平和への願いのかたち おりづる



平和を願い、戦争展で「鶴」を折る


 八月は戦争体験を語り四八羽のかたちにしました。

▼遠い昔のことですが、B29が上空をとび、グラマンが超低空飛行をし弟が怪我をしま した。戦争なんて何もええことはありません。戦争が始まるまでは平和な家庭でした。戦争で家業の人形屋をやめて山科へきました。
 父は結核になり、わたしは会 社勤めをしました。十七歳で召集されました。終戦間隙だったのですぐ帰ってきましたが、もしお金があっても戦争がおこればすべてパーになります。人間にとっては平和が大事です。

▼昭和十六年学校を卒業し、 まわりの人々は皆召集されたが私は召集されずにすみまし た。
 戦争一色で平和産業ももうダメの時代に戦争にいかんでもすむのは、鉄道と郵便局ということなので鉄道に入りました。戦争にはいかなかったけど、その悲惨さはいやというほど知りました。
 それと当時ラジオから流れてくる放送は勝ってないのに勝ってるようなムチャクチャなものでひどいものでした。 「権力者には任せられん」という思いを強くもちました。

▼わたしは田舎に住んでいました。戦後の物資不足の中で買い出しの人の姿をよく目に しましてつらかったですね。 戦争にまけてよかったと思い ました。

▼そんなつらい体験を、つるを おりながら語り、若い女性は 「父母から聞く以上の事を聞 かせてもらえる」と仕事の合間をぬって参加されました。

 折り鶴会では日常や平和を語り、明日への決意をカタチに して来ました。

 ここに至る出発は何だったかといいますと、「山科平和のための戦争展」です。

 戦争展で世界と日本の被爆 やたたかいを知り、その心を つるという形に託し会場を去 っていかれるわけです。百人百様のつるでした。

 しかしそこには百人百様の平和への願いがみてとれまし た。そのつるが私達の背を押 してくれて今まで続けてこら れました。

 訪れられるのは子供であり お年寄りであり、又カップルですが、気軽ではありますが 手を合わせるがごとく心をこめて折ってくださいます。そ の人々の気持をどこまでも大切にしたい。それは平和へと続く。それがここに集まる人々の気持です。

 「平和はあるものでも、やって来るものでもありません。 みんなでつくるものだと思います。」大切なこの言葉を広 めつつ、つるをおりつづけた いと思います。