【キリスト教入門講座】 72 2001.03.02
旧約の始まり(14)
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ソロモン王は、血腥い陰謀の中から生まれたにしては、その天性の明るさと、賢さから、よくダビデの後を継いで、国の繁栄を守った、と称えられて良いでしょう。しかし、生まれつき王家の人間であったソロモンには、ダビデのように民の苦しみを斟酌する器がありません。彼にとっての基本は、対外関係の中でのイスラエルとしての国益でした。ソロモンの富、という意味は、それだけ民に負担を強いたという事でもあるのです。人柄で治めたソロモンのつけは、その子レハブァムが払わねばなりませんでした。彼には、父親ほどのカリスマがなかったからです。こうして王国は南北に分裂しました。 北王国も、王ヤロブァムと彼を支持した、反王制的な預言者勢力との間に、初めから溝がありました。ヤロブァムのカリスマがこれを救っていたのですが、子のナダブの代で破綻を見せます。北王国の王たちは、オムリの登場までの間、さんざんの混乱を経験します。オムリ王は、王国の安定と引き換えに、偶像礼拝を持ち込みました。そして、これが結果的に命取りになったのです。 きょうは、列王記のアウトラインと、その時代背景を見ます。次回は、バビロン捕囚についてです。引き続き各書を見ていきます。 |
☆ 列王記のアウトライン。
1.ダビデ王継承史の結末(上1:1〜2:11)、ダビデ王の最後が2章にあります。
2.ソロモン王の物語(上2:12〜11章)
ソロモンの王座の確保(2:12〜46)、
ソロモン王の統治(3章〜5:14)、第一神殿の建設(5:14〜9:9)、
ソロモンの事業とその富(9:10〜11章)、ここにシェバの女王の来訪の話(10:1f)も含まれています。
3.南北分裂時代初期の王たちの歴史(上12〜16:22)
序:王国の分裂(上12〜14章)ヤロブァム;レハブァム
初期の王たち(上15章〜16:22)、ここに記述されている王は、イスラエルでは、ナダブ(15:25f)、バシャ(15:33f)、
エラ(16:8f)、ジムリ(16:15f)の4代、ユダについては、アビヤム(15:1f)、アサ(15:9f)の2代です。
4.オムリ王朝の王たちとその時代(上16:23〜下11章)
序:オムリ王とアハブ王(上16:23〜34)、オムリ王朝の始まりです。
預言者エリヤの物語(上17〜下2:18)、ここはイスラエル王アハブの治世の物語でもあります。ほかに、イスラエル王として
は、アハズヤが出てくるだけ、同時期のユダの王としては、ヨシャファト(22:41f)が挙げられているだけです。
アハズヤ王の治世の中で、預言者エリヤは召天し(下2:1f)、エリシャに後を託します。
預言者エリシャの物語(下2:19〜8章)、イスラエルの王は、ヨラム(下3:1f)、同時代のユダの王としては、
ヨラム(下8:16f)とアハズヤ(下8:25f)が挙げられています。
イエフの反乱と政権奪取(下9〜10章)、9:30f
には、アハブ王の王妃イゼベルの死が特記されています。
5.サマリヤの陥落までの王たちの歴史(下11〜17章)
イエフの王朝(下12章〜15:12)イエフの血筋のイスラエル王は、イエフ、ヨアハズ(下13:1f)、ヨアシュ(下13:10f)、
ヤロブァムU世(下14:23f)、ゼカルヤ(下15:8f)の5代で、同時期のユダの王としては、ヨアシュ(下12:1f)、
アマツヤ(下14:1f)、アザルヤ(下15:1f)の3代が数えられています。
最後の混乱期の王たち(下15:13〜17章)、イスラエルの最後の王たちとしては、シャルム(下15:13f)、
メナヘム(下15:17f)、ペカフヤ(下15:23f)、ペカ(下15:27f)、ホシェア(下17:1f)の5代が挙げられ、
同時代のユダ王としては、ヨタム(下15:32f)、アハズ(下16:1f)の名が挙げられているが、
