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人権擁護推進審議会第26回会議議事要旨
1 日 時 平成11年6月8日(火)14時〜17時30分
2 場 所
法曹会館「富士の間」
3 出席者
(委 員)塩野会長、野中会長代理、相川委員、安藤委員、市川委員、大南委員、貝原委員、河嶋委員、庄司委員、鈴木委員、寺澤委員、野●委員、
深沢委員、宮崎委員、森委員
(法務省)横山人権擁護局長、幕田総務課長、林人権啓発課長
(文部省)大西社会教育課長、徳重小学校課長
(総務庁)平井地域改善対策室長
4 議 事
(1)人権教育・啓発に関する答申(素案)について
[人権及び人権教育・啓発に関する現状について]
○ 同質性・均一性の重視は、世間体重視の意識につながる場合もあるが、むしろはっきりと、例えば、異質なものを排除しと端的に表現できるのではないか。
○ 異質なものとはっきり言うのはどうかと思う。何が異質かというようなことに答えられる用意をしておかないといけない。
○ 包括的な意味で、国籍が違う、肌の色が違う、健康な人とそうでない人など自分と違うということが、ある意味で差別の本能的なスタイルであり、人権はそれを意図的に変えていかないといけない問題だと思う。
○ 異質なものという表現を用いて、はっきり書いた方がよいと思う。そこで議論を呼ぶものだったら、それは議論していただくことの方がむしろよいのではないか。
○ 異質なものという表現は、審議会として、その言葉を使うかどうかはともかく、内容的には、例えば髪の毛の色が違う、男と女、肌の色が違うなどそういうものを含めた非常に包括的な意味であると理解したい。
○ 大学等における人権教育の中で使われている教養科目という言葉については、専門教育に対する一般教育科目と位置付けられているものだと思うが、それで、一般的に分かりやすいのだろうか。
○ 啓発については、他の省庁も行っていて、そしてこのまま発展して欲しいし、大きな成果を残してきた啓発にかかわる事業等については、やはり評価してコメントしていくようなことがあってもいいのではないかと思う。
○ 啓発という観念が法務省に限定されるということはない。ただ、人権啓発について、正面から所掌事務をうたっている省庁は、法務省であり、それを前提としながら、啓発については関係省庁と連携協力すべきという書きぶりになっている。他省庁の人権啓発に関する活動について、これを決してないがしろにしているものではなく、むしろ関係省庁における人権啓発についても十分敬意を表していると理解している。
○ 審議会でもいろいろと他省庁との連携・協力が議論され、答申素案でもその点は強調されている。連携・協力の中で他省庁の活動も視野に入れており、またその連携・協力を推進して欲しいという趣旨が分かるようにまとめればよいのではないか。
[人権教育・啓発の基本的在り方について]
○ 行き過ぎた追及行為というのは、どういう行為なのかという論議があり、その論議のありようによっては、被差別の立場の人達に、黙っておけということにもなりかねない。従来、こうした文章は、同対審や地対協でも基本的には、この文章のような見解に立ちながら、しかし、他に適切に補完されるような制度がない中では理解されるという視点で一貫しているが、本審議会ではそれが外れている。そのかわりに、迅速かつ適正という言葉が入っているが、もう少し丁寧に書いていただきたい。
○ 我々の審議会は、この教育・啓発に関する答申を終えた後、専ら救済措置に集中して議論し、成案を得たいという気持ちがある。迅速かつ適正に対応することが重要であるというのは、我々に課された課題でもあり、言いっ放しではない。
○ 人の心の痛みが分かることがまず第一であり、次に期待されるのは、痛みが分かったら、その差別を改めるために行動しないといけない。つまり、痛みさえ分かれば後は放っておいていいということではなく、痛みが分かれば、次に何をなすべきかということを含めて他人の心の痛みが分かる人にならないといけない。
○ 思いやるだけではなく、すぐに行動に結びつける配慮が大事だと思う。
○ ボランティア活動、体験活動、高齢者・障害者との交流は、豊かな人間性を育成するための方法論としての体験活動のことを言っており、それが大変大事である。それによって、他人の痛みが分かる、思いやる心を持った豊かな人間性を育成できたら、子どもたちがそれを力として発揮できるであろうということは書いてもいいのではないか。
