【キリスト教入門講座】 63 2000.12.08
旧約の始まり(5)
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預言者、ヘブライ語ではホーゼ、あるいはナービー、七十人訳ギリシャ語聖書では翻訳されて、すべてプロフェーテースとなります。このギリシャ語の意味が、プロ(…のために,…の前に)とフェテース(話し手)という組み立てですから、神のために語る人、神の前に語る人という意味になります。ナービーは、もともとカナンのバアル神の語り部の呼称だったのですが、カナン地方がイスラエル化されるに連れて、先見者(ホーゼ)と共に、神の言葉を委ねられた者、という意味で使われるようになります。ギリシャ語の訳語は、この意味を反映させたものでしょう。 この意味での預言者の源流は、サムエルに求めることができます。《イスラエルのすべての人々は、サムエルが主の預言者として信頼するに足る人であることを認めた》(サム上 三・二〇)とあるように、人々から認められる形で、神の言葉という権威をもって語る預言者に任命されたのです。サムエルは、最後の士師と呼ばれます。また、サウル、ダヴィデ二代の王に油を注いだ人物でもあります。また、祭司の家柄でもありました。 こうして、サムエルという人によって、士師の制度が廃され、新たに三職とも言うべき、王、祭司、預言者が制度化されていくことになります。祭司は宗教儀礼としての神を、王は統治者としての神を、そして預言者は言葉としての神を代表し、それぞれの権威を持ちました。 きょうは、イスラエル王国の分裂時代を通じて、活躍した預言者という存在を見ていきます。次回からは、旧約聖書各巻の成り立ちを見ていきます。 |
☆ 預言者の始まり。
モーセが預言者の原型であることは議論の余地がないでしょう(もっとも、モーセ自身は預言者と呼ばれておらず、むしろ、アロンやミリアムがモーセの預言者と呼ばれています)。立法、行政、司法、および祭儀の4権のすべてを掌握しながら、神に忠実に王であることを拒否しつづけたモーセ、そしてその遺産である12部族連合(アンフィクチオニー)の政体自体が、預言者の理想として守られていきます。士師の時代は、アンフィクチオニーの体制が守られていたため、預言者の存在は必要とされなかったのですが、サウルが最初の王位に着くと、王権を制限し、アンフィクチオニーの伝統を守るために最後の士師サムエルが預言者として指名されることになります。サムエルの下に組織された預言者集団は、ダヴィデ王の即位に際して、その廷臣団の一部に組み入れられます。ダヴィデ王の晩年、アムノン、アブサロムの反乱があいついで起こり、預言者集団も、朝廷に残るものと野に下るものの二軍に分かれました。預言者という職務の性質上、王朝から去ったものが多かったことも事実です。彼らの大部分は、反王制勢力として、後にシケムに集結することになります。大雑把に言えば、分裂後の王国の中では、南では廷臣として北では政治勢力として機能したと言えるでしょう。もちろん、この時代、政治と宗教が未分化であったことは言うまでもありません。
☆ 王国の分裂と預言者。
ソロモン王の政策は多くの不満を生じさせたのですが、その中でも、二つの政策が、民とその指導者である預言者集団に、強い危機感を覚えさせました。その一つは、国境の町々、つまり領土のツロ王への一部割譲で、これがイスラエル固有の領土であったため、周囲の町々の住民を中心に、民の間に不安が生じました。この不安は、ソロモン王が、重税ばかりではなく、民たちを、イスラエルの民も平等に、強制労働に駆りだしていた現実とも相俟って、人々の間に王制に対する根強い不信感を育てました。ダヴィデとその系譜に対する尊敬の念の違いで、北イスラエルの民の間により強い不信が育ったことは容易に想像できます。もう一つの問題は、ソロモン王が12部族連合を事実上解体して、12の行政地区に再編成した事です。これは、日本でいえば、太閤検地に当たるような出来事で、中央集権的な国家を確立し、租税の収入を安定させるためには必要なことでした。しかし、12部族連合という伝統的な体制に、行政区画以上の意味を感じていた、預言者集団は、民の不信感をあおり、反王制、反ユダ、反ソロモン、の活動をはじめることになります。この時、エルサレムの神殿に対抗して彼らが終結した地がシケムの聖所、反乱軍の盟主としては、エフライム出身のヤラベアムが選ばれます。皮肉なことに、このヤラベアムがソロモン王没後、北の王国を開いていくことになります。
☆ 王国の批判者としての預言者。
ダヴィデ王朝の批判者として、王国自体に反対してきたヤラベアムが、必要に迫られて北王国の王位についたことは、歴史の一つの皮肉です。さらに大きな皮肉は、彼が「金の子牛像」を復活させた事です。神の箱(契約の箱)がエルサレムの神殿に安置されて以来、旧来の聖所は、急速にヤーウェ宗教の聖所としての意味を失ってきました。逆に言えば、まだ残る、バアルやイシュタルへの信心、あるいはその他の偶像への祭儀がこれらの聖所で復権してきたという事です。北イスラエルがシケムに根拠を置いたということは、その偶像の群れの中に、主神としてのヤーウェの場を再構築したということで、「金の子牛」はその過程を確認しただけのことでした。ところが、ヤラベアムが王位につくと共に、この子牛像も、忌むべき偶像として取り上げられていきます。この時点で、預言者集団は、反王制の立場には変わりがないものの、反シケム、反ヤラベアムへとその矛先を変えていきます。ヤラベアムが死ぬと、その子ナダブを倒したバアシャが王位に着き、バアシャの子エラもジムリに殺されるというように、不安定な状況が続きました。事態を終息して新しい王朝を開いたのがオムリで、この王のもと、北イスラエルはしばしの安定を得ることになります。時代は、前870年前後、メソポタミヤでは、アッシリアの新王国が全メソポタミヤを統一し、その結果滅ぼされたアラム人たちが大挙してシリア地方に民族移動し、ダマスコ王国を建国します。これに対抗するために、オムリ王はフェニキアと結び、フェニキアの皇女イゼベルを息子アハブの妃として迎え入れます。このイゼベルが熱心なバアル教徒で、一群のバアル神官、預言者たちをイスラエルに引き連れてきたことで、混乱が生じます。エリヤを中心とする預言者集団は、エフーを担ぎ出し、ダマスコ王国のハザエルと結び、一種の革命を起こします。このエリヤの後継ぎがエリシアで、北王国では王に対抗する預言者勢力というものの権威が社会的にも確立していきます。