【キリスト教入門講座】 84                                        2001.06.15

旧約の始まり(26)

 《ユダの王ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に、モレシェトの人ミカに臨んだ主の言葉》ミカ書の書き出しです。イザヤの召命がヨタム王の即位の年、また、ヒゼキヤの神殿改革に顧問格として参与した預言者が、イザヤとミカだということから、この二人はほぼ同時代人だといわれています。また6章8節にある《正義を行い、慈しみを愛し/へりくだって神と共に歩む》という言葉は、この時代の預言者(アモス、ホセア、イザヤ)の使信のまとめと言われており、その意味で、ミカはこの3人の精神を引き継いで4人目に現れた預言者、とも呼ばれます。エレミヤ書26章18節に、《モレシェトの人ミカはユダの王ヒゼキヤの時代に、ユダのすべての民に預言して言った。『万軍の主はこう言われる。シオンは耕されて畑となり/エルサレムは石塚に変わり/神殿の山は木の生い茂る丘となる』》と引用されている『』の中の部分は、明らかにミカ書3章12節《それゆえ、お前たちのゆえに/シオンは耕されて畑となり/エルサレムは石塚に変わり/神殿の山は木の生い茂る聖なる高台となる》からのもので、ここにミカという預言者の後世に与えた大きな影響がみられるのです。ミカという名前自体は、ミカヤフ(神に似たる者は誰?=神に似た者など居ない)→ミカヤ→ミカと変化したものと考えられています。実際、列王記上22章(歴代誌下18章に並行記事あり)には、イスラエル王アハズの死を預言した預言者として《イムラの子ミカヤという者》が出てきます。他に歴代誌上9章のヨナタンの子等かなりのミカないしミカヤという別人が出てきますから、ことに預言者としては好まれた名前の一つだと言えます。出身地のモレシェトについては、ミカ書自身に出てくるモレシェト・ガト(1:14)が一番の候補地です。ここは今日のシェフェラー市に比定されていますが、その位置については、「ガトの領地または地所」という意味なので、昔ペリシテとの国境付近にあったガト要塞との関連で、高原地方、低地、その途中の斜面(現在のシェフェラー)と説が分かれます。
 ミカ書は、イザヤ書とエレミヤ書を結ぶ絆のような働きをしています。その意味で捕囚以前の歴史と思想の流れをまとめる意味も兼ねて、きょうは見ていきます。次回は、ハバクク書を取り上げます。

☆ ミカ書のアウトライン。
1.サマリヤ、エルサレムの裁き(1〜2章)
  表題(1:1)、
  民への告発とその理由(1:2〜2:11)ここにサマリヤの滅亡に直接かかわる預言があります(1:2〜9)
    これはミカの最初の預言と言われています。
  解放の約束(2:12〜13)
2.苦しみを越えた希望(3〜5章)
  威嚇と告発(3:1〜12)3:12 のミカの言葉(前掲)は、同時代のイザヤの思想と対立するもので、エレミヤによって
    後に全面的に展開される思想です。この点については別項で考えます。
  エルサレムの役割(4:1〜5)ここでは、1〜3節とイザヤ書 2:2〜4節の相似が話題になります。
  サマリヤとエルサレムへの約束(4:6〜5:15)5章1〜5節のメシヤ預言についても、イザヤからの混入とする節、
    イザヤ、ミカという流れからエレミヤが生まれるという説など、いろいろな論文が書かれています。
3.罪に対する恵みの勝利(6〜7章)
  神のイスラエルに対する取り扱い(6:1〜16)、
  荒廃の嘆きと民への威嚇(7:1〜7)これらの背景には、列王記下18章13のアッシリア王センナケリブによるユダの征服
    があると考えられています。確かな救いの希望と懇願(7:8〜20)

