の生命力、は常緑樹の持つ永遠性を象徴している、とよく言われるのですが、この辺りの考え方には、異教の匂いがどうしてもついてまわります。もともと、12月25日は、太陽神でもあるミトラの祝祭日で、この日は同時に、来る年の農作物の無事な成長を祈願する冬祭りでもあったので、がその祝祭色として使われていたらしいのです。
 この異教的色彩のキリスト教化が行われたのは、ゲルマン諸族の中でです。ゲルマンの故地は、バルト海沿岸、北欧ですから、その地域に特徴的な、林檎、ヒイラギに結び付けられます。ヒイラギは聖なる木とされ、その刺が茨の冠すなわち受難を、赤い実がキリストの血を象徴すると言われました。林檎が失楽園時の「善悪の知識の木」あるいは「生命の木」の実と結び付けられたのもこの頃で、樅の木が「信仰の希望と成長」を表現する常緑樹の代表として、クリスマス・ツリーとされて行ったのもこの頃です。こうして、ゲルマンのキリスト教化が進むに連れ、異教の取り込み(サンタクロースなどはその典型です)も進み、クリスマスの色彩として、赤と緑が定着してきたのです。
 白、赤、緑、この三色に加えて、金色がクリスマス・カラーの仲間入りをします。もともと、クリスマスのミサに際して、着用された白色のカッパは、次第に金の刺繍や飾りをまとうようになります。クリスマスの意味として、光が強調される時、それには、赤よりも白よりも金色が相応しいとも考えられたのです。聖劇の中心の一つである、ベツレヘムの星、これもクリスマス・ツリーの普及と共に、その頂点を飾るようになります。白、赤、緑、金、たしかに、この4色で飾られる事により、クリスマスらしい雰囲気が作られてきます。と、同時に、白を雪の白、緑を寒さに耐える常緑樹の色、と考える時、この2色を背景にして、暗く寒い季節を以下に明るく温かく迎えようかと考えた、昔の北欧の人々の思いも伝わってくるのです。

☆年の理由、日の理由
 
 クリスマスと言うと、単純に「イエス・キリストの誕生日」と言いたくなるのですが、これは、西暦と言うと、イエス・キリストの誕生年を起年とした年の数え方、と単純に割り切るのと同じような事だそうです。
 さて、まず、この西暦の事について書いておきましょう。西暦=ADは、アノ・ドミニ(われらが主の年)の意味で、実に、1582年(というとルターの宗教改革後ですね)暦の改革を行った教皇グレゴリウス13世によって、正式に採用されたものです(よって、グレゴリウス暦とも呼ばれます)。この教皇が根拠としたのは、キリスト教会の伝統の中で長く語り伝えられてきた、キリストの誕生は、ローマ建国の753年後という伝承ですが、そもそもこの数字に関する具体的な言及は、6世紀で、在ローマの修道院長エクシグウスという人の著書の中に見られるものが最古だそうです。
 後に、聖書学者や天文学者などが、この説に異論を唱えるのですが、その主な根拠は、ヘロデ大王の在位、人口調査の年代、天文学的な観測データなどですが、これらに基づく計算が互いに矛盾してしまう事、また、それぞれ、マタイあるいはルカにしか記述のないことなので、このどちらかの記述を事実と前提して初めて有効な議論なので、ローマ建国の753年という教会内伝承以上に、信頼性が高いとは言えないのです。
 次に、12月25日という日についてですが、ローマ・カトリック教会の伝統の中では、受胎告知日3月25日に9ヶ月(?)を加えたものだそうです。もっとも、これも建前論で、4世紀には既にこの日に祝われたという記録が残っているそうです。太陽神ミトラの祝祭に対抗して、ローマ教会でこの日に「キリストの誕生」をお祝いするようになった、という辺りが真相のようです。事実、教父の一人、アレクサンドリアのクレメンスによれば聖降誕日は、5月20日だし、東方オーソドックス教会の伝統では、1月6日なのです。
 降誕年にしても、降誕日にしても、その特定の時にイエス・キリストが生まれた、という事柄に拘るところから、強引なこじつけも無理な解釈も生まれてきました。主イエス・キリストは、わたしたちの罪の贖い主として世に現れました。そのために肉の体を持って現れた、ということがクリスマスの秘儀で、これはその肉の体を持って具体的に十字架で苦しみを受け血を流された、というキリストによる救いの教義と深い関連があります。その意味で、キリストの受肉を喜び祝う祝祭日と考えれば、何も年や日に特別のこだわりを持つ必要もないのです。
聖書アラカルト29 天使(2)
 ダニエル書に出てくる天使たちの中で、名前を持つものが、「ガブリエル」です。このガブリエルは、ルカ福音書でも、ヨハネの誕生に関する預言をザカリアに伝え、《わたしはガブリエル、神の前に立つ者/あなたに話しかけて、この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである》と語ったり、聖母マリヤに現れて、《恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい》と語ったりします。
 初出のダニエル書8章では、《勇士のような姿》と書かれているので、どうも、わたしたちのイメージする天使像とはかけ離れているようです。では、現在の天使のイメージはどこから来るのでしょうか。中世ヨーロッパでゲルマンの間に受肉していく過程で、守護天使という考え方が現れます。まず、これが第一歩です。個人に関わる、しかも、個性を持った天使たちの登場です。その次に関係すると思われるのが、中世に現れる、一群の聖女たち、ことに、後期中世の神秘主義的な聖女たちの存在です。これらの聖女伝説の影響の下、守護天使たちの像が描かれてきます。この頃になると、受胎告知をする、天使もお馴染みの姿で現れてくる事になるのです。
教会この一年の歩み          代議員 深 沢 孝 寿
 二十一世紀の教会の一年の歩みを振り返り、今年も蒔かれた種を成長させてくださった神に感謝したいと思います。

☆新会堂5周年を迎える
 ルーテル教会の宣教百年を記念して改築された東京会堂は6月末で、満5歳を迎えました。1996年に掲げた「教会形成の方針と宣教の展開」は牧師・信徒の働きにより着実に実行してきました。
 この5年間の教勢は、88名(受洗者51名、転入者37名)の会員が与えられました。また、召天・転出により31名(20名と11名)の会員が減少しました。
 献金については、礼拝献金が22.2%、維持献金が16.2%伸びました。
 1999年4月から松田牧師を迎え、宣教体制の強化が図られました。

☆新5ヵ年計画への継承
 今年から「新宣教5ヵ年計画」がスタートし、これまでの宣教方策を引き継ぎ、その充実を目指しています。
テーマ「福音の喜びを隣人に伝えよう」
教会形成の方針は
(1)ルーテル教会の信仰告白に立脚した礼拝を整える。
(2)この地にふさわしい宣教体制を整える。
(3)福音の種を蒔き、礼拝へと導く。
の三点を掲げました。
宣教の展開については
(1)宣教90年の教会の歩みの中で育てられた信徒一人一人の宣教を結集する。
(2)0歳から死まで、教会に連なるすべての人を大切に、年令に応じ、時に応じて育成する。
(3)教会の事柄、わざ、行事は、すべて礼拝を中心に整え、礼拝から洗礼へと導く道筋を考える。
などの実行であります。

☆「複数共同牧会」3年目
 東教区の宣教方策により、松田牧師を迎えて3年目となる今年の教会活動は、(1)主日礼拝・5回(10時は英語)の実施
(2)平日の集会・聖書を読む会、バイブルクラス、キリスト教入門講座など
(3)ヌーンサービス・月2回(第1、第3金曜日)祈りと音楽のひととき
(4)教会教育(主日の10時)・洗礼準備会、洗礼を受けてから、堅信者、初陪餐者。
(5)平日の教会・教会の開館(月〜土朝9時〜夜9時)牧師・事務員が常駐し、来会者への対応、外部への会堂・会議室の使用(貸室事務と管理)、教会活動事務、墓地委員会事務、結婚式・葬儀式など
(6)その他の活動・@家庭集会Aつたの会B会員見舞い・訪問C広報誌「きずな」発行、Dホームページの更新 などの各プログラムを実施しており、一層の充実に努めています。

☆教会員の動き
(1)主日礼拝の出席者数
 年間の平均(52回)出席は、一主日153名(うち11時は92名)と予想され、昨年に比べると一主日当りでは6名の増となります。
 内訳は、11時の礼拝は横ばいですが、その他の4回の礼拝が着実に伸びてきています(特に午後7時の礼拝が)。11時の礼拝は、祝日が多く「イースター」は192名で最高です。
 9月以降の礼拝出席も増えています。
(2)新しく会員となられた方は18名(受洗者11名、転入者7名)感謝です。
 特に受洗者の方々に朝7時、夜7時、10時(英語)の礼拝出席者や会員の家族の方がおられることです。
 また、今年は会員の方に7人の赤ちゃん誕生のうれしい知らせがありました。
(3)召天者4名と転出者2名の減少があり、寂しいことです。
 召された方、田坂里子姉(2月)本多廣江姉(9月)木下敬一兄(10月)荒井国造兄(病床にて緊急洗礼11月)です。他にもご家族が召された方が数人おられます。

☆主な行事集会から
@1月は教会の総会で「新宣教5ヵ年計画」(前記)の承認と役員の改選がありました、2年間の新役員が決まりました。
A4月、聖金曜日(受苦日)マタイ受難曲礼拝とイースター(復活祭主日)受洗者4名、転入者4名、初陪餐1名。
Bペンテコステ(聖霊降臨日主日)受洗者2名
C教会懇談会「献堂5周年、これからの教会、宣教90周年事業の計画作り」
D平和の主日 受洗者1名
E感謝と祝福の礼拝「信仰の先輩に感謝(77歳以上33名、出席者15名)
F講演会「生命倫理を巡って」村上陽一郎先生・青年への呼びかけ・参加98名)
G大久保まつり「バザーと募金」
H宗教改革主日 受洗者1名、転入者3名
I全聖徒主日(召天者記念礼拝)この一年の召天者7名 礼拝出席者149名
J子ども祝福礼拝(子ども 28名)

☆教会会計
 今年度の一般会計は、礼拝献金・維持献金は予算どおりの見込みです。その他は特別献金が予算を下回っていますので、支出面で努力をしております。

☆その他
@パイプオルガン設置準備について
 7月に発注先の(独)シュッケ社社長来日、設置までのスケジュール・受入れ体制等を確認した。来年12月20日までに設置完了引渡しとなる。
Aオルガン募金について
 現在の予約額1530万円(入金額1150万円)です。募金委員会では、今後の活動の進め方を総会に提案し、目標の達成を図る事とします。
B本教会・東教区との協議
 本教会と「現駐車場の土地」について東教区と「複数共同牧会」について 協議をしました。総会に提案することとしています。
(代議員)
 深沢孝寿兄、徳善規子姉、川西弘子姉
(書記) 清重慧子姉、吉野康子姉
(会計) 熊木敏雄兄
(役員) 泉 亮兄、笠毛槙夫兄
     唐沢忠兄、増川 明兄
           (注・4月で辞任)
「原点」から「展開」を求めて ―釜ヶ崎から神学校へ―

二十歳の原点    小 泉 基
 「なぜ牧師になることにしたの?」
 そう聞かれて、しばしば立ち止まらざるを得ません。当然のことですが、その決断に至るには様々な背景があり、それをひとことで表現するのはなかなか難しいからです。そこで、聞いてくださる方に理解してもらいやすいように、相手のコンテキストに従って、その背景の一部を切り取って説明するのですが、話し終えても、なかなか充分に説明しきれた気持ちになれないものです。
 ですが、わたしの決断に至る背景の一部をなしていると確実に言いうるのが、かつて10数年も前に学生であった頃、釜ヶ崎と出会ったことでした。

学生時代、冬になると毎週、喜望の家(注)が行っている「越冬夜まわり」に通うのが習慣でした。その当時わたしは同志社神学部の学生でしたが、同志社の教室においてよりも、はるかに沢山のことを釜ヶ崎と喜望の家で学んだように思います。喜望の家の断酒会に集まるおじさんたちから、喜望の家をはじめとして、釜ヶ崎で働く牧師や神父、またスタッフたちの事柄に向かう姿勢から、夜まわりを終えて仲間たちとカップラーメンをすすりながら交わす熱い論議の中から、また路上で毛布にくるまって寒さに震える野宿者のまなざしから、わたしは神学書や注解書から得られる事柄よりもはるかに多くを学び、現在の私につながる信仰の出発点を得たと思うのです。
 昨今はもっぱら、その頃に神学書から何も学ばなかったことのつけを払う形で、苦手な机上の神学とも向き合わされる日々ですが、二十歳の頃に得た自分の出発点をこそ、牧師として仕えるための学びの原点として、自らに刻んでおかねばならないと、想いを新たにしているところです。
(注)ルーテル教会の働きのひとつである釜ヶ崎ディアコニアセンター
「喜望の家」からクリスマス献金のお願い
 
 いつも喜望の家の活動にご理解ご支援をいただきありがとうございます。
これから寒い冬にむかい、希望の家のスタッフ、ボランティア一同、この釜ヶ崎で「一人の死者も出さない」よう活動してまいります。皆様のご協力をよろしくお願いいたします。
☆献金の送り先
〒557-0004 大阪市西成区萩之茶屋2-8-18 「喜望の家」
郵便振替口座 00940-2-95205
ガネ−シャ チャーチ     高 橋 雄 二 
 ご存知のとおり、敬虔なクリスチャンである私はネパールに着くや、教会を探すべくカトマンズの2万分の1の地図を買いました。丹念に探してみると、たったひとつだけ十字架の印がありました。早速、地図とコンパスを頼りに行ってはみたもののさっぱりわからない、やむを得ず目の前にあった薬局に入って尋ねると、不思議なことに私が目指した教会の人がそこにいました。彼は、私が日本から来たとわかると、嬉しそうに私の手をグイグイ引っ張って教会へ案内してくれました。
 教会はプロテスタントのガネ―シャ・チャーチ。会堂だけでも東京教会の2倍以上あり(あまりにも広いのでTVモニターが2台設置されている)、敷地には出席者が乗って来るマイクロバス4台、乗用車数台が駐車しても余るスペースがあります。礼拝当日、いったいどの位の人が来るかと思っていたら信じられないくらいです。通常で450人、会堂は立錐の余地もないほど埋ります。聖餐式や特別の行事がある時なぞは、数えきれません。会堂に入りきれなかった人達は庭にテントを張り、TVモニターを見ながら礼拝しなければなりません。
 礼拝は二分構成で、前半はキーボードを弾く牧師が進行役を勉め、合い間に祈りの言葉を入れながら賛美歌を一時間歌います。賛美歌は私達のものとは全く違い、明るく、美しく、また時に力強い。厳粛さとは程遠いものですが、400人からの人達が両手を天に上げたり、手拍子を打ったりしながら歌う様は圧巻です。また、説教壇の前に陣取った子供達が伴奏したり、スカーフを振ったりするのが印象的でした。
 後半が説教です。この教会には牧師がたくさんいて毎週交代します。聖書のあっち、こっちを聞きながら進みます。勿論、牧師はユーモアを忘れませんが、皆神妙に聞き入っています。全体で2時間以上の充実した礼拝です。
 私は歓迎を受けました。以前にルーテルのプロフェッサー・ナズミが指導したことがあったからでしょう。どういう先生なのか知りたくて、内海先生に国際電話をかけ、調べてくださるようお願いしました。帰国後わかったことですが、ナズミというのは、ネパールの牧師の聞き違いか、記憶違いで、なんと学院の江藤直純先生のことだったのです。驚くと同時に、世界は狭いと感じました。なにしろ地図を頼りに闌入したも同然の教会だったのですから。
・事務室だより(年末版)
・役員会だより


きずな362号 2001年11月25日発行 より
 終わりに立って  ―朽ちるべき私が、朽ちない者とされる―       内 海   望
 教会の暦によれば、今年は11月25日が聖霊降臨節の最終主日です。一年の終りです。そして12月2日から待降節(アドベント)に入り、新しい年が始まるのです。  
 ところで、一年の最後の主日には必ず「終末の出来事」についてのみ言葉が日課として与えられます。
 私たちは聖書の語る「終末」について深く考える必要があります。私たちの人生に終わりがあるように、この世界にも終わりがあると聖書は伝えます。しかし、その日は「終末」という言葉が感じさせるような恐怖の日ではなく、「復活の時」、「罪と死が滅ぼされ、朽ちるべきものが朽ちないものを着る時」なのです。それはイエス・キリストが十字架の死によって私たちを贖い出し、神さまの御許に導いてくださる時なのです。従って、その時は希望の時なのです。聖書の最後の言葉も「アーメン、主イエスよ、来てください」(ヨハネ黙示録22章20節)なのです。
 私たちキリスト者は、この終末の時、復活の時に目を注いで生きています。あるいは、そこから現在の自分の生活を見て生きていると言ってもよいと思います。終わりから今を見る時、人生と世界の風光が一変することに気がつきます。
 私たちは何よりも先ず自分たちを贖い出し、復活の時を見つめて歩む聖徒の群れに私たちを加えてくださったイエスさまの十字架の愛、また私たちを「み言葉」と「聖礼典」(洗礼・聖餐)によって養い支えてくださっている恵みに心から感謝します。
 また同時に、私たちが人生途上で出会う様々な魅力的な事柄、つらいことが決して絶対的な事柄でもないことにも気付かされ、勇気と希望を与えられます。
 そして主にすべてを委ね、導かれる人生を真剣に、しかし軽やかに歩む喜びが与えられるのです。「主イエスよ、来てください」と願いつつ。

