2000.11.17

【キリスト教入門講座】60

旧約の始まり(2)

☆ ヒクソス以前のエジプト。

 古代文明としてのエジプトが、ナイル河流域のギザ、サッカラ(メンフィス)を中心とした都市国家にすぎなかったことは、その遺跡の分布からほぼ定説となっています。これが第6王朝までのいわゆる古王国で、約1世紀の動乱期を経て、第11〜12王朝、中王国の時代が到来します。第11王朝の創始者メントゥヘテプはその根拠地をナイル河上流テーベに置く豪族でした。彼の統一事業はその意味で、ナイル河全流域にわたるもので、上下エジプトの統一と記録されています。第11王朝は宰相アメンエムヘトに引き継がれて、第12王朝となりますが、彼は首都を再び下エジプトのメンフィスに移し、さらに積極的にシナイ半島、カナン、シリアにまで軍事遠征を行い、少なくとも、北辺の地ビブロスにその痕跡を残すのです。広がった被征服地は、多くの外国人を包含し、結果的にはヒブルの民族移動、ヒクソスの侵攻を許すことになります。


☆ ヒクソス以後、ことにアトン信仰をめぐって。

 侵入したヒクソスにより立てられた第15王朝は、その首都を葦の海に近いアヴァリスに移します。この時代はエジプトとカナンは一つの領域としてみなされ、この認識が後の時代にも影響を与えます。ヒクソスと戦い、追い出したのが第18王朝のアフメス王でテーベ出身、彼の後継者は、トゥトメスあるいはアメンヘテプを名乗り、エジプトおよび西アジアの最強国として君臨することになります。ところがここに、国王とアメン教団との対立という深刻な問題が起こってきます。アメン教団はもともとテーベの神殿を中心とする教団だったのですが、第18王朝の成立と共に国家宗教となります。本来のエジプトの最高神ホルスは太陽神だったのですが、これを基に唯一太陽をのみ神と認めるという主張のアトン教団が造られ、アメンヘテブ4世あらためアクエンアトンによる宗教改革が強力に断行されます。しかし、このアクエンアトンおよびその後継者ツタンクアトンが暗殺され、再び状況は混乱します。これを収拾した人物が、ヒクソス出身のラメセス1世で、この王朝が第19王朝なのです。


☆ 出エジプトの時代、モーセとシナイ契約、唯一神教の成立。

 ツタンクアトンの暗殺に伴い、エジプトに新たに、非エジプト人という身分が創設されます。ここには、シナイ半島や、カナンの住人、旧ヒクソス貴族、アトン信者等が含まれていたのですが、第19王朝が、アヴァリスの豪族ラメセスにより創設されることで、問題が複雑になります。ラメセスは、アメン教団を味方にしたため、アトン信者を中心に一神教を奉じる者たちが「非エジプト人」の身分に固定されるようになります。とは言っても、王族に近い人々の場合は例外とされており、エジプト人、非エジプト人という先鋭な身分対立の割には、その境界が曖昧だったと言えます。モーセは、エジプト語のモシェ(王子)から来ているとも言われ、この時代のエジプト内での権力闘争と、新都ペル・ラメセスの建設、非エジプト人による大規模ストライキ、出エジプトまでの歴史を反映している人物だったと考えられます。モーセにとり、シナイ半島でのヤーウェとの出会いは、自分の唯一神教の確立と同時に、神の民イスラエルの成立へと導く、大きな転機だったと考えて良いのですが、その背景にアトン信仰を考えても良いのでしょう。モーセ以前の一神教は、このアトン信仰を除き、みな部族神信仰で、厳密には唯一神教とはいえません。アトン信仰は唯一神教には違いがないのですが、実体が曖昧で、民衆の宗教にはなりえませんでした。しかしこの両者は、確かに新しい唯一神教の方向を指し示していたのです。そしてそれを決定付けたのが、エジプトの王族出身のモーセの唯一神ヤーウェとの出会いだったと考えられるのです。この唯一神教が人々の心に完全に定着するまでに、さらに40年の歳月と、多くの犠牲を払ったカナン侵入の戦いが必要とされたことは、また聖書の語る事です。