☆ 預言者ミカとその時代。
  《ユダの王ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代》という記述があるので、ミカの預言者としての活動は、紀元前740年(アハズ元年)以前に遡る事ができます。センナケリブが攻め込んできた年(ヒゼキヤ14年、前714年)にまだ健在で預言活動を行っていた事を考えると、ミカのヨタム王時代の公的な活動は短いと考えるべきでしょう。おおよそ前750〜710年と考える説が妥当だと思います。アッシリヤでは、シャルマナセルX世、サルゴンU世、センナケリブと優秀な王が続き、国土の拡張が起こります。北王国イスラエルは、イエフ王朝をダマスコの支援で倒したペカ王の時代からそのペカを倒して王位に着いた最後の王ホシェアの時代、そして何よりもサマリヤの陥落、北イスラエルの滅亡の時代でした。隣国ダマスコやフェニキア、ペリシテ系の都市国家群は、北イスラエルの滅亡と相前後して滅んでいます。この滅亡の引き金となった事件が、エジプト王ソ(シブエ)とフェニキア都市国家群との密約です。実は、このソの時代、テーベにはクシュ(エチオピア)系の第25王朝がありティルハカというファラオが在位していましたし、サイスを首都にしたリビヤ系の第24王朝も健在で、ネコT世がファラオでした。従って、少なくとも三つの王国が並立していたわけで、エジプトの影響力も極めて小さいものでした。ヨタムの父ウジヤからヨタムそしてアハズの初期、ユダ王国はこの国際情勢を利用して、勢力を強めました。ちょうどアッシリアの勃興期にあたり、この二人の王は親アッシリアという政策で、国土拡張をしていったのです。ただし、アハズ王のときに異国の宗教、偶像礼拝などがユダに導入されたという問題については、以前イザヤの項で触れました。ヒゼキヤ王の時代に北イスラエルは滅び、宗教的意図の神殿改革は反アッシリアの波に巻き込まれていってしまいました。ミカはイザヤと異なり、ユダの滅亡を預言しますが、実際の滅亡には出会わずに活動を終えます。

☆ ミカの使信とイザヤの使信、エレミヤへの影響等。
 イザヤが、永遠なるシオンという主張をしていた同じ時代に、なぜミカがユダの滅亡を預言していたのだろう、その背景が気になります。実は、都会、エルサレムの預言者イザヤに対して、地方の預言者ミカというような対比が考えられています。アッシリア王センナケリブによって、ユダの主な城砦は破壊され、町や村が略奪を受けたという出来事があります。《ヒゼキヤ王の第十四年にアッスリヤの王セナケリブが攻め上ってユダのすべての堅固な町々を取った》(列王下 18:13)と書かれている出来事ですが、イザヤでは《あなたの目はエルサレムを見る/それは安らかな住まい/移されることのない天幕/その杭は永遠に抜かれることなく/一本の綱も断たれることはない》(33:20)とエルサレムにだけその目が注がれている事が分かります。36章に歴史的記述はありますが、列王記に加える何物も持たないのです。これに対し、ミカはモレシェトの周辺に留まったのでしょう。ヒゼキヤの改革に影響があったといっても、この時点で首都に居たわけではないのです。《お前は食べても飽くことなく、空腹が取りつく/持ち物を運び出しても、それを救いえず/救い出しても、わたしはそれを剣に渡す》(6:14)《お前の見張りの者が告げる日/お前の刑罰の日が来た/今や、彼らに大混乱が起こる》(7:4)等は、このセンナケリブによる圧政を反映している、と言われます。この状況の中で、3章12節の思想が出てきたのです。ところで、実際のユダの滅亡を経験した預言者はエレミヤでした。また、エレミヤの論敵は、教条的なイザヤ主義者だったと言われます。この状況の中で、エレミヤが頼る事のできる先輩預言者は、ミカだけであったのです。こうして、例えば、エッサイの根(イザヤ11:10で預言されている)から出ずるメシアは、ミカ書5章でベツレヘムへの預言として受け継がれ、エレミヤ書でも《ひとりの指導者...治める者》(30:21)という形を留めていきます。これがイエス・キリストによって実現されていくメシア像の一つの系譜なのです。