 「主のはしため」から聖女へ                     松 田 繁 雄
 「ルカによる福音書の、クリスマスの物語に、「主のはしため」という言葉が使われています。初めて天使ガブリエルから、受胎を告知された時、マリアが慄きながらも、《わたしは主のはしためです/お言葉どおり、この身に成りますように》と答える所です。また、有名なマリアの賛歌『マグニフィカート』の中でも、《身分の低い、この主のはしためにも/目を留めてくださったからです》と自分のことを表現しています。マリア様、というと、像の飾ってあるカトリック教会ではもちろんのことですが、わたしたちプロテスタントの教会でも、聖女の代表格です。ことに、このクリスマスの季節には、聖なる処女として、どうしても「いと高き」身分の女性として考えてしまいがちです。しかし、マリア自身は、自分のことを「主のはしため」だと考えていたのです。このことの意味を、少し考えていきたいと思います。
 旧約聖書の中で「わたしは、あなたのはしため」という言葉を使った人物はルツです。ここでの「あなた」は後にルツの夫になるボアズです。ルツは異邦人である自分を意識し、卑下をして、「あなたのはしための一人にも及ばぬこのわたし」と初めは考えていたのですが、姑ナオミに励まされて、ボアズのもとに忍び込み、衣の裾に触れながら「わたしは、あなたのはしため」と語るのです。この物語の背景には、ユダヤ的な奴隷・奴婢の制度、古代ユダヤにおける女性の位置づけ等、いろいろな要素が含まれています。また、その様な因習を超えて、成立したルツとボアズの恋に、人は拍手を送るのでしょう。「あなたのはしため」と自分を表現したルツは、見返りを求めず、自分のすべてをボアズに献げようと考えていたのです。一方、聖降誕の物語での「主のはしため」というマリアの言葉には、このルツの心情と相響くものが感じられます。ボアズが、ルツの「はしため」という言葉を受けながら、妻として迎えていったように、主なる神は、マリアの「はしため」という自己表現を文字通り受け取られつつ、恵の中で神の子イエスの母として迎えていったのです。
 さて、この「はしため」という言葉、旧約の中では使われているのですが、新約聖書では、ほとんど出てきません。(ルカのこの二箇所と、使徒言行録の中の旧約引用だけです。)新約の時代には、ユダヤ世界の中で、既に奴婢という制度が廃れていたため、使われいなのだと考えても良いでしょう。むしろ、その様な制度のまだ生きている、ギリシャ・ローマ世界の住人、ルカだからこそ、ルツの純愛を素直にマリアの神への告白の中に反映させられたのだ、とも言えるでしょう。奴婢という制度がこの地上から消えていく中世の時代、マリアの『マグニフィカート』は、聖女の証しとして受け取られるようになります。まことの謙遜の証しとして。神の母である聖女マリアが、謙遜と服従を表現し、あえて「はしため」という言葉を選んだ、そう理解され始めたということです。
 初期キリスト教の時代、多くの女性の殉教者が生まれ、聖女と崇められました。その時に、それらの聖女の筆頭に位置するものとして、聖母マリアの存在がクローズアップされたのです。その後、中世初期には、教会の発展に功績の大きかった女子修道院長が聖女として認定され、中世末になると、人々の期待を一身に集めて、清貧にして清浄、さらに神秘的ベールをまとった聖女たちが現れてくることになります。そのどの一人をとっても、模範として振り仰ぐべき存在が、聖母マリアだったのです。この意味では、現在でもマリアこそ聖女の代表格です。しかし、そのマリア自身が、自らを「主のはしため」と呼び、取るに足らぬものと自覚していた、このことは忘れてならない事だと思うのです。
聖書アラカルト28 天使(その1)
 《いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ》ルカ福音書2章にある、有名な天使の祝福の言葉です。クリスマスになると、聖劇の中で必ずと言って良いほど、語られる天使のせりふだし、讃美歌27番も「天なる神にはみ栄えあれ、地に住む人には安きあれ」と歌いだします。クリスマスと天使というこの二つは、わたしたちの心の中で、切っても切れないもののようです。
 さて「天使」という言葉自体は、旧約ではダニエル書にしか出てきません。このダニエル書の天使にしても、口語訳では、「(神の)使い」と訳されています。サドカイ派の人たちが、天使の存在を否定した、これがその理由です。
 ところが、新約になると、そもそもの受胎告知の場面から、マタイでもルカでも、この天使が重要な役割を担ってきます。《毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たち》これは、マタイ13章毒麦の譬の解説に含まれる言葉ですが、ただ単に、神様の使い、という以上の意味を、天使が持ち始めている事がよくわかります。               (次号へ続く)
 新しい問いかけ (その1)          白  髭  義 (ルーテル神学校神学生)
 神学校で学ぶようになって足かけはや3年となった。来春の卒業を目指し最後までがんばりたいと思う。
 先日ある方からご質問をいただいた。牧師になってから今までの社会人としての経験がどのように役立たせると思いますかと。
 そういうことはあまり考えたことがなかったのでうまく返事ができなかった。それ以来この問いがずっと心に引っかかっていた。なにか役立つ経験をしてきたのだろうか。考えてみたがなかなか答が見つからない。
 技能とか技術、または資格ということで考えればほとんどそれらしきものはない。もともと牧師を目指してサラリーマン生活を送っていたのでないから当然かもしれない。私は出版の道一筋で来た人間だから原稿整理とか校正の仕事なら少しはお役に立てるのかもしれないが牧師の本来の仕事から見れば枝葉末節のことだろう。
 私はむしろ若いうちに神学校で学び牧師になる人のほうがさまざまな可能性を秘めており、その長い経験から珠玉のような賜物を獲得してゆくのだから、そのほうが教会にとっても好ましいのではないかと考えている。神学校にとっても「鉄は熱いうちに打て」であろう。
 言いかえれば何十年もほかの仕事をしてきた人間が牧師になることのメリットはおかしいということだろう。私の経験から推量しても人間は年をとるほどに自分を変えることが苦手になってゆく。私も自然に流れていたら停年退職後は再び編集の仕事を選んで第二の人生を歩んでいたと思う。それなら同じ業界なので少しはお役に立てるはずであろう。その意味で私と同じ年齢層の方が、あらためて神学校の門を叩き牧師の道を選ぼうとなさらないのはむしろ当然のことと受けとめている。
 そのようなことを考えているうちに、私はあの質問者の問いにこめられていた思いというものに気づくようになっていった。その方もまた仕事一筋に生きてこられて今ようやく一息ついておられる私の大先輩である。決して他人事のように発した問いなどではなかったのではないか。ご自分のこれまでの歩みに照らし合わせながらの誠実な問題提起と受けとめてみたらどうだろう。
 そのように思い至ったとき私はその先輩との対話の中から自分の答を見出してゆくことを考えるようになった。それはまだ始まっていないが半分始まったような思いもする。東京教会の方たちともそのような対話の中で自分を見つめる機会が得られればと願っている。その意味でも、私のこの原稿はまだ完結していない。          (1月号に続く)
カンボジアレポート8  鎌 田 頼 子
 チョムリアップスー!みなさんお元気ですか。私は少しお腹を壊したりして、今は疲れ気味です。カンボジアでは10月30,31日、11月1日の3日間にわたる水祭りが終わったところです。毎年トンレサップ湖に逆流していた水がメコン川に流れを変える時期に、水祭り(ボートレース)が開催されます。全国各地から選抜されたチームが3日間にわたってプノンペン王宮前の川で勝敗を競うのです。この祭りの開催によって、雨季が明けたと考えられています。
*チュノックトゥルー・コンポンルアンへ
 私たちはシェムリアップからコンポンチュナン州にあるチュノックトゥルーの水上生活のコミュニティに船で行きました。
 ソパール神父さんはプノンペンからチュノックトゥルーに直接来てくれました。ここでは彼は私たちにいろいろな説明をしてくれました。彼もバッタンバン教区の神父で、バッタンバン教会に住んでいるのですが、月に1度はここに滞在して、ミサをあげたり、みんなの相談役になります。教会の人々は彼の来訪を心待ちにしていました。
 ここに来て、私はしばらく呆然としてしまいました。「ここはカンボジアかしら…?」そこはまるでベトナムのようでした。人々は違う言語、ベトナム語を話しています。私はまた、カンボジアに来たばかりのちんぷんかんぷんの心境に逆戻りしてしまったようでした。しかし驚くことに、ソパール神父さんはベトナム語とカンボジア語の両方を話せるのです。
 ソパール神父さんと教会の信徒数名と周辺の水上生活をしている家庭を何件か訪問しました。ここで初めて水上生活者の様子を垣間見ることができました。とても粗末な船の家に住んでいる家族もありました。子どもがデング熱にかかったにもかかわらず、病院に連れて行くお金もなく、教会にただ相談するしか方法を知らずに、泣きながらやってきた母親と、小さな赤子に出会いました。結局、その子どもは何とか病院に連れて行くことはできたものの、手遅れで死んでしまいました。あっという間の瞬間の出来事に感じました。
「どうすればいいの?」私たち日本人もそこに住むベトナム人コミュニティの人々も誰かに尋ねたい気持ちでいっぱいでした。
 カンボジアの中のカンボジアではないような場所でのひとつの出来事でした。それは何か大切な線がぷつっと切られてしまったのか、あるいは切ってしまって、必要なものが行き渡らない場所のようにも感じられたのでした。
 10月21日、私たちはコンポンルアンに行きました。ここにも水上生活のカトリックコミュニティーがあるのです。教会に住むとてもさわやかな青年に出会いました。彼はクメール語の先生です。子どもたちはクメール語を習うのも大好き!きっといい先生がいるから、クメール語も勉強したくなるのでしょう。子どもたちは頑張ってクメール語で話しかけてきてくれます。
 人なつこいみんなです。私がベトナム語を話せないことを知っていても、ベトナム語で話しかけてきてくれます。私も少しだけ今までとは異なる環境に慣れてきました。と思ったら、もうプノンペンに帰ることになってしまいました。あっという間の水上生活体験の3日間でした。次回も訪れる予定です。
 JLMMの先輩の1人が私に「自分も思うようなことが話せない、十分に聞けなくてつらい時期があった。だけどその時の方がむしろ敏感で、カンボジアのいろいろなことを感じたり、気づいたりしたことが多かったような気がする。」と話していました。いつどんな所に行っても、自分は、本当はこんなことを話してみたかったのにうまく言えなかった、という気持ちを最近味わうようになりました。その気持ちはずっと心の中に残っています。こんな風に強く思うことがあるなんて、今まであっただろうかと不思議に思います。きっとこんな時でもいろいろなことに気づいているのかもしれません。こんな時には何も大きなことはできないのですが、ただ大切に過ごしていこうと思います。
 それではまた。

教会の家族の一人ひとりとして
 11月11日(日)11時、子ども祝福礼拝、気遣った天候も晴天に恵まれ大勢の子供達が主のみ前に集い礼拝を通して、信徒一同特別の祈りをもって、子供達の実り豊かな人生を祈りました。
 内海牧師より子供達一人一人に祝福と先生のメッセージカードと記念品が贈られました。緊張の内にも笑顔がのぞかれ年々大きく成長された姿に感銘を受けました。
 出席者   子供 28名   大人 99名      教会教育委員会 笠毛槙夫

 前日の雨空とうって変わって青空の広がった祝福礼拝の朝、それはまるで神さまから子どもたちへの祝福証しのようでした。
 多くの会員の方々の前に0才〜13才までの子どもたちが聖壇いっぱいに並び、一人一人が神さまの祝福を受けました。いつも元気な子どもたちも本当に静かに静かにと、長い礼拝の間にも驚くほど努力していたことは、神さまも、それから一緒に礼拝を共にしてくださった皆さま方もきっとほめてくださることと嬉しく思いました。         ファミリー会・世話人(徳善規子)
・新しい会員の方々を迎えて
・きずな句会
・役員会だより


きずな361号 2001年10月28日発行 より
 大胆に善い業を行おう                  内海 望
 ルターは、善い行ないを積み重ねることによって義しい人になる道に絶望しました。そしてただひたすらにキリストの十字架の贖いに依り頼みました。ただ「恵みのみ」という信仰に立った時、心は晴れやかになり、自分の前に天国の門が広く開かれていることに気づいたのです。
 しかし、これは決して善い行ないを否定したわけではありません。それを天国に入るための手段とすることを否定したのです。
 むしろ、ルターは善い行ないはキリスト者にとって必要不可欠だと繰り返し語っておます。彼はこう書いています。「雨を降らせることなしに過ぎ行く雲は、偽りのキリスト者に似ている。彼らは福音をうけたことを自慢しながら、雨を降らさない雲のように、何の実も結ばないで終わる」と。
 ルターは生涯寸暇を惜しんで書き、語り、行動しました。事実、ルターは旅先のアイスレーベンでその生涯を閉じたのです。彼は、請われて親しい家庭の不和を解決し、説教をしている最中に胸に圧迫感を覚え、死の床についたと言われます。説教者、牧会者として生き抜いたのです。
 ここで考えたいのは、ルターは多くのことをしました。素晴らしい業績をたくさん残しました。同時に間違いも犯しました。しかし、彼は決して「間違わないように」という臆病な生き方でなく、断固として自分の力の限りを行ったのです。どんなことがあっても、この世から逃げないでこの世界の只中に留まり続けたのです。「信仰とは善い業をなさずにはおられないものだ」と語ったルターは大胆でした。勇気を持ってこの世を生き抜いたのです。
 私たちも弱い自分を当てにしてくださる神さまの愛と赦しを信じつつ、この世界を大胆に生き出来る事を行いましょう。
 宗教改革余話  〜ヨーロッパという特別な社会で         松 田 繁 雄
 14から16世紀のヨーロッパは、中世から近代にかけての大きな変換の時代と言われます。そしてこの時代に、ルネッサンス、大航海時代、そして宗教改革が含まれています。今回は、宗教改革余話として、主にこの時代、そして、宗教改革期を通じて何が代わったのかを見ていきたいと思います。

 15世紀ルネッサンスはイタリア的な革命、16世紀宗教改革はドイツ的な革命とよく言われます。それでも、この二つの歴史変動を貫く共通項があります。それらは、どちらも、古典の再発見や原典探求により刺激を受け、中世を特徴付けていた閉塞感からの解放という意味を持ちました。ヨーロッパ大陸という出口のない閉ざされた世界から、地中海へ、そして大西洋・インド洋へと突き抜けていく新しいエネルギーが実際この時代の特徴でもありました。ルネッサンスはこの時代を生き、この時代の風潮を作りました。宗教改革はこの時代の中から生まれ、この歴史の流れを決定的なものとしました。
 さて、ルネッサンス以前の宗教状況というのはどのようなものだったのでしょう。スコラ哲学に代表されるような、上層インテリ階層の神学、思想は記録にも残されていますし、現代でも研究されています。しかし、その当時の庶民の宗教状況については、さまざまな状況証拠から類推するしかないのです。しかし、いくつかのヒントはあります。マリア崇拝という習慣は、この中世ヨーロッパで始まりました。中世以来の都市のつくりを見ると、教会を中心に全体が形作られている事が分かります。聖者崇拝、聖遺物崇拝、そして、何よりも、宗教改革前後から盛んになる異端審問と魔女裁判、これらは、キリスト教ヨーロッパ世界の中に潜んでいた異教礼拝が、宗教改革のあおりを受けて炙り出されてきた、と見ていくこともできます。
 ヨーロッパというのは、ある意味では特殊な世界でした。ゲルマン民族の異動により大陸内陸部に作られた諸王国は、西ローマ帝国の崩壊、アリウス派の大宣教、教会の東西分裂、ビザンツおよびイスラム勢力による海上封鎖、フランク族首長クローヴィスのカトリック改宗などの、どの一つが欠けていても、単なる田舎の一部族として、そういう歴史もあったという程度の存在で終っていたことでしょう。しかし、これらのすべてが起こることにより、地中海から切り離された内陸の独自世界、ヨーロッパが否応なく発展し、キリスト教の重心もまたそこに移されていくという事になったのです。この内陸社会は、それ以前の文明との接点を、唯一キリスト教にのみ持つ、という意味で特殊な社会でした。さらに、その内側に、伝来の多神教的、異教的生活や考え方を多分に残しながらも、公式には、あるいは建前の上では、完全な唯一神教、キリスト教を排他的に信奉する社会であった、という意味でも特殊な社会だったのです。
 ルネッサンスに先立つ13世紀は、十字軍とモンゴルの侵入の世紀でした。この二つの出来事は、東西の文明の相互接触の機会を与えるとともに、ヨーロッパ世界に海外に向けて進出するきっかけを与える事になります。内陸部に閉塞していた期間が長かっただけに、この新しい展開は、ヨーロッパ人種をはじけるように外へ外へと押し出していきます。と同時に、地中海世界の再発見、それは、古典文化の再発見へと繋がっていくのです。
 ルネッサンスが、正しく保管されていた古典との再会により、それまでのキリスト教を通しての間接的な古典研究を厳しく批判する精神を育てていきました。同じ批判的手法が、ヨーロッパの基幹部、内陸ドイツの地で聖書の研究に応用された時、それは、異教的な要素を無節操に取り入れてきた伝統的カトリック神学への批判になってきます。キリスト教の本質はどこにあるのか。パウロに帰る、イエス・キリストに帰る、という聖書研究の方法の中で、どのような信仰が救済されていくのか。ルターを始めとする宗教改革期を生きた信仰者たちは、みな真面目にこれらの問題に直面し、神に問い続けていたのです。《ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされる》ルターがこの聖句に託したものは、時代を超えて、パウロから自分へと注ぎ出されてくる、神の信実だったのです。

聖書アラカルト28 「樫の木」
《主はマムレの樫の木の所でアブラハムに現れた》創世記十八章にある「イサク誕生の予告」の記事の始めです。イサクが生まれた時、アブラハムは百歳、妻サラも九十歳を越えていた、と書かれています。二倍年暦という考え方があって、こちらだと、それぞれ、五十歳、四十五歳になります。いずれにせよ、初めての子供をもうけるには遅すぎる年代だった事は確かです。この老夫婦を神は顧み、約束の子として、イサクを誕生させてくださったのです。この出来事の目撃者として、マムレの樫の木が出てきます。
 マムレというのは土地の名前で、ヘブロンの郊外に当たります。いまでも、アブラハムの樫の木と呼ばれる木が、その地のギリシャ正教会の庭に植わっているそうです。樫は、力、長命、誇り、堂々たる姿のシンボルで、神の約束の象徴としての、幼子の誕生の目撃者としても相応しかったでしょう。樫は、いわゆるどんぐり状の堅果(樫の実)を結ぶのですが、その粉末を煎じたものは、現在でもベドゥイン人の間では、心臓の痛み、リウマチ、咳、下痢などにも効く民間薬として使われているそうです。神聖な樹木の一つであったのです。
一日神学校に参加して         曽 とし子
 聖霊降臨後第16主日礼拝の後、「明日の一日神学校へ行きませんか?」との誘いに口滑らせてスラリと「ええ行きます」と答えてしまった。この時、耳元でもっともっと聖霊に充たされたい!傷つき倒れても勇気を出して立ち上がりなさい!とおっしゃて下さる聖霊様!心は決まった。
 昨今知己の方、回りのお年寄りの何時か逢う事の出来なくなった此頃、初めて自分が老境に入ったことに気が付いた次第です。
 人は誰でも一度や二度、死んで終いたい、一切を捨てて終りにしたくなる時がある。でも死にたいからとて死ねる訳でもなく、何となく生きている。又死にたいわけでもないが、生きていても意味がないとも思う時がある。死とは死のステーションを通って神様にお逢いする事が出来る事に心得持てた時、人は幸せでしょう?それは復活への希望を持てたということになるのでしょうか?死の経験のない私、稍もすると信仰の弱さで戦く耐え難い寂寞を覚えることがある。更に最近自分の霊命と衰えと弱さとを痛感させられる時がある。
 一日神学校へ行くことは、決して物見遊山的な暇人の考へでもなく!霊命と高めたい充電をして来たい決意が正直な気持ちでした。
 一日神学校講座、これだけの準備をなされた先生方や神学生の皆様の費心、費力、費精神に感謝を申し上げたく思って居ります。教師の諸先生方の熱意に応えて受講者は乞度各自貴重な何かを修得し、神の国、我家の御用の上に役立てた事と思っております。
 聖霊があなたがたに降る時・・・更に地の果てまでわたしの証人となるであろう。(使徒行伝)霊に充たされて・・・主の名を呼び求める者はみな救われるであろう。更にコリント第一の手紙、霊に充たされ、智恵の言葉・信仰・いやしの賜物・知からあるわざ・預言・霊を見わける力・種々の異言・異言を解く力、聖書に記載してある御言葉を次々にと脳裏に憶い起されてまいりました。一九八二年頃、外国で聖霊充満の祈祷を命がけで祈った事を昨日のように思い出させられました。
 この年になる迄、神にすがり必死の祈りの内に霊に支えられ、導かれてきた事を一つ又一つ心にその憶ひを抱き感謝の心で帰途につきました。
 9月24日(月)の振替休日の日に、ルーテル学院大学のキャンパスにて「一日神学校」が開催されました。当日は、秋晴れの雲ひとつない快晴で、キャンパスは爽やかな雰囲気に包まれていました。今年は今までの最高の参加者で、事務局発表では732名とのことでした。献金も約33万円が神学校・ルーテル学院大学のために捧げられました。
 東京教会からは20名程の参加者があり、恒例となったミニショップには他の教会のコーナーに混じって、クッキーや福神漬けを販売いたしました。
 来年は更に多くの参加者がありますように。
                                                                (世話人・中井)
村上陽一郎先生講演会   「生命倫理を巡って」   報告   (泉 亮)
 9月30日(日)午後2時、国際基督教大学教授、村上陽一郎氏による表題の講演会を開催しました。当初は村上先生には科学から宗教への橋渡しになるような内容でお話頂き、主として理科系の信徒や来会者に聞いて頂こうという意図でしたが、牧師先生によって交渉して頂いている間に、生命倫理の話になってしまいました。
 しかし結果としては、その方がよかったとも言えます。例えば「クローンは駄目だ」と一概には言えないかもしれないということ。それだけに、ここにも怖いものがあることなどに気付かされました。それだけに選ばれて生かされている自分について考える機会を与えられました。
 来聴者98人ということでした。「きずな」7月号から前紹介の文をお書きくださった石井真さん、松田創一さん、またチラシ、葉書等を配布してくださった多数の会員の方々に感謝申し上げます。              
ミニバザー報告
◎今年も“おおくぼまつり”の日(10月8日)に教会ではミニバザー(婦人会を中心に)を開催いたしました。
 会員のみなさまからの献品とご奉仕により『ドライフラワー、造花、手作りお菓子類、雑貨、野菜などに恒例の福神漬け』を出品販売しました。
 当日は昼頃から雨が強くなったこともあり、地域の人々が教会のバザーに大勢集まってくれました。当日は同時に募金箱を置き、バザーの売り上げと合せて121,330円が与えられました。
 これを今年は米国で起きた「同時多発テロ事件」で被害に会われた方々の支援を行うことといたしました。教会ではこれをルーテル教会ニューヨーク教区を通じて送金いたします。
 皆様のご協力を心から感謝いたします。

◎「青年の集い」では鎌田姉のカンボジアでのお働きを覚え、感謝の気持ちを持って少しでも「カンボジア支援」にご協力できれば!という目的で“大久保まつり"に参加し、コーヒーと献品の販売、募金活動を行いました。結果、23,881円が与えられ難民救済の為に送られます。皆様のあたたかいご奉仕とご協力に感謝いたします。
カンボジアレポート7  鎌 田 頼 子
 みなさまお元気ですか。私は元気です。カンボジアは雨季の真っ最中です。バサックの川の水位もだいぶ高くなりました。村に出かける時は、泥の道を通りながら足も泥だらけになることもしばしばです。
 9月26日から10月2日まで、私たちはスタッフ全員でバッタンバンに出かけました。26日から28日は私たちが支援しているローカルNGOラチャナハンディクラフトバッタンバンとのミーティング、その後はバッタンバン教会を訪れ、キケ司教(キケさん)案内のもとバッタンバン教区内の教会、カトリックコミュニティの見学をしました。

