【キリスト教入門講座】 83                                        2001.06.08

旧約の始まり(25)

 ホセア書は、ホセア自身が書き記した、あるいはその弟子たちが書き写したホセアの託宣の部分(4〜13章)と、その前後に付けられた、弟子たちによる解説の部分に分ける事ができます。そして、不思議な事に、この預言書に限っては、この解説部分のほうが大切なのです。ホセアという預言者は、紀元前8世紀の後半、イスラエル王国のヤロブァムU世が大イスラエルの幻想を着々と実現に移していた時代に預言者としての召命を受けました。と同時に、彼は、淫行の妻ゴメルに悩まされる不幸な夫でもあったのです。この2つの事柄は、ホセアの中で分離できるものではありませんでした。イスラエルの犯す、偶像礼拝、異教祭儀、等などは、ホセアの中で、ゴメルの犯す不品行や姦淫の罪と離ち難く結び付けられます。自分の悔しさ、怒り、叱責が、こんどはイスラエルを責める神の声に変わって行きます。ゴメルの隠された不倫と表面的なうその取り繕いが、イスラエルの「偽りの悔改め」(6章1以下)と隠された異教礼拝を暴いていきます。そして、それでも自分に残る愛情を自覚した時、ホセアは神の赦しをも確信するのです。
 裁き、神の日というテーマが中心の、旧約思想の中で、ホセアの無条件なる救済論は異色のものです。しかし、それが自分自身の血を吐くような経験に裏打ちされたものであったからこそ、説得力を持つ教えとなっていったのです。その意味で、弟子たちが前後に加えた解説は、ホセア書にとって必要不可欠な部分になります。読者は、このホセアの生涯と、語られた託宣とを重ねて読むようにと促されるのです。
 ホセアの思想は旧約では異色の思想でした。しかし、新約、キリスト教の中では、旧約の中でも最も輝かしい位置の一つを与えられるのです。次回はミカ書を取り上げます。

☆ ホセア書のアウトライン。
 1.ホセアの生涯(1〜3章)
  家族に対する裁き(1〜2章1)、裁きと言葉と救いへの希望(2章2〜23)、夫の愛、神の赦し(3章)
 2.ホセアの預言、イスラエルの罪(4〜13章)
  淫行と不信仰(4〜5章7)ヤロブァムU世時代の強国イスラエルの実情を反映、
  裁きの警告(5章8〜6章6)この背景に、紀元前734〜732年のシリヤ・エフライム戦争があります。また、6章6の結語は、
    マルコ12章28以下の『最も重要な掟』にも引用されており、キリスト教の基本精神にもなっています。
  イスラエルの罪の浸透(6章7〜9章9)ことに異教祭儀を真似る事の問題性を衝いています。
  歴史の中に見られる裁き(9章10〜13章)この中には、神の愛の賛歌(11章)も含まれています。
 3.裁きを越えて、救いへの希望(14章)
  悔改めと救いへの呼びかけ(14章1〜8)、読者への呼びかけ(14章9〜10)

☆ 預言者ホセアとその時代。
  ホセアの活躍した時代は、紀元前750年から25年間と言われています。この時代、アッシリアではシャルマナセル(V世)死後の混乱が解決されないままでした。ダマスコは、そのアッシリアとの闘いで消耗していました。イスラエルがヤロブァムU世の強い王権により、かつてない繁栄を享受していた時代で、エジプトは、リビヤ人傭兵による第23、24王朝に分裂し、停滞していました。つまり、ホセアが預言をはじめた時代、イスラエルはこの辺りの最強国といっても良かったのですが、4年後の746年にヤロブァムU世が死ぬと、途端に内乱を繰り返す事になります。何とか事態を収拾したメヘナム王の即位が744年ですが、この年は、アッシリア王ティグラト・ピレセルV世即位の年でもあったのです。メヘナムはよく状況を把握し、アッシリアに臣従する道を選ぶのですが、その息子の代に、ダマスコなどに密かに支援されたペカの反乱が起き、イスラエルは、反アッシリア同盟の盟主国へと祭り上げられていくのです。イスラエルは、ティグラト・ピレセルV世の死(727年)によって一時的に滅亡から救われますが、しかし、その後継者シャルマナセルX世、サルゴンU世(722〜705年)によって721年完璧に滅ぼされてしまうのです。実にホセアの預言者として活動した時代は、この栄光から滅亡へと至る、イスラエル怒涛の変動の25年間だったのです。

☆ 救済の必然、預言者ホセアの使信。
 ホセアの預言は実際の彼の生活(ゴメルとの不幸な結婚)によって色づけられています。3人の子供の名は、イズレエル(流血の地の名前)、ロ・ルハマ(憐れまれぬ者)、ロ・アンミ(わが民でない者)と名付けられます。ホセアが淫行の妻を赦し再び迎え入れる時《地は、穀物と新しい酒とオリーブ油にこたえ/それらはイズレエル(神が種を蒔く)にこたえる/わたしは彼女を地に蒔き/ロ・ルハマ(憐れまれぬ者)を憐れみ/ロ・アンミ(わが民でない者)に向かって/「あなたはアンミ(わが民)」と言う。彼は、「わが神よ」とこたえる》(2章25以下)と書かれています。この象徴的行為により、ホセアの預言は命を与えられます。「神はどうしようもなく罪深い人間を熟知している/だから本来ならば、アモスなどの語るような裁きを受けるしかない/しかし、自分(ホセア)でさえ、淫行を犯し、堕ちるところまで堕ちたその妻を赦して再び迎えることができた/まして、神の忍耐と赦しはわたしたちの想像を遥かに超える」これがホセアの救いの確信です。その為にわたしたちがなすべき事は、《愛であっていけにえではなく/神を知ることであって/焼き尽くす献げ物ではない》(6章6)この言葉も、神の救いへの確信とともに、新約の思想の中に深く刻まれていきます。わたしたちがキリスト教精神として捕らえていることのかなりの部分が、既にホセア書の中で語られているのです。