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29回 預言者ヨナの書とその時代
30回 ヨブ記という文学とその時代
【キリスト教入門講座】 87 2001.07.06
《主の言葉がアミタイの子ヨナに臨んだ》(一章1)という書き出しからは、この預言者がどの時代のどういう人物であったかが分かりません。さらにこの預言書は、ヨナの預言の言葉というよりもヨナをめぐる物語を中心に展開されます。このヨナは、ヤロブァムU世時代に実在した《アミタイの子ヨナ》(列王記下一四章25)ではあり得ない、この辺りが面白いのです。この書物は、完全な創作文学、物語(短編)です。その意味では、ルツ記、ヨブ記の系譜につながります。また、数字やシンボル、象徴的言語を使っての表現が見られない事から、ゼカリヤ書成立以前の文学と考えられます。学者により諸説がありますが、捕囚後の排外的な意識を代表する、ヨナという人物を主人公に据えていること、ゼカリア書成立の前三世紀よりは古い事、などから、大まかに紀元前五〜四世紀が成立年代、背景としては、ペルシャの比較的緩やかな支配による、普遍的神信仰の浸透がある、と考えられます。しかし、十二小預言書の最終編集者が、オバデヤ、ヨナと並べた意図としては、両極端の思想という事なのでしょうが、世界主義の流れの中からこの文学的一篇しか選ぶ事ができなかった、ということの中に、ユダヤ思想史を考える上での意外に深い意味が隠されているようです。閑話休題。今回は、十二小預言書の学びとしては、付録のような回です。ヨナ書は物語なのでサクサク読めます。アウトラインを見ると言うよりも、節目々々の言葉を紹介していきます。歴史的考察としては、ニネベの町にちなんで、アッシリア人について、さらに民族というものについて考えます。最後に、新約の中で言及されている、《ヨナのしるし》について、少し考えていきたいと思います。余談ですが、ピノキオという童話は、このヨナが大きな魚に飲み込まれてニネベに運ばれるというお話から、コロディが思いついたという事です。 |
☆ ヨナ書のところどころ。
主の言葉がアミタイの子ヨナに臨んだ。「さあ、大いなる都ニネベに行ってこれに呼びかけよ。
彼らの悪はわたしの前に届いている。」しかしヨナは主から逃れようとして出発し、タルシシュに向かった。(1:1〜3a)
船長はヨナのところに来て言った。「寝ているとは何事か。さあ、起きてあなたの神を呼べ。
神が気づいて助けてくれるかもしれない。」さて、人々は互いに言った。「さあ、くじを引こう。
誰のせいで、我々にこの災難がふりかかったのか、はっきりさせよう。」そこで、くじを引くとヨナに当たった。(1:6〜7)
彼らがヨナの手足を捕らえて海へほうり込むと、荒れ狂っていた海は静まった。(1:15)
さて、主は巨大な魚に命じて、ヨナを呑み込ませられた。ヨナは三日三晩魚の腹の中にいた。(2:1)
主が命じられると、魚はヨナを陸地に吐き出した。(2:11)
ヨナはまず都に入り、一日分の距離を歩きながら叫び、そして言った。「あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる。」
すると、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者も低い者も身に粗布をまとった。(3:4〜5)
ヨナにとって、このことは大いに不満であり、彼は怒った。(4:1)
主は言われた。「お前は怒るが、それは正しいことか。」(4:4)
すると、主はこう言われた。「お前は、自分で労することも育てることもなく、一夜にして生じ、一夜にして滅びたこのとうごまの
木さえ惜しんでいる。それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万
人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから。」(4:10〜11)
☆ アッシリア人について、など。
アッシリアは、アッカド人の末裔だそうです。そういう意味では、メソポタミヤ地方でシュメール人に次いで古くから存在した民族です。アッカド人の中では、比較的早くティグリス川の上流部北岸にその住地を定めた一族が、アッシリア人で、その民族名は、最初の本拠地と彼らが定めた都市アシュールに由来すると言われます。アッシリア人の常用語はアッカド語で、これはウル第3王朝時代、バビロニア全盛時代、ミタンニの支配する時代、アラム語が優勢になる時代など、各時代を通じて変わらなかった事です。しかし、アケメネス朝ペルシャの長い支配の下で、ペルシャ語とアラム語が共通語となっていくにいたり、語形の近いアラム語の中に、次第に消滅していくのです。
さて、民族ということの意味を、このアッシリア人を題材に少し考えてみましょう。そもそも、アッカド人の末裔という話自体が、現在の考古学的検証の前には、不確定なものになるので、元来セム系の民族であったが山岳民族と混血してアッシリア人になった、という説(神話系などによるものらしい)等が良く反証として主張されます。この場合、アッシリア人の使っていた言葉はアッシリア語で、文字としては古代アッカドの楔形文字を用いており、文型、文法も類似のものだが、アッカド語とは別の言語、という説明が伴うのですが、古代アッカド遺文を読み、対照表を用いて古代シュメール文字を解読したのは、アッシリアの残した遺文によるものなのですから、こうなると、純粋なアッカド人などというものはいたのか、そもそも古代にそれほど確定的な民族がありえたのか、等と多くの疑問が発生してきます。
一方、バビロニアの支配、ペルシャの支配、ギリシャの支配を通じて、その周辺と同化し、アッシリア人としての痕跡はなくなるのですが、それでも、現在ティグリス川流域に居住している人々は、アッシリア人の末裔と言えるのです。それは、現在トルコの領域にあるキプロス島に住んでいるのはギリシャ人、アナトリア地方に住んでいるのはヒッタイト人なのと同じです。支配する人間は変わっても、その土地に住み着いている人間はそう簡単に変われない、という歴史の隠れた法則もそこにあるのです。
☆ ヨナのしるし、とは?