*バッタンバン教会を訪れる
 ラチャナとのミーティングを終え、私たちはバッタンバン教会を訪れました。キケさんは、多忙であるにもかかわらず、私たちの訪問を喜んで迎えてくれました。
 私にとってバッタンバン教会は、7月に修女連のスタディツアーにお供した時と今回の訪問で、2回目の訪問でした。今回私たちは教会に数日泊まったので、前回の訪問のときよりも教会の皆さんと親しく付き合えたのが、この旅の大きな収穫だったと思います。

 チョムノンコミュニティで
 チョムノンにある教会堂は2年前に建てられたものです。カンボジアスタイルのとても美しい教会堂です。
 翌日、ミサが終わった後、私は村の中を1人でぶらぶらしていました。すると、1人の女の子が私の所にやってきて、一緒に歩いているうちに、彼女と一緒に半日お散歩することになりました。彼女の案内のもと私は合計して6件の家を家庭訪問しました。道すがら誰かと会うと「私の家にも来てよ。」という具合です。
 ステンミエンチャイと同じように、ここにももちろん水道や電気はなく、水の確保はとても難しいということもわかりました。井戸を掘れば、水は出るのですが、その井戸を掘るお金がないとのことでした。そうすると井戸を持っている家から水を購入するという形になります。
 私のつたない会話力でも、これだけの情報を知ることもできるのだな、と我ながら驚きました。しかしやはりカンボジアにも田舎の温かさがあることを感じました。特に今回訪れたコミュニティには、知らない人をもてなすことに慣れているという、印象を受けました。そのような迎え入れがあったからこそ、私も彼らと交流ができたのだということを強く感じました。
 この体験から、プノンペンに帰ってからも村のもっとたくさんの家を訪れてみようと決めました。訪れれば訪れるだけの出会いがあるからです。

*バッタンバン州・ニクンコミュニティへ
 チョムノンを去って、また「よりみちソーシャルワーク」をしながら、今度はニクンというカトリックコミュニティに寄りました。ここはもうバッタンバンです。近くにはイエズス会が援助した学校が建っています。
 コミュニティを育てていくことは時間がかかることです。私たちがプノンペンで共に働いている、カリタスカンボジアのねらいもコミュニティの力をたくさんつけて、コミュニティに住む人が自ら問題に対処できるようにすることです。今回の旅の中でもただ物をあげるということではなく、自立できるように助けることが大切なことだと思わされました。しかし、そんなことを言っても、ただ難しく感じるだけです。誰に対しても、知らない物事に対しても、理解しない人に対しても心を開くこと、一人ではなく一緒にやっていこうとすること、そんなことから始められたらいいと思います。
 バッタンバンの教会を訪れるたびに、自分の心が広がっていく気がします。もしかしたらバッタンバン教会はそんなことをみんなに伝えたいのかもしれません。
 近頃、プノンペンには夜中に雨がたくさん降ります。雨の音を聞きながら、眠ります。10月30日から11月1日はカンボジアの行事、水祭りがあります。初めての経験なので楽しみです。

「ネパールに着くやいなや、高橋姉との約束の『きずな』の原稿を書く」の巻       高 橋 雄 二

 10月10日、ネパール時間午後7時(日本時間午後10時)、我がロイヤル・ネパール航空、RA412便は、関西国際空港から約九時間のフライトを終え、なんと素晴らしい事にほぼ定刻どおり、野原のようなトリブヴァン国際空港に、ややぶっきらぼうに着陸した。その時、期せずして機内から歓声と拍手がわき起こった。だからマイナーなヒコーキは好きだ。よくぞやった、という意味か、あるいはひやかしか解らないが、とにかく、皆、緊張の糸が切れて心底ほっとしたのだ。私もとなりのネパーリーと顔を見合わせニンマリした。加えて、今流行のエコノミー症候群で死ぬこともなく安心した。しかし、無事、入国審査を済ませ空港を一歩出ると、そこにはネパールの名物が待ち構えていた。
 取締りがあったのか、百円おねだり小僧達の影も形もなかったが、タクシーの客引き合戦にもみくちゃにされてしまった。彼らは契約しているホテルに客を連れて行けばいくらかもらえるので、それはなりふり構わぬ真剣勝負。予約しているホテルの名を告げてもダメ。どこのホテルへ連れて行かれるか全くわからない。運が良ければ中級、悪ければ高級な所。今回私が連れて行かれたのは中級のホテルだった。朝四時半起きと、長いフライトで疲れていたので安ホテルは諦めた。
 室に入り、とりあえず一服したくて窓を開けたとたん眩いばかりのイルミネーションとそれに映える原色の物々。スピーカーから放出する耳をつんざくばかりの音楽、けたたましい車のクラクション、物売りの声、人々のざわめき。ゴミとほこりとお香の臭い等にあっという間に包まれてしまった。これがカトマンズなのだ。三年前と少しも変わっていない。変わったのは、今もって不人気な国王だけ。
 二階の窓から縁日の夜店を思わせる通りを眺める。サリーでさっそうと行くカーストの高い婦人。ラフな格好の欧米からの観光客、彼らにつきまとう物乞い、ストリートチルドレン、ガイドを売り込む奴。首に大きなヘビをまきつけた呪い師。タバコを売るアカじみた少女。Tシャツとジーンズで笑顔をふりまく男。もうすぐ停電の時間だ。それまでにひと稼ぎ目論む商店の主人。犬もいた。人と車とオートバイの間をうまくすりぬけて行く。見紛う事なきストリートドッグだ。そのうち注射をしてやるぞ、と思いつつ、ふと気がつくと動きのある風景の中で、一人ポツンと立っている少年がいた。視線が合うと妙に大人びた歩き方をして窓下までやって来ると、思い切りこましゃくれた顔を向けながら甲高い声で呼ばわった。
「オジサン!マリファナいらない?」               つづく
・「天にひとりを増しぬ」 -親しい方々を御国におくって-
・役員会だより



きずな360号 2001年9月30日発行 より

  今こそ主の御前で生きよう。〜再び平和について〜
 「この方(イエスさま)はすべての人の贖いとして御自身を捧げられました」
(1テモテ2・6)
                                              
内 海   望

  何千人もの無垢の命が奪われました。今、世界は傷ついた人々の痛みの声に覆われています。悲しみは深く、慰めるすべもありません。私たち人間の言葉は、このような事実を前にすると、あまりにも弱いのです。
  悲しみと共に、怒りと憎しみの声も高まっています。人間の「自然の情」として当然のことでしょう。
  この時、イエスさまの生き方が私たちの前に現れます。イエスさまは「わたしは誰の死をも喜ばない。新しい心と新しい霊を造り出せ」(エゼキエル一八)との神さまの御心を私たちの間で示してくださいました。ご自分を迫害する者、苦しめ殺害しようとするもののために祈り、すべての人々のために自らの命を差し出して下さったのです。これは「自然の情」に逆らう生き方です。
  愛する者を失った人々に「怒るな、憎むな」と安易に語ることは慎まなければなりません。 しかし、同時に私たちはイエスさまの生き方から目を逸らすことが出来ないのです。今こそ、イエスさまの生き方を真剣に考えるべき時なのです。神さまは誰の死も喜ばれません。あくまでのこの世界に生きる人々が愛し合って生きることこそ神さまの御心なのです。そのために私たちは何をなすべきか。祈りつつ断固として愛を語りましょう。
  主の慰めと平和がこの地にあるように!

カンボジアレポート 6   鎌 田 頼 子 

はじめに− 9月11日のアメリカでのテロ事件に翻弄されました。ここカンボジアでの生活では、今世界中が危機感に包まれていることを感じにくいように思います。私たちと接する村の人々は、テレビを見たり、新聞を読んだりする機会の少ない人だからかもしれません。今私の住居にはテレビがないのですから、なおさらです。新聞を読みながら、ただこれ以上の犠牲者が出ないことを祈るばかりです。
  9月2日から6日まで、タイ・サムイ島で行われたJLMMレイミッショナリーミーティングに参加しました。私たちカンボジアチームはプノンペンからバンコク、バンコクからサムイ島と、飛行機を乗り継いで行きました。JLMMレイミッショナリー、オブザーバーも含め総勢28名の参加者により、非常に有意義なミーティングが行われました。 今回は、ステンミエンチャイの衛生教育、サムイ島で行われたレイミッショナリーミーティング、そしてカンボジア内NGO訪問について報告したいと思います。

* ステンミエンチャイ衛生教育を終えて−
 ここでの衛生教育のプロジェクトも4年目に入りました。私にとって、これは初めての経験でしたが、私たちと共に働くローカルスタッフ、サッチャーにとっても初めての経験でした。しかし彼は副業として子どもに英語を教える仕事をしていることもあって、子どもに教えることは大好きです。私たちは村の5箇所を設定し、1箇所につき4回で完結するプログラムを作りました。第1回目は「身体の衛生について」食べる前には手を洗う、水浴びをすること、お腹の虫についての学習。第2回目は「環境の衛生について」家を掃除すること、トイレで用を足すこと、食べ物や水には蓋をすることなどの学習。第3回目は「栄養素について」カンボジアにある食物を具体的に挙げながら、バランスのとれた食事を摂るように心がけることを学習。第4回目は「総復習」今まで学習したことをゲームを交えて復習しました。私たちが今回の衛生教育で新しく買い揃えた主なものは、安物の拡声器と、プログラム終了後にご褒美としてあげるおせんべいと、カンボジア式のとてもシンプルなビンゴゲームでした。安物の拡声器には可愛らしいメロディがついていたので、私たちはそれを子どもを呼び込む音楽として使いました。私たちは彼らと決まりきった約束をするわけではないのですが、子どもたちはその音楽を聴くと、ぞろぞろとやってきます。まだ幼い子どもたちがまた更に幼い弟や妹を抱きながらプログラムに参加してくるのが印象的です。子どもたちはマイクで歌を歌うのが大好き!カンボジアでも「KARAOKE」が流行中。といっても、日本にあるようなカラオケボックスとは異なり、ただビデオCDを持っている家が勝手にカラオケ屋さんをしているだけなのですが。その影響を受けて、子どもたちはサッチャー先生の呼びかけに応え、すすんでマイクを持ち、熱唱するのです。この場面では近所の大人たちも集まって、大賑わい。安物の拡声器は見事、子どもたちのレクレーションと化したのでした。カンボジアの野菜がきれいに並んでいる写真のポスターやビンゴゲームにも興味津々。日本では学校の教室に何気なく貼られているようなポスターなのですが、カンボジアではそれはとても高価なものなので、みんな言葉も失って、眺めています。ビンゴゲームも、日本でいえば、ごく簡単な「かるた形式」のものなのですが、みんなはびっくり。カンボジアの子どもたちは、数多くの教材に飢えていることを実感させられました。逆に日本の子どもたちだったら、私たちがここで提供する教材にはもはや魅力を感じないかもしれないと思いました。

ステンミエンチャイの水
  私たちは衛生について子どもたちに教えていますが、ステンミエンチャイの子どもたちの環境は、清潔にするための水が極端に不足している地域です。プノンペンの郊外であるステンミエンチャイは、水道がなく、おまけに縫製工場が立ち並び、工場が井戸を買い占めてしまったこともあり、村の井戸がどんどん枯れ始めています。授業を始める前にサッチャー先生が泥だらけの男の子数人に「水浴びしてきなさい!」と注意されて、素直にしたがい家に戻る男の子の後に私はついていきました。家の横にある水瓶から、小さな杓子でサブサブと小さく水をかけながら、身体についた水滴で一生懸命に身体をこすっている男の子を見て、私も手伝ってみたのですが、少ない水ではなかなかきれいになりません。でもそこにある水瓶の水を沢山使うことは、私自身もやっぱりできませんでした。子どもの一所懸命さに励まされつつも、この「ステンミエンチャイの水」の出来事は私にとって、忘れられないものになりました。

垣根の間から眺める女の子
  衛生教育を続けていたある日、私は少しはなれた垣根の間から私たちをじっと見つめている女の子に気がつきました。私が呼んでも、他の近所の子どもが誘っても、彼女は私たちの所には決して近寄らず、遠くからじっと眺めているだけでした。「ここに来たいけど、何か家の仕事があるのかな。」「恥ずかしくて来れないのだろうか。」といろいろ考えてはみましたが、結局の所はわからずじまいです。ここカンボジアだけでなくてもこんな風に、積極的に輪の中に入らずに、外から様子を眺めている子どもはどこにでもいるような気がしました。そして今度は彼女とも話してみたいな、と感じました。
  衛生教育を終えてから、サッチャーと村に出かけると、大人も子どもも、「ロッククルー!(クメール語で「先生」という意味)」と話し掛けてきます。安物の拡声器を片手に、みんなを楽しませることのできた4週間だったのでしょう。衛生教育を子どもたちに教え、子どもたちが健やかに育っていくことを願うことはもちろんですが、この期間の私たちの活動は、村の人との更なるつきあいが深まるチャンスとなったような気がしています。

* サムイ島レイミッショナリーミーティング
  9月2日から6日まで、私たちJLMMスタッフは、タイ・サムイ島に、集合しました。私はみんなに会えてホッとしすぎたせいか、到着した翌日に風邪を引いてしまいました。しかしながら、ミーティングに参加して、心はとても元気になりました。ロシア・中国・日本・ベトナム・カンボジア・タイ・ネパール・パラオ・東ティモールから、JLMMレイミッショナリーが国別報告をして、活動の現状を分かちあい、グループに分かれて「ともにJLMMを考える」時間を持ちました。数回にわたるミーティングとそのあとのまとめをするドラフティング・コミッティに加わる中で、私はレイミッショナリーとして生きることについて、JLMMでこれから得られる多くの恵みについて考え始めました。
  みんなは、私がこれから何をしなければいけないかを説教したわけでもなんでもありません。でも私はこのミーティングで、自分の仕事において、もっと工夫すること、もっと創造的になること、もっと正直に生きること、そして、もっと沢山の人と出会わなければならないことを教えられました。待っているだけでは駄目なんだ、もっと自分から求めていかなければいけないのだということを教えられました。そんなことは最初からわかってはいるつもりでしたが、まだまだわかっているうちには入っていませんでした。しかし、たった7ヶ月のカンボジアでの生活で感じたことは、やっぱり難しい。言葉も違うし、習慣も違うし、宗教も違うこの国で、私たちは何ができるのだろう。
  心が虚しさでいっぱいになることも、時にあるのですが、そのマイナスの部分も含めてそのものこそが、レイミッショナリー。むしろその自分が勝手に考えているマイナスの部分を活用することが必要とされてくる。それがレイミッショナリーの活動そのものであると思いました。自分が勝手に考えているそのマイナスの部分を自分の中に取り入れていく作業がレイミッショナリーの生き方であります。特に私たちのJLMMは沢山のお金をかけて仕事をしない、現地の言葉を学んだ上で人々と接することを大切にしています。そのことによって、周りの人々がアッと驚くほどの大きなことは何もできませんが、その分、人々と近く接することもできます。時間が長くかかる作業ではありますが。このような発想、自分がなかなか理解できないことを、理解しようとすること、思いっきりアジアに触れて、自分が豊かになろうとするような発想とは、私が日本に二十数年間住んでいて得てしまった考え方とは全く異なった考え方であると思います。私はまた心を新たにして、今まで日本でできなかった作業をここカンボジアで試みる決心をしました。これは自分がそうしたいことでもあり、そうしなければならないことでもあります。それぞれ離れた国で奮闘しているJLMMの仲間と共に頑張っています。そんな私たちの動きを、応援してくだされば幸いです。

 * カンボジアNGO訪問
  カンボジアはポルポト政権が終わった1979年からはじまり、真に多くのNGOが連立している国です(約832.2001年現在)。今回は日本のNGO、SVA(Shanti Volunteer Association)と、24時間テレビチャリティ委員会カンボジア(略・24 HTV-Cambodia )を訪れ、それらの活動を見せていただいたので、その報告を簡単にみなさまにお伝えいたします。

  ・SVA
  SVAは日本の曹洞宗のボランティア会が運営しているNGOです。カンボジアでは、プノンペンの他、9つの州で活動しています。主な活動は、基礎教育支援として、図書館活動。カンボジアには子どもの教育の教材が不足しています。SVAは図書復刻活動として、カンボジア民話絵本、紙芝居を出版、また日本から寄贈された絵本にカンボジア語訳を貼り付け、小学校に寄贈したり、移動図書館の図書としてそれらを利用しています。また教員や、図書館員に「おはなし」の方法(子どもたちに上手に読み聞かせる方法)の研修会を実施しています。SVAのワーカーの中に、「おはなし」がとても上手な方がいて、私たちの活動地、ステンミエンチャイにも昨年3回ほど訪問し、子どもたちにとても上手にお話してくれました。また、私たちも、子どもたちのための絵本の多くをSVAでそろえています。子どもたちが大好きな本です。教材だけあったとしても、それらをどのように活用していくかということが、カンボジアではまだ難しい現状にあるような気がします。例えば、子どもたちを集めて、絵本を読み聞かせるとしても、ただの棒読みになって、楽しみの広がりが狭められてしまうというようなことはよくあるようです。それは今教員として働く人々が子どもの頃、内戦、恐怖政治の中でそんな楽しい勉強の仕方を少しも学ぶ機会がなかったことに起因します。どんなに忙しくても貧しくても、多くのカンボジアの子どもたちが少しでも「本を読むのって楽しいな」「勉強するのって楽しいな」と思える機会を提供する活動も重要です。その他にSVAは人材育成として、プノンペンとバッタンバンに職業訓練センターの運営などにも取り組んでいます。

 ・24HTV−Cambodia
  このNGOは、みなさんがよくご存知である、日本テレビの番組「愛は地球を救う-24時間テレビ」が行う募金が資金となって運営されているNGOです。私は、実に最近まで、「24時間テレビ」のNGOがあるなんて知りませんでした。カンボジアでは1989年から、内戦後のカンボジア復興に保健医療の分野から協力しています。特にカンボジアの乳幼児死亡率を改善するために、乳幼児と母親の栄養不良の改善を課題にしています。プノン連から車で約1時間の、カンダール州カンダールストゥン郡を活動地として、「村落保健活動強化プログラム」「ヘルスセンター支援プログラム」「郡病院支援プログラム」を実施しています。
  私は、ローカルスタッフのサッチャーと共に、「村落保健強化プログラム」の中にある子どもの託児所の見学に行ってきました。その子どもの託児所は、3年前の1998年から、村の女性グループの希望により設立されたものです。農繁期には家族が畑に出て忙しく、子どもの面倒を充分にみることができないので、その間だけ、この託児所はオープンします。
  アンロンプリンというコミューンに建つその託児所は、隣に浅井戸のついた可愛らしい小さな木造の一軒家です。カンボジア式児童館のような感じと言えばよいでしょうか。屋内は沢山の健康のためのポスターや、子どもたちの作品が展示されていて、とても和やかな雰囲気に包まれています。建物の外では子どもたちが竹馬をして遊んでいます。私はカンボジアで竹馬をはじめて見ました。スタッフに聞いてみると、カンボジアにも昔からある遊具だそうです。この竹馬はまさしく竹でできているお手製のものです。24HTVの運転手さんはとても器用な方で、仕事の合間に、こんな遊具も作ってくれたのだそうです。私も子どもの頃、竹馬でよく遊んだものでした。しかし私の竹馬は本当の竹馬ではなく、ステンレスでできたそれは立派なものでした。私も懐かしくなって、子どもたちから少し拝借して、一緒に遊んでみました。何とか乗れましたが、足が痛い!子どもたちは裸足で、棒の部分に足の指を引っ掛けて、乗っているので私もそのようにしたのですが、裸足の生活に慣れていない私の足はびっくりしてしまいました。子どもたちは何ともなく、とことこ竹馬で歩いています。カンボジアの子どもって、本当にたくましい。 
  この託児所は、村の5人の女性スタッフにより、支えられています。朝7時半頃子どもたちが集まってきて、みんなで遊び、水浴びをして、おやつを食べて、その後歯磨きをして、お昼の時間にさよならです。 その日のおやつはフランスパン練乳がけ(カンボジアでは「ノンパン」という。フランスの影響があり、カンボジアのノンパンは人々に一般的な食べ物。とてもおいしい)でした。私も試食させていただきました。すごくおいしいですよ。フランスパンに切り目をいれて、練乳を適量かけるだけです。栄養もあるし、みなさんも試してみてください。おやつのメニューは、カンボジアでも、簡単に安く作れて、しかも栄養のバランスを考慮したものを、24HTVのスタッフと共に考えて作っているそうです。私はつくづく、このような場所があることがとてもうらやましく感じました。それは、この託児所が、子どもたちがグループで、衛生の習慣を実践的、かつ連続して学ぶ役割も果たせる場所でもあるからです。ステンミエンチャイのゴミ山の近くに住む子どもたちと簡単に比較はできないのですが、アンロンプリンの子どもたちはみんなとてもきれいです。そのことをスタッフの1人に述べたら、「でもプノンペンの人たちのほうが、いっぱい洋服も持っていると思うよ」と言われてしまいました。村の人たちは、プノンペンは都会で、お金持ちといったイメージが染み付いてしまっているようです。私は必ずしもそうではないことを彼女に話してみました。託児所の一日の時間を少し拝借して、サッチャーが簡単な衛生教育のデモンストレーションをしました。サッチャーはやっぱり子どもの人気者です。先生も一緒になって聴いてくれました。彼にとってよい経験の一つとなったと思います。

おわりに―
  今カンボジアは、盆休みです。プチュンボンと言われる儀礼では、都市、農村を問わず人々が寺院を訪れ、僧侶の食事や花やローソク、日用品、現金を携えお参りします。そして参集者は自ら積んだ高徳を故人及びいまだ再生できないでいる無名の霊への祈りを捧げます。私はその休みを利用して、少しゆっくり過ごすことができました。日本は台風も過ぎ、徐々に秋めいてくるのでしょうか。また来月にお会いしましょう。その時までお元気で。Chomliap-lia!

