【キリスト教入門講座 59】                                           2000.11.10

旧約の始まり(1)

 旧約の民イスラエルの起源を求めると、自然に目はメソポタミヤに向かいます。「川に挟まれた土地」という意味を持つこの地方は、現在のイラク地方、チグリス・ユーフラテス河の流域に広がる、古代文明発祥の地です。旧約聖書の創世記を見ると、《エデンから一つの川が流れ出ていた。園を潤し、そこで分かれて、四つの川となっていた。...第三の川の名はチグリスで、アシュルの東の方を流れており、第四の川はユーフラテスであった》(二・一〇、一四)との記述が、暗に、エデンとメソポタミヤとの一致を示しています。ほかにバベルの塔、ノアの洪水など、旧約聖書の記述とメソポタミヤの歴史との一致点が多いことが知られています。
 何よりも、最初の非神話的人物と言われるアブラム(あるいはアブラハム)の出発地がハランだと明記されています。《アブラムは、ハランを出発したとき》(一二・四)また、アブラムの父については、《テラは、...カルデアのウルを出発し、...ハランまで来ると、そこにとどまった》(一一・三一)と書かれているが、このウルが紀元前二千年当時のメソポタミヤの中心勢力、アッカド王朝とも呼ばれるウル第三王朝という都市国家であったことも歴史的事実なのです。アッカドの文書にも、ウルからの分派、アモリ人の民族移動が記録されています。ハランという都市は、北メソポタミヤの中心都市の中で、どの都市国家にも属しておらず、ごく初期にアモリ人の侵攻を受けます。一方、ヨセフの年代を十七世紀(ヒクソスの時代)と考える仮説からも、アブラハムを紀元前十八から十九世紀に位置付けることができます。この点でも、ウル第三王朝と、そこから流出したアモリ人による民族移動をアブラハムの出来事に結びつける仮説は魅力的なのです。
 きょうから、入門講座の第三のシリーズとして、旧約の始まり、と題して、旧約聖書とその民族イスラエルについて、さまざまな角度から見ていきたいと思います。第一回は、民族の起源を探るということで、メソポタミヤの地に焦点を当ててみました。古代文明メソポタミヤ、バベルの塔の歴史的背景、アブラハムと民族移動について見ていきます。次回は出エジプトに焦点を当てていく予定です。

☆ 古代文明メソポタミヤ。
 メソポタミヤ地方の元来の住人は、セム系のアッカド人、アモリ人だったと考えられます。石器時代を通じて、遺跡の最も古い層は、北部メソポタミヤに集中し、そこにまず遊牧文化として現れてきます。しかし、最初の強力な都市国家を作ったもの、最初に文字を作ったもの、いわゆる、メソポタミヤ文明として知られる、法律、官僚制、太陰暦、六十進法、幾何代数学、楔形文字などを作ったものは、彼らではなく、南メソポタミヤに忽然と現れた、シュメール人という謎の種族でした。これらの文化遺産は、シュメール人が歴史の表舞台から姿を消した後も、遺産として、アッカド人、アモリ人に受け継がれていきます。シュメールの神々が、それぞれの部族を代表する神によって構成されたパンテオンという形をとっていたことは大きいことで、アッカド人たちは、主神の首を自分たちの神に挿げ替えることで、征服を正当化しようとし、反抗したアモリ人たちの多くは、自分たちの神をパンテオンから救い出すことで、独立を宣言しました。こうして、多神教対一神教の対立という図式が、メソポタミヤという先進文明地の宗教状況の特長にもなったのです。

☆ バベルの塔の歴史的背景。
 メソポタミヤのシュメール人の拠点は、カ・ディンギル(神の門)と呼ばれていたのですが、アッカド人のウルに征服された時、同じ意味のアッカド語バーブ・イルに翻訳されます。アモリ人たちは、アッカド語の文字や単語、文法などを取り入れて、自分たちの言葉を作り出しますが、その際部族ごとに微妙に異なった言葉が作られます。後に共通語となったアラム語では、この都市の名前はバービル、ヘブライ語では、バベルと呼ばれます。つまり後のバビロンの事です。ウル王朝として一度は結集したこの地域は、その後エラム人、アッシリア人(アッカド人の末裔)、アモリ人の小さな都市国家が乱立して、相戦う戦国状況に分裂します。言語としても、既にシュメール語は失われ、アッカド語もアモリ系の方言により次第に駆逐されつつありました。バベルの塔の物語はその辺りの事情を、バビロンにあるジグラットの実際の姿に重ね合わせて、表現したものと考えられています。

☆ アブラハムと民族移動(原始的一神教の成立)。
 アッカド人による都市国家ウル第三王朝は、サルゴン王の時代(2334BC〜約55年)に、メソポタミヤを統一、さらにエラム、シリア等の多くの地をその支配下において、王は「四界の王」と自称した、と記録されています。この王の征服により、ウルは都市国家としては空前の規模の大国に発展するのですが、同時に、国内に多民族を抱え込み、メソポタミヤという安定した文明の地に、新たな住人たちを将来することにもなりました。これらの新来者のうち、エラム人およびアモリ人が独特の動きを示します。エラム人は定着し、いくつかの強力な王国を作り、また旧来の王国を倒していきます。それに対し、アモリ人は半遊牧の生活形態を捨てず、ウルの勢力圏内に、散在する道を選んだのですが、ウルの力が衰え、各地で戦乱が広がるに連れて、適当な指導者の下に、遊牧の生活に戻る決断を始めます。テラのハランへの移動、アブラムとロトのカナンへの移動は、そのような民族移動、民族再結集の過程と見ることができます。創世記14章のアブラムの戦闘場面《アブラムは、...彼の家で生まれた奴隷で、訓練を受けた者三百十八人を召集し》(14節)は、アブラム率いる部族がかなりの規模であったことを示しています。彼らが半遊牧の生活に固執した理由として、後に旧約の宗教に発展する原型が、この頃に形成されていた、という説が有力です。しかし、逆にウル文化圏の多神教パンテオンから独立することにより、原始的一神教が確立されていった、と見ることもできます。この辺りの時代の政治と宗教というのはまだ不分離で、よく分からないことが多いのです。いずれにせよ、アブラムがそういうアモリ人達の民族移動の中にあり、一つの中心として、後のヘブル人たちを率いていたことは間違いのないところでしょう。