【キリスト教入門講座】 80 2001.05.18
旧約の始まり(22)
イザヤ書の40〜55章を、現代のわたし達は第二イザヤと呼び、一つ区切りの預言書と考えます。この第二イザヤが活躍した時代は、バビロン捕囚末期、ちょうどバビロニアが、キュロスU世率いる(アケメネス朝)ペルシャによって倒され、捕囚に遭ったユダヤ人達も、同王からの解放令を受け取った時期にあたります。この解放令は、エズラ記1章2節以下で《ペルシアの王キュロスはこう言う/天にいます神、主は、地上のすべての国をわたしに賜った/この主がユダのエルサレムに御自分の神殿を建てることをわたしに命じられた/あなたたちの中で主の民に属する者はだれでも、...エルサレムに上って行くがよい》と記録されています。この解放令が実際に、バビロニアの滅亡後に出されたものであるという古来からの通説に、いま強力な反証が上がっているのです。新バビロニア帝国の滅亡と、この布告の出たキュロス王の元年(538年)との前後関係の問題です。旧来、このキュロス王の元年という記述の意味を、キュロス王のバビロニアにおける治世第一年と見る説が有力だったのですが、近来他の地方から出土された粘土板等の史料の中に同じ起年に由来すると見られるものがある、という説が浮上してきたのです。この説に従えば、治世第一年とはキュロス王が統一を予測して、正式に即位した年となります。その場合、バビロンはまだ陥落していなかったが、その地に捕囚になっているユダヤ人たちの協力を期待して、先に解放令を出しておいた、と考えるほうが自然になります。閑話休題。第二イザヤは、この解放令をかなり以前から予測し、キュロス王を神の遣わした解放者とみなした預言を行います。ところが実際に蓋を空けてみると、キュロス王の政策は、すべての宗教に対して寛容なものでした。また神殿は再建されたものの、ユダヤの民が呼応していっせいにエルサレムに帰還するということも起こりませんでした。この経験は、第二イザヤに一つの挫折を与えます。しかし、この挫折を経た後、四つの僕の歌という形で、第二イザヤの思想は結実していきます。この流れを頭に入れて、今回はイザヤ書の第二イザヤ部分のアウトラインと(僕の歌、殊にその中心とも言える第四の苦難の僕の歌を通して、新約の信仰へと繋がる)思想を見ていきたいと思います。次回は、ダニエル書について考えていきます。 |
☆ 第二イザヤのアウトライン。
1.前期預言1:シオンへの救済(40〜41章)
2.第一の僕の歌と付論(42章1〜9節)
3.前期預言2:バビロンからの解放(42章10〜48章)
この部分に、キュロス王による具体的な解放への希望が描かれた部分が含まれています。
4.第二の僕の歌と付論(49章1〜12節)
5.後期預言1:シオンへの救済(49章13〜50章3節)
6.第三の僕の歌と付論(50章4〜11節)
7.後期預言2:シオン復興の激励(51〜52章12節)
8.第四の僕の歌:苦難の僕(52章13〜53章)
9.後期預言3:新しいシオンと救済(54〜55章)
全体としてみると、バビロン陥落以前の2つの前期預言、バビロン陥落以後の2つの後期預言、そして、最後に書かれた
救済の預言(後期預言3)を四つの僕の歌で繋ぐという構造をとっています。40章以下の前期預言1と54章以下の後期
預言3の違いが、第二イザヤという預言者自身の心の成長の軌跡を現している、という意味でも珍しい形式の預言書です。
☆ キュロス王と第二イザヤ。
第二イザヤの中で、キュロス王の名前が具体的に出てくるのは、44章28節とそれに続く、45章1節の二箇所だけです。しかし、前期預言2のバビロンからの解放の部分は、大きく前半後半の2部に分かれ、神の力強い手による解放を謳った前半部(42章10〜44章23節)が、44章24節以下では、具体的なキュロス王という神の道具によるバビロニアの制圧という歴史的な預言(後半部、〜48章)へとつながっているのです。45章1節では、《主が油を注がれた人キュロスについて/主はこう言われる》とまで書かれています。「油を注がれた人」はすなわちメシアなのですから、これは最上級の期待と理解できます。(当時一般的であった、メシアはダビデの家系からという暗黙の了解を、あえて破ってまでの発言です)
しかし、バビロン占領後のキュロス王の政策は、殊にバビロニアの主神であるマルドゥクを受け入れ、ヤハウェに対してと同様の宗教的寛容を示したそのやり方は、第二イザヤをいたく失望させます。この結果が後期預言に反映され、そこではキュロス王の業績にもペルシャの支配にも一切触れられて居らず、イザヤ思想を受け継いだシオンの復興こそがその期待の中心になるのです。しかし、同じ後期預言でも、1、2と僕の歌を踏まえた3では、微妙にそのトーンが違ってきます。キュロス王に失望した第二イザヤは、その解放令を利用して積極的にシオンの再興へと動かない無気力な民にも失望していきます。その彼が最終的にたどり着いた新しいメシア像、それが「苦難の僕」だったのです。
☆ 苦難の僕を通じて与えられた第二イザヤの使信。
第二イザヤの残したもっとも大きな功績は、4つの僕の歌といわれます。これらの僕の歌は、後期預言で謳われた「シオンの復興」が名目だけのものに成り下がった現状の中で、自分の預言活動を自己批判し、恐らく沈黙の内省期間を経た後で、形作られていきます。始めの3つの僕の歌が最初に作られ、救済を苦難を負い続けるメシアの中に見出す、という独特の思想を完成していきます。ここでは、現実の世界では、充分に神の期待に応えられない民たちを、宗教的な次元で理想化し、僕=メシアの苦難へと投影しています。52章13〜53章にかけて綴られる、いわゆる、苦難の僕の歌は、この思想を極限にまで推し進め、神が遣わした僕=メシアの代理贖罪によって救いが完成するという希望が語られます。贖罪思想は、もともと動物犠牲の典礼と関係の深いものでしたが、これをメシア思想と関連付け、しかも、メシアその人が、《自らをなげうち、死んで/罪人のひとりに数えられた》(53章12節)とまで描き出すのは、この第二イザヤの預言のみです。ここに、新約のメシア=キリスト=主イエスに対する預言を読み取るのは、極めて自然な解釈と言えるでしょう。