                   [参考図書]綾部・石井(編)「もっと知りたいカンボジア」1996年 弘文堂




きずな359号 2001年8月26日発行 より
「剣を打ち直して鋤とし」 今こそ平和を祈ろう!      内 海   望
 8月は特別な思いをもって平和を祈り求める時です。
 教会の礼拝も8月は「平和主日」で始まりました。50数年前の戦争の惨禍を心に刻み、「地に平和を」と心をこめて祈りました。数千万人の命が失われたのです。今、平和の中に生きている私たちはこの事実をどのように考えているでしょうか。
 この平和を求める祈りは、イエスさまがこの世に来られた時、天使たちが羊飼いの周りで歌ったうたでもありました。地上ばかりでなく、天上でも切実な思いで「地に平和を」と祈っているのです。それほど憎み争いはこの地上を暗くしているのです。
 核兵器が出現したとき、人間は地球を完全に破壊する能力を手中にしたのです。まさにバベルの塔に示された人間の高ぶりが頂点に達したのです。全面戦争の危機は遠のいたと言われる今日でも、この事実は変りません。誰かがボタンを押したら一瞬のうちに世界は破滅するのです。大江健三郎が「このことを考えるとき、脂汗が出てくる」と書いたのは決して誇張ではありません。もし、この感覚を持てないとするなら、それは人間の罪に対する感受性を含めて私たちの想像力が欠けている証拠です。
 このような文章を30年前も書きました。時代が変っても書き続けなければならないこともあります。たとえ私たちが世界の平和という課題に対してどんなに非力であったとしても、神さまが創造され、愛し続けられるこの世界のために祈り続ける群れが必要なのです。「天地が滅び去ってもみ言葉は生きている」という事実を消してはいけないのです。それぞれの遣わされた場所で真剣に「主の平和」を求める祈りと業を行っていきましょう。
特別伝道? 少し考えてみます。                 松 田 繁 雄
 9月30日の特別伝道集会まで、いよいよあと一ヶ月と少しになってきました。講師の村上陽一郎先生は高名な科学者、誘いやすいという面と、こういう形の特伝には慣れていない、という戸惑いも見受けられます。今回はこの特別伝道という事について少し考えてみました。
 「こんどの村上陽一郎先生のお話は、特伝なんですか講演会なんですか?」と複数の方から聞かれました。答えるとしたら、「講演会です。でも、もちろん特別伝道です。」ということになるのでしょうか。講演会という言い方は、一般に分かりやすい中立的な言い方だと思います。今回のように、著名な科学者をお迎えして、「生命倫理を巡って」という題でお話していただくのですから、教会外の人に説明をする時には、村上陽一郎先生の講演会、という方が伝わりやすいのです。
 「でも、テーマもテーマだし、講演会、って難しそう」という声が、教会員の方々の中から、ちらほら聞こえてくるのも事実です。「聞かないうちから、難しい、はないでしょ」という答え方もできるでしょう、「いままでだって、じゅうぶん難しい話を聞いてきたではないですか」と逆に問いかけるのも一案でしょうね。でも、教会の中で特別な講師を迎えて行う集会は、特別伝道集会と一括して言われてきたし、特伝という場合、お話の内容よりも、教会の行事として一人でも多くの人に来てもらう、という伝道面のほうが強調されてきたから、難しそう、などと考える機会もなかったのです。そこで、改めて講演会と言われると、ついその内容に目が行って、中には、自分の関心とはかけ離れている、だから難しい、と考える方もいるのでしょう。最初の、特伝か、講演会か、という質問も案外こういう気持から発せられたものなのかもしれません。
 さて、伝道という考え方自体が、実は教会内的なものです。私たちにとって、イエス様の福音を一人でも多くの人に伝えていく、ということは、至上課題なのですから、何もことあらためて言わなくても、わたしたち教会に属するものは、いつも伝道という事を考えています。そのいつも考えている伝道を、今回は、このような特別な形でやりましょう、とみんなで話し合って決めた教会行事が、特別伝道なのです。それが礼拝の形をとれば、特別伝道礼拝、集会の形をとれば、特別伝道集会、一ヶ月間集中してやろうという事なら、特別伝道月間、チラシや新聞広告、イベントなどを通じて活動しようというのなら特別伝道活動になるのです。みんな特伝です。ただ、ここで気を付けなければいけない事は、伝道にしても特別伝道にしても、わたしたちがキリスト者だから分かる言葉だ、という事です。「この日は特別伝道だから、ぜひ来てください」と教会とあまり縁のない方を誘うのはおかしいでしょう。誘う場合、どういう先生がどういう内容のお話しをしてくれます、「とっても良いお話(だと思う)だから、ぜひおいで」、と誘うのでしょう。特別な伝道だから誘うのではないのです。このように、特別伝道という言葉は、教会内でしか通用しない言葉だ、ということも覚えておきたいのです。だから、一人でも多くの人に来て欲しい、しかも、いままであまり教会と縁のなかった人にもたくさん来て欲しい、(これが伝道の意味だと思うのですが)と考えるのならば、外に配るチラシ、案内、ポスターには、特別伝道集会とは書かない、というくらいの気配りは必要になります。
 さて、ことしの特伝についての話をしましょう。いろいろと書きましたが、教会内での位置づけは特別伝道集会ですし、そう呼んだ方が誤解がないでしょう。その特伝は、9月30日(日)の、午後2時から始まります。礼拝終了後、少し時間があるのですが、それこそ、わたしたちの特伝ですから、万障繰り合わせて、出席しましょう。また、生命倫理、という課題は、一見難しそうですが、臓器移植の問題、環境汚染の問題などとも、深くかかわっていて、案外にわたしたちに身近な問題です。村上先生は、科学者としての立場と同時に、一人のキリスト者としての立場から、この問題を取り上げられると思いますので、神に与えられた大切な命を生きる、という私たち誰もが抱えている問題にも繋がってくるのです。こうして考えてみると、誰でも自分の周りに一人、二人、こういうお話ならば、聞きに誘っても良い、と思うような人が居るのではないですか。そういう一人一人に伝えていく、それぞれの小さな働きが結集されて、きっとその日の集まりを、特別なものにしてくれるのです。
 午後2時からという時間帯は、もう一つの可能性を私たちに与えてくれます。それは、他教会の人を誘える、という事です。「そっちの教会を休んでこっちに出てきて」とは頼みにくくても、「礼拝が終わってからきても間に合うから、ぜひ来て」とは誘いやすいものです。また、他の教会の会員の方で、「村上先生のお話なら聞いてみたい」という人もかなり居るようです。もちろん普段なかなか来れない方、教会には縁がなかったけれど、生命倫理の話なら聞きたいという方を誘っていく事も大切な課題でしょう。このように、いろいろな側面から、一つの伝道を考える、それだからこそ、この伝道が「特別伝道」と呼ばれる事になるのです
聖書アラカルト 27 「 ウ シ」

 《あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか》これは安息日にかかわる論争の中で、イエス様がファリサイ派の人に向かっていった言葉です。ここでは自分の息子に並んで、大切なものとしてウシが描かれています。放蕩息子の譬の中でも、息子が戻ったことを喜んだ父親が命じた言葉は、《肥えた子牛を引いてきてほふりなさい》でした。イサクの誕生を知らせる主の使いをもてなしたアブラハムのご馳走も子牛の料理でした。
 このように、イスラエルの人々の生活と切っても切れない大切な関わりをもつ、家畜がウシでした。ところが一方で、ウシは、アロンの最初に作った金の子牛、列王記などに出てくるヤロブァムの子牛、等の偶像としても現れてきます。イスラエル周辺の農耕民族が崇めた神がウシの形の像に刻まれた、とも言われます。いずれにせよ、牧畜民族として出発したイスラエル人にとって、ウシという家畜は、身近でありながら、羊にはない農耕文化社会的な香りと、贅沢さとを加えた、大切な財産として感じられていたのです。
 東京教会の思い出       日本ルーテル神学校3年 水原 一郎 

 東京教会で研修を始めてから2年3ヶ月の間、教会の皆様には本当にお世話になりました。
 この研修が終わってみて思うことは、結局朝7時から始まる主日礼拝に、満遍なく遅刻することなく出席できたということです。それぞれの礼拝で、会衆席が埋まる割合に多い少ないという差はあります。ですが、それぞれの礼拝に必ず出席される人がいること。一緒に賛美歌を歌うことが出来て、聖書の言葉を聴くことが出来る人がいる、という事はこの研修期間大きな励ましとなりました。そして昼間の礼拝はもとより、朝7時と夕方7時の礼拝に出席できたからこそ、比較的長期間にわたる教会研修も楽しく終えることが出来たのではないかと思っています。
 東京教会での研修期間を一言で語るならば、「成長」であると思います。東京教会での研修は、総じて研修生として楽しいことの方が多かったのですが、自分自身の未熟さのために皆様に迷惑をかけたこともありました。でもそれらは今となっては良い思い出として残っています。逆に言えば、「未熟だったからこそ」「成長する余地が残されていたからこそ」この研修が実りあるものとして感じられたと思っています。ともあれ、神学校の学生として1年3ヵ月、神学校を休学した学生として1年、自分にとって本当に大切だったこの時期を東京教会で送れたことは本当に感謝しています。
 名古屋に来てもう1ヵ月がたちました。この1ヵ月間、名古屋教会のキャンプ、東海教区全体のキャンプ、修養会などを潜り抜けてきました。また今年は、名古屋の古い信徒の人も驚くほどの酷暑で、日中は35度を下回らない日はありませんし、夜も30度を下回らない日はありません。今は教会の一室を借りて生活をしていますが、その部屋は大変に日光条件の良い東向き、南向きの部屋ですので、部屋の中に干す洗濯物は良く乾くのです。確か内海先生もそこで「夏季伝道」の間生活を送っていたと古い信徒の方から聞きました。そして、名古屋教会牧師の落合先生や信徒の方に、激しく鍛えられながら研修生活を送っています。ちなみに名古屋に着いてからすでに5キロ太りました。
 今年は太平洋沿岸は記録的な暑さだと聞いています。どうか夏バテしないようにお過ごしください。僕も名古屋の地でがんばっています。
 佐々木正美先生のお話
「児童精神科医から見た子育て」

  ―何が足りなかったのか、何に気をつけていくべきなのか―
  を伺って       川 路 真 喜

 先生は専門家として、また23年間続けていらした狛江市の幼稚園保母の方との勉強会を通して見る子供の、子供を通して見えてくる大人の生き方をわかりやすく、また現実ありのままに伝えてくださいました。
 今の日本の、他に例を見ないほどの高価なペット保有国でありながら、子供を産み育てることをしない世界2位の少子国であるというアンバランスさ。幼児の世界では、自分の生活周辺で関わりを持つ人の魅力を取り入れて繰り広げられていたオママゴトが成り立たないこと。増える一方の不登校、引きこもり、バーチャルな世界での恋愛、担任との一対一の関係を持つことに苦慮する幼、小、中の子供達。町で多く見受けられる「他人に見てもらいたい」ダンス、うた。こういった現象を多く取り上げ、自由、平和、豊かさの中で日本人が、自己愛的になってきていることを指摘されました。『一人の大人との充実した信頼関係がなければ他の友人、その他の人と人間関係を形成することはできない。なのにできないまま就学している』・・・。
 家庭で大切なもの、それは母性愛、父性愛であり、それは「安らぎ、寛ぎ、憩いを作り出す力」と「規則、規律、責任、役割を教える力」だとおっしゃいました。
それは、必ずしも父親、母親の役割というわけではなく、人を愛する力につながる母性愛は、子供が「受け入れられる力」なので、母、父、祖父母、友達、近所、あらゆる人との関わりの中で受けられるものだということでした。
 他者との共存の中で、自分自身の毎日の生活をどのように感謝し、喜んでいきているか。生きる力に触れてこそ、自ら自由に成長していくことができる子供は、私たち大人にそんな当り前の姿を求めているのかもしれない、そんなことを感じました。
(佐々木正美先生の講演会は今年6月、ルーテル武蔵野教会で行われました)

  一日神学校へのご案内          中井 憲孝(後援会世話人)
 今年も、日本ルーテル神学校・ルーテル学院大学の「一日神学校」が、9月24日(月)(振替休日)に開催されるという案内を事務局から頂きました。昨年も東京教会の方達と参加し、アカデミックな雰囲気の中で楽しいひと時を過ごした思い出が甦って来ました。
 去る7月7日(土)の午後、ルーテル学院大学において、後援会の首都圏世話人会が開催され、今年の一日神学校のプログラム(案)について準備の話し合いが行われました。
 ある程度の内容が決まりましたので、主なポイントを紹介させていただきます。

1.大学院開設に伴い全国の教会員の募金で立派な図書館が増築されました。ぜひ教会員の方々に施設を見ていただきたいとのことです。
2.ケネス・デール先生の説教で約400人が一同に会して聖餐礼拝が行われます。
3.石居正己名誉教授の久し振りの講義をはじめとした中身の濃い様々な講義が用意されています。
4.子ども達を対象にした「子ども神学校」や青年有志による「チャペルコンサート」等もあります。
 以上の他、お昼休みには各教会からのミニ・ショップが開かれます(東京教会の婦人会からも出店予定)。
 なお、一日神学校のメインである各講義(予定)は以下のとおりです。(約80分)

 石居正己先生―「ディアコニアの源流」
 徳善義和先生―「『子供』の発見-教育をめぐってルターと現代」
 江藤直純先生―「古文書を新しい光で読む―一致信条書とエキュメニズム」
 鈴木 浩先生―「ニケヤ信条の歴史的意義と今日的意義」
 ジェフリー・トラスコット先生―「全聖徒の祈りに加わる-今日のルーテル教会の礼拝」(通訳付)
 前田大作先生―「老化に関わる社会学的、生物学的理論について」
 前田ケイ先生―「コミュニケーションの改善にチャレンジしましょう」 
 金子和夫先生―「高齢化社会における年金・医療」
 藤井英一先生―「インターネットは危険がいっぱい」

※午前(11時〜)と午後(2時〜)の2回、同じ講義が行われますから、幾つかのハシゴも可能です。
 具体的な講義の内容や講師の先生の紹介は受付横の掲示板に案内ポスターが張ってありますのでぜひご覧下さい。皆さんの関心のあるテーマが必ず一つは含まれていると思います。受講料は無料、テストもなく、一流の先生方の講義を老いも若きも一緒になって楽しく聴講できるのは、この「一日神学校」だけです。
 今から皆様のスケジュールにぜひ入れて頂きますように。多くの一日神学生でキャンパス内が溢れることを祈りつつ。
パイプオルガンニュース 9
 7月28日にシュッケ社のA.シュルツ社長が来訪し、オルガン設置準備委員会のメンバーといろいろ今後の具体的段取りについて打ち合わせを致しました。教会側からいくつかの質問を致しました。明快な答えを頂き、これからの準備が容易になりました。当日の話し合いの結果をご報告致します。
1.完成引渡し日は2002年12月20日(金)。
2.工事期間は11月初旬から6週間の予定となります。その間の礼拝には支障はないということです。初めの5日間は資材が会堂一杯になるようですが、月曜日から金曜日の一週間でほぼ現在のオルガンが置いてある所に収まるようです。但し、小礼拝堂を作業場として用いることになります。
  その間の見学は大いに歓迎と言うことですが、多分時間を決めた方が良いでしょう。
  職人によっては非常に音に敏感な方もいるわけですから。
3.現地の工房で実際に組み立てを開始するのは2002年1月。最終の組み立てが完成するのは9月の予定です。それを再び分解してハンブルグ港より送り出し、ほぼ4週間で東京埠頭につく予定です。
4.教会の階段、礼拝堂入り口は資材を搬入するのに十分な広さがあるので問題はあり  ません。
 
 以上が協議の内容です。オルガニストの講習も始まりました。2年後と思っていたのがいよいよ来年と近まりました。
 ところで、役員会では春のLCM会議に奉献礼拝のオルガニストの派遣をドイツの教会に申請しておりました。ブランシュバイク州教会は快く引き受けられ、オルガニストが奉献礼拝のために来られることになりました。2003年の初頭になりますが、フルート奏者の奥さん共々数日間滞在される予定です。教区、全体教会そして近隣の方々を招いてコンサートが出来ると素晴らしいですね。
 東京教会の宣教90周年が会員の喜びのみならず、近隣の方々、ルーテル教会全体の喜びになるように祈っています。
「幼児と家族の集い」  8月11日〜12日   (担当 高橋恵子)
 今年も教会と皆様のご理解により、「幼児と家族の集い」を持つことができました。
 2、3日前から心配された天候もまあまあで、皆で楽しく駐車場でプールに入って遊びました。一年ぶりにお顔を合わせるお友達もいて再会を喜びました。
 また今年は「おいのり」をテーマに礼拝を持っていただくことになり「幼児のためのおいのりの本」を一冊づついただき、讃美歌も、おいのりの讃美歌を内海先生と一緒に何度も歌って覚えました。ゆっくりした時間だったので、こども達の心にもじんわりしみていったことと思います。
 夜は今年は皆の都合でお泊りはなかったのですが、例年のように、有志によるおにぎりの昼食、すいかわりしてオヤツ、夕食のカレーライスをおいしくいただきました。こども達もおどろく程よく食べました。
 おいのりの本からおいのりもよくわかり、皆でちゃんとおいのりできました。
 短い日程でしたが、こどもの心と身体にたくさんの栄養になったことと思います。どうもありがとうございました。
 狂犬病ワクチンを送る会からの報告
 この度、オランダの製薬会社インターベッツのご好意により、狂犬病ワクチン、7万等分(約3500万円)が、会に無償で提供され、ネパールに到着いたしました。
 教会で、狂犬病からネパールの子供達を守ろう、とチャリティーコンサートを催していただいてから、早くも二年以上がたちました。しかし、いよいよカトマンズのストリート・ドックに狂犬病ワクチンを打てるときがきました。現地で実行するためには、まだ越えなくてはならないハードルもありますが、ここまでどうにか辿り着けたのも、皆様のご支援、ご協力によるものです。
 9月下旬、ネパール側スタッフを東京に招き、いつ、どのように行うかを決定いたします。その時、また報告させていただきます。
・洗礼を受けて
・役員会だより
・9月の予定
   村上陽一郎先生講演会



きずな358号 2001年7月29日発行 より
目をあげて、わたしは山々を仰ぐ わたしの助けはどこから来るのか ‐詩編121編-  内 海   望
 今年はことのほか暑い日が続いています。心もからだも疲れてきます。そのような時、森や林を訪ね、「目を上げて、山々を仰ぐ」とほっとします。深呼吸をし、冷たい新鮮な空気を味わう喜びは格別です。この詩人もそのような思いでしょう。
 実は、この詩人の心は不安の中にあったのです。彼は長い旅に出ようとしているのです。危険な道中を思い、心乱れるなかで、ふと目をあげ山々のかなたに目を向けたのです。その時、彼は天地を造られた神さまの心に出会ったのです。天地の創造者である神さまは今も「まどろむことなく見守ってくださる」という信頼が心の中にふつふつと沸き起こってきました。この時、不安は消え、山々の遥かかなたにある神さまの助けを信じて歩み出したのです。よろめかず確かな足取りで。神さまが保護者、弁護人として「私の右」にいらっしゃるという信頼が、そのような確かさを詩人に与えたのです。
 「わたしはあなたの神、主である」という言葉の意味を改めて考えて見ましょう。私たちは有限なのです。それを忘れて自分が世界の主であり、人生を思いのままに生きようとするとき、様々な悪が生まれ、わたしたちは不安と恐れのなかに落ちこむのです。「人間にとって不確かなものはない」という思いあがりが人間の世界を苦しめているのです。
今一度、神さまのみを「わたしの主」と告白し、神さまに信頼し、神さまの下で生きる喜びを回復しましょう。
 その時、不安は消え、本当の自由を味わうことが出来ます。

