【キリスト教入門講座】 65 2001.01.12
旧約の始まり(7)
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前回は、天地創造の神話を中心に、最初に成立したJという文書とその著者(区別せずにJと呼ぶが)の神学を見てきました。Jが成立したのがソロモン王の時代、前十世紀とすると、それからほぼ百年後、南北分裂後の、北王国、オムリ王の時代、前九世紀にEが成立しました。Jが王国によって公認された文書であったのに対し、Eは、むしろ王国という制度に批判的な、預言者集団の中で形作られていきました。一面では、復古主義という側面もあり、Jに依拠しながら、Jが書き加えたアブラハム以前の歴史をEは無視をしています。神話として削除したという面も否定できないのですが、むしろ、話の中心をモーセとシナイ契約とに置いた結果、アブラハムの話から説き始める事となった、と考える方が正しいでしょう。また、J以前の伝承に戻る努力を、Eがしたと考える事もできます。 |
| さて、E成立の時代ですが、まず南北両王国への分裂という事が大きい変化でし王制に反対する預言者集団の力に依拠して成立したものですから、ょう。北王国は、そもそも初代ヤロブァムから三代目のジムリまでは、世襲による王位継承が否定された時代でした。ところが、四代目のオムリ王によって、初めて北王朝イスラエルに、世襲王家が生まれ、建国以来初めての政治的安定を得ます。と同時に王室顧権の内部での批判勢力であった預言者集団は、この時点から、野に問団として、政下って王朝を批判する大勢力へと変身を遂げます。この預言者集団を中心に、纏められていった五書が、現在E資料と呼ばれている文書で、サマリア五書の中に、今でもその原型を見ることができます。(アブラハムから始まる等の構造上の問題にこの文書の研究から来ています)今回は、Eの冒頭を飾るアブラハは、主ムの物(出エジプトと十戒)、Eの鋭く批判した偶像礼拝、金の子牛についての語、Eの中心である契約思想記述の三点を中心に、Eとその著者の神学を見ていきたいと思います。次回から、創世記一章の作者であり、現在のモーセ五書全体の編著者でもあるPの思想を中心に、モーセ四書(申命記を除いたもの)の内容を見ていく予定です。 | |
☆ E、エロヒストによるアブラハム。
アブラハムの記事も、最終編集者Pは、Jの記述を中心に纏めてはいます。しかし、明らかにJと重複しつつ矛盾するような記事の存在から、Eという別の資料があり、その記述がここから始まっているという事が分かりました。実際には、Eのアブラハムの物語は、15章《主の言葉が幻の中でアブラムに臨んだ》という所から始まります。ハガルの逃亡(Jで16章、Eで21章)、サラに関するアブラハムの嘘(Jで12章、Eで21章)などが重複しつつ矛盾する記事の例です。一般に、エロヒストの方が、人間的倫理観が強く、その分族長を美化するところもあります。Jの神が絶対という楽天性に換えて、神の祝福に対する人間の応答という面が強調されます。この典型的な物語が、イサク奉献の物語(22章、Eのみ)で、アブラハムは理不尽な神の命令に従い、約束の成就の証しである独り子イサクを焼き尽くす献げ物として屠ろうとするのですが、それでもなお、この子が神のみ手によって生きることを信じ抜いたのです。Eの描く《アブラムは主を信じた/主はそれを彼の義と認められた》は、まさにこの意味での信仰を意味しており、後に、パウロ、ヤコブ両者によって、まったく異なる主張の根拠として用いられていくのです。(cf.
ローマ4章3節以下、ヤコブ2章23節以下)
☆ E(エロヒスト)による契約思想。
シナイ契約の出来事は、出エジプト記19章から始まりますが、Eはその手前に、前文とでも言うべき、モーセの舅エトロの訪問という記事を置いて、契約の精神(10節以下)と、その契約を基本にして執り行うべき政(まつりごと)のあり方(17節以下)を、あらかじめ表明しています。なお、20章の十戒、20章22節から23章にわたる契約の書は、Eが中心であるとも言われています。なお、Jでは、契約に際して、神が天から降られる場面が描かれていたが、Eでは、シナイ山に臨在される神のもとにモーセが登っていくという形に直され、神の偉大さと共に土地の神聖さ、仲介者、祭司としてのモーセの役割に、むしろ強調が置かれるようになった、ということが、本文の細かい分析の結果明らかにされています。Eの出エジプト記だけを辿っていくと、「エジプトの王子であったモーセが、燃える柴の奇跡(3章)に導かれるように、神ご自身からの劇的な召命を受け、異なる民イスラエルを率いて出エジプト、神からの契約を受けて民の指導者となる。ところが、その彼を神そのものと誤解した民は、偶像礼拝を始める。モーセは怒ってこれをいさめ、民は再契約を結ぶ」という大まかな道筋が見えてきます。この中にも、神の計画とそれに対する人間の応答というEの基本的な考え方が貫かれているのです。
☆ 偶像礼拝の批判、金の子牛について。
出エジプト記32章の「金の子牛」の物語も、Eに帰することのできる物語です。Eの書かれた時代、北イスラエルの地方聖所には、さまざまな偶像があふれ、その中心に、ヤロブァムの設定した、金の子牛像(列王記上12章28節)が鎮座して人々の礼拝を受けていました。ヤロブァムのつもりでは、民が他宗教の偶像に迷うことなく真の神を礼拝できるようにという配慮だったのですが、Eの時代、つまりオムリ王の時代、民はただの偶像として、金の子牛を拝んでいたのでした。この偶像礼拝が、次のアハブ王の時代には、異教バアルの急激な導入と合わせて、北イスラエル民衆の異教化という問題につながっていきます。くり返しこの傾向に警告をしつづけていたのが預言者集団で、Eに描かれる「金の子牛」事件も、ただ単に歴史の記述としては受けとれない内容なのです。出エジプト記32章の「金の子牛」の物語における、モーセの言葉を借りて、預言者集団は、神に対して民の無知の執り成しを行うと共に、民に対して神からの厳しい裁きを告げるという自分達の役割を確認してもいるのです。