【キリスト教入門講座】 74 2001.03.16
旧約の始まり(16)
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エズラ、ネヘミヤの時代を考える時、まず、四つの年代を並べて考えるところからはじめていきます。すなわち、前五九八年(捕囚の開始)、前五八七年(捕囚の完了)、前五三八年(キュロス王による解放)、前四五八年(エズラの帰還)そして、前四四五年(ネヘミヤの帰還)です。この年代をどう見るかは自由です。しかし、バビロニアの滅亡、即、ユダヤの再建とつながらなかったことは一目瞭然です。エステル記に残されているようなエピソードが積み重ねられ、次第にペルシャ帝国の宗教政策に影響を与えて行った、と考える方が理にかなっているのです。捕囚の期間も、通常五八七年から五三八年の五十年間と考えるのですが、実質的には、五九八年から四五八年までの百四十年間と考えることもできるのです。 さて、エズラの帰還までがいわゆる、公式の第一次帰還です。彼は「天にいます神の律法の書記官」(エズ七・十二)という正式称号をペルシャから受けています。これは実際ペルシャ側の碑文からも確認できるそうです。キュロス王の宣言から八十年もの準備期間を持ち、エズラ七章にあるような正規の辞令を受けた |
| 帰還だったにも拘らず、エズラ記八章にある人数(男だけですが)合わせて、約千五百人足らずです、合計で四千人に満たないでしょう。エズラ以前に帰還していた人数は、エズラ記二章(ネヘミヤ記七章)にある四万二千三百六十人という数字でしょうが、この人々が約一割に当たるエズラたち指導者によって新しいユダヤの国へと再組織されていく、という両書に描かれた歴史が実態なのでしょう。エズラ記の中心は、神殿礼拝の復活と異邦人との雑婚の禁止、ネヘミヤ記の中心は城壁の再建および国家としてのユダヤの再建です。しかし、同じ時代を描いているこの二つの書物は、並行して見て行く必要があるのです。(著者は歴代誌家と言われています。神殿礼拝の重視という共通性があるからです) きょうは、エズラ記ネヘミヤ記のアウトラインと、その時代を見ます。次回は、飛ばしていたルツ記、次々回にエステル記、それから預言書を見ていきます。 |
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☆ エズラ記のアウトライン。
1.捕囚からの帰還(1〜2章)
ペルシアの王キュロスの布告(1章)、帰還した捕囚の民(2章)
2.神殿の再建(3〜6章)
祭壇の再構築(3:1〜7)
神殿の基礎(3:8〜13)
工事の中断(4章)、ここに、アルタクセルクセス王との往復書簡(4:11bff、4:17bff)を含みます。
神殿工事の再開と完成(5〜6章)、ここに、ダレイオス王との往復書簡(5:7bff、6:2cff)を含みます。
3.エズラの帰還(7〜8章)
エズラの任務(7章)
バビロンから上って来た人々(8:1〜14)
出発の準備(8:15〜30)
エルサレム到着(8:30〜36)
4.雑婚にまつわる問題(9〜10章)
異民族の娘との結婚とその問題(9章)
異民族の妻子との絶縁(10章)
☆ ネヘミヤ記のアウトライン。
1.ネヘミヤの回顧録(1:1〜7:72a)
回顧録本文(1:1〜7:3)ここに、ネヘミヤの祈り、エルサレムへの旅、城壁の修復、敵の妨害と民の不正、
城壁の完成までが含まれています。
帰還した捕囚の民(7:4〜72a)
2.エズラによる律法の改革(7:72b〜10章)
律法の朗読(7:72b〜8:12)
仮庵祭(8:13〜18)
民の懺悔(9章)
新たな誓約(10章)
3.ユダヤ国家の再建(11〜13章)
エルサレムおよび他の町と村に住んだ人々(11章)
帰還した祭司とレビ人の名簿(12:1〜26)
城壁の奉献(12:27〜47)
ネヘミヤの改革(13章)
☆ 第一次帰還と新生ユダヤ国家の成立
エズラ記1章3節のキュロス王の言葉《天にいます神、主は、地上のすべての国をわたしに賜った。この主がユダのエルサレムに御自分の神殿を建てることをわたしに命じられた》について、何らかの解放令がペルシャ王キュロスから発せられたことは、誰もが認めています。と同時に、その解放令が、聖書に書かれている通りのものだったと信じている人もいません。キュロス王の宣言は、むしろペルシャ帝国としての、今後の統治方針とでもいうものだったでしょう。もともと、厳格な二神教の下で生活していたペルシャ人ですが、自分たちの宗教を脅かさない範囲では、どのような宗教も受け入れるという寛容さを持っていました。彼らの宗教が高度に発達した二神教で、それにより世界の成り立ちから、人間の持つ罪まで説明できるものだったから、多少の偶像、迷信などは、邪神の一部としてその教義に吸収してしまえたのです。ユダヤ教の唯一神信仰に対しても、その対極の悪という存在を想定できる限り、正神の変化形の一つとして容認できたのです。(もっとも、)アルタクセルクセス王の書簡等を見る限り、一方でユダヤ教が唯一性を主張することに対する危惧も強かった、ということは言えます。いずれにせよ、キュロス王は、ペルシャ帝国としての一般的宗教政策を述べただけで、それが実際にユダヤ民族に適応されて、神殿の再建という結実を得るのは、三代目ダリウス王の時代になります。
しかし、このようにして再建された神殿、そろそろと集まってきた烏合の民衆、おそるおそる回復される祭祀という状況は、逆に、指導者層の不在を後のわたし達に示してくれているようです。エズラたちが戻る以前の、エルサレムの人口42,360人という数字は、そのままエルサレムに住み着いてしまった者たち、および、捕囚後にその周辺の土地から戻ってきた者たち、ことにサマリヤやイドマヤから流入してきた人口がその大部分であったと考える根拠があります。エズラ記、ネヘミヤ記で、あれほどこだわって異教徒の娘との結婚を忌避しているからです。それが実際の脅威とならなければ、ここまでの強硬手段がとられることもなかったでしょう。その意味で、初めてのユダヤ人リーダーの到着が、エズラでありネヘミヤだ、ということが言えるのです。この時代をもって、第1次帰還の時代の終わりとします。しばらくのインターバルの後、今度は周辺部を中心に、新たなバビロンからの入植が始まります。この第2次帰還を待って、新しいユダヤという国が完成していくと考えたいのです。また、ユダヤ教もまた、この第二の集団によって、守られこの後発展を遂げていくことになります。シナゴグを中心とした共同体の建設、それは、エルサレムの再建に勝るとも劣らない歴史の屈折点だったのです。