【キリスト教入門講座】 69                                      2001.02.09

旧約の始まり(11)

 《彼はイスラエルの神、主に依り頼んだ。その後ユダのすべての王の中で彼のような王はなく、また彼の前にもなかった》(下一八章五節)と列王記の中でめずらしく褒めちぎられているユダの王ヒゼキヤは、前七一五年に即位し、前七〇五年にアッシリアとの最終的断絶を行いました。この十年ほどの間に、ヒゼキヤは、側近の預言者イザヤらと共に、アッシリアの様子を見ながら、用心深く改革の準備を進めたのです。この準備期間に、例えば、《聖なる高台を取り除き》《モーセの造った青銅の蛇を打ち砕いた》という様な、おそらくそれ以前には異端と考えられていなかった事柄も、厳密に取り上げて改革が行われたし、また、神殿での経済的悪弊の除去という改革も行われました。これらは、《石柱を打ち壊し、アシェラ像を切り倒し》というアッシリアの神々を拒否することにより、完成する改革の途中経過ではあったのですが、逆に、そういう回り道を行うことにより、より深化した改革の姿を創出することができたのです。ヒゼキヤ王の改革自体は、七〇一年アッシリア王センナケリブにヒゼキヤが敗戦することで、実質的に終わりを告げるのですが、この精神が孫のヨシヤ王に引き継がれ、いわゆる申命記改革が行われるのです。その意味で、申命記史家たちにとって、ヒゼキヤの存在は、ヨシヤ王にまさるとも劣らないものだったのです。
  申命記史は、時代を通じて書き継がれ、改訂されつづけ、その中から、申命記の神学思想、ヒゼキヤ、ヨシヤ、の改革思想が次第に醸成されていった、と考える方が実際の伝承史に近いと考えられます。現在に残る書物は、ヨシア王の時代の後、官僚組織から離脱し、独自の思想集団になったもので、ヒゼキヤ、ヨシヤの宗教改革の思想を根本に持つ歴史書です。
 今週は、申命記律法と申命記史家歴史観の関係について、見ていきます。次週からは、申命記史家による各書の概説に入ります。とりあえず、次週は、ヨシュア記と士師記です。


☆ 申命記史家の時代とその著作。
 申命記史家は、特定の時代に生きた個人と見るよりも、歴史記述を生業とした、士師時代から捕囚期にまでいたる、官僚のグループと見るほうが適当でしょう。ただし、彼らはある時点(おそらくヨシヤ王の宗教改革前後)から、特定の思想を奉戴する集団に変貌します。これが、捕囚という激動を通して、なおその著述を守り抜いた彼らの強さの秘密でしょう。
 著作としては、カナン定住の時代を描くヨシュア記、士師の時代を描く士師記、サウル王からダビデ王の晩年までを描いたサムエル記、ダビデ後の継承争いソロモン王即位から南王国ユダの滅亡までを描いた列王記の4作品があります。(時代背景や歴史の説明は、次週からの各書の解説でとり扱います。)

☆ 申命記史家の思想・歴史観。
 《あなたが正しく、心がまっすぐであるから、行って、彼らの土地を得るのではなく、この国々の民が神に逆らうから、あなたの神、主が彼らを追い払われる。またこうして、主はあなたの先祖、アブラハム、イサク、ヤコブに誓われたことを果たされるのである。》(申命9章5節)この章節が、申命記史家の歴史を見る根本の視点です。まず過度の選民意識(自分達は神に選ばれた種族で、他の民族とは根本から違う、という意識)を否定し、彼らは、ベターだから選ばれたので、ベストだからではない、という点に立脚して、民族の歩みを冷静に見ようとします。その上に立って、亡びとは神に逆らった結果自らまねき寄せる呪いに他ならない、という歴史観を持って、現実の歴史を解釈し、叙述していきます。例えば、南北に分かれた王国のうち、北イスラエルの方が、異教の国々に囲まれていたため、偶像礼拝の悪習に早く染まった、という歴史的事実があります。これとは独立に、北イスラエルは預言者勢力が強く、政権の基盤が不安定で、王朝の交代が頻繁に起こった、という事実があります。申命記史家は、この二つを結び付けて、《彼らは、イスラエルに罪を犯させたヤロブアムの家の罪を離れず、それに従って歩み続けた》(13章6節など)結果、イスラエルは滅びることになった、《こうなったのは、イスラエルの人々が、彼らをエジプトの地から導き上り、エジプトの王ファラオの支配から解放した彼らの神、主に対して罪を犯し、他の神々を畏れ敬い、主がイスラエルの人々の前から追い払われた諸国の民の風習と、イスラエルの王たちが作った風習に従って歩んだからである》(17章7節)と結論づけるのです。申命記史家は、ユダの滅亡も知っているわけですが、北イスラエルの滅亡の後、異教の国々と付き合わざるを得なくなってきたユダに、偶像が増え始める時期と、バビロニアにより、ユダが圧迫を受けついには滅んでしまう時期ともやはり関連させて考えることになります。ただ、この時期、ヒゼキヤ、ヨシヤ、の二代にわたる宗教改革も行われています。そこで、第3の観点、《主はあなたの先祖、アブラハム、イサク、ヤコブに誓われたことを果たされる》という希望と、不信仰による滅亡という現実の狭間に、神に従順な人々の存在を結び付けて、そこに、ユダヤ再生の可能性を見たいと考えているようです。ただし、列王記の終わり方から見て、この作品は捕囚の半ばで完成され、帰還を体験していないということも分かるのです。

☆ 申命記史の最終的な編集とPの関係。
 申命記史家の作品が、捕囚期の始めにはほとんど纏められていたであろうことは、その記事が、ユダ前王ヨヤキンの解放の記事(25章27節以下)で終わっていることでも分かります。グループとしての、申命記史家の存在は、士師時代の末にまで遡れるという事ですから、申命記自体も、各歴史書の成立と共に、その思想を成長させ完成させていったのだ、と考えることができます。まず申命記の思想があって、歴史がそれに従って書かれたというよりも、歴史の記述を進めるに従って、史観が固まり、それが神学思想にまで発達して、律法の再構成という所まで至ったのが申命記で、その時代がヨシヤ王の時代と考えることができるのです。その後は逆に、この完成した申命記の思想に従って、歴史記述が校正され、一貫した歴史書として纏められたのです。この歴史書の成立時期は、捕囚の前半と考えて良いでしょう。この歴史書を、歴史を通して語られた神の言葉として再解釈したのは、Pの神学です。Pは、その様な神の啓示=歴史を参照しつつ、モーセ五書として、申命記を加えた律法書を纏め上げていったのです。