愛するって? 少し考えてみます。                 松 田 繁 雄
 《人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい》黄金律と言われている、イエス様の言葉ですが、ユダヤ教のラビの言葉にも、孔子の言葉にも、似た響きを持つものがあります。今回は、それらを比較しながら、「愛する」という事についても考えてみたいと思います。
 イエス様の語る、「人にしてもらいたい事→人にしなさい」という言葉と比べて、例えば、孔子の語る『恕』という概念、「自分のしてもらいたくない事→人にもするな」という言い方は、否定形を使っているだけに、消極的だ、という比べ方を良くする方がいます。これに対しては、「愛する」ということがテーマである以上、積極的なほうが良いとは一概に言えない、とまず断っておきましょう。
 孔子の語る、『恕』の本来の意味は、「相手を自分と同じように見る心」です。これにも背景があるので、孔子の弟子の一人で、何ごとも理詰めで考えないと気がすまない、子貢という人が、ある日、「先生、生涯守るべき信条を、一言で表したらどうなるのでしょうか?」と尋ねたのがことの始まりです。あまり答えたくない、この問いに対して、しばらく黙想した後孔子が答えた言葉が『恕』だったのです。イエス様も、律法学者の一人から、最も重要な掟について尋ねられた時、神を愛する事(シェマ)に、『隣人を自分のように愛しなさい』という言葉を加えて答えられています。自分と同じように人を愛するという基本は共通なのです。
 孔子は、この『恕』の説明として、「自分が好まない事は、他人にも押し付けない事」と語るのです。この言葉は、そういう答えに困るような質問は、される身にもなって控えてくれないと、という軽い皮肉も含まれているのですが、何かと自分の考えや好みを押し付けることの多い時代の中で、確かにこれは、『恕』を全うする生き方だったのです。
 人間それぞれ価値観が違うので、「人のため」と思って、「何でも良いことをしてあげた」のが、かえって裏目に出て、「おせっかい」になってしまったり、「余計なお世話」と言われたりという体験は誰にもあるものです。そういう意味で、自分が嫌なものは他人も嫌、と考えるほうが、人の痛みを感じ、相手の苦しみを自分のもののように感じる、という意味では早道なのかもしれません。
 ユダヤ教の方でも、同じような答え方をしている人が居ます。ラビ・ヒレルという人に、改宗したばかりの人が、「律法を一言で教えるとしたら、どうなりますか」という難問を持ち込んだときの答えです。この改宗者は、もう一人の有名なラビ、シェンマイのところにも、同様の問いを持ち込んで、物差しで撃退されてきたところでした。そもそも、律法を一言で、等という質問がとんでもないのですが、この辺り、孔子の弟子の子貢の質問と、そっくりなのも笑えます。洋の東西を問わず、ちょっと生意気な質問、はこのようなものなのでしょう。シェンマイのように、物差しで撃退してよい質問に、しかし、ヒレルは辛抱強く答えます。「あなたがして欲しくない事は、あなたの隣人にもするな。これが律法全体であり、他はその解釈である。」タルムードの中にあるこの話、結論もまた孔子の場合と似たものになっています。
 さて、実は、このヒレルとかシェンマイとかいうラビたちは、イエス様の一時代前の有名なラビです。イエス様は、この問答を知っていた上で、あえて、それを肯定形に変えて答えられた、ということになります。何故だろう。孔子にしても、ヒレルにしても、よく考えた上で、否定形の表現をとっているのです。わたしたちキリスト者は、まずイエス様の言葉、と考えますから、否定形で表現した意味は、とつい考えるのですが、時代的に言えば、ヒレルの言葉のほうが先にあるので、むしろ、イエス様がなぜ肯定形に直したのか、と考えた方が良いのです。
 ここで、少し論理学の助けを借りる事にしましょう。対偶と言って、否定の逆を取れば同値になるという考え方です。「人にしてもらいたい事→人にしなさい」の対偶は、「人にしない事→自分もしてもらいたくない」です。人間関係というニュアンスが入りますから、論理学とは違い、実際の場面では、対偶がまったく同じ意味になるということはありません。しかし、こうして現れた、対偶を見る限り、「人にしてもらいたい事→人にしなさい」という言葉の裏に、《傷ついた葦を折ることなく/暗くなってゆく灯心を消すことなく》という第二イザヤの精神が反映されているのです。そして、この対偶という微妙なニュアンスを実際の人間関係の中で織り込んでくれたのが、イエス様の十字架によって強烈に示された、「自己否定」の考え方です。自分に自信のある人が、これは自分もやって欲しい、良いことだから、あなたにもしてあげる、と自信満々に実行していくことが、おせっかいになり、ひと迷惑にもなるのです。自分というものの弱さ、罪深さを実感している人は、たとえ「やって欲しい事」があったとしても、それが本当に人に施しても良いことなのか、と考えてしまうのです。愛するという事にしても、このように十字架に意味付けられて初めて人間の深みに達する愛になっていくのです
聖書アラカルト26 「トウゴマ」

 《お前はとうごまの木のことで怒るが、それは正しいことか》ヨナ書4章にある神の言葉です。それに対し、実にヨナは、「もちろんです。怒りのあまり死にたいくらいです」等と答えます。まるで友達同士の会話のようですが、これがトウゴマの木を巡る、神とヨナとの会話です。
 ヨナは皆さんもご存知のとおり、「滅び」の託宣を携えて、アッシリヤの都ニネベに向かったという伝説の預言者です。ところが、この「滅び」の託宣を受けて、ニネベの人はみな素直に悔い改めてしまいます。神は赦すと言うのですが、ヨナは不機嫌になります。そこで、「お前は怒るが、それは正しいことか」という問いかけの後に、神はヨナにトウゴマの木をプレゼントします。ヨナが大いに喜んでいると、翌日、こんどは虫に命じてこの木を枯らしてしまうので、冒頭の会話になるのです。《お前は、自分で労することも育てることもなく、一夜にして生じ、一夜にして滅びたこのとうごまの木さえ惜しんでいる/それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか》これが、神の伝えたかった真意です。
 ちなみに、トウゴマの絞り汁のヒマシ油は、一時は、万能薬として用いられていました。
カンボジアレポート 5   鎌 田 頼 子 
 カンボジアに来てはや5ヶ月が過ぎました。みなさんからのお便りでは「カンボジアはさぞかし暑いことでしょう」と心配するお便りが来ておりますが、今プノンペンは結構涼しいです。といっても、半袖、素足でサンダルの格好で相変わらず暮らしておりますが。
 今カンボジアの季節は雨季です。雨がよく降ります。1日中降り続けるということはあまりありませんが、雨の降り方が激しいので、雨の時の外出は制限されやすいです。この雨季は5月ぐらいから10月ごろまで続き、11月ごろからは乾季になります。
*ラチャナの人々と綿織物、絹織物の産地の見学に行きました。
 ラチャナというのは、カンボジア、バッタンバン県にあるハンディクラフトのローカルNGOです。ラチャナは縫製のトレーニングセンターをも併せ持つ団体で、生計を立てることの難しい女性に対して、収入を得るための技術を教える役割も担っています。
 6/16はタケオ県に行きました。ひとつの村に入ると、ほとんどの家に機織り機が最低1台はあります。全く約束もしないで訪れたのに、どこの家も私たちを迎えてくれて、インタビューに応じてくれます。ここは絹織物の産地です。機織りはとても細かい作業で時間のかかる仕事ですが、どのお家も時間の合間を見ては、一生懸命機織りをしています。中には自分の家で糸を染めている所もありました。機織りは女性がする作業だとばかり思っていましたが、糸を染める作業は男性も一緒にやっていました。一反は約35メートルで、平均的には30USドルぐらいです。カンボジアの伝統的なスカートはサンプットと呼ばれていますが、これらの絹織物はその生地として使われることが多いです。ラチャナはその生地をバッグや小物入れに仕立てて商品にしています。カンボジアの絹織物の柄は、日本の絣に似ていて、きっとみなさんも親しみを持つことでしょう。私はカンボジアの絹織物を見るといつもどこかでカンボジアと日本がつながっていることを感じ、嬉しい気持ちになります。 
*ステンミエンチャイ地区ルッセイ村での衛生教育
 今年はデング熱がはやっています。村の子どもたちが危険にさらされています。カンボジアではデング熱になっても、十分な医療を受けられずに死亡するケースが多くあります。私たちは直接医療を提供することはできませんが、子どもたちを中心にデング熱に関する知識を提供するために、村のいくつかの場所で、7月の第1週に、小さな青空教室を開きました。私は語学学校を1日お休みして、活動の見学をしました。
 私たちと共に働くスタッフ、サッチャーはステンミエンチャイの担当スタッフです。彼は子どもが大好きで、教えることもすごく上手な人です。私たちがビニールシートや教材を準備していると、楽しげに子どもたちがどこからともなくやってきます。あっという間に30人程集まりました。子どもたちはこのような集まりが大好きです。最初の導入では絵本を読んであげます。子どもたちは大喜びです。サッチャーは、一生懸命にそして楽しげに、子どもたちに説明しています。最後は衛生教育の歌(カンボジアにはこの種の歌が沢山ある)をみんなで歌って終わります。とてもシンプルなプログラムなのに、子どもたちは興味深々です。そしてみんなの爪を切ってあげました。子どもたちは「わたしも、わたしも」と手を広げてやってきます。爪が短い子も私の所にやって来ます。抱っこをしてあげると、子どもたちはいつまでも離れたがらないで、「あっちに連れて行って、こっちに連れて行って。」と私に頼みます。
 ここでは、人懐っこい、笑顔の素敵な子どもたちに出会うことができます。


秋の講演会を迎えるにあたって  →講演会

石 井  真 
 9月に東京教会で講演をされることになりました村上陽一郎先生は、かつて私が国際基督教大学(ICU)入学を決めたときの理由の一つでもあり、大変嬉しく思います。ICUの理学科では、村上先生の科学史・科学哲学は必修でしたが、学部3年次からのみの授業で入学当初は受講できないことを知り、がっかりした記憶があります。そのことを先生に直接告げ、科学史を勉強したいがどうしたらよいかと尋ねたところ、まずは一つ理学系学問を身につけることですと言われ、以来私は数学を中心に勉強することを決めました。今では科学史を志そうとは思っていませんが、大変興味のある分野の一つです。

(問)次の中で正しいと思うものに◯をつけなさい。
 コペルニクスは地動説を提案したために教会から
@ 弾圧された。
A 死刑にされた。
B 投獄された。
C 褒められた。

 正解は、C番です。これは歴史的な事実であり、証明する文献も残っています。
 これは実は、村上先生が科学史や科学哲学の最初の授業で学生に出される問題です。意外に思われる方も多いと思います。ほとんどの方@を選ばれるでしょう。なかには、Aを選ばれる方もいるかもしれません。これなど全くの事実無根ですが、私達の先入観の中には、そういったイメージが潜んでいて、真実を探究することがとても難しいことを教えて下さいます。
 このように村上先生は(悪い言葉を使えば)、「人を喰ったような」独特の切り口の持ち主として有名です。昼休みには学内の食堂でお見かけし、いつもどなたかと議論を楽しみながら食事をしていらっしゃいます。また芸術への造詣も深く、御自身でチェロを弾いたり、ラジオ番組のパーソナリティーとして活躍されたりと、御多忙な毎日のようです。ほかにもダークスーツのときは胸元に赤のワンポイントを欠かさないなど、ファッションセンスにはこだわりがあるようです。
 「健全な信仰は懐疑を含む」という言葉があります。村上先生の講演内容も、生命倫理とキリスト教という、懐疑に満ちたトピックです。村上先生はいつものあの切り口で大胆に私達に語りかけ、私達の信仰を深めるお手伝いをして下さると思います。それに対し、私達も大胆に聞く耳をもってのぞみたいと思います。講演を楽しみにしています。


松 田 創 一
 秋の特伝は村上陽一郎先生がこられるかもしれないと内海先生から伺い、「はあ、村上先生ですか」とわかった風に返事をしている自分ではありましたが、実際には大学時代、村上陽一郎先生の本を読んだことすらありませんでした。
 代わりに、頭を駆け巡ったのは姉が村上陽一郎先生の講義を受けてまったく理解できなかったといっていたことと中学の国語の教科書にあった国語の先生ですら難解と呼ぶ文章でした。
 もはや、私の中で難解の代名詞と化した、村上陽一郎先生でありますが、これは読みやすいといわれ、親から渡された一冊の本を読んでみました。
 「科学の現在を問う」という本である。
私が目次を見て、これなら興味をもてそうだと思った部分は、技術の安全に関してでした。
 本文では、東海村の臨界事故を対象に意表をつくような具体的な仮説を立て解釈を行っていてとても興味深いものでした。
 村上先生は、その問題が起きる原因のひとつに関してわかりやすく背景を含め説明していくのが上手であると感じました。
 そして、その原因に意外なものが多く、科学の話でも社会的、日常的なことが関係するため、読者、聴衆は引き込まれるのだと思います。
 さて、秋の特伝では、意外な切り口の分析がたくさん聞けるような気がします。
 また、単純に先生の半生などを聞きたいです。他は、やはり、クローン人間でしょうか?乞御期待です。

・宣教フォーラムに参加して  小泉基
・ルーテル教会の国 フィンランドを訪ねて


きずな357号 2001年6月24日発行 より
  夜も昼も、御目を注いで下さい  〜献堂五周年を迎えて〜        内 海   望
 私たちの会堂も献堂五周年を迎えました。一人一人の胸にそれぞれの思い出が去来することでしょう。懐かしい旧会堂での最後の礼拝、引っ越し、そして新しい会堂の起工式、完成の時を楽しみに過ごした仮会堂での礼拝、献堂式。
 また、会堂の完成を楽しみにしながら召された方々、共に献堂を祝った仲間で今は天にある兄弟姉妹のことなど思いは尽きません。
 このような思いの中で、献堂式の時に読んだ聖書の箇所を改めて開いてみました。列王記上八章二七節以下です。そこにはソロモン王の祈りが記されています。「わが神、主よ、ただ僕の祈りと願いを顧みて、今日僕がささげる叫びと祈りを聞き届けてください。そして、夜も昼もこの神殿に、この所に御目を注いでください」。更にこの祈りは「罪の赦し」を求める祈り「世界の人々への執り成しの祈り」へと続いていきます。
 この祈りはいよいよ切実に私たちの心に深まっています。私たちの心には「叫び」があります。それ救いと平和を求める私たちの心の奥底からの叫びであり、またこの社会の叫びです。私たちは、神さまが私たちの「叫びと祈り」に耳を傾け、私たちに愛の眼差しを向けてくださることを信じています。しかし、それでも「聞き届けて下さい」と祈りたいし、祈らざるを得ないのです。
 「主の祈り」を「世界を包む祈り」と名づけた人がいます。私たちの祈りは私たち自身の救いを求める祈りから始まります。しかし、その祈りはやがて広がり、この世界を包む祈りとなるのです。「主よ、夜も昼も、この所に御目を注いでください」という祈りも、私たち自身の祈りから、世界を包む祈りへ変えられて行くのです。献堂五周年に当たり、この会堂を、主の愛を信じつつ、この世界を包む祈りを共にささげる場所とする決意を新たにしましょう

献堂五周年を迎えて           徳 善 義 和
 この6月で献堂五周年を迎えることになる。宣教百年記念会堂として、東京教会が聖別、奉献されてからの年月を思い、主の導き、同信の兄弟姉妹たちの祈り、主日を中心にこの会堂を実際に「神の民の家」として用いている牧師、奉仕者、教会の方々の努力を思って、主に感謝と賛美を献げたい。究極目指すところは「ただ神にのみ栄光があれ」であり、人々に慰めと励ましがあることだったのだから、みこころにかなってそのように歩んだ五年であったろうととの思いに満たされている。
この建築のためのまとめ役を仰せつかったせいだろうか、昨秋キリスト新聞主催の教会実務セミナー(6回シリーズ)の一回に講師の依頼を受けて「会堂建築の進め方」について、東京教会にかかわる私自身の経験と学びについて話させていただいた。献堂に至るまでの年月、私が何を考え、何を学び、何を心掛け、何に力を注いだかを反省するよい機会となった。さらにまた、数年をこのことだけに掛かって共に思いを集めた建築委員会というチームのメンバーにも、設計監督に当たった建築事務所や、施工の会社、特に現場の人々とのパートナーシップも思い起こして、おひとりおひとりに感謝の思いを深めたことであった。
 この建築計画に当たった者のひとりとして今思うことは、全体教会の祈り、委託、期待にも応え、東京教会の願いに応じて、与えられた外的条件(敷地、予算、工期など)のもとで精一杯の結果を出しえたということである。教会実務セミナーではこの点を「施主はひとり、それは教会であると心得よ」とまとめた。つまり、施主としての教会の意見をひとつにまとめて、計画に当たれ!ということである。これは教会独特のライフスタイル(言ってみれば一週単位のリズムを持つ)の中で、いろいろな意見を聞き、集め、一つにまとめ、説明を可能なかぎり尽くしていくという作業プロセスが大切だということである。古財、内海両牧師とのチームもさることながら、回を重ねた建築委員会メンバーの協力と意見集約のプロセスがとても大切だったと思う。
 この計画の中心にあったことは、ここで東京教会は何をするか、ということだった。その中心の中心にもちろん礼拝を据えて考え抜いた。教会員を中心に人々が、整えられた礼拝に集められ、みことばによって慰めと力を得、この世界の中へと派遣されていくことを願った。これは計画に当たった者の祈りと願いであったが、これを現実のものにすることは主日毎にここに集う東京教会の牧師たちと信徒の群れに托された。5年の歳月にこの努力が続けられ、ある実りが見られ、整えられた歩みが続けられるとのしるしを得ていると、私は感謝しているし、この地での東京教会の主にある使命と課題に向けて、さらにいつでもこの面で歩みを新たにしていくことだろうと確信している。それにしても、折に触れて内海先生と、「会堂の床をじゅうたん張りから、堅い木材に設計変更して良かったね」と話し合う時がある。完成に近づいたころの予算変更を伴う大きな決断の一つだったからである。
 他の部分はどうだろうか。いつも伺がっているわけではないから、全容にかかわって感想を述べるわけにはいかないのだが、機会を得て使わせていただく側に立って見ていると、概して当初の狙いに適った活用がなされていて、この空間を利用する人に安らぎも満足を与えているのではないだろうか。計画の途中ではかなりの希望も意見も、時には衝突しそうにも見えて、「これではフランス料理でも食べさせてくれるのか」等という発言もあった厨房も、ほぼ計画にかなって用いられているようであって、台所に立つのが嫌いではないひとりとして秘かに満足している。
 この間も「もう5年だねー」、「きれいに使っているねー」と会話しながら、この会堂を心を込めて整えていてくださる方々に思いを寄せた。建築委員会では清掃を含め、光熱費なども考えて、その予算についても検討はしたものの、後はこれまた現場にお任せである。財務から、実務も含めていわゆる裏方の、目に見えないご苦労がたくさんあることが「きれいに使ってるねー」のひとことに集約されてくる感慨なのである。
 旧会堂に代わって5年、この会堂も大久保通りの風景のひとつに定着した。この町にあるこの会堂に托した祈りと決意がみこころにかなって、日毎に「主のみわざとして成るように」と祈り続けたい。それはまた、主はこの群れと会堂に何を托されるかといつも新たにみ声を聴こうとすることでもあるであろう。   (日本ルーテル神学校校長)
聖書アラカルト25 「家に入る」

 家の教会という伝統があります。例えば、パウロが手紙を書いたコリント市の教会は、家の教会だったそうです。現在でも、中国各地、ロシアなどに家の教会という形式が残っています。
 さて、この家というものの象徴的な意味を、意識して使ったのは、福音書の中ではマタイです。マタイはまず、列王記(上22・17)、歴代誌(下18・16)から「イスラエルの家の失われた羊」という特徴のあるフレーズを2回とりだして、イスラエル=家というイメージを準備します。それぞれの引用のすぐ後に、13章(毒麦の譬の解説)17章(神殿税に関するペトロへの問いかけ)から始まる、家に入って教える、という部分が続きます。13章では《群衆を後に残して家にお入りになった》、17章では《家に入ると、イエスの方から言いだされた》と特別の教えが行われた事を強調する言葉が加えられています。
 家を意味するギリシャ語、オイコスは、こうして次第に特別の集まりの行われる場所となり、集会から発達した教会(エクレシア)と並んで、初期キリスト教の大切な空間になっていったのです。  (松田)
カンボジアレポート 4  鎌 田 頼 子

 みなさんお元気ですか?わたしは元気にしています。語学研修のほうも苦しみつつ頑張っています。最近は短い文章を読んだりしています。話す方もまだまだなのですが。
*近所で起きた火事
 5月27日金曜日、私の家からバイクで5分くらい走ったところ、トンレサップ川沿いのチャムカーモーン地区の中心で火事が起こりました。私はその時風邪をひいていて、ベッドに横になっていました。
 翌日、私の友達のMartijnが家にお見舞いに来てくれました。その時に彼から聞いた話によると、私の家のすぐ近くで起きた火事の場所には、沢山の人々が住んでいたそうで、彼らの家のほとんどが焼けてしまったそうです。すごく狭い通りに、木や瓦礫で作られた粗末な家がひしめき合っていたため、火のまわりが早く、手のつけようがなかったとのことです。彼は実際に自分の所属しているNGOの人たちと現場に向かったそうですが、火事現場をみていたほかのカンボジア人の中では、「あそこが火事になって、よかった。あの人たち嫌いだったから。」と、言っている人たちもいたそうです。そのなかには、ベトナム人のコミュニティがあったり、売春をしている人たち、町で果物を売り歩く人々、またはバイクタクシーで生計を立てている人たちが住んでいました。Martijnは、エイズ予防のためのプロジェクトに関わっていて、とりわけカンボジアにいるベトナム人に心をかけていた人なので、とても心を痛めていました。
 翌週から、数日間にわたりその事件はカンボジアの新聞で大きく採りあげられました。火事の原因は、結局はっきりとしたことが何もわからないままです。ある人は、夫婦喧嘩のあげくに夫が火をつけたところを見たというし、美容院か、バイク屋さんから火が出たと所を見たという人もいます。そしてもうひとつの噂は、カンボジアの政府が誰かに頼んで火をつけたというものです。
 その居住地帯は、不法居住地区で、しかも前々から公園が建設される予定でした。しかし、そこに住む人たちは、移動するあてもなく住みつづけていたそうです。
 政府関係者は、事件に関する政府との関係を否定していました。
 火事の時に、もちろん消防車が駆けつけたのですが、あまりうまく機能していなかったことも、新聞に採りあげられていました。人込みが激しくて、車が動かせなかった、とか、ある人の「お金を(消防隊に)払わなかったから、自分の家を消火してもらえなかった」という証言も書かれていました。そして、消防関係者からのコメントでは「今までの経験からいうと(カンボジアでは)普通、まだ火のついていない所に水をまくものだ。」とありました。しかしまさに、ここではお金を払わないと、消防車は出動しないという話は、他でも聞いたことがあります。
 この火事で、547世帯の家が焼け、約2700の人々が家を失ったとのことです。  (略)
 私にとって、この火事は衝撃的な出来事でした。思ったことのひとつは、私の知らない間に私の身近で大きな事件が起こったこと。いつもいつも休んでいるわけにはいかない。目を覚ましていないといけないと思わされたのでした。そしてもうひとつ思わされたことは、かといって自分は何もできないただ1人の小さな人間なのだということです。私の心の中に、政府を強く疑う気持ちが出てきて、たとえ個人的に一生懸命働いたとしても、何なんだろう、この国は、どうしてこんなに乱れているのだろうか。悪い出来事も、良い出来事も結局は国の問題に尽きるのではないか。何をどうしたら少しでも良くなるだろうか。何も変わらないのではないかという虚しく、悲しい思いにさせられたのです。
これからもこの思いは心のどこかに残りつづけるものなのかもしれません。

 みなさんもお元気でお過ごしください。それではまた。  Chomliap-lia!
  
