【キリスト教入門講座】 81 2001.05.25
旧約の始まり(23)
ダニエル書には、「人の子」について、《「人の子」のような者が天の雲に乗り》(七章一三)という有名な言葉で書かれています。また、書かれた年代は遅いものの、四大預言書の一つとして数えられています。文学形式は黙示文学というもので、聖書の中では、他にヨハネの黙示録があるだけですが、紀元前3世紀からイエスの時代を経て紀元2世紀のヨハネ黙示録に至るまで、ユダヤ人の間で流行した文学形式であるだけに、イエス様やその周辺の人々への影響も無視できない、その意味で大切な書物です。というように、大切な書物である事は分かるのですが、なかなか、他の預言書のように素直に読めない書物でもあります。さて、ダニエルという名前は、「神は裁かれる」という意味を持ち、《たとえ、その中に、かの三人の人物、ノア、ダニエル、ヨブがいたとしても》(エゼキエル一四章一四)のように、伝説的な「義人」として考えられています。ダニエル書の前半(一〜六章)は、このダニエルという名前を持った人物の伝記ですが、年代的にも微妙に怪しい部分を持ちます。《ユダの王ヨヤキムが即位して三年目のことであった/バビロンの王ネブカドネツァルが攻めて来て、エルサレムを包囲した》(一章一)が《彼の治世に、バビロンの王ネブカドネツァルが攻め上って来た。ヨヤキムは三年間彼に服従したが、再び反逆した》(列王下二四章一)のヨヤキム王の時代なのか、《そのころ、バビロンの王ネブカドネツァルの部将たちがエルサレムに攻め上って来て、この都を包囲した》(同二四章一〇)と書かれるヨヤキン王の時代なのかは議論の分かれるところです。いずれにせよ、ほぼ同時代と思われるエゼキエルから伝説の人扱いをされているダニエルを実在の人物と見ることにはかなりの無理があるのです。ダニエル書は、紀元前二世紀のセレウコス朝シリアの圧政下に、一種の抵抗文学として作られました。その為の文学形式が黙示文学だったのです。また、ユダヤ人の祭りハヌカの起源がこの物語にあるともいわれています。今回は、ダニエル書とその時代、さらに後世への影響について見ていきます。次回から、十二小預言書に入ります。 |
☆ ダニエル書のアウトライン。
T.ダニエルの物語(1〜6章)
1.ダニエルの捕囚と宮廷生活(1章)
2.巨大な像の夢と夢解き(2章)
3.ダニエルの友人達と燃え盛る炉(3章1〜30)燃え盛る火の中、髪の毛すら焦げなかったという奇跡の話。
4.大きな木の夢と夢解き(3章31〜4章)
5.壁に字を書く指の幻(5章)メネ、メネ、テケル、そして、パルシンという言葉で、これをダニエルが読み解く。
6.獅子の穴に投げ込まれる(6章)ダニエルはそれでも引き裂かれる事がなかった、という物語で、3章と同様に現実の
迫害が反映されていて、後のキリスト教の殉教者に大きな影響を与える。
U.ダニエルの黙示録
1.四頭の獣の幻(7章)人の子のようなものについての記述が出てくる。
2.雄羊と雄山羊の幻(8章)
3.定めの70週年について(9章)
4.天使の示す未来の歴史(10〜12章)これが黙示文学の特徴で、幻の中で未来の歴史を詳細に示されそれを預言する
という形を取っているが、実際は、かかれた時点での近過去の出来事なので、極めて詳しいのである。
☆ ダニエル書の背景にある歴史。
ペルシャという汎神論的なオリエント統一王朝が、この歴史のスタートにあります。バビロニアの文化押しつけ政策ともいえる支配を経験したユダヤ民族にとって、このペルシャの宗教融和策は一種の実際的な福音でした。ペルシャ支配下、ユダヤは半独立の属国として、エジプト攻略前は対エジプト戦の前線、攻略後もペルシャから同盟国の称号を得てその監視役を務めていました。もっとも、律法学者といわれる人たち(ハシディームやファリサイ派)は、預言者の伝統を継いで、宗教的混交に批判的でした。2世紀以上続いたペルシャの支配は、紀元前334年から開始されたマケドニアのアレクサンドロス大王の東方遠征によって崩壊します。ただアレクサンドロス王および、その死後にパレスチナを領有したエジプトのプトレマイオス王は、主な政策をペルシャから引き継いだので、宗教的な寛容も継続されました。ところが、ユダヤを含むパレスチナの領有が、シリアのセレウコス朝の手にに移ったときから、対立が激化してきます。セレウコス朝は、この時代、ペルガモン、バクトリア、パルティアなどの民族独立運動に手を焼き、急速な中央集権化、宗教を含むギリシャ文化の浸透策を推し進めている最中でした。そのシリアにとって、新しく領地に組み入れたパレスチナのユダヤ人という頑固な宗教集団は、何らかの形でその忠誠度を確認しておかねばならない存在でした。旧約続編の第一マカバイ記にも名前の出てくるアンティオコス・エピファネス(アンティオコス四世)によるゼウス礼拝の強要がそれに当たりますが、アンティオコスの意図としては、像を持たない神ヤハウェに自分達と共通するゼウスの像を与えて同盟者に仕立て上げようとした、というのが事の真相だったようです。実際には、ユダヤ人の激しい抵抗に遭ったアンティオコスは、ユダヤ民族に対する大迫害(前167〜164年)に転じます。それに対する、マカバイ家を中心とするユダヤ人の反抗、そしてユダヤ独立へと歴史は流れていくのです。ダニエル書が書かれたのは、このアンティオコス・エピファネス王による迫害の下、権力には決して屈しないという意思を黙示文学の形で表現したのです。
☆ 後世への影響:抵抗の文学としての価値。
アンティオコス・エピファネスの迫害下で書き綴られたダニエル書には、その迫害の終焉、アンティオコスの死、マカバイ家の指導のもとの独立、といった記述がありません。その為、この書物の成立は、前164年以前167以後という極めて狭い範囲に特定できます。つまり、この書物の著者は、マカバイによるユダヤの解放を経験することなく迫害下に没したのです。時代を、ネブカドネザル王(バビロニア王、在位前605〜562)の治世に遡らせ、そこに二重写しのようにアンティオコス・エピファネスの宗教迫害をダブらせる黙示文学という手法は、当時いかにこの権力に対抗する事が危険だったのかを暗に示しています。この文学形式は、その後も、エノク書、バルク書、エズラの黙示録、そして、ヨハネの黙示録という形で常に時の権力やその迫害に抵抗する文書に結実しています。3章の燃え盛る炉、6章の獅子の穴などの迫害に耐えた物語は、後の時代の殉教者の共感を呼ぶものだったでしょう。なお、5章の「メネ、メネ、テケル、パルシン」のくだりは、ユダヤ教のハヌカ祭の起源と言われています。プリム祭と並んで、愛国的熱狂が見られるのは、このダニエル書の性格から来たものなのでしょうか。