コラム |
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昭和62年の「新仙台すずめ踊り」 |
昭和59年に仙台に移住して間もなく作曲家の榊原光裕さんと知り合いになりました。当時、彼はバークレーから帰国したばかり。長髪にヒゲヅラで今とは随分印象が違います。ピアノと尺八のライブをやったり、CMの録音で使っていただいたりしていたのですが、そんな彼から昭和62年の春先に電話が来ました。今度「青葉まつり」で「すずめ踊り」というのをやるのだが笛を吹いてくれないかという依頼でした。数日後、榊原さんは「これなんですよ」とカセットテープを持って来ました。プレーヤーにかけると、古いお囃子がきこえて来ました。それを、榊原さんが私が演奏できるように楽譜におこしてくれました。テープの音は、八幡町の古老の演奏の録音で、時々アドリブに入っていく時もあったのですが、この際だから標準的なメロディーラインを決めてしまおうということでできたのが、現在行われている「仙台すずめ踊り」のメロディーです。 なお、この事実はあまり知られていませんが、昭和62年の第3回青葉まつりで踊られたのは「新・仙台すずめ踊り」だったのです。当時の新聞を調べると、以下のように書いてあります。「青葉まつりでは古いすずめ踊りを市民が誰でも踊れるように振付・囃子をアレンジ、新仙台すずめ踊りを考案し…」とあります。(河北新報昭和62年5月10日 下の画像)実際には、囃子は、ほとんど「古いすずめ踊り」のままで、踊りは「ハネすずめ」と「舞すずめ」が考案されました。現在のすずめ踊りはこの「ハネすずめ」(自由に跳ねながら踊る)の延長線上に創作されたものと言う事ができます。 「新・仙台すずめ踊り」は、クラシックバレエやモダンダンスの要素を取り入れながら、徐々に現在の姿になって行きます。そう、実は現在いろんな祭連で踊っているのは、厳密に言うと「すずめ踊り」ではなく「新・仙台すずめ踊り」なのです。ところが何回目かの青葉まつりから「新・仙台すずめ踊り」の「新・」をはずしてしまいました。その時点で、1000名程度の規模になっていたので、当時伝承者が3名しかいない「古いすずめ踊り」に代わって「仙台すずめ踊り」を名乗って良いと判断したのでしょう。これが後の時代になって、大変な誤解を招く事になりました。「青葉まつりでやっている(クラシックバレエやモダンダンスの要素を取り入れた)すずめ踊りが政宗公以来四百年の歴史を持つ踊りである」(笑) 私は、すずめ踊りを仕事で受けたつもりだったのですが、もう沢山の市民の皆さんがお囃子をなさるようになった今でも、すずめ踊りをやっています。お祭が好きなんですね。今は◆朱雀という祭連の事務局を引き受けています。 |
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すずめ踊りの不思議 |
広辞苑で「すずめ踊り」を引くとちゃんと載っているのをご存知ですか?「さすが伊達様ゆかりのはねっこ踊り!」と喜ぶのは、ちょっと早い、といったお話です。 仙台すずめ踊りは慶長八年(1603年)伊達政宗公が青葉城を築城した際の移渡式後の祝宴で泉州堺から来ていた石工達が即興で踊ったのが起源とされています。その根拠とされる伊達家の文書に直接あたった訳ではないので断言はできませんが、確かに石工達は何かの踊りを踊ったようですが「すずめ踊りを踊った」という記述はないようです。慶長8年から昭和62年までのお話は、資料として添えた仙台大学本多弘子先生の論文を読んで下さい。 |
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すずめ踊りの不思議 2 |
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実は、仙台以外にも「すずめ踊り」「雀踊」「雀おどり」という郷土芸能または名称があります。以下は一例。調べればもっとあると思います。 *和歌山県御坊市 御坊祭で雀踊が踊られる(昭和56年和歌山県無形文化財指定) http://www.aikis.or.jp/~okada/ma/menu_ma.html *京都府京都市 祇園祭 7月20日花笠巡行の隊列に雀踊がある *愛知県名古屋市に安政三年(1856年)創業「雀おどり總本店」という和菓子店がある http://www.suzumeodori.com/index.htm *北斎漫画(葛飾北斎1760〜1849)に雀踊という絵がある。北斎漫画は1814年から15巻刊行 祇園祭の雀踊は資料がないので判りませんが、他の御坊市、名古屋の和菓子店、北斎漫画には共通点があります。それは「雀踊が網笠をかぶって踊る奴踊りである」ということです。実は、仙台すずめ踊りの古い写真(十七代伝承者黒田虎雄氏…故人 所蔵の大正時代のもの)でも、奴さん風のハッピを着て、網笠は被らずに背負っているのです。 さらに年代について考察して見ましょう。北斎は、自分の生きた時代の風俗として雀踊を描いたのでしょう。北斎漫画は幕末(19世紀)の作品。名古屋の「雀おどり總本店」さんの創業も幕末。17世紀初頭の仙台すずめ踊り発祥伝説とは200年のギャップがあります。 |