「求道者会」(洗礼準備会)に出席しませんか。
 
 教会は初めて教会の門を叩かれる方々のために、また洗礼を希望される方のために日曜日の午前10時と午後6時に求道者会を行っています。質問歓迎です。どんなことでも遠慮なくお聞き下さい。また洗礼を希望される方で上記の時間に出席できない方は牧師までお申し出下さい。時間を設定します。
  *献堂五周年を迎えて 会員より
  *神さまの家族が増えました! 〜新しい受洗者をお迎えして〜
  *第8回東教区宣教フォーラムのご案内
  *イタリアの旅 〜東京教会を想う〜        武田 久美子


きずな 第356号2001年5月27日発行 より 
  聖霊によって新しく生きよう!                 内 海   望
 夜、ひそかに訪ねて来たニコデモに「人は新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」また、「水と霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない」とイエスさまはおっしゃいました。ニコデモは最高法院の議員であり、この世においては十分な地位と富みを得ていました。しかし、それでも「もう一度新しく生きたい」という切実な願いを持っていました。これは人間共通の祈りではないでしょうか。どんなに一所懸命に生きていたとしても、私たちの心には悔恨の情があります。「しまった」と思う心があります。それでも何時の間にか年を重ねてしまうのです。そして、新しく出発するのを諦めてしまうのです。悲しい人生の現実です。
 ニコデモもそうでした。彼は既に老境に達していたかもしれません。今更と思う心が夜の訪問になったのでしょう。
 ところが、イエスさまは「まだ時はある」とおっしゃっているのです。聖霊によって新しく生まれることが出来る、と断言されるのです。何と素晴らしいことでしょうか。
 あのシメオンのことを考えてください。彼は宮の階段を喘ぎながら登る年齢でした。しかし、「主よ、今こそあなたは、お言葉通りこの僕を安らかに去らせてくださいます。私はこの目であなたの救いを見ました」と喜びに満ち溢れて歌いました。聖霊は、このように老境に達した者をも新しくし、生き生きとした日々を与えて下さるのです。
 まして、これから人生の只中に歩み入ろうとする若い人々に聖霊が生きて働く時、それは世界を揺り動かす大きな力となることは当然です。どうして日々新たに生まれずにおられましょうか。聖霊降臨日(ペンテコステ)は老いも若きも共に新しい命を与えられる時です。心を一つに、声を一つにして「聖霊よ、来てください。私たちを新しくして下さい」と歌おうではありませんか。新しく生まれた者として、新しく歩み始めようではありませんか。確かな足取りで、一回限りの人生を。
聖霊って? 少し考えてみます。                       松 田 繁 雄
 父なる神、子なるキリストと並んで、三位一体の神、聖霊。理解しているつもりだけれど、目に見えないものだけに、人に説明できるほどには良く分かっていない。だいたい、わたしたちに聖霊が何をしてくれるのだろう、と考えることがあります。ペンテコステ(聖霊降臨日)も近づいてきました。この辺りで、聖霊について、いろいろと考えてみる機会を持つのも、良いことかもしれません。
 《突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、・・・中略・・・ 炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった》使徒言行録2章(2〜3節)のペンテコステの出来事の記述です。この印象が強いからでしょうか、聖霊体験、と言われると、なにか特別な出来事がなければ、とつい考えてしまいます。何を「特別な体験」と呼ぶのか、ということも、主観的な判断であるだけに決めがたいのですが、例えばパウロがダマスコで体験した事、だとか、シュトッテルンハイムでのルターの体験、12世紀の女性預言者ヒルデガルドの受けた啓示等のような、劇的な何かを期待してしまうのです。そして、そのような体験に恵まれない大部分のわたし達は、聖霊体験がない=聖霊に満たされたという実感を持てない=聖霊の事がよくわからないと、なっていくのです。
 ところで、この聖霊について、ヨハネ福音書14章には、《弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる》(26節)と書かれています。まず第一に、聖霊はわたしたちの「弁護者」です。罪の存在であるわたし達を、神様の前にとりなしてくれる存在、それが弁護者でしょう。と同時に、聖霊は、「教え」「思い起こさせてくれる」、つまり、わたし達の理性に働きかけ、分からないと悩むわたし達の力になり、《信じない者ではなく、信じる者になりなさい》と導いてくれるのです。
 罪という言葉は、ハマルティアというギリシャ語で、的をはずすことを意味するそうです。ちょっとした狙いのそれ、たとえば10度くらいの違いでも、距離が開けば、大きな場所的な誤差を生むことになります。自己弁護という事は、その現れた結果、間違いにただうろたえてしまい、誤魔化そうとしたり、自分を守ろうとして鎧の中に閉じこもったりすることです。この状態になってしまった者に、いくら「あなたは罪人だから、悔改めるべし」と言ってみても、聞く耳を持たないでしょう。聖霊の、「教え」「思い起こさせる」働きは、このようにかたくなになってしまった心に染み込み、もみほぐし、もう一度柔軟な心を取り戻して、自分の的外れに自ずから気付かせる、そして信仰へと導いてくれる、そういう力として働いてくれるものなのではないでしょうか。
 さて、この聖霊の「霊」という言葉は、「息」「風」という意味も持ちます。聖霊による新しい命について質問したニコデモに、イエス様は《風は思いのままに吹く/あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない》(ヨハネ福音書3章8節)と答えられます。この《思いのままに吹く》風は、《水の面を動いていた》神の霊(創世記1章2節)を連想させます。また神がアダムの鼻に吹き入れられた《命の息》(2章7節)をも連想させます。三つの福音書に現れる、12年間《出血の止まらない女》がイエス様の衣に触れた時、イエス様は《自分の内から力が出て行ったことに気づい》たと書かれています。(マルコ福音書5章30節)この力も聖霊の働きとかかわりがあるようです。わたし達にはわからない神の法則によって働く力、しかしそれは同時に命の法則に沿ったものでもある、わからないなりに、聖霊というものを受け止める、わたし達なりに心の準備をしていけるような気がして来ました。
 この衣に触れて癒された女性に向かって、イエス様は、《あなたの信仰があなたを救った》と語りかけられます。そうか、信仰なのか、と思うと同時に、触れる事がなかったなら癒される事もなかっただろう、という現実にも気付きます。確かに命の霊はイエス様からこの女性に流れて行ったのです。そして、その霊が彼女の心の中に、信じる力、つまり信仰を生み出し、その信仰が彼女を救ったのです。
 一方で、苦しがっている亀の甲羅を外したところ、中からゴキブリがたくさん出てきた、という話があります。わたし達の自己防衛本能も、下手をすると、この亀の甲羅のような働きをします。そして気がついたときには、表面きれいに整っていても、内面はグチャグチャということもあるのです。聖霊は、わたし達の内面から働きかけてくださる神の力、と考えたらどうでしょうか。そういう神さまの働きは必ずあるはずだし、なければ困るわけですが、父なる神にしても子なるキリストにしても、私たちの外から恵みを与えてくださる、絶対他者としての側面が強いのです。そこで、聖霊なのです。そして、その存在をわたし達みんなに知らしめるために、聖霊降臨という一大イベントが行われた、そう考える時、これもみんなわたし達が信ずる者になるために、神が用意してくださった福音なのだ、と改めて実感できるのです。
聖書アラカルト24   「シ カ」

 この頃は違うようですが、昔は修学旅行というと、必ず京都・奈良に行きました。その奈良で、印象に残った事が、鹿に鹿センベイをあげたこと、だったりしたものです。鹿は見た目も優美で、万人に愛される動物です。聖書の世界でも、《恋しい人はかもしかのよう/若い雄鹿のようです》(雅歌2章9)という表現があります。鹿はまたその足の速さで印象的で、《わたしの足を鹿のように速くし》(サム下22章34、詩18篇34)、《山を駆ける鹿のように速く走った》(歴代上12章9)、《歩けなかった人が鹿のように躍り上がる》(イザヤ35章6)のような箇所も散見されます。
 その肉が、特に清浄な食べ物とみなされていた事は、申命記12章の《かもしかや雄鹿を食べる場合のように》(15節、22節)と言われていることから知ることができます。エレミヤ書の《青草がないので/野の雌鹿は子を産んでも捨てる》(14章5)詩篇の《涸れた谷に鹿が水を求めるように/神よ、わたしの魂はあなたを求める》(42篇2)もまた、鹿だからこそ旱魃(カンバツ)のすさまじさが伝わったり、求める熱心さが絵として伝わったりするのではないでしょうか。
パイプオルガンニュースG   パイプオルガン練習中!

 この3月より、我々オルガン担当者は来年のパイプオルガン設置に向けて、「パイプオルガン」を習い始めています。先生は、飯田橋にある東京ルーテルセンタ−教会のオルガニストでもあり、ルーテル学院大学他の学校でもオルガンを教えていらっしゃる深井李々子さんです。毎月1回、3人程度のグループ単位で飯田橋の東京ルーテルセンター教会に行って、教えて頂いています。それぞれに、ピアノを習った経験があったり、教会でのオルガン担当が長かったりなので、少し教えてもらえば弾けるようになるかと思いましたが、なかなかそうは行かないのが現実です。
 パイプオルガンはその名の通り、大量の空気をパイプの中に送り込んで、管楽器と同じ仕組みで音が出るのに対して、ピアノは弦楽器に近い楽器であり、電子オルガンは電気的に音を作りだしている楽器なので、まず「弾き方」というか「指のタッチの仕方」が全く違い、その所から体得し直さなければなりません。とは言っても、皆の家にパイプオルガンがある訳でもなく、それぞれ都合をつけて教会で練習したり、家のピアノで練習したりして、毎月のレッスンに臨んでおり、なかなか「パイプオルガン」の弾き方というものに慣れず、毎度同じような注意を先生から受けている状況です。なんとか来年のオルガン設置までには、パイプオルガンを「パイプオルガンらしく」弾けるように、がんばって練習を続けて行きたいと思っています。        (坂口 記)
カンボジアレポート 3  鎌 田 頼 子

 今年の1月31日にカンボジアに着いてから、私はひそかに21世紀の始まりにここに来れたことを嬉しく思いました。
 ジャンプしてしまいそうな凸凹の激しい車道をバイクに乗りながらくねくねと走る人々、道路の横に30分で建てることが出来るような家に住んでいる家族たち。レストランで食事をしていると必ずやってくる靴磨きの少年と花を売る子どもたち…。それは、私が何年か前、日本で想像していた21世紀の光景とは全く異なるものでした。でもここカンボジアも21世紀。みんなみんなそれぞれ違うものを目指しているのかもしれないけれど、何か新しいものを目指して前に進もうとしているのです。
 私がここカンボジアで何が出来るか確かではないのですが、私は新しい場所に来て、ひそかにほんのりと嬉しい気持ちになったのでした。
※クメール正月―スワイリエンで
 クメール正月は、一生さんの家族の家に遊びに行くことになりました。一生さんとは、以前JLMMカンボジアで働いていた先輩ですが、今もカンボジアで仕事をしています。一生さんの奥さんであるチンダさんの実家でお祝いのパーティーがあるので、私は一生さんの家族とカンボジアのお正月を過ごすことになりました。スワイリエンは、プノンペンから車で4時間ぐらいのところです。
 家に着くと、とてもおいしいご馳走でもてなしてくれました。お祝いのパーティーもたくさんのお酒と料理、カンボジアのダンスで賑わいました。カンボジアの人々は踊ることが大好きで、何かのお祝いの時には必ず音楽に合わせて、みんなで輪になって踊ります。私はあまり踊ることが得意ではないのですが、だからといってここで自分だけ踊らないわけにはいきません。手首や腕をくねくねとひねりながら、踊りました。おかげでとてもにぎやかなお正月でした。
 翌日おばあさんの家にご飯を食べに行った時、激しい雷雨に見舞われました。おばあさんの家はチンダさんの家から少し離れた村にあるのですが、道もあまりよくないので、私たちはおばあさんの家にそのまま泊まることになりました。計らずもトイレも浴室もないシンプルな村の生活を体験できることになりました。板の床に、みんなで雑魚寝しました。思えば、カンボジアの村人のように、床にそのまま寝るのは生れてはじめてのことでした。腰や背中が痛くなったけど、楽しかったです。
 その後は、一生さんの実験農場にでかけました。スワイリエンの土地は作物の育ちにくい所なのですが、ここでは試験的に作物を育てて、成功したら、村人にその方法を伝えていくことを目指している所です。初めは、作物がなかなか育たなくて苦労したそうです。最近は少しずつ土もよくなってきて、植えた木もだいぶ大きくなったそうです。
 カンボジアに一生さんのような知り合いがいて、本当によかったなと感じます。彼の大きな夢を見せてもらったような気がして、私は感動しました。本当にありがとう!これからも、多くのカンボジアの人、カンボジアでがんばっている人に出会い続けていくことを願っています。
※近所の女の子とクメール語
 正月休みが終わってから、近所の女の子モン(彼女は日本語を習いたい!)とクメール語を勉強し始めました。毎日1時間30分は日本語の勉強、30分はクメール語の勉強をする約束で、話は成立しました。
 モンは大家さんの娘さんで、16歳の高校生です。彼女は私のかわいらしくて、素敵な先生になりました。モンは私に親切で、何回も繰り返し難しい発音を教えてくれます。時々「とてもよいね」と褒めてくれたり、何回発音してもできない私のことをころころ笑い飛ばしてくれたりもします。彼女の日本語も初級クラスです。私も実は日本語を教えることは初めてです。しかもクメール語に訳すことも必要なので、時々大変です。でもいい勉強になります。
 みなさんもお元気でお過ごしください。私も私らしく頑張ろうと思います。 Ri-haoy!
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ルーテル学院大学・神学校後援会の報告       教会世話人 中井 憲孝

 本年4月より、篠田兄の後を受けて、ルーテル学院大学・神学校後援会の教会世話人をさせていただくことになりました。私自身のこれまでの学院大学・神学校との関わりは「一日神学校」に数回出席したということ位ですから何も分かりません。いずれにしましても学院大学・神学校と教会とのパイプ役として微力を尽くしたいと考えておりますので、よろしくご指導・お支えをお願い致します。
 さて早速、5月12日(土)午後、学院大学において後援会の拡大全国世話人代表会等が開催され、出席して参りましたので、概要を報告致します。
1.全国世話人代表会
 学院大学・神学校側から石原理事長、清重学長、徳善校長等諸先生及び事務局の方々、後援会側より豊田会長、各地区世話人代表、首都圏教会世話人等全体で約50名の出席者により、会が開催されました。その概要は以下のとおりです。
●2000年度会長報告
豊田後援会長より2000年度の主な活動報告がなされました。また今春、神学校に7名の新入生(編入含め)を迎え大変心強いとの言葉がありました。
●学事報告
・「大学」に関して清重学長より一通りの報告後、特に後援会からの献金による支援に対し大きな感謝の言葉がありました。
・今春新設の「大学院」に関して前田研究科長より以下の報告がなされました。
後援会の絶大な支援のお陰で当初の予定通り2001年4月から開設できた。定員10名に延べ58名の応募があり、最終的に18名の院生を迎えることが出来た。院生の特徴は女性15名、社会人11名、留学生1名、本学卒業生7名で、年齢構成は50代2名、40代3名、30代8名、20代5名。
・「神学校」に関して徳善校長より、以下の報告がなされました。
 2001年度新入、編入神学生は1年次6名、3年次1名。在籍神学生は第一学年6名、
 第二学年1名、第三学年6名、第四学年3名。
 引き続いて、徳善校長から資料「牧師減の傾向について」に基づき、2001年度の邦人牧師を日福ルーテルを108人、ルーテル教団を30人として、毎年の定年牧師数と神学校卒業予想数(毎年卒業平均者数を日福は2.5人、教団は0.5人と仮定)の差を試算すると、2006年度には日福は9人の牧師不足、教団は4人の牧師不足、2011年度は同様に△11人と△7人、2016年度は△12人と△8人の状況になるとの説明がなされた。
 徳善校長はこの牧師不足数をなくすために、各教会からぜひ献身者を一人でも多く送ってほしいと力説された。
●各地区報告―各地区世話人からの2000年度の活動報告と2001年度の活動計画提案等。
●2000年度決算報告―兼子事務長より2000年度の後援会からの献金収入が27,921,218円(目標額2500万円)であった旨の報告。
●2001年度後援会献金目標額提案―豊田会長より2001年度の目標額を2500万円としたいとの提案がなされ了承。
※最後に石原理事長の「後援会の支援なくして大学の存立はなく、引き続きご支援をお願いしたい」との挨拶で全国世話人代表会を終了しました。

2.キャンパス・ツアー
 全国世話人代表会の後、兼子事務長の案内で新しく増築なった図書館、大学院生用の自習室、研究室等を見て回りました。後援会の献金等により施設が充実されて行くのを直接目の当りにし、嬉しく心強く思いました。
3.大学院開設記念礼拝
 平岡チャプレンの司式により、教会・学校・後援会関係者の出席のもと、大学院開設記念礼拝がチャペルにて執り行われまた。さらに阿部志郎先生(横須賀基督教社会館長)による説教が行われました。阿部先生はルカによる福音書(10章25〜37節)を基に、サマリア人が瀕死の傷を受けた者を手厚く世話をする話を引用し、「キリスト教社会福祉のあり方」について力強いメッセージを語られました。
記念礼拝の後、ブラウンホール2階で感謝会が開催され、院生も交え共に大学院開設お祝いしこの日の行事を総べて終了しました。
 最後に、ルーテル学院大学・神学校が教会全体の成長の為に欠く事の出来ない役割を果たしていること、また大学・神学校を支える為に信徒一人一人の支えが不可欠であることに思いを致し、後援会がその橋渡しを十分に機能して行くことを願って報告を終わります。