福音書から見たヨナ。
《イエスはお答えになった。「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。つまり、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる。ニネベの人たちは裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い改めたからである。ここに、ヨナにまさるものがある》これがマタイ福音書に言及されているヨナのしるしです。一方、ルカ福音書では、《「今の時代の者たちはよこしまだ。しるしを欲しがるが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。つまり、ヨナがニネベの人々に対してしるしとなったように、人の子も今の時代の者たちに対してしるしとなる》となっていて、似てはいるのだけれど、微妙に違うのです。マタイ福音書では、しるしを求めた《律法学者とファリサイ派の人々》という具体的な相手に対して、ここに、ヨナにまさるものがあるのに悔改める事をしない、と言って批判しているので、ヨナのしるしとは、つまり、ヨナという一人の実存、その委ねられた預言を含めて、という意味でしょう。その場合、三日三晩という期間がちょうどキリストの死と復活との間の期間にも当たるわけで、マタイにとっては象徴的なしるしとなっているのです。ルカの場合も、ヨナがニネベの人々に対してしるしとなったように、とヨナの人格にしるしを認めているのですが、今の時代と、一くくりに表現してしまうため、ヨナのしるし、裁き、悔い改めと繋がる縦糸が見えにくいのです。
【キリスト教入門講座】 88 2001.07.13
ヨブ記、箴言、コヘレトの言葉の三書は、知恵文学に分類されます。この知恵文学というジャンル自体については、最終回のコヘレトの言葉で取り上げます。今回は、文学としての、『ヨブ記』を取り上げますが、同時にその前提となった、素朴な勧善懲悪(あるいは因果応報)の思想について、触れておきます。この思想は旧約聖書では、主に『箴言』に見られます。王国成立以前の部族社会以来語り伝えられてきた短い諺集が箴言なのですが、短いだけに、凝縮された知恵の言葉として、強い影響力を持つ反面、権威ある者にも受け入れられる、単純素朴な思想が好まれる事になります。因果応報説も、日常生活の中から自然に生まれ、承認されていった考え方の一つで、「良い事をすれば幸福になり、悪事を働けば災難に遭う」という神の秩序への素朴な信頼感を前提とした思想です。新約の時代でも、例えばヨハネ福音書九章で、「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」(2節)とイエス様に尋ねる弟子たちの頭の中には、知らず知らずのうちにこの思想が染み込んでいるのです。 この思想が問題であるのは、現実に苦難に陥っている人を見て、それを悪事の必然的結果、あるいは報いだと説明してしまう所にあります。人間社会も人生も、そこまで単純明快ではありません(もっと不条理なのです)。従って、「義人が不当な苦しみを受けることはないのか」という問いが生まれることになります。ヨブ記はこの問いに対して、小説という文学形式を用いて答えた書物、と考えることができます。蛇足ですが、ヨブ記の著者がこの小説という形式を意識的に用いたのではないので、後の時代のジャンル別によれば小説と呼んで良い形式をこの作者が創出した、と正確には言うべきでしょう。 次回(27日)は、詩篇を中心に旧約の韻文、詩の世界をかいま見る予定です。夏休みを挟んで、8月31日に、コヘレトの言葉と知恵文学を最終回として、『旧約の始まり』を終了します。9月7日からは新講座、『新約の始まり』を開始します。旧約聖書では語られていない、新約直前の時代史から始める予定です。 |
☆ ヨブ記の序章(1〜2章)とペルシャの影響。