実際にサマリヤの陥落の時にユダの王位に在ったのは、次に挙げるヒゼキア王でした。
サマリヤの陥落の記事は、17章にあります。
6.ユダ王国の滅亡までの王たちの歴史(下18〜25章)
ヒゼキヤの宗教改革(下18〜20章)
マナセ王の反動(21章)
ヨシヤ王の宗教改革(22章〜23:30)
ユダの最後の王たち(23:30〜25章)、この時代のユダの王として、ヨアハズ(下23:31f)、ヨヤキム(下23:36f)、
ヨヤキン(下24:8f)、ゼデキヤ(下24:18f)の4代が挙げられ、その他に、バビロニアにより任命された総督として、
ゲダルヤ(下25:22f)の名前が挙がっています。なお、エルサレムの陥落についての記事は、25章にあります。
☆ 王たちの年代と世界史的な背景。
ここでは、滅亡に至るまでのイスラエルの王たちについて考えます。分離独立後のヤロブァムは、前922〜901まで21年、その後のナダブ、バシャ、エラ、ジムリの4代で、わずかに、25年です。ヤロブァムの子ナダブは、1年の在位の後、バシャに殺され、そのバシャの子のエラも在位1年に満たぬうちに、ジムリに暗殺されてしまいました。ちなみに、このジムリの在位は、僅か1週間といわれています。(バシャの時代は長くて23年間です)。次にオムリ王朝4代ですが、オムリ(876〜869)、アハブ(〜850)、アハジヤ(〜849)ヨラム(〜842)と計34年間君臨します。オムリ家を倒した、イエフ王朝は、中興の賢王ヤロブァムU世の治世(786〜746)を含み、100年近く続きますが、その前半はダマスコとの抗争に明け暮れた日々でした。ヤロブァムが死に、その子ゼカリヤが6ヶ月の短い治世の後、シャルムに殺された時、東からのアッシリアの圧力が、ひたひたと押し寄せてきていました。5代を数えるイスラエル最後の王のうち、終わりをまっとうできたのはメナヘム一人のみ、サマリヤの陥落(721年)まで24年間でした。この間のイスラエルの消長は、アッシリアの動向に影響されることが大きいのですが、エジプトは、この間内戦を繰り返し、対外的には、さほどの影響力を発揮しません。ようやく第26王朝、有名なファラオ、ネコU世によって、強いエジプトが復元されますが、それはエレミヤの時代、すなわち、ユダ王国の滅亡の時代です。ヤロブァムからヤロブァムU世に至るまでの時代は、むしろ北方のダマスコとの覇権争いの時代で、アッシリアの勢力が増した時に、イスラエルも強くなっているのです。ところが、ティグラト・ピレセルがアッシリアの王位に着いたときから事情が変わり、強大国アッシリア対弱小勢力という図式になってきます。その中で、一つ一つ国が滅んで、ユダだけが残っていったのです。
☆ 申命記史家と偶像礼拝の問題
列王記の著者達の興味は、しかし、こうした、戦争の記録にあるのではありません。預言者エリヤ、エリシャの時代に計13章を使い、ヒゼキヤ、ヨシヤの宗教改革に4章を使った史家たちの意図は明らかですが、サマリヤの陥落に関する記事を見ても、歴史的記述が17:1〜6
なのに対して、7〜41節を使って、長々と、イスラエルが、唯一の神ヤハウェから離れ、異教の神を礼拝し、偶像たちに仕えていたから、このような災厄に見舞われた、という説明が書かれています。エリヤ、エリシャの戦いも、王妃イゼベルの持ち込んだ、バァル、およびアシュラという強力な異教祭儀との戦いだったのですが、この列王記の記述する全時代を通じて、もっと潜在的な偶像礼拝が大きな問題でありつづけました。申命記史家たちは、ユダの宮廷に仕えながら、北の預言者グループと緊密な連絡を保ちつつ、偶像礼拝に反対する史観を育てていきました。列王記が、どちらかといえば北王国とその預言者たちの記録という性格が強いのも、このような経過によるからでしょう。晋の陳寿が、その前の時代を飾る英雄達の記録を残したように、申命記史家たちは、既に滅びてしまった北王国と、その偉大なる預言者たちの働きを、歴史の記録として残していったのです。