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すずめ踊りの不思議 3 |
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そろそろ、この長いコラムの結論にしましょう。 まず、雀踊はどうも19世紀に全国的に流行した風俗のようで、それは「網笠をかぶって踊る奴踊り」であったようであるということ、これは間違いないでしょう。ところが、同じ頃流行った『ええじゃないか』のようには「これが雀踊」であるというものが、残っていないようなのです。研究書や論文も見当たりません。もしこれをお読みになった方でお詳しい方がいたら是非お便り下さい。そして17世紀に発祥伝説を持つ仙台すずめ踊りも衣装からこれと無関係とは思えないということ。現在の仙台すずめ踊りの音楽は、旋律構造から明治になってから創作されたものがすべて、または一部あると思いますけれども、和歌山や京都の音楽を聴いた事がないのでその関連も是非知りたいところです。 余談ですが、私のところには、毎年数名の学生さんが見えて、卒論のテーマにした「仙台すずめ踊り」の取材をして行きます。そんな皆さんに、このコラムで書いたような研究テーマをお勧めしているのですが、残念なことにまだどなたも取り上げてくれません。本やインターネットの書き写しではだめで、足で取材をしなければなりませんからね。 |
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自分のこと |
私は、敗戦から9年しか経っていない昭和29年の7月10日に山形県鶴岡市で生まれました。家は印刷工場をやっていました。様々な機械が同時に別々のテンポでリズミカルな音をにぎやかに奏でる環境、私のリズム感はここで植え付けられたような気がします。 引きこもりがちで、幼稚園にも行けないような子供でした。見かねた母親が、ショック療法にと習わせたのが日本舞踊。家の近所にお住まいだった藤間勘貴久先生の教室に小学1年生の時から通いました。結局、踊りはモノになりませんでした(でも8年間もやりました)が、その伴奏音楽である長唄や清元には子供心にすっかり魅せられました。 小学校でリコーダーにハマりました。ハメたのは山本英夫先生、仙台フィルハーモニーのチェロ奏者山本純さんのお父さんです。当時、私の通う小学校の音楽の先生でした。山本先生には「笛を吹く楽しさ」を教えていただいたと思います。実は今、私は春になると小学3年生のためのリコーダー導入指導で仙台市内の小学校を駆け回ります。この仕事は山本先生へのご恩返しのつもりで引き受けているのですが、なかなか山本先生のようなワクワクする授業にはなりません。 18才で東京に出て、琴古流尺八を二世青木鈴慕先生に習いました。田舎から出ていった何もわからない私が、高名な青木先生に入門できたのは鶴岡の箏曲家松平美賀先生のお口添えのおかげでした。今や人間国宝の青木先生も当時は40歳位、とても恐い先生でした。付き人のような事をしながら勉強させてもらいました。尺八よりも着物のたたみ方と肩もみが上達したような気がします。今も足の甲に残る座りダコはこの頃できたものです。楽屋で武満徹や湯浅譲二といった日本を代表する作曲家の先生のなまの姿を拝見できたのもとても貴重な体験でした。 NHK邦楽技能者育成会修了、これが音楽大学に行っていない私の唯一の楽歴です。ここで講師をなさっていたのが藤井凡大先生、『新八犬伝』の作曲家といったらおわかりになるでしょう。わずか1年間の師事でしたが、現在の私の音楽的な基礎はこの先生から学んだと思っています。卒業演奏会の時に藤井先生が使った指揮棒を記念に拝借し、今も家宝とさせていただいています。 フルートは、まったくの独学です。尺八の基礎の上に構築した奏法なので我流ですが、今となってはこれが私の個性であると自信を持てるようになりました。 昭和59年より仙台市に在住。様々な才能溢れる方々とのご縁ができ、私としては身に余る貴重な演奏機会を与えていただいたと思っています。あっという間に20年が経ち、50歳になりました。これからも篠笛・尺八・フルートなど、できるものはなんでもやって、行けるところまで行ってみようと思っています。 |
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