[人権教育・啓発の総合的かつ効果的な推進のための方策について]
○ 人権教育・啓発の実施主体を並列的に掲げてある中でも、国の責務をもう少し明確に出していく必要があるのではないか。国の責務をもう少し明確に出さないと人権教育・啓発が非常に表面的な感じがする。また、財政措置も入れるべきではないか。
人権教育については、もう少し内容を膨らませ、自然学習や社会体験活動などの表現を具体的に記述したほうが良いのではないか。
○ 国の役割については、今度の地方分権推進法の第1条2項で掲げられている国の役割をほぼそのまま書いてある。全国的な視点に立って進めるべき施策の中には恐らくそれぞれの行政作用や事務により違いがあるので、卒然と企画立案や財政措置と書くと、諮問との関係で一体どういう意味を持つのかという点で多少誤解を招くおそれがあるので、国の役割を抽象的にまとめてある。地方財政の問題に関し、財政措置には、税源や交付税、補助金などの問題があるため、財政措置を一つだけ出すのはなかなか難しいのではないか。
○ 地方自治体としては、財政的な措置の問題は大きいので、方向だけでも出して欲しい。
○ 人権擁護委員には、地域指導者としての面もあるが、それだけではなく、その他いろいろな役割として、人権侵害の対応などの人権擁護活動という面もあるため、地域指導者という表現では人権擁護委員の役割が狭くなってしまう。実施主体として、その担うべき役割は非常に大きいと表現する方が適当ではないかと思う。
また、職務上求められる研修を一層充実することという観点からの表記が良い。
○ 人権擁護委員の制度、任命の方法、男女比、年齢構成について、かつて議論され、こうしたことは、これから期待していく上で必要だったと思うが、全く触れていない。現状の制度を全て是とした上での記述に思える。
○ 人権擁護委員の制度については、救済の段階で議論することを予定している。
○ 現在のところ、各地方自治体や各民間団体で、優れた人権教育・啓発を行っているセンターがあるが、一つの地域や特定の立場から離れ、人権教育・啓発のための資料を収集したり、教育・啓発をする指導者を養成するような中央のセンターが全くない。そのため、人権教育・啓発について、全国民的かつ、特定の運動や地域や立場に偏しない、中央における総合的なナショナルセンターが必要だと思う。
○ 今の財団法人がナショナルセンターとしての実質を持っているのであれば、そういう実質が評価され、自ずからそういう評価が定まるということならそれでよい。まだ国民の間でナショナルセンターというものについての認識が必ずしも広まっていない段階で、答申の中でナショナルセンターという表現をしてしまうのはいかがなものか。
○ 今までの歴史を踏まえた今後の見通しとして、ナショナルセンターと書いた方がアピール度が高いということであれば、ナショナルセンターという言葉を限定した形で使わせていただきたい。
○ 国のレベルで一斉に事業を行うことは、なかなか難しいと思う。その場合は、モデル事業に早急に取り組んでもらうとか、さらにこれを広げていくには、財政的な問題に関しては、国が責任をもってやってもらうということで前に進んでいけばよいと思う。
また、特にユニークだと思うのは、幼児期の重要性を非常に明言しており、何度にもわたって、感性の問題から感覚、さらにそれを実行に移していくための施策が書かれている。幼児期や家庭教育の重要性を大変強調された御発言もあり、それが大変よく反映されていると思う。今後、幼児教育や家庭教育に関してどのような具体的な方策、施策がここから打ち出されていくのか、期待したいと思う。
○ 今日、法務省の人権擁護部門の体制は、人的にも、また財政的にも非常に不十分な状態で行われてきたが、この答申でいろいろな役割がさらにはっきりし、施策を実施していくということになると、人的にも財政的にもさらに充実強化が必要になる。
○ それぞれの省庁が行ってきた活動がさらに発展していくことを期待するような文言があってしかるべきだと思う。
○ 要するに政府が一体となって推進するということが前提となっているので、その点は御理解いただきたい。
[はじめに]
○ 人権と人権がぶつかり合うということと不当な差別ということを一応二分しているが、果たしてそういう問題なのか疑問がある。全体の構成で言うと、現状においては不当な差別が圧倒的に大きな問題になっており、特に、様々な人権課題にかかわる問題は、人権と人権のぶつかり合いというようなものではなく、基本的には不当な差別であるので、全体の文脈構成はこれでいいのか。
