【キリスト教入門講座】 68                                      2001.02.02

旧約の始まり(10)

  紀元前七二一年にサマリヤが陥落し、イスラエルが完全にアッシリヤによって滅ぼされてしまうと、(周辺のダマスコ、ペリシテ人の都市国家などは既に滅ぼされていたので)今度はユダ王国が、アッシリアと国境を接し、直接の圧力を受けることになりました。ユダが助かった理由は、南に強国エジプトが控えていたこと、戦線が延びきってアッシリアの糧食供給が難しくなったことのほかに、ユダ王国が反アッシリア同盟に組しなかった、という事実も大きく関係しています。この状況の中、独立は保ったとは言え、ユダは、アッシリアの同盟国、むしろ属国のような立場になっていきます。
 政治的な従属は、この時代宗教的な従属を生みます。アッシリアの神々が、イスラエルの地に登場してくるのです。さて、ここで、アッシリアの宗教が、パンテオン的な多神教であったことに注目しましょう。つまり、アッシリアの征服された土地の土俗の宗教も、また、パンテオンの一翼を担う諸神として、ユダに、エルサレムの神殿に入り込んできます。例えば、エレミヤ書七章(三一節)にある人間の生け贄なども、この時代のことだと考えられています。このように宗教混交、具像礼拝がはびこりだすと、それに反発する、祭司たち、預言者グループが、政治的愛国者達と結びつきを深めていきます。ユダ王国は、成功、失敗を繰り返しながらも、次第に反アッシリアの歩みを進めていきます。紀元前六四〇年に即位したヨシヤ王による宗教改革は、その集大成だったと言えます。
 さて、列王記下二二章八節以下によると、改革はヨシヤの第十八年に始まり、当時修理が進行中であった神殿の中から、「律法の書」が発見された、とあります。ヨシヤは祖父ヒゼキヤが行おうとして果たせなかった、宗教改革を通じての宗教的独立を、この「律法の書」を規範として行いました。この「律法の書」がD資料、すなわち、原申命記と呼ばれている、Pの編集以前の申命記であることは、今日の聖書学でも異論のないところです。
大井純氏による作品。

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 きょうは、この申命記律法の内容、およびその中心的な教えについて、次週は、申命記律法の果たした歴史的役割、および、申命記史家と呼ばれるグループの作品と独特な救済史について、見ていきたいと思います。(最来週は、申命記史家による各書に入ります)


☆ 申命記のアウトラインと編集。
 申命記律法は、ヒゼキヤ王の挫折の後、ひそかに宗教改革を準備し続けていた一群の人々によって、準備され、ヨシヤ王の宗教改革の基本方針として、提示されたものでした。以下にそのアウトラインを示します。
  1.モーセによる出エジプトの歴史の解き明かし(1:1〜4:43)
  2.律法の本文(4:44〜28:68)
    律法の前文(4:44〜49)
    十戒の授与(5章)
    十戒の解説(6〜11章)
    その他の律法(12章〜27章)
    神の祝福と呪い(28:1〜68)
  3.モアブで結ばれた契約(28:69〜30章)
  4.モーセの遺言(31〜34章)
    ヨシュアの任命(31章)
    モーセの歌(32章)
    モーセの祝福(33章)
    モーセの死(34章)

 十戒の解説と言われている部分は、有名なシェマ(6:4以下)で始まります。出エジプト記のように、逐次的に細かい決まりを付け加えるのではなく、「主を覚えよ」という十戒の大前提をくり返しさまざまな方面から解説している、という特徴を持っています。その他の律法の中には、血を食べるな(12:23ff)、清い食べ物汚れた食べ物(14:3ff)などレビ記と同様の掟が見られるところも多々あるが、汚れの清めとしての祭祀という特徴はなく、むしろ礼拝は神を覚える場で、罪悪に対処する手段としては、もっと実際的な裁判・刑罰が考えられているなど、他のモーセ四書と極めて対照的なところもあります。

☆ シェマの思想。
 《聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。》(6:4f)これが、シェマと呼ばれる言葉で、ユダヤ教の子供たちが最初に覚える聖句でもあります。申命記の中心は、十戒にあると言われていますが、その十戒を凝縮した内容が、このシェマだとも言われています。新約の中でも第一の掟は何か、という問いに対して、イエス様が、《「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』」》(マルコ12:29f)と答えておられます。律法のまとめということを考えてよいのか、という問題に関しては、イエス様の少し前の時代に、ファリサイ派の二人の偉大なラビ、シェンマイとヒレルとの間でも主要な論争点になったものですが、申命記を用意した人々は、もし、律法を纏めるとすれば、このシェマ、そして、これにそむいた民、為政者たちは、歴史の中で必然的な報いを受ける、と考えていたのです。このあたりの歴史観については、次週詳しく見ていきましょう。

☆ 「あなたの神、主」というくり返し。
 申命記全34章の中に、この言い回しが193回登場してきますから、1章平均5〜6回出てくることになり、これは大変な数字です。まさに、申命記に特徴的な言い回しといえるでしょう。例えば、モーセ四書では、創世記で1箇所(27:20)、出エジプト記で7箇所(15:26、20:7、20:10、20:12、23:19、34:24、34:26)でてくるだけだという事実と比べてみると、以下にこの言葉が申命記的かが分かります。出エジプト記に出現する7回のうち、3回が十戒の中で、1回が十戒の説明で用いられています。申命記も、十戒の精神のもとに、律法を再編集した書物、と見ることもできますが、その十戒の中でも、更に《あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。あなたはいかなる像も造ってはならない。》この最初の二つの戒めが、すべての根本であると言うことを、「あなたの神、主」というフレーズを繰り返すことで暗に示しているのです。(申命記と出エジプト記の十戒の比較を別紙にしましたので、参照してください)

参考までに、出エジプト記と、申命記それぞれに出ている、十戒の比較を載せておきました。