【キリスト教入門講座 61】 2000.11.24
旧約の始まり(3)
![]() |
出エジプトを無事に果たし、シナイ半島で、神との契約を結んで、イスラエルとなった民は、その後、更なるエジプトからの流民や、周辺の遊牧民たちを糾合しながら、一つの民族移動として、カナンの地へと再侵入していきます。この時代にカナンに定着していた民族は、アラム人をはじめ、カナン人、ケレブ人、エブス人、エラム人、モアブ人などのアモリ人系の種族でした。イスラエルは、初めは彼らと激しく戦いつつ、次第に彼らの間に共存して定着する道を選んでいきます。この際に、各地方聖所の支配権だけは、必ず握っておく事により、次第にカナン全土がイスラエルの支配のもとに従うようになります。とは言うものの、この時代のイスラエルは、分断された小さな地方政権の集合体で、これが曲がりなりにも国家という体制を維持できた背景には、ヤーウェ宗教による一致ということが大きくあるのです。 国際情勢としては、まず海の民の進出による、エジプトの衰退が挙げられるでしょう。この海の民の自治権をカナン地方の海岸部に認める事で、エジプトはカナン地方からしばらく手を引くことになります。これがペリシテ人です。東方の大国アッシリアの台頭までの暫くの間、このカナン=パレスチナ地域は、イスラエルとペリシテという二大勢力の相戦う場所となります。 今回は、士師の時代を中心にイスラエルのカナン定着の歴史を概観します。次回は、サウル、ダビデ、ソロモンの三代を中心に王の時代を見ていく予定です。 |
☆ カナン侵入以前の組織。
モーセに率いられて出エジプトをした一神教のグループが、後のイスラエル民族の中心であることは間違いありません。ことあるごとに、出エジプト、シナイ契約、そして荒野の生活の回顧が強調されています。また、このグループの中で指導的な役割を果たした、多数派が、ヤコブを祖先に持つ人々であった事も確かでしょう。創世記32章29節の《お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる》というお告げの言葉も、むしろ、ヤコブの部族が中心になって、12部族連合体(アンフィクチオニーという名前で、早くから古代史の研究対象となっています)が形成されていった後に、イスラエルの創生神話として定着していったものでしょう。さて、モーセは、太陽暦に従い1年を12ヶ月とし、各月ごとに神ヤーウェに奉仕するグループを、新たな部族として組織します。荒野での40年間、すべての物事はこの「部族」を単位として行われ、ミディアン族アマレク族などで新たに参加した者たちも、それらの部族の中に組み入れられていきます。こうした半ば人為的な組織作りに、40年の大半が使われたのです。
☆ カナン侵入、その実際。
カナン侵入に伴う激しい戦いと、聖戦の考え方は、初期のイスラエルの国家形成にとっては必要不可欠なことでした。イスラエルという民族名も「神と共に戦う」という言葉を語源とするものですが、共に戦う事を通じて、民族としての団結・一致を強めていった、という面があるのです。しかし、このような強引な侵入はたとえ成功したとしても、侵略された側の住民たちに反発と敵愾心を残すことになります。イスラエルがカナンに定着するためには、住民の懐柔と民族への取り込み、という平和的な侵入もまた不可欠だったのです。もっとも、40年の放浪、戦闘による征服、平和裏の侵入というこの時代順が、また意味を持ちます。平和裏に侵入するという以上、多少の妥協は避ける事ができません。既に定着している文化的マジョリティーの中に、新来者として、マイノリティーグループが加わるというケースでは、ほとんどの場合、多少のマイノリティー文化の香りは残したまま、マジョリティーに取り込まれていってしまいます。イスラエルのカナン侵入は、攻城戦による破壊的な侵入、野外戦による支配者の交代、入植による平和裏の侵入の3段階をとったと考えられています。その過程を通じて、実に際どいタイミングで、12部族連合体という基本の制度と、ヤーウェ信仰という宗教の基本は守られたのです。
☆ 士師の時代――カナンへの定着。
士師の時代は、イスラエルのカナン侵入と、定着とが一段落した、前13世紀末から王の誕生までの約150年ほどの期間を指します。政治形態としては、引き続き、12部族連合(アンフィクチオニー)を守り続けますが、部族としての、レビ、ヨセフが消え、エフライムとマナセが新たに登録されたり、ギデオンという新たな部族が加わったりします。この時代は、定着はしたものの、カナン全体を支配下においたわけではない不安定な時代で、12部族がそれぞれ定着した地域に土着していく時代でもあります。その中で、なんとか12部族としての統一性を保っていきたいという思いが、やがて強力な支配者として、王を求めていく事になるのですが、その途中の過程と考える事ができます。士師には2通りのものがあり、平和な時代には、権力を伴わない調整者としての士師、戦乱の時代には、権力を集中した戦闘指導者としての士師が選ばれました。ギデオン、デボラ、サムソンなど有名な士師たちはみなこの後者です。戦時の士師たちは、1代限り、あるいは、この戦役限りという制限を受けたり、認める部族と認めない部族がある等、安定した政権とは言えないものでした。士師記を地図帳と見比べてよく読むと、カナンに定着したイスラエルが、始めのうちはミディアン、アマレクなどの同朋遊牧民と争い、次第に、アモリ人、アンモン人、そしてペリシテ人が射程に入ってきた事がよく分かります。