小説=文学書という形式を取ったヨブ記は、律法、歴史書や預言書のように確実な時代背景を読むことはできません。著者が不明なだけに、およその年代(前6〜3世紀)および有力な仮説(前5世紀頃)が語られるに留まっています。しかし、特定の著者が居たという事はまた大きな現実で、それは詩篇、箴言などと異なり、時代の思想の影響を少なくとも受けているということなのです。ヨブ記の冒頭に、《ある日、主の前に神の使いたちが集まり、サタンも来た》(1章6)という一文がありますが、多くの学者はここから、ペルシャの二神教の影響を読み取ります。そこで、ここではペルシャの二神教とそのユダヤ教に与えた影響について見ていきたいのです。(グノーシス以後の影響はここでは取り上げません)
ペルシャの宗教については、ゾロアスター教(拝火教)というその名称と、善神アフラ・マズダと悪神アーリマンの対決という全体図式については良く知られています。ところが、同じペルシャからミトラ神、アナヒター神(水の女神)なども現れローマ時代に大きな宗教勢力になっています。実際には、ゾロアスター教にも、アフラ・マズダに従う従神たちやアーリマンに従うダエーワたちにヴェーダにも共通する古の多神教の残照を見ることができるのですが、その意味ではゾロアスターの思想は、ユダヤ教思想や仏教思想と共通する、原始宗教の形而上化の流れに位置付けることができます。ペルシャ政権がユダヤ人を厚遇したという歴史も、この宗教の親和性によるところが大なのですから、逆にペルシャ宗教から善悪二元論や天使の思想、天界と黄泉、死後の状態への考察等の思想がユダヤ教に影響を与えたことも否定できないのです。
☆ ヨブ記の思想、本文(対話編:詩文)を中心に。
対話編と呼ばれるこの部分は、大きく5部に分けられています。
ヨブの嘆き&友人との対話(3〜27章)
知恵の賛歌・一応の結論(28章)
再び、ヨブの嘆き、怒り(29〜31章)
バラクエルの子、エリフの演説(32〜37章)
神からの答えと悔い改め(38〜42章6)
というアウトラインですが、最初の友人との対話は、更に3部(3〜14章、15〜21章、22〜27章)に分かれ、ヨブを慰めるつもりでやってきた友人たちが、ヨブの罵り呪う言葉の激しさに、つい説得調になり、最後は諦める(ツォファルなど最後の部分には登場して来ない)その過程を通して、従来の「因果応報説」の無力さが浮き彫りにされて行きます。それに続く知恵の賛歌では《主を畏れ敬うこと、それが知恵/悪を遠ざけること、それが分別》(28節)という結論を出していますが、この理解がヨブの納得したものに至るまでには、更に再度の嘆きとエリフの登場、そして、最後に神からの答えという時間が必要なのです。その意味でも、ヨブ記は全体の構造を意識して作られた、小説という創作物だといえるのです。
☆ 神の答え(38章以下)と終章の意味。
38章以下の神の答えは、一読しただけでは、ヨブの関心を無視し、ヨブの問いに答えていないかのように思われます。しかし、天地創造以来の、被造世界の大きな枠組みを、世界自身に語らせることを通じて、すべての事象の背後に神が存在し、そこに人間的な善悪基準を持ち込むこと自体が誤まりである、という事が知らされるようになっています。これが「神の秘儀」で、それを受けて初めて、ヨブの悔い改めが起こるのです。終章(42章7〜17)では、これを受けてのヨブの回復と、友人エリファズ、ビルダド、ツォファルへのとりなしが語られて、物語が完成します。神の答えに至るまでの対話形式で繰り返されるヨブの激しい心の葛藤があるからこそ、この結末が単純な勧善懲悪とはならないのです。ヨブは無垢な義人であったのに神の罰とも思われる試練を受け、悔い改めた後、別に以前と変わった善なる魂になったわけでもないのに、神の祝福を受け《ヨブが友人たちのために祈ったとき、主はヨブを元の境遇に戻し、更に財産を二倍にされた》のです。ヤーウェ与えヤーウェとり給う、ヤーウェの御名は誉むべきかな、という精神がここには息づいているのです。ところで、対話編の最後を飾り、長々と演説を行った(32〜37章)エリフについて神がどういう裁きを与えたのかは、書かれていないだけに想像力を擽るところです。ことにエリフの主張が苦難の教育的価値という、一つの神学を代表するものであるだけに、その判断を読者に委ねるというこの書の形式はヨブ記にある種の奥行きを与えているのです。