母の日にCSのみなさんにおたずねしました。
「母、加藤八州栄と周囲の人々」   加藤百合子
「大いに学び信仰を深めよう!」    渡 邊 繁
きずな句会

きずな 第355号2001年4月29日 発行より

 信仰による確かさを求めて             内 海   望
 私たちは多くの受洗者、転入者また初陪餐のこどもと共に主イエス・キリストの復活を喜び祝いました。素晴らしい時でした。
 私たちが礼拝において、心を一つにし、声を合わせて「戦い終わりて、主は勝ちたまえり」(讃美歌89)と讃美した時、そこには確かに死と罪の力に対する勝利のしるしを見ることが出来ました。
 イエスさまから全世界に遣わされた弟子たちは、不安の中に旅立ったのですが、彼らは「喜んで帰って来て、『主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します』」とイエスさまに報告しました(ルカ10章17節)。私たちは弟子たちと同じ喜びを経験しているのです。
 今、日本の社会は、すべてが思惑通り運ばず、人々は右往左往しています。確かだと思っていた仕組みが壊れて行く時代です。知識も、経験も役に立たないことを知った時、人間は不安と恐れに包まれます。
 宗教改革時代に聖餐式は「確かさのしるし」と呼ばれたそうです。確かにキリストは今も生きて私たちと共にいて下さるというしるしです。この確かさを信じ、思いきって自分のすべてを復活の主に委ねましょう。その時、決して動揺しない確かさを得ることができます。
 弟子たちに顕現されたイエス様 −その場所はガリラヤ、それともエルサレム−   松 田 繁 雄
 イースターも過ぎ、ペンテコステへと向かう、復活節、春という季節感も相俟って、いのちの希望を実感できる時でもあります。
 先月に続き、この欄では、聖書から見たイースターの出来事を見ていきますが、今回は、復活の主イエスの顕現について、マタイ福音書とルカ福音書の違いを中心に考えていきます。
 マタイによれば、主イエスの墓を見に行ったマグダラのマリアと「もう一人のマリア」が、墓が空になっていたことなどを、弟子たちのところへ報告に帰る途中、この二人の女性の目の前に突然「おはよう」といって現れます。これが、マタイによる、イエスの最初の顕現です。しかし、ルカでは、最初の顕現は、同じ日に、エマオに向かって歩いていた二人の弟子たちに起こります。この二人は女たちの報告はすでに知っていますが、彼女たちへの主イエス顕現については知りません。また「ガリラヤに行け」という命令も知りません。ルカの記録では主イエスはマリアたちに顕現しないからです。これがマタイとルカのイエス顕現に関する記録の第一の違いです。
 もっと大きな違いもあります。マタイでもルカでも、イエス様は、弟子たちに現れるのですが、マタイによれば、イエス様は、《ガリラヤへ行くように》(28・10)と命令され、弟子たちは命令通りガリラヤの《イエスが指示しておかれた山》(28・16)に行って、イエスに出会います。ところが、ルカの記録によると、エルサレム郊外のエマオに行く途上でイエス様に出会った二人の弟子は、《時を移さず出発して、エルサレムに戻って》(24・33)きます。すると、エルサレムでは他の弟子たちがペトロ(シモン)にもイエスが現れたと語っており、また二人もエマオでの経験を彼らに話しますが、《こういうことを話している》うちに、イエス様が、(エルサレムにいる)彼らのところに顕現されるのです。しかも、「ガリラヤに行け」と命ぜられたマタイ福音書の記録とは異なり、主イエスは《都にとどまっていなさい》(24・49)と言って、弟子たちにエルサレムにとどまることを命じるのです。
 世界宣教の命令も、マタイではガリラヤの山の上で行われ、《わたしは世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる》(28・20)と弟子たちに約束します。ところが、ルカによると、主イエスは、エルサレムにいる弟子たちに、世界宣教を命じ、《そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き》、彼らを祝福し、《祝福しながら彼らを離れ、天に上げられ》る、つまり昇天されるのです(24・50)。
 パウロが書いたコリントの信徒への手紙一、15章によれば、《ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。・・・中略・・・次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、・・・》(5〜7節)ということですから、マグダラのマリア(ヨハネ福音書20章にも傍証があります)に現れたという事実を除けば、ペトロに、まず最初に顕現され、その場所も、エルサレム周辺だったと考えられます。ヨハネ福音書20章と21章の比較からも、エルサレム周辺の顕現伝承がより古いものと考えて良いのです。では、なぜガリラヤでの顕現伝承が大きく語られることになったのでしょう。その背景には、最初の福音書、マルコの中にある、《あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる》(16・7)という若者(天使)の言葉があります。この言葉は、マタイ福音書の中でも、《あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる》(28・7)と受け継がれ、恐ろしさに負けて何も語られなかったマルコの場合と異なり、主イエスご自身に力づけられてこの旨を弟子たちに語り、その結果、弟子たちがガリラヤに向かうことになるのです。これらの違いの意味を考えていくと、またさまざまな発見が生まれるのですが、今回はここまでにして置きます。
聖書アラカルト23   「ゆ り」

 旧約聖書の『雅歌』の中に、ゆりについて書かれている箇所が、八箇所あります。現代ヘブライ語との関連や、《唇はゆりの花》(五・一七)という表現から、この花は鮮やかな紅色をしたバラだったのではないか、という説もあります。実はわたしは長い間、イエス様の語られた《働きもせず、紡ぎもしない》野の花を、ゆりだと思っていました。(実際、英語訳では、Lilies of the field です)しかし、どうやらこの花こそ、紅色のバラのようです。
 さて、ゆりは新約聖書では、一回も出てきませんが、イースターと永遠の生命を象徴するシンボルとしてよく用いられます。球根が土の中で朽ちる、そこから新しい生命が解き放たれる、という説明を読んだことがあります。ヨハネ福音書の《一粒の麦》と共通する考え方でもありますね。
 イースターは、早い時代に春分の祭りと組み合わされて守られてきました。ヨーロッパの長い不毛の冬、そして春分の頃、いっせいに燃え出す緑、新しい命、永遠の命というテーマを語る上で、絶好の舞台装置だったのでしょう。ゆりの花もその中で命を表現していくものなのです。
 「男の名前は…」     日本ルーテル神学校 三年 水原 一郎
1)回 顧
 男は怒っていた。2人の同僚が待ち合わせ場所にいない事も、テサロニケの街で仲間がひどい目にあった事も、男が今感じている怒りに比べれば、小さいものだった。男は今、ギリシャの一都市、アテネに滞在中であった。アテネの街には、いたる所にギリシャの神々の像が据えてあった。そしてアテネの人々はその神々の像を拝んでいた。その事を男は怒っているのだった。
 男はあたりを見回した。それは男は2人の同僚の姿を求めていたからであった。絶望的な事は、2人の同僚の姿は見えず、残念ながら学者風の男と目が合ってしまった事だった。仕方なしに、男は少しは物分りの良さそうな学者に、自分の信仰を説明した。しかし学者には男が言いたい事の半分も伝わらなかった。男は「おしゃべり」と呼ばれ、あざけりを受ける事になってしまった。更に学者たちは、男を「アレオパゴス」と呼ばれる丘に連れて行こうとしていた。恐らくアテネ中の人々が集まって、自分が語る信仰を笑い飛ばすつもりなのだろう、と男は思った。
 男は「アレオパゴス」に到着すると同時に愕然とした。「アレオパゴス」は、アテネの中心地から、アテネの守護神であるアテナを祀った「パルテノン神殿」への参道の、ちょうど中心地点にあたった。目を上げればパルテノン神殿。目の前にはパルテノン神殿にお参りに行くギリシャ人たちの群れ。眼下にはギリシャの神々を祀った神殿の数々。眼下の風景には、アテネの人々が「アゴラ」と呼んでいる、学者たちの集会場も見える。右手には「ヘロデ劇場」、左手には「ディオニシウス劇場」も見える。劇場ではギリシャの神々の浮き心を面白おかしく描いた劇が上演されているようだ。そして眼前にはギリシャの学者たち…。文字通り4方をギリシャの宗教、文化、人々に囲まれて、男は「アレオパゴス」で往生していた。
 男はもう一度あたりを見回した。待ち合わせていたはずの2人の同僚である、シラスとテモテはまだ来ない。男は次々と過去の事を思い出していった。べレアの街の人々は無事だろうか? テサロニケでひどい目に遭わされたヤソンは安全だろうか? エフェソの信徒は迫害されていないだろうか…。突然心の中に、男の生き方を変えた「お方」と、そのことに結びついた出来事が思い起こされた。その人は、一生涯誰からの愛も受けることなく、しかし一生涯人々を愛し続けたのだった。その人は、「迫害する者」と呼ばれていた男に、新しい生き方を示したのだった。その人は、病み荒んでいた男を、癒したのだった。その人は、男に、ことばと行いによって世の人々を励まし、力づける役目を与えてくれたのだった。その人は…いつであっても、いかなる場所においても、男に「共にいる」と約束されたのだった。
 男は、たとえ2人の同僚が来なくても、たとえ四方からギリシャの神々が押し寄せてこようとも、もはや孤独ではなかった。男を支え、さらに今から語ろうとしている「お方」、それは死から復活した「お方」イエス・キリストが共にいるからであった。男は口を開き、語り始めた。男の名前は、使徒パウロであった…(以下、使徒言行録17章22節に続く)。

2)回 想
 3月15日から2週間ほど、ギリシャに行ってきました。ギリシャの首都アテネには3日ほど滞在し、使徒パウロの足跡をたどってきました。パウロがギリシャの学者たちによって連行された「アレオパゴス」の岩山にも上り、パウロと同じ視線を味わってきました。当時のパウロをして憤慨せしめたギリシャの神々の像や、「パルテノン神殿」、「ヘロデ劇場」などは、今は観光客の集まる遺跡として、在りし日の面影すら残していません。そして当時のパウロの苦闘と尽力によって広まったキリスト教の教会は、今もなお「ギリシャ正教会」の人々が集い、礼拝を行う場所となっています。当時パウロは、アレオパゴスの丘から、ギリシャの神々を祀る神殿しか見ることができませんでした。今私達は、アレオパゴスの丘から、ギリシャの神々を祀っていた神殿の残り香と、ドーム屋根を持つキリスト教会(ギリシャ正教会)の生きた香りを味わえます。

3)回 心
 キリスト教の源流を求めて歩いたトルコ、ギリシャの次は、イスラエルに渡りたいと思っています。しかし…平和の鳩はいつ、憎しみと悲しみしか見えないイスラエルとパレスチナの上を、更には、いつこの社会の上を飛び交うのでしょうか?
カンボジアレポート 2  鎌田 頼子

 カンボジアに来てからはや2ヶ月が経ちました。3月は2月よりも、4月は3月よりも暑くなります。このような気候の中で暮らすのは初めてなので、少しずつ暑くなるたびに、少しずつ身体もびっくりしている状況です。
 クメール正月が近づいてきました。川沿いに集まる人々も心なしかいつもと違う様子です。人々は正月を迎えるために、家の掃除をしたり、田舎に帰る準備をしているようです。子どもたちの学校も休暇に入って、広場で昼も夜も「アンクン」というクメール正月に遊ぶゲームに興じています。
 私たちの事務所も4月13日から17日まで、お休みします。まだカンボジアに十分慣れ親しんでいない外国人の私は、お正月気分に浸るわけにもいかず、これだけ長い休みに何をすればよいかと考えています。しかし私にとってはじめて迎えるカンボジアの正月はどんなものになるのでしょうか?楽しみです。
*引越しあれこれ
「私たちは荷物も少ないから、引越しなんてあっという間よ。」といいながら、荷物を箱にしまい始めると、普段は全く見ることのないようなものがどこからともなく出てくるではありませんか。今度引っ越すところは、収納スペースが少ないところなので、私は途端に不安になりました。四方物に囲まれて過ごすのかと想像したら、怖くなり、不要と思えるものは思い切って処分することにしました。しかしながら、ローカルスタッフがそれを見ると、「これは修理したら、まだ使えるんだから。」と、大事そうに抱えていくのでした。プノンペンには、日本にはないような、修理屋がたくさんあるようです。そうして、不要となって捨てられたものも、どこかで拾われて、修理され市場で売られていたりするのです。これはすごいことだと思います。日本では、修理しようとしても、「新しいものを買うほうが、修理するよりも安いです。」といわれるのが関の山。私も早く言葉ができるようになって、そんなお店のおじさんと知り合いになってみたいものです。
 JLMMのミッショナリーがカンボジアに入ってから、約9年になりますが、年毎に書類が増えてきているようです。その多くは頻繁に使うものではないので、どのように収納するか考えることが、現在の大きな悩みです。棚町さんと「そのうち倉庫にする部屋が必要になるかもね。」などと話しています。
 今度のオフィスは、私たちの住居とゲストルームも兼ね備えた一軒の家です。2階が棚町さんと私の住居になっています。少し古い家ですが、こじんまりしていてかわいらしい家です。狭いですが、ゲストが泊まれる部屋も準備しています。カンボジアにお越しの際は、ぜひお立ち寄りください。
*ステンミエンチャイで行われたきぐるみショー
 3月24日の午前、ステンミエンチャイのゴミ捨て場に日本のサークル団体「Kigurumi Friendship for Children(KFC)」がきぐるみと共に、はるばる日本からやってきました。私たちは、そのお世話役として、彼らと関わることができました。
 事前に棚町さんとサッチャーが宣伝しておいたおかげで、私たちはショーが始まる2時間前に現地に着いたのに、すでに子どもたちは群がって、その催し物を待っているではありませんか。リャッサーとサッチャーは、きぐるみの皆さんが到着するまでの間、子どもたちをまとめて、リラックスしてもらえるような準備体操や遊びをしてくれました。 KFCの皆さんは、きぐるみと共に、カンボジアで上演するために、あちこち回っているそうです。この暑いカンボジアで、きぐるみを着て動き回るのは大変なことだと思いました。でもまた来てくれるといいな、と思っています。
 イースターも近づいています。今年の私のイースターは、カンボジアでカンボジアの正月を祝いつつ、主の復活を喜ぶ時となりそうです
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☆カトリック信徒宣教者会ご支援を! 郵便振替番号 00170-1-178114 加入者名 カトリック信徒宣教者会
伝道集会のお知らせ

 今年は新しい人、特に学生を対象に考えています。
 詳細は決定次第ご報告しますが、先ず講師と主題、日程が決まりましたのでお知らせ 致します。
  日 程 9月30日(日)      
  主 題 「生命倫理をめぐって」
  講 師 村上陽一郎先生   


 村上陽一郎先生は、国際基督教大学教授、カトリック吉祥寺教会会員、科学史、科学哲学専攻。
 東大工学部教授、東大先端科学技術研究センター長を経て現職。
 人間のこころに寄り添いながら、科学の営みを支える思想の歴史を記述されて来た方です。
 最近10年余りは「生と死」「生命倫理」に関する関心を深め著作も出しておられます。

  お奨めしたい書物。
   1「生と死への眼差し」2001年 青土社
         〜院内感染、臓器移植、尊厳死など〜
   2「科学の現在を問う」2000年 講談社現代新書 
   3「奇跡を考える」  1996年 叢書「現代の宗教」岩波書店 
      3冊とも牧師室にあります。
○イースターの喜びを分かち合いましょう!  今年のイースターは4名の受洗者が与えられました。
○出会いを通して  小泉 基
○役員会だより
○教会学校だより
○あの方、この方


きずな 第354号2001年3月25日 発行より

 復活の希望に生きる                            内海 望
 使徒パウロは声を大きくして問いかけます。「あなたがたは知らないのですか。キリストに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、まさにその死にあずかるために洗礼をうけたことを」(ローマ六章三節)と。

 これはどういう意味でしょうか。パウロは私たちにはっきりと「洗礼は古い私が死ぬことだ」と言っているのです。「皆」という言葉に注意して下さい。「一人残らず死ぬべきだ」と言っているのです。神さまの審判を逃れ得る者は一人もいないのです。

 私たちは、いろいろ言い訳を述べたてて「死すべき罪人である私」を認めようとしません。それどころか、「どうせ罪人だから仕方がない」と言って現状維持に留まろうとします。「仕方がない」という言葉は自分の限界を語る殊勝な態度に見えて、実は開き直りなのです。しかし、神さまは、私たちの罪を決して見過ごしにはされません。どんな言い訳も通用しません。神さまの前では、自分のありのままの姿が明らかになるのです。隠れる場所はありません。
 ところが、パウロは更に続けます。「(私たちが死ぬのは)キリストが死者の中から復活させられたように、私たちも新しい命に生きるためなのです」と。

 なんと素晴らしい言葉でしょう。私たちはキリストと共に復活することが出来るのです!「復活の希望」、それは「罪の私が死ぬ」ことによってのみ与えられるものです。ぐずぐずと言い訳と、弁解に生きるのでなく、大胆に罪を告白し、もっと大胆に復活の恵みを信じましょう。そのとき、私たちはあの復活の望み、新しい命のみずみずしい息吹きを経験することが出来ます。死んでよみがえる喜びを。

 復活を目撃した女性たち ー四つの福音書の物語を比べてー          松 田 繁 雄
 2月28日から四旬節に入りました。主イエスの十字架の死の意味を深く考える期節です。と同時に、この時期は4月15日のイースターに向けて、いのちの希望を覚えていくときでもあるのです。この欄では、今回と次回の2回に分けて、聖書から見たイースターの出来事を見ていきたいと思います。今回は、墓に詣でた女性たちのことを考えます。

 ヨハネの福音書の記録は、イエスの墓を最初に見に行った女性は、マグダラのマリアであった、と記録しています。そして、墓に行くと(入り口を塞いであった)石が取りのけてあるのを見て、彼女はすぐイエスの弟子であったペテロと(イエスが愛しておられたもう一人の弟子)ヨハネのところへ報告に走ります。
 ところが、マルコの福音書では、イエスの墓を最初に見に行った女性は、マグダラのマリアだけでなく、ヤコブの母マリアとサロメという三人連れです。彼女たちは、石が取りのけてあるのを見ると、中に入って行くのです。そして、墓の中で「白い長い衣を着た若者」に、イエスが復活したことを告げられるのですが、ヨハネの記録とは、まったく逆に、彼女たちはこのことを誰にも告げようとはしないのです。おそろしかったから、と書かれています。
 マタイの福音書によると、この物語はさらに異なっています。墓を見に行った女性は、二人のマリアです。サロメは登場しません。しかも、墓の石は彼女たちの知らないうちに取りのかれていたのではなく、墓に着いたとき、彼女たちの目前で、地震が起こり、天使が降ってきて石を動かすのです。そしてこの天使が、その石の上に座って、つまりマルコのように墓の中でなく、彼女たちにイエスが復活したことを告知するのです。さらに、驚くべきことに、このことを弟子たちに報告しに行く途中、死から復活したイエスが彼女たちの前に「おはよう」と言って現れるのです。
 最後に、ルカの福音書を調べてみましょう。この記録もまた、他の福音書のどれとも一致しません。墓を見に行った女性のなかで、三人の名が挙げられています。ここまではマルコと同じですが、ルカの福音書では、二人のマリアと共にいたのは、サロメではなく、ヨハナという女性です。ルカは、その三人に加えて「一緒にいた他の婦人たち」も登場させています。さらに、イエスの復活を告知したのは、一人の「若者」でも一人の天使でもなく、「輝く衣を着た二人の人」です。告知の言葉も、他の福音書とかなり異なっています。そして、マタイと違って、使徒に報告に行く途中で復活したイエスに出会ったりしません。
 どうしてこのような違いが生まれてきたのでしょう。実は、上に並べた順番は、無作為のものではなく、多分この順序で成立したであろうと考えられる、伝承成立の順序に並べてあります。最初のイースターの朝、おそらく、多くの女性たちが、イエス様の墓を訪ねたのでしょう。中でも、マグダラのマリアは中心的な存在で、そのため、一番に伝承という形が整っていったのでしょう。イエス様の受難から復活にかけて、十字架の前に佇む女性たち、遺体を収める場面に立ち会う女性たち、そして、三日目の朝、墓を詣でる女性たち、と三回女性たちが登場してきますが、各福音書によって書き方が違い、そのすべてに名を連ねているのは、マグダラのマリアただ一人なのです。詳細は省きますが、マルコもマタイもルカもそれぞれの立場から、かかわりのある女性たちの物語をこれに加え編集し書き改めます。
 それでも、イエス様の十字架の死を目撃し、墓に収め、そして、空の墓の、つまり、復活の第一証人となった女性たち、マグダラのマリアを中心とした女性たちが、誰よりも早く、主イエスの復活と永遠の命を、そして、キリストとして信仰し始めた、という事に違いはないのです。
    
 

聖書アラカルト22   「十字架」
 十字架刑に関する記述は、旧約聖書にはまったくありません。レビ記25章16節等にあるように、イスラエルでは、死刑の方法としては、石打の刑が用いられていました。神への冒涜のほかに、他宗教の勧誘(申命13章)、偶像礼拝(申命17章)、口寄せや霊媒(レビ20章)、安息日の違反(民数15章)等々について、極刑として死刑が宣告され、その方法は常に《石で打ち殺す》と書かれています。
 新約聖書では、なんと162回も、この十字架という言葉が使われていますが、《自分の十字架を担って》と言われたイエス様の言葉を除けば、すべて具体的にイエス様ご自身の十字架です。それ以外の処刑は、例えば、使徒言行録7章のステファノの受難の場合でも、ヨハネ福音書8章の罪の女を救われる場面でも、十字架は使われず、石打の刑が出てきます。あるユダヤ教のラビは、もしイエス・キリストを殺したのがユダヤ人ならば、それは石打によって行われたはず、と語りますが、それは根拠のある言葉なのです。パウロはその手紙の中で、くり返し十字架ということばを使いますが、ユダヤ人と十字架刑とを結びつける事は一度もしていないのです。
研修報告
 宣教研修を終えて   -他教会の総会に出席して-         白髭 義

