国際人権規約(自由権規約)政府報告書作成のためのNGOヒアリングから
2001年11月23日私は外務省人道人権課からの案内で国際人権規約の政府報告書作成のためのヒアリングがあるということで上京し外務省へ赴いた。
くしくも現在テロ事件からの絡みでセキュリティチェックは厳しいとのことで緊張しながらの訪問であった。
今回私が出席することになったのはアムネスティからの紹介である。
このヒアリングには例えば反差別国際運動などの国連NGOには連絡がなかったり在日コリアンの団体には連絡が不十分であったりと本来のヒアリングの意図を考えているのだろうかという疑問もあった。
会議はそれぞれに出席した35団体から出席者36名の質問または意見に対して簡単な政府見解が繰り返されるだけで今までの国連で定められた人権に関する条約の中、政府に対して勧告を受けた内容が生かされているとはいえない状態であった。
例えば在日コリアン学生のかよう学校の大学進学資格については専門学校の資格であるということであったが、これについては先の子どもの権利条約での勧告でも問題とされているし、また司法、警察、行政職員の人権研修についても研修などの段階で国際人権規約などを学習しているから教育されているということで、本当に人権に通じているならばこのような回答はでないであろうという思いすらした。
今回の団体は質問の回答に対する時間はわずか2分しか設定されていない。だれもが満足いかない回答を受け取るのだから憤懣の中から時間をこえて発言することは当然のことであったがそれすら許されないというそれぞれのNGOの立場が時間というものに制限されぎくしゃくされるものとなった。
政府見解というものについては以前出席した人種差別撤廃条約に関する委員会への政府報告に対する話し合いでもある程度理解していたが今回はお粗末にすぎるといわざるをえない。
一つには政府解釈とか政府見解というものについて消防署の組織体制がこの国際人権規約上の政府解釈では「警察の構成員」として不当に結社の自由が奪われていることについても「我々は組織上も警察の一員として扱われたことはないし警察と消防が違うことは小学生ですら知っている」と発言があったがこのように政府側の解釈や見解とはあまたりにも現実面で違いが大きすぎるのである。
私が求めたのはどちらかというと今回の趣旨にあった質問ではなく意見であったために明確な回答ではなく「ご意見として伺います」ということであったがそんなことであればそれこそメールでも回答できることで上京してその文句を聞くために来たのではなかった。
35団体全ての質問と回答をここに記することは事実上できないものの、だれもがなんのためにここにきたのかという思いを抱いたことであろう。他にも一部であるが紹介するとしたらさまざまな課題が浮き彫りにされている。
旧優生保護法では優勢保護の名の下に自分の意志と関係なく堕胎させられた人もいたし、これについても当時は合法であったのだからといわれその当事者が納得できるであろうか。
ハンセン病に関して照らし合わせてもその不当な歴史的な扱いに関し合法だとか政府見解で押し進められているのではなくそのやり方の不当性の中で賠償がされていくのではないか。
狭山事件の証拠開示に関してもそうだし、他にもさまざまな不当な扱いを受けている裁判に関して、提訴中であるから回答できないとしてされ当事者の人たちからも「それで人権が侵害されているのに放置していいるのか」と思わず声があがつたのも当然だといえるだろう。部落解放同盟の組坂委員長からは証拠開示のもとめている内容が現在の提訴中の内容と直接かかわりがないことからその開示請求の内容が正当であることを論破されていたが、なんらそれに対して回答はえられていない。
インターネット上の差別に関してもプロバイダーの自主規制にまかせていて差別がなくなるものならばよいが現実的には公然と差別は行われている。
このまま我々は表現の自由だからと差別が公然となされている現実に身をゆだねれぱよいというのであろうか。
私は全てインターネットを規制しろと言うのではない。むしろ反対に安易な規制はかえって危険であると考えている。しかし、現実にそこに差別はあるし、池田小の事件のように犯罪が起こると部落が利用される現実にある。なんらかの救済がだからこそ必要であることはいなめない。
沖縄の問題にしろアイヌの問題にしろ現状として法律やさまざまな答申などでやっていますと言われ当事者がその法律の中では納得できない現状であるからここにいるのである。
しかし、こうした35団体のさまざまな思いは時間制限という枠の中で不当に扱われた。
各NGOがいいたいことをいえないもどかしさから関係がぎくしゃくしたのも当然ではある。
「これはアリバイづくりではないか」と声がでたがこのままでは政府のNGOと話し合いをしましたという政府報告書に記入するためのものだといわれても仕方がないであろう。
ただ、一つだけ評価しておきたいのは例えアリバイづくりであっても、このようにNGOと話し合いをもったことだけは評価はしておきたい。
問題は中身として誠意ある回答、人道的見地からたった回答というものがそこにまるでなかつたことだ。
このままでは人権赤字国と呼ばれても仕方がないであろう。と当時に私は今回のことでこのまま日本が人権赤字国といわれないように、各NGOが今回の轍をふまない手だてをたてるべきだと考えている。
人種差別撤廃条約での場合ではIMADRが中心となって人種差別撤廃条約NGO連絡会を作っていたがこのような国際法に基づく人権法での取り組みに対処するためにも連絡会的な存在はかかせないだろう。
だからこそ呼びかけたい
人権団体よ今こそ団結しようではないか。
我らは人権文化確立のためにさまざまな垣根をこえ、「人権」の旗のもとに団結せねばならぬ。
今や我々は多くの人権を侵害された人々の姿をしっている。
そして我々はその人々の怒りを知っている。
闘うことなく死んだ人々の怒りと屈辱をしっている。
我々は多くの被差別の当事者や人権侵害を受けている多くの人々のためにここに集い。国際的に日本が人権赤字国と揶揄されないためにNGOとしての役割を示そうではないか。
我々の間にはさまざまな感情的な垣根があろう。
しかし、それは人権が確立された社会を自らの自主的な活動の中で目指すことにおいてどれほどの価値があろうか。
また多くの仲間ためのために闘うことになんのためらいがあろうか。
今までの我々の運動の成果は果たして政府主導の元に決められているであろうか。我々の活動の成果の中で一つ一つがつながっていったものであったのではないか。
そこには多くの団体の血と汗があったのではなかったか。そしてそこに我々の価値があったのではなかったか。
日本に集う人権団体よ。
我々は平和を願い。多くの人々の真の生きる価値を勝ち取るためにここにいるのだ。
今こそ団結しよう。
我々の子どもたちのために。
我々の住むこの地のあらゆる人々のために。
我々が住むこの地球のために。