【キリスト教入門講座】 77 2001.04.06
旧約の始まり(19)
![]() |
《ウジヤ王が死んだ年のことである》イザヤの召命の記事が置かれている、6章1節はこのように始まっています。《イスラエルの王、レマルヤの子ペカの治世第二年に、ユダの王ウジヤの子ヨタムが王となった》という列王記下15章32節がこの年に当たると考えられます。ユダ王ウジヤについては謎の部分も多く、即位時は、アザルヤと呼ばれているのです。後継者がヨタムと同じなので、同一人物と考えられていますが、52年間という長期の在位期間は、強大なイスラエルのヤロブアムU世の影に覆われている、と見ても良いのです。実際、アザルヤの父アマツヤは、イスラエルに敗れて捕虜となっています。(列王下一4:13)このときに王に擁立された王子がアザルヤ、しかし、王位継承は、ウジヤ、ヨタムと続いていくのです。実はこの時代ユダは、イスラエルの属国として存続したのだ、という説があり、かなり有力視されています。 いずれにせよ、ウジヤ王の治世について、明確な記録が残されていないので、預言者イザヤの登場は、逆算して前736年等と考える他ありません。(計算の仕方によって、前742年、747年という説もあります)イスラエルに隷属していたユダは、ヤロブアムU世の死とその直後の政変の間に独立を果たし、南方貿易の拠点(エイラト)を再建するなどして力をつけ、逆にイスラエルを圧迫する立場に変わります。イザヤは、この歴史の急転を見て育ったのです。 |
| イザヤ書は、この預言者イザヤの託宣(1〜39章)、捕囚期に預言活動をした第二イザヤと呼ばれる人物の託宣(40〜55章)、捕囚から帰還に際して、民を力づけ、導いていった一群の預言者たち(多分イザヤ学派と呼ばれていた人たち)の手によって綴られていった託宣(56〜66章)の三部に分けて考えられている。もちろん、それらすべてを通じて、共通する思想や、最終編集者の存在があったから、現在この書がイザヤ書として一巻にまとめられているのです。しかし、きょうは、いわゆる第一イザヤ(1〜39章)に限定して、そのアウトラインと、預言者イザヤの人物と時代を概観していくことにします。次週はエレミヤ書を取り上げます。 | |
☆ (第一)イザヤ書のアウトライン。
1.イザヤの預言(1〜12章)
イザヤの預言への序(1章)
ウジヤ時代の預言(2〜5章)
イザヤの召命(6章)
シリア・エフライム戦争に際しての預言(7〜9章)
ヒゼキヤに対する預言(10〜12章)
2.諸国民への言葉(13〜23章)
バビロンへの言葉(13:1〜14:23)
アッシリアとペリシテに(14:24〜32)
モアブへの言葉(15〜16章)
ダマスコへの言葉(17章)
クシュへの言葉(18章)
エジプトへの言葉(19章)
アシュドドの占領(20章)
バビロン陥落の預言(21:1〜10)
アラビヤ諸族への言葉(21:11〜17)
幻の谷について(22:1〜14)
シェブナとエルヤキム(22:15〜25)
3.イザヤの黙示録(24〜27章)
4.イザヤの預言の続き(28〜32章)
酔いしれる指導者たち(28:1〜22)
農夫の知恵(28:23〜29)
ユダの背信と神の恵み(29〜30章)
神の手による勝利(31〜32章)
5.イザヤの未来展望(33〜35章)
シオンへの祝福(33章)
エドムの審判(34章)
栄光の回復(35章)
6.イザヤに関する歴史的補遺(36〜39章)
☆ 預言者イザヤの時代。
イザヤの時代は、ウジヤ王の終わりの時代、ユダがパレスチナでの最強国にのし上がった時代です。これは、一つには、南方を脅かすエジプトの力が、不統一で極めて弱かった、という事情と、アッシリアの勃興期に当たり、北の対抗勢力、イスラエル、ダマスコなどがアッシリアに対抗することで手一杯だった、という事情が重なって、出来上がった一種の真空地帯にユダの力が広がった、と考えて良いでしょう。その後の時代は、アッシリアを中心にして動いていきます。ユダ王ヨタム、アハズは、親アッシリアという政策では一貫していました。ただ、親譲りの反イスラエル感情により遠交近攻策をとっただけのヨタムに対して、アハブはもっと積極的にアッシリアと同盟してダマスコやイスラエルを倒すことを考えました。その経過の中で、宗教的にもアッシリアに隷属するということが出てくるのです。アッシリアの宗教の導入は、その他の異教にも道を開きます。それまで比較的偶像とは縁の薄かったユダの人々が、たちまち偶像を受け入れていく時代です。一つには、イスラエルの敗北により、難民が流れ込み、異教が盛んになったという面もあります。次のヒゼキア王の時代は、この流れに対する反発の時代です。王を中心に、イザヤ、ミカ等の預言者が、神殿改革に着手します。ただ不幸なことに、この若き英主は、宗教のことよりも政治のことが好きだったようで、改革を半端にしたまま、エジプトとの同盟を画策し始めます。イザヤがこれに反発したことは有名な話です。エジプトはこの頃、エチオピア系の(クシュ)第25王朝のもとで統一を果たしますが、まだまだ力としては弱く、ヒゼキア王の後ろ盾にはなり得なかったのです。反アッシリア同盟の盟主として敗退したヒゼキア王は、不本意な晩年を送るのです。
☆ 預言者イザヤの使信
イザヤの預言の中心は、神は選民イスラエル(この場合ユダ)との契約を決して破られない、という確信にあります。この契約は、しかし、神の絶対的主権、神の政治という形で実現するものなのです。その意味で、エルサレムは不落なのだし、神の民は永遠なのです。このようなイザヤの使信の背景に、預言者として立つ前のイザヤの置かれていた歴史を見ることは許されるでしょう。ユダがイスラエルに従属していた、ヤロブァムU世の時代が、イザヤの少年期、ウジヤ王のもとで、イスラエルから独立し、エイラトの回復による南方貿易の復活などもあって、ユダが繁栄の時期に入り、逆にイスラエルが内紛やアッシリアの圧力などで弱体化する頃、イザヤは青年期を過ごしていたと考えられます。これらの経験から、イザヤは、人間の政治的駆け引きや努力の無力さ、果かなさなどを実感したのです。と同時に、イザヤのユダ国民としての愛国心が、神あってのユダ、という考え方に収斂されてきます。この際、イザヤにとって、ユダこそ真のイスラエル、神ヤーウェと契約を交わした神の民なのです。(北王国イスラエルを名指しする時には、したがって、エフライムとかサマリヤと呼ぶことになります。)この意味で、民の残りの者、という考え方は最初からイザヤの中にあった(ユダが残りの者だった)と考えて良いのです。メシアの思想も現実の為政者に対する失望と裏腹なのですが、一時期、現実のヒゼキア王の中にこの理想の君主を重ね合わせて考えます。この期待も、ヒゼキア王がイザヤの頑固なまでの神聖政治路線と袂を分かち、現実的と見られる政治手法を選んだことによって、崩れていきます。それでも、メシアがダビデの家系から生まれるという信念はイザヤの中に残りつづけます。