【キリスト教入門講座】 62 2000.12.01
旧約の始まり(4)
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モーセから士師の時代を通じて、反王国の思想が、イスラエルでは支配的でした。モーセが十二部族という制度を徹底し、すべてをヤハウェ神中心に民は一つになる、という思想をイスラエルの土台として据えたのですから、元来イスラエルという国自体が反王制だったといえるでしょう。士師の時代は、このイスラエル民族が国土を得る、別の見方をすれば、土地に縛られるプロセスの時代でした。士師時代の末になると、シロ、シケム等を中心とする純血主義の北部中心部族と、南方の異民族との交流の多かった、ユダを中心とする諸部族とに色分けされてきます。南部諸族に属する最大の聖所はヘブロンにあり、ベテルの聖所が、両者の中間点にあって南北を繋ぐ絆の役割を果たしていました。ベテルはもともと、ベニヤミン族の聖所でしたが、この種族からイスラエルの王が選ばれた事により、その後の紛争の火種となっていきます。 サムエルは、最後の士師として、その最初の王サウル、および、ダヴィデにも油を注いで聖別し、王としました。他方で、その王制に歯止めをかける、預言者という職制も、サムエルによって生み出されています。この預言者運動が、当初は反ソロモンの急先鋒で、シケムの聖所を中心にエルサレムと対立したので、当然、南北の分裂に関して責任が生じるのですが、その後は主に北王国で反王国、反王制の戦いを続け、イスラエルの伝統を守りつづけるのです。 今回は、サウル、ダビデ、ソロモンの3人の王を中心に、王制の始まりを見ていきます。預言者については次週の課題といたします。 |
☆ 最初の王サウル。
《サムエルは年老い、イスラエルのために裁きを行う者として息子たちを任命した》(サム上8:1)しかし彼の子たちは、父の道を歩みませんでした。そこで、《イスラエルの長老は全員集まり、ラマのサムエルのもとに来て、彼に申し入れた。「あなたは既に年を取られ、息子たちはあなたの道を歩んでいません。今こそ、ほかのすべての国々のように、我々のために裁きを行う王を立ててください。」》(4節f)この部分だけを見ると、民の言い分に筋が通っているように見えます。しかし、実際は、息子たちの人材に不備があるだけならば、別の人物を選んで士師とすれば良いので、王制の要求としては必ずしも意味をなしていないのです。要求の背景には「ほかのすべての国々のように」という思いが強くあって、他国、ことにペリシテ人との争いの中で、強力な指導力の必要性を悟った民衆が、王制反対論者のサムエルを押し切って、サウルを王に選んだということができます。サウルは、王の候補者の中でもっとも背が高かったというのですから、体格に優れた、戦いに強い指導者だったのでしょう。(この民衆が選んだ王という意味合いも大きいのです)しかし、戦う事でその地位を得た王は、戦いに敗れることで、その地位を危うくしていきます。同時期に、こんどはサムエル自身の目で選ばれたダヴィデという次なる王の勢力が存在した事も、サウルには不幸でした。疑心暗鬼のうちに、ダヴィデの代表するユダ族との袂を分かったサウル王は、ペリシテ人との争いの中で敗死しました。
☆ 永遠の王者、メシアの父、ダヴィデ王。
前項で、サムエルが選んだ王、と紹介したダヴィデは、まず第1に、ユダ族の王でした。これに、ユダに連合する南方諸部族が加わります。もともと、イスラエルの支配領域は、北部のシロ、ベテルの聖所を中心にして歩んできたのですが、ミデアン、ケレブなどの南方半遊牧民たちを取り込んだユダ族は、独立指向の強い部族として知られていました。ダヴィデは、少年の頃巨人ゴリアテを倒したとか、竪琴でサウル王の病を癒したとか、多くの伝説に彩られています。この人物の面白さは、ユダ地方で覇権を樹立していたにもかかわらず、サウルの攻撃に反撃せず、傭兵隊長として、敵地であるペリシテに逃げ込んだ事です。傭兵隊長として、彼およびその部隊は、多くの実践をこのとき経験します。しかしイスラエル、ユダの友邦には決して剣を向けなかった、とも書かれています。時を待ち続けたダヴィデは、サウル王の戦死に際して、実力で平定した土地と、ダヴィデの軍隊と呼ばれる人員の増えた傭兵隊と共に、まずユダに凱旋帰国します。次にダヴィデが行った政策が、神の箱の奪還とエブス人の都市エルサレムの攻撃、さらにそのエルサレムへの遷都と神の箱の永久設置でした。サムエルがダヴィデを選んだということは、この実績を認め、また王という時代の要請に妥協して、せめて、考え方の方向の正しい者を王にと考えたのでしょう。ダヴィデは、徴兵をせず、土木工事もせず、馬も使わずに戦って領土は増やすが民の負担は増やさない、というストイックな王で、後代にダヴィデ王家が堕落した後も、多くの民衆により、理想の王、メシアの父として慕われるのです。
☆ 王朝の相続の問題ーーソロモン王から分裂へ。
ダヴィデの一つの罪、あるいは失策からすべてが始まります。サムエル記下11章以下のバト・シェバとのあやまちを巡る議論は一読の価値があります。結論的には、ダヴィデはこの1エブス人との間に生まれたソロモンを自分の後継ぎとします。ダヴィデがそうであったように、ソロモンは純粋に南の部族の代表者でした。ダヴィデと異なり、ソロモンは統一すべき王朝を持ちませんでした。戦いにも強く、商才や外交にも長け、ソロモンは国家を繁栄へと導く良い君主像に見えます。しかし、この時代、ソロモンという絶対的権力によってかろうじて南北の統一が保たれていたのです。ソロモンは徴兵を行い、軍馬を輸入し戦車隊を組織し、宮殿、神殿などの大規模工事、道路の整備などの公共事業を多く起こしました。ソロモンは繁栄の象徴ではあっても、国民の希望にはなれない王でした。そして、ソロモンという重石の取れた後、精神的にも国土的にも疲弊したイスラエルは、南北の2王国に分裂する事になるのです。