○ プライバシーと知る権利などが、最近では一番問題になっているところではないか。
人権のぶつかり合いといった問題があるということを意識しておくことは重要であり、民・民の間の問題で、どちらか一方が完全に上だということを決めつけられない問題もあるのではないかということは、頭の片隅に置いておくべきではないか。
後の方は、不当な差別といったあってはならないことについての人権意識を高める、あるいは深めるということに集中しているので、余りぶつかり合いの話は出てこない。ただ、人権のぶつかり合いの問題は、救済になりますと議論の対象になってくる。私人間の権利相互の問題で、不当な差別というような話ではないような救済問題が、場合によっては出てくるのではないか。
○ 全体としては、強者と弱者の関係や、マジョリティーとマイノリティーの関係などが念頭に置かれた形でずっとここまでが書かれている。そういう意味で、この「二つの場合」という表現を少し緩和しておけば解決するのではないか。
○ 国民相互の関係は、従来、基本的には相互に対等で自由な関係として想定され、という表現は、近代社会においては、それぞれの個人は平等であって、それを拘束するのは、対等の関係にある者の契約なのだという考えが前段に述べられている。実は、対等であると想定されているが、現実には、地位の強弱によって契約関係など相当左右されることがある。つまり、理想論としては想定されているが、現実論はそうではなかった。だから民・民の問題が出てきている。
○ いわゆる人権問題というのは、例えば江戸時代の農民などについてもあったと思う。それは、今の時代から見たらあれも人権問題ではないかということになる。だから人権問題というのはどの時代にもあったはずです。ただ、それを人権の問題として認識できるというのは、それはやはり人権思想なり制度が確立し、これは今の時点であれば人権問題だということになると思う。人権論としては、だんだんと、今の日本国憲法の下でそれが波及してきたという段階だと思う。
○ 諮問では、少なくとも人権問題として差別問題があると言っている。しかも人権擁護局はもう50年の歴史がある。だから、今日に至って初めてそういうものが人権問題になったわけではない。
○ 私人間の人権は認めており、今まさにそういうものが大事だということは認めているわけです。ただ、発生史的に言えばこういうふうになってきているということを言っている。そのときに、やはり出発点は国家との関係から始まって、その問題は今でも完全になくなっているわけではないという一言を入れているということであるので、認識として違っていると思わない。
[おわりに]
○ 内閣総理大臣が推進本部長となって本部が設置されている「人権教育のための国連10年」の国内行動計画があるが、その推進について現在余りはかばかしくないため、積極的な推進を期待することについては「おわりに」の中に言及があってしかるべきではないか。
○ この答申案では、人権尊重の教育・啓発について、いろいろな具体的な施策についてもかなり踏み込んで意見が述べられており、これはすなわち、国内行動計画を具体的に実現する内容を含んでいるので、ここで所要の措置を講ずることを望むものであると言っていればそれで十分であり、国内行動計画に触れるとかえって答申の趣旨が弱まるではないかと思う。
○ 審議会としては、答申案に盛り込まれた施策は、法的措置を取らずとも実現できるということで整理する。このことは、答申には書かないでその趣旨を「おわりに」で盛り込んである。さらに、被害者救済の審議との関係については、被害者救済の議論の際、被害者救済制度の法律的枠組みをどうするかという点に話が及んだとき、例えば、人権被害救済を行う組織の所掌事務についての議論に際し、人権教育・啓発をも所掌する規定を置くべきではないかという議論になると、これについて議論することをシャットアウトすることはないという形で整理する。
ただし、人権教育・啓発に関する基本的な事項については、今回の答申ですべて答えたものとして整理する。
(2)その他
○ 次回以降の会議の開催予定について
第27回会議 6月18日(金)
― 以 上 ―
(平成11年8月3日 文責 法務省人権擁護局総務課)
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「●」は「崎」の「大」の部分が「立」
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