【キリスト教入門講座】 82 2001.06.01
旧約の始まり(24)
十二小預言者という呼び方は、これらの預言書が紀元前2世紀の始め頃までには、一巻の本として纏められていた(続編シラ書49章10《12人の預言者の骨が、その墓から再び花を咲かせるように》参照)ことに由来しています。現在の旧約学から見れば異論があるものの、当時の考え方に従って、時代順、テーマ別に三篇ずつを一区切りとして位置されていました。12人の預言者は、ホセア、ヨエル、アモス、オバデヤ、ヨナ、ミカ、ナホム、ハバクク、ゼファニヤ、ハガイ、ゼカリヤ、マラキです。これらを一巻本に纏めた編者の意図としては、裁きと究極の救い(ホセア、ヨエル、アモス)、異邦人の裁きと救い(オバデヤ、ヨナ、ミカ)、エルサレムの滅亡と救いの期待(ナホム、ハバクク、ゼファニヤ)、民の再建と終末の希望(ハガイ、ゼカリヤ、マラキ)という各部のテーマにあります。時代としても、サマリヤ陥落以前、捕囚以前、捕囚期、エルサレム帰還後と分けてあるのですが、実際には、ヨエル、ヨナの二書はずっと後の時代(ヘレニズム期)の産物で、ゼカリヤ書の後半(九章以下)もその時代です。また、それ程極端ではないまでも、オバデヤ書は、実はバビロン捕囚の時代の、パレスチナに残された者たちの貴重な証言だということが今日知られていて、これも元来の区分とは一時代違います。むしろハバクク書とハガイ書の中間の時代に位置する書物なのです。 この講座では、ホセア書、ミカ書、ハバクク書、ゼカリヤ書をそれぞれの区分を代表して取り上げ、時代も毛色も変わった書物ヨナ書を最後に取り上げていきますが、それに先立って、きょうは、その他の七篇の書物(ヨエルはホセア書で関連して取り上げます)を概観しておきたいと思います。次回は、ホセア書を取り上げます。 |
☆ 捕囚前の預言者(アモス)。
いわゆる「記述預言者」としてはもっとも早く、紀元前760年に活動を開始しています。彼はユダの小村テコア(ヨシュア15章にも見られる古くからのユダ族の居住地、ベツレヘムの東南にある山村)出身の牧者でいちじく桑の栽培者(7:14)でもありました。アモスは、しかし遣わされて、北イスラエルに向かいそこで「神の義」を主張しつつ、ベテルの祭司アマツヤと争った事で有名です。時代としては、ヤロブァムU世の全盛時代。アッシリアは、北辺のウラルトゥ民族を始めとする侵略に悩まされ、シャルマナセルV世没後ティグラト・ピレセルV世の即位まで、アッシリア内部も乱れていた時代でした。ダマスコやフェニキア系、ペリシテ系の都市国家を支配し、地中海と紅海の制海権を手にしたこの当時の強国イスラエルが、被征服民の一人の声に耳を傾けなかった事は容易に想像されますが、ヤロブァムU世の死後、一気に状況は悪化し滅亡へと向かう事になるのです。アモスは「主の日」(裁きの日)という術語を始めて使用した書でもあります。現代に繋がる社会的(官僚)批判の言葉が連ねられている事も良く知られています。
☆ 捕囚前後の預言者たち(ナホム、ゼファニヤ)。
ナホム書はアッシリアとその首都ニネベの滅亡についての預言です。ナホムの時代は、捕囚期ですので、バビロニアに滅ぼされた祖国を目の当たりにして意気消沈する者たちを、記憶も新しいあの大国アッシリアの滅びを回顧して預言し、力づけていきます。
一方、ゼファニアという名前の預言者が、ヨシヤ王の祭儀改革の時代にエルサレムで活動した事は確からしいです。ゼファニヤ書が編集されたのは、やはり捕囚の時代ですが、この書の場合は、厳しい祭儀改革の旗手であったゼファニヤの名前に依拠しつつ、「主の日」の裁きと「残りの者」に約束される終末の歓喜という対照表現で、苦悩の現状を試練の時として受け止めようとしているのです。
☆ 捕囚後時代のもう一つの記録(オバデヤ)。
もっとも小さい預言書、僅か21節(章別なし)のオバデヤ書には、エドムの傲慢と滅亡が預言されています。紀元前587年エルサレムの陥落に続く無法の時代、隣接する国家エドムが侵略者としてユダに入り込んできた、という歴史があります。詳細はわからないのですが、バビロニアにとっては、この辺りの支配者がエドムであってもいっこう構わなかったのでしょう。ユダヤ人には、これは恨みとして残ります。ペルシャの支配下、ネヘミヤによって強行された民族分離策がなおさら両者の溝を深めます。実際は、混血によりほとんど区別の必要がなくなっても居たのです。後のマカバイ家(ハスモネア王朝)の時に、エドムは滅びユダヤの支配下に移ります。しかし、その被支配民として王朝に使えた民の中から、ヘロデ王家が育ってくるのです。ところで、面白い事に、この書は内容的に見ると、エレミヤ書49章7〜22節「エドムへの裁き」と微妙に類似しているのです。
☆ ペルシャ支配の時代の預言者(ハガイ、マラキ)。
ハガイ書の背景には、ペルシャ支配下の神殿再建の時代があります。むしろ、その時代の記録の集大成といっても良いかもしれません。ネヘミヤの登場の少し前の時代になります。一方、同じ捕囚後の時代でも、ネヘミヤの民族分離策を背景に預言している預言者がマラキです。主の日の裁きを《高慢な者、悪を行う者は/すべてわらのようになる...彼らを燃え上がらせ、根も枝も残さない/しかし、わが名を畏れ敬うあなたたちには/義の太陽が昇る》(3:19f)と、個人の行いと信仰の問題に帰する論調は、律法主義の将来の台頭を予想させる思想ですが、同時にこの書物は終末前の「エリヤの再臨」(3:23)という新しい信仰を人々に示し、バプテスマのヨハネ、そして主イエスの福音へと人々を導く働きもしたのです。