 昨年の七月から始まった神学校の宣教研修は今年の四月で終了した。愛知県豊田市にある挙母ルーテル教会と元町ルーテル教会が実習教会であった。報告したいことが山ほどあるのだが、今年の一月二十八日に開かれた挙母教会の定期総会にしぼって書いてみることにしたい。

 この教会の総会が成立する条件は信徒(正議員)総数の出席が得られることである。委任状は認められていない。今回の総会時点での正議員総数は六十二名であった。そして当日の出席者は三十八名だったので総会は成立した。

 役員選挙は二年に一回で、ちょうど今年はその年だった。具体的には、書記、会計、伝道、教育、奉仕、管財が各一名、監査が二名、それに信徒代表一名というのがある。監査委員は役員会の運営ぶりをチェックしかつ経理の監査を行う。役員会に出席するが議事には直接は関わらない。信徒代表とは文字どおり信徒の最高責任者であるが、代議員のことではない。この教会の代議員は二名だが、その一人は書記とか伝道、教育の役員が兼任し、もう一人は信徒代表の役員がおおむね兼任してきた。

 役員はどの役職も最長任期は四年で同じ役職をそれ以上続けてはならないことになっている。会計を四年やって次の年から書記というようなのはかまわない。現在信徒代表(兼代議員)をなさっている鵜生U・Hさんの事例を紹介しよう。彼は平成二年まで四年間信徒代表(兼代議員)をされ、平成三年から二年間管財をされている。そのあと平成五年と六年は役員をされず七年と八年に伝道委員(兼代議員)で、九年と十年は再び役員をされなかった。十一年から久々に現在の信徒代表になられた。つまり彼は過去十年間のうち四年は役員をなさっておられない。

 役員選挙は各役職ごとにひとつずつ投票を行う。その順は信徒代表、書記、会計、伝道、教育、奉仕、管財、監査である。会計までの三役は過半数に達するまでは最投票を繰り返す。伝道以下は最高得票者が選ばれる。教会員の推薦による二十数名の候補者名一覧表が掲示されそれをもとに投票するのである。選ばれた人の名前は順々と候補者リストから消去されてゆく。

 平成元年以降この教会では十六人の信徒が役員を経験している。ところが詳細に調べてみると、一人の信徒で役職を変えながらも十二年間ずっと役員を続けてきたひとは三人しかいなかった。三人のうちの二人は経理に最も明るい人たちで、二人は入れ替わりで会計を担当してきた。

 よく働くがしっかり休む。そういう考え方がよくよく身についた教会であると思った次第である。

カンボジアレポート 1   鎌 田 頼 子

 カンボジアについてから3週間がたちました。カンボジアはNGO銀座と呼ばれているほど、諸外国のNGOがひしめき合っている国です。日本のNGOもいくつかあり、日本人もたくさん住んでいます。

 先日初めて見学したステンミエンチャイの様子と近況について報告したいと思います。そこには蒸し暑い中で、たくさんのゴミに囲まれながら、リサイクルできるものを回収している人々がいました。ゴミが積み重ねられてできた頂上に登って、棒でつつきながらゴミをあさっている子どもたちがいました。彼らはリサイクル可能なものを取り出して、それを売るのです。それで得ることのできる収入は1日5、6時間働いても1ドルに達するかどうかの額だそうです。

 「Phnom Penh Post」という新聞に最近ステンミエンチャイのゴミ捨て場で働く子どもたちのことを中心に、子どもの労働問題のことが大きく採りあげられました。新聞にも、この問題は早急にそしてたやすく解決のできない問題である、と書かれているように、私も初めてステンミエンチャイのゴミ捨て場に1人立ったとき、どうすればよいかわからなくて、しばらくボーっとゴミを眺めたり、その周りの人々を眺めていることしかできませんでした。そして「私はここで何をしようとしているのだろうか。」そのことが全く見えなくなってしまいそうでした。

 そのそばには、私と同じように新しくJLMM CAMBODIAに入ったローカルスタッフが、淡々と久美子さん(JLMM CAMBODIA代表)から言われた課題をこなしているのでした。彼はステンミエンチャイで働く人に、何気なく話しかけて、インタビューをしていたのです。私はまだ彼らの言っていることをほとんど理解できませんが、ここでどれくらいの収入を得ることができるかということを聞いていたのでした。彼女は時には涙ぐみながら私たちに話してくれました。

 ステンミエンチャイにいる人々に自分は何をしていけばよいのだろうか、という問いに対して、私なりに真剣に取り組んでみたいと思います。今まで私たちがしてきたことを知ること、そしてできることなら、そのことに対して自分なりの得られることを望みます。まだまだ時間がかかりそうです。

 言葉がほとんど話せなくて、自分の思うようにできないことがたくさんあるのですが、そのようなことがあっても、私の周りの人々に助けられて、守られています。しかしいつになれば、人を助けることができるのでしょうか。それを考えると、途端に自信がなくなってしまいます。とにかく私の頭の中は、言葉の問題でいっぱいです。それがもし少しでも解決されたら、それからはどんな問題が出てくるのでしょうか。少し楽しみです。

 今私たちの新たなオフィスと住居を探していますが、なかなかよい条件の所が見つかりません。少しでも早く新しいところに落ち着いて、私たちがいろいろな活動に専念できるようにお祈りください。

 次回は、新しく入ったローカルスタッフや新しいオフィスのことを報告したいです。
 それではまた。Re-haoy!

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・田坂里子姉を偲んで
・藤飯進兄の思い出
・きずな文芸




きずな 第353号2001年2月25日 発行より

勝利の十字架を見つめつつ                      内 海  望
 いよいよ2月の末から四旬節に入ります。今年のイースター(復活祭)は4月15日です。それまでの日曜日を除いた40日間を主イエスの受難に目を注ぐ時として過ごすのです。キリスト者にとって悔い改めと悲しみの季節です。
 しかし、ルターはキリストの十字架の死をも福音の光の下で見ました。彼は、この時を「死が死ぬ時」と語っています。キリストは十字架において決定的な闘いを私たちのために成し遂げてくださったのだ、キリストは既に地獄の力に勝利されたと信じたのです。ルターにとっては死も、悪魔も、あらゆる滅びの力も力を失ったのです。
 英語で聖金曜日のことを「良き金曜日」と呼びます。一瞬奇妙に感じますが、よく考えると、十字架の真実を表しています。その日、死と悪魔が滅び去ったのです。確かに、この日は主イエス・キリストにとって最も苦しい闘いの時でした。その意味では、私たちイエスさまに従う者たちにとっても深い悲しみの日です。しかし、同時にその日は、疑いもなく主イエス・キリストの勝利の日でもあったのです。
 確かにイエスさまは「死んで葬られ」ました。そして「隠府に降った」方です。この方が復活されたのです。イエスさまが十字架の道を歩み通されることによって、死と悪魔の力は葬られ、新しいいのちが生まれたのです。
 死と悪魔は今も私たちを脅かします。しかし、イエス・キリストの十字架によって私たちは復活の希望のうちに生きることが許されるのです。
 二十一世紀を歩み出した私たちの教会です。復活の信仰に土台を置く群れとして力強く、喜びに満ち溢れて新しいミレニアムに向かって前進しましょう。
 勝利の主イエス・キリストが先頭に立って下さっています。
 ヌーンサービス顛末記                       松 田 繁 雄
 「すみません。風邪を引いてしまったのですけど、中止って訳には行かないですよね?」木曜日の午後の突然の電話でした。「そうだねぇ...」と答えながらも、頭は忙しく動いています。中止というわけには行かなくても、今から連絡して、ふつうの礼拝に切り替えることができるだろうか?そのためには、誰の協力が必要だろうか?まだ、やっと形を整え始めたという段階の、ヌーンサービスが、この一回の設定変更で、また一からやり直しになってしまうのではないか?等など、いろいろな思いが交錯して、気が付くと「他の人だけでできないかな。曲目とか変更して良いし、短くなっても良いから。」と返事をしていました。
 結局、風邪も落ち着いた事だし、と無理をして出てきてくれ、それこそ普通通りにヌーンサービスを守る事ができました。この話は、わたしのところで処理してしまいましたから、出席した人にも、「え、そんな事があったの?」というような話です。それに、あえて今回の「きずな」でこだわって書いたということには、わたしの中で、何となく、これで良かったのかな、と釈然としない思いが残ったためです。ヌーンサービスは教会の行事です。音楽を提供してくれている人たちは、たまたまその趣旨に共鳴し、ボランティアで参加してくれている音楽家の卵たちです。今回のような、ドタキャンの危機というばかりでなく、どうしても都合が悪くなって、予定が立てられないということもあるでしょう。そうであっても、何らかの形で準備を整えて、継続的な形で、この一度始めた行事を守っていくというのが、教会の行事として行っているという責任のあり方だと思うのです。そして、そのような責任の元で、はじめて、継続は力、とか、人の目には見えなくても、神様の目には確実に前に進んでいるのが見える、とか語る事ができるのではないでしょうか。その意味でも、これまでのプロセスを、もう一度見直しておきたいのです。
 さて、ヌーンサービスがいまの形になるまでには、それこそ、紆余曲折がありました。そもそも、わたしが東京教会に赴任してくる前に、ヌーンサービスという名前こそまだでしたが、週日の礼拝、音楽を中心にした祈りのひととき、を複数牧会の中で実現するという、教会としての方針は既に決まっていたのです。音楽というこだわりの中には、地域に生きる教会として、何を提供できるのか、という問題、また、恵まれたこの会堂や、将来入る予定のパイプオルガンをどう生かしていけるか、という面からの積極的な議論があったようです。また、祈りのひととき、という言葉で、何とか平日にも礼拝という形の集まりを持ちたい、という強い思いがあったのです。いずれにせよ、わたしが赴任する前から決められていたこの計画は、わたしが赴任すると同時に、当然の如く、わたしの責任のもとに、早急に開始すべき計画と、なっていったのです。
 そもそも、わたしにとっての第一の問題は、週日の礼拝を行うという課題と、音楽を中心にして、都会のオアシスのような時間、空間を提供したい、という企画段階でのプランを、どう調整して、実現可能なものにしていくか、という事でした。「霊南坂教会では、祈りなんていうけちな事を言わずに、ただ音楽だけを提供して、人々の心の癒しへの奉仕としている」「銀座教会では、音楽はあくまでも添え物で、きちんと礼拝を行っている」何人かの方が、関心を持ってくださり、実際にそういう集会に出席して、その報告をしてくださいました。でも、それは他の教会の事、わたしたちは自分が続けていける形を考えなければ、と思いました。どういう形で、この音楽と礼拝とを一つにして提供できるのか、この問題も、やはりわたしたちの置かれたこの場所、状況を無視して考える事はできなかったのです。音楽家の卵たちが関わってくるのは、この時点でです。この教会を使い、教会員ではないものの、この教会の会堂を愛している彼らは、ヌーンサービスの計画があると聞いて、ボランティアで手伝っても良いと考えたのです。「普段会堂を使わせてもらって、音楽をやっている身として」と彼らの一人が言っていましたが、いま教会で、音楽を用いて祈りの空間作りをしようという計画がある、そして、彼らは音楽的な才能と感謝の気持から自分達にできることを提供しようという気持がある、そこに彼らのボランティアによるヌーンサービス試運転の可能性が生まれたのです。
 最初の年は、どんな形でできるものか、と様子を見ながらの出発でした。木曜日に行ったのも、出席者を確保するためで、つたの会が木曜日にあったからです。不定期に、三度ほど行って、この年は終わりました。実は、始める以上は、きちんと継続できなければ困る、という気持が大きかったからです。休止の間も話し合いは続き、これは礼拝であるという基本的なことから、礼拝の中で読む聖書箇所は、フィリピの信徒への手紙の連続講読にしたい、というような具体的なことまで、話し合いました。もちろん、始める前に、約半年分くらいの奏楽曲の計画も立てました。(こちらの方はなかなか計画どおりには行かなかったですが...)
 昨年末から出発して、今年になって、ようやっと、第一、第三の金曜日には、ヌーンサービスがあるのだ、という事が皆さんに定着してきたように思います。教会員でもない、音楽家の卵たちと、その関係の人たちが、月に二回、礼拝に出席して聖書に触れ、お祈りをして帰る、それだけでも大変なことでしょう。会員の方の中にも、この寒さにも拘らずいつも欠かさず出席をされる方も居られるし、近所の方で、第一回から欠かさずに出席されている方など、望外の成果も出てきました。でも、それはそれとして、教会の計画である、という意識がもう少し高まる必要があるのでしょう。このヌーンサービスを自分達が行っているのだという、教会の主体的な関わりがあってこそ、継続していく基盤も育ってくるのでしょうし、音楽家の卵たちの関わりが、真の意味でボランティアと言えるようになるでしょう。そして、そのような継続の中から、伝わるべき神の言葉が伝わっていくのでしょう、といまは考えています。
 継続は力、だからこそ、この教会にしかやれないヌーンサービスを、教会員一人一人の祈りで支えていけたら、と心から願っております。

聖書アラカルト -21- スズメ

 2羽で1アサリオンこれはマタイ福音書、5羽で2アサリオンこれがルカ福音書、どちらもスズメの値段です。1アサリオンは16分の1デナリオンだそうですから、スズメ1羽の値段は、せいぜい200円といったところでしょう。日本語でも、雀の涙、という言い方があり、ごく僅かなものの譬えに使われています。マタイやルカにあるイエス様の言葉でも、スズメというものは取るに足らないものである、という事が、話し手と聞き手の間の暗黙の了解として成立しています。同じ小鳥でも、ツバメは《飛びかける》のにスズメはただ《飛び回る》だけだそうです。これは箴言にあります。本当に取るに足らぬ鳥なのです。
 しかし、《すずめがすみかを…得るように…あなたの祭壇のかたわらに/わがすまいを得させてください》と詩人は語ります(詩84篇)。《父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない》との主イエスの言葉の中にも、このような小さな鳥を慈しむ神、それを通して、わたしたちも含めた、被造物すべてに注がれる、神の愛の深さの、劇的な表現があります。これは、スズメが取るに足らない存在だからこそ、生まれてくる感動なのです
○福音の喜びを隣人に伝えよう      ―2001年度 総会報告―


きずな 第352号2001年1月28日 発行より

 主に信頼して歩もう!       −総会をむかえて−                 内 海  望
 東京教会は二十一世紀を歩み出しました。この年がどのような年になるか、私たちの心は期待と不安の間を揺れています。この不確実な、見通しのきかない時代ですから当然です。しかし、それでも私たちは計画を作成し、未来に大きな夢を持って歩み始めようとしています。
 パウロも大きな夢をもって宣教計画を作り、ローマから、当時、世界の果てと思われていたスペインにまで福音を伝えようとしていたのです。
 しかし、一方でパウロは「目にみえる希望は希望ではない。私たちは見えないものに目を注いで生きる」と言いました。「見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです」。確かにそうです。私たちは見えるものに望みをかけて生きるとき、欲望に振り回され、最後に苦い幻滅を味わうことが多いのです。
 これはパウロの自己矛盾でしょうか。そうではありません。パウロはキリストによって罪赦された喜びのなかで、与えられた人生を何とかみ心のために用いたいと願っていたのです。自分は罪人のかしらに過ぎない小さな人間である、ということを誰よりも深く知っていながら、キリストの愛が私に迫っているからキリストと隣人のために何かをせずにはおられない、というのがパウロの決意です。最後の完成の望みは、主に委ねながら、自分の力いっぱいを生きようとしたのです。しかも、「神さまが罪人の私をさえ用いてくださる」という確信がパウロにはありました。
 私たちも、この私をもその救いの業の為に用いて下さる神さまの愛に信頼しつつ、なおこの世に生きる限り、完成されるのは主ご自身であることを信じつつ、大きな宣教の夢を描きつつ歩んで行きたいと思います。
  愛する義務という考え方                        松 田 繁 雄
 《神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。》だからこそ、わたしたちは、互いに愛し合わなければならない、と言われます。これは、《わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい》と命ぜられた、主イエスの言葉(ヨハネ福音書一三章三四節)にも言われていることです。しかし、「ねばならない」のですか?愛は義務なんですか?という疑問が残ります。今回はこの「愛する義務」ということを考えていきます。

  「ただ愛が義務であるとき、そのときこそ愛は永遠に幸にも絶望に対して擁護されています。自然の愛は不幸になること、絶望にいたることができます。」キルケゴールの『愛について』からの引用です。この文章は、少し難解ですけれども、なぜ、主イエスが、《あなたがたに新しい掟を与える/互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい》という新しい掟を与えられたのか、ということに対する、信仰的で、かつ妥当な解説だと思います。
 「愛情幻想」という言葉があります。愛情があればすべてが解決する、というものの見方、および、愛情とは、人間誰しもが平等に持ち合わせている、自然な能力である、という命題の両方が真理である、という思い込みから、この幻想が生まれます。裏返しにすると、物事がうまく行かないのは、本来あってしかるべき、愛情が不足しているから、ということになります。例えば、このごろ多発している、少年犯罪や、いじめの問題を、親の愛情不足に結びつけ、短絡的な結論を出すような考え方です。
 キルケゴールが「愛する義務」と言うとき、「愛情とは、...自然な能力である」という第二の命題を否定しています。まず、神が愛された、人間はその愛を受けて、愛する事ができるものとなった、という真実を忘れてはいけない、ということです。こう言うと、必ず、母性愛などを引き合いに出して、「自然の愛」が存在するではないか、という反論が出てきます。母性愛はまた母性本能と言わないでしょうか。この本能は、自分ひとりでは生きていけない子供たちに、適切な保護を与えるために必要不可欠なものですが、場合によっては、あまりにも母子関係が密になりすぎて、子供の自立が妨げられる事もあります。このように、「自然の愛」と呼ばれるものは、実は、良かれ悪しかれ、相手に対する愛着の感情で、場合によっては、憎しみに変わったり、冷えてしまったりするものです。何より《自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか》(マタイ5章46節)と書かれているように、自然の愛という感情は、その対象を特定してしまいます。自分の子供が可愛いあまり、よその子供が憎たらしく見える、という感情がその例です。「愛する義務」と言うとき、実は、この少し前に語られている、《敵を愛し、迫害する者のために祈れ》という愛を意味しているのです。つまり、いやいやながら(嫌な奴に対しても)愛する愛です。そして、このような愛は、神の愛を深く受け止めて、自ら努力するところからしか生まれてこない、という議論が、「義務としての愛」なのです。
 愛情があればすべてが解決する、という第一の命題にも、二つの点から疑義を挟まなければならないでしょう。まず、上に述べたような、神からの愛、真実の愛ならば、すべてを解決する、ということは言えそうです。実際、そのような愛を現実の世に与えようとされた結果が、キリストの十字架だった、と言うこともできます。神は、真実の愛を世に与えられた、しかし、人はそれを十字架でしか受けとれなかった、と言い換えても良いでしょう。人間という欠陥のある被造物が、真実の愛に触れることができるのは、一瞬一瞬でしかないのです。当たり前のわたしたちが持つ、「自然の愛」があってもすべてが解決しない、ということも憶えて置くべきことです。しばしば、自然の愛は、憎しみの感情に一瞬にして変り、しばしば犯罪として結実します。「『憎悪』は反対のものに変った[自然的]愛であります」これもまた、先ほどのキルケゴールからの引用ですが、だからこそ、「自然の愛は不幸になること、絶望にいたることができ」るのです。愛着の感情は、自らを絶望に導くばかりではなく、周囲の人々をも「愛の故に」傷つけ、破壊してしまうこともあるのです。
 それで、真実の愛は、《敵を愛》する愛で、その愛は神にのみ由来する、と厳密に定義しつつ、《互いに愛し合いなさい》これが主イエスの与えられる、新しい契約のしるし、だと言われるのでしょう。愛はそれが義務であるときにのみ、永遠に変わらない真の愛となる「愛は永遠に幸にも絶望に対して擁護されて」いるとは、この事を指しています。人間にとって一瞬一瞬に触れるしかできない、真の愛、しかし、その一瞬の次にまた一瞬と、意識しつつ愛を求めていく時、その愛を通して人は永遠を自己の中に受け止めることもできるのです。この意味で、《互いに愛し合いなさい》という命令は、一面「掟」の形をとっては居ますが、何よりも、愛という具体的な行為を通して、わたしたちが神の永遠に触れていくことができる、大切な福音だと考えてよいのです。
○新しい旅立ち  ―堅信式を終えて―
○主のみ業に用いられて  ―役員任期を終えるにあたり―
○牧 者 の 杖        清 重 尚 弘

※「きずな」は東京教会の広報誌です。詳しい内容をお知りになりたい方は、
電話メールなどで教会までお問合わせください。