【キリスト教入門講座】 75 2001.03.23
旧約の始まり(17)
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マタイ福音書の冒頭の系図には、《ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、エッサイはダビデ王をもうけた》(一五節以下)と書かれており、ルカの系図でも《ダビデ、エッサイ、オベド、ボアズ》と確認できる、ボアズの妻ルツが、この物語の主人公です。もっとも、このボアズ以前の家系になると、多少怪しくなり、ルツ記自体の系図では、《ナフションにはサルマが生まれた。サルマにはボアズが生まれ、ボアズにはオベドが生まれた》と書かれている、ボアズの父サルマが、ルカの系図ではサラ、マタイの系図ではサルモンになっています。(この程度は誤差の範囲考えることもできますが...) このルツ記は、実は二つの時代を反映しております。この物語が成立した時代は、バビロン捕囚からの帰還の時代、それも、ベツレヘムという年への第二次帰還と入植の時代、とかなり厳密に特定することができます。と同時に、その物語の舞台となった時代は、《士師が世を治めていたころ》という書き出しに明らかなように、士師の時代、それも、ダビデ王の曽祖父ボアズの時代、ということで、これまた厳密に特定することができます。この意味で、小説というジャンルでありながら、ルツ記は二つの時代を反映する大切な資料になるのです。 |
| なお、ルツ記は、もともと諸書として分類されていました。これが現在の位置に置かれたのは、ギリシャ語訳の七十人訳聖書が初めてです。きょうは、ルツ記について見てきました。次週は、エステル記を見ていく予定です。 | |
☆ ルツ記のアウトライン。
1.ナオミの旅(1章)
モアブに残されたナオミ(1:1〜7a)
ルツの決意(1:7b〜19a)
帰国(1:19b〜22)
2.ボアズの畑にて(2:1〜23a)
落ち穂拾い(2:1〜3)
ボアズの好意(2:4〜16)
ナオミへの報告(2:17〜23)
3.麦打ち場の出来事(2:23b〜3:18)
ナオミの忠告(2:23b〜3:4)
ボアズとの一夜(3:5〜15)
ナオミへの報告(3:16〜18)
4.町の門にて(4章)
買戻しの律法と結婚(4:1〜10)
人々の祝福、神の祝福(4:11〜17)
ダビデの系図(4:18〜22)
☆ ルツ記に見られる士師の時代の風景。
この物語に出てくるモアブ民族は、紀元前13世紀頃に、ヨルダン川東岸に定着し、建国しました。ちょうどイスラエル民族のカナン侵入と時を同じくした定着でした。また、バビロニアにより、ユダ王国が滅ぼされるより一足先に、この民族の国家は同じバビロニアのネブカドネザル王によって、攻め滅ぼされ、そのまま歴史の中から姿を消してしまいます。士師の時代の前半は後発遊牧民達との争い、後半はペリシテ人との覇権争いだったのですが、この期間を通じて、終始イスラエル民族と協調して歩んだ異民族が、モアブ人です。ソロモン以後の南北分裂期に入ると、偶像礼拝との拘り、あるいは政治的な駆け引きの中で、しばしばイスラエルあるいはユダと対立することになりますが、根本にある近しい民族感情は残っていった、と考えられます。
ルツ記では、ナオミは飢饉に遭って、モアブに逃れ、その地の女性たちを嫁に迎えます。出エジプトの出来事の反映とする見方もありますが、ここには、近しい隣人としての士師時代の両民族の共存が反映されていると見てよいでしょう。国境線に人が縛られ、大土地所有と農奴という関係が明確になってくる以前の士師時代に舞台を設定したことも、物語の全体のトーンをおおらかにし、昔語りのように見せています。落ち穂拾いのエピソードも、単に律法に書いてあるからというものではなく、実際に風習として守られていたと考えられます。また、ルツがボアズの衣に忍び込むというエピソードも、士師の時代の風習を窺がわせるものです。
☆ ルツ記に見られる第二次帰還とその時代
ルツ記は、そうは言っても、4章の2つの律法の調整という部分に、その重点を置いています。一つはレビ記25章25節《もし同胞の一人が貧しくなったため、自分の所有地の一部を売ったならば、それを買い戻す義務を負う親戚が来て、売った土地を買い戻さねばならない》という買い戻しに係わる律法であり、もう一つは、申命記25章5〜6節《兄弟が共に暮らしていて、そのうちの一人が子供を残さずに死んだならば、...亡夫の兄弟が彼女のところに入り、めとって妻として、兄弟の義務を果たし、...その名がイスラエルの中から絶えないようにしなければならない》という「レビラート婚」と呼ばれる風習の律法化です。さてこの2つの律法の調整の仕方が、実にラビ的なのです。レビ記の親族について言えることは、すなわち、親族に含まれる兄弟についても成り立つ、一方、申命記で兄弟に付いて語っている事項が「故人の名がイスラエルの中から絶えない」という目的で行われるのならば、兄弟が居ない場合、レビ記の規定で責任を負う親族のものがその代行をするべきである、という論法は、ピルプル論法と呼ばれ、現在に至るまでユダヤ教の律法研究に際して覚えておくべき大切な修辞法に数えられています。このようなレトリックが始まった時期としては、捕囚からの第2次帰還以降と考えられるので、この物語の成立もその時代と考えます。
ナオミの帰還した、ベツレヘムという町が入植されたのもこの時期ですから、この入植初期の時代にベツレヘムで成立した物語、と考えて良いでしょう。その際、モアブ人、つまり、異教徒のルツを妻にするということが、大きな物語のテーマとして浮き上がってきます。それを拒絶する親戚の人と、それを受け入れるボアズ。そのボアズの家系から、ダビデ王が誕生したという物語の終わり方は、エルサレムの祭司階級の民族浄化策に反発して、教育による、宗教的妥協を伴わない民族同化、というラビたちを中心とする、第2次帰還グループの考え方とよく呼応するのです。