平和委員会のある風景(平和新聞)への掲載へ

−− 平和新聞(日本平和委員会)から取材を受ける(2007.9.26)−−


 山科平和を守る会は、9月26日(水)に、「平和新聞」を発行している日本平和委員会から取材を受け、役員が対応しました。これは、平和新聞に連載されている「平和委員会のある風景」に山科平和を守る会が掲載予定のために取材を受けたものです。記事は10月15日号に掲載されるとのことです。

 午後5時から、山科区内の会場で、平和委員会の西村記者からの取材に役員10名が対応しました。

 山科平和を守る会(山科平和委員会)は、数百名の会員を擁し、京都でも有数の平和委員会です。その活動は、
(1)毎年の定例総会と、定期的な役員会を開催し、毎月の方針を決めて取り組みを進めている。
(2)各地域で定期的に「三人よれば学習会」が実施されている。
(3)地域を越えて「平和ための折り鶴会」が定期的に行われている。
(4)毎月9の日(9日、19日、29日)には、街頭宣伝や署名活動が実施されている。
(5)夏の「山科・平和のための戦争展」取り組みの中心として24年間連続した取り組みを行っている。
(6)他団体とも協力しながら、山科の平和運動の中核として活動している。
(7)日本平和大会など全国集会に代表を派遣している。
(8)山科平和しんぶんの発行や、ホームページを通じて、活動を広く社会に紹介している。
(9)自立した健全会計で会の運営を行っている。

などにその特徴があります。



 取材では、それぞれの内容について担当者からの説明と共に、各人から活動に対するそれぞれの思いが語られました。詳細は「平和新聞」(10月15日号)を見て戴くことにして、その概要を紹介します。

 山科平和を守る会は、1954年のビキニ水爆実験を契機として生まれた「ふたば会」が発展し、1962年2月5日に結成され、今年は創立45周年の記念すべき年になります。

 以来、一時期活動が中断したこともありましたが、1992年8月8日、原水禁大会国民大行進への参加が契機となって再建、そして多くの方々の献身的な活動に支えられて、今日まで山科の地で平和を守る運動を続けてきました。事務局は、音羽稲芝にあり、3桁の会員と月1回の「山科・平和しんぶん」を発行しています。また、小学校区単位毎に「3人寄れば学習」と、月例の学習会を開催しています。

(1)毎年の定例総会と、定期的な役員会を開催し、毎月の方針を決めて取り組みを進めている。

 毎年5月に総会を開催し、一年間の取り組みの総括と方針を決めています。また、その決定にもとづき、役員会を毎月開催し、その月の取り組みの方針を決めています。役員は十数名で、それぞれ分担を決めて日常の活動に取り組んでいます。

(2)各地域で定期的に「三人よれば学習会」が実施されている。

 原則として小学校区単位で毎月「3人寄れば学習会」を開催することを決めていますが、現在定期化されているのは13学区の中で7学区にとどまっています。職場単位での学習会も以前は実施されていましたが、現在は定期的には行われていません。開催日や日時は、平日の夜に行う地域や、土日の休日に行う地域もあります。参加者の都合で決めており、地域ごとに違いがあります。学習内容は、主に「平和新聞」や「平和運動」誌から記事や論文を読み合わせることが多いのですが、日常の新聞から切り抜きを使ったり、独自に学習冊子(資料集)を作って取り組んでいる地域もあります。学習内容は、憲法問題、基地問題、戦争と平和の問題と多彩ですが、いずれも堅苦しくなく、笑いのあるなごやかな雰囲気で行っています。

(3)地域を越えて「平和ための折り鶴会」が定期的に行われている。

 「平和のための折り鶴会」は、2003年2月に発足しました。毎月集まって、時事問題を中心に談笑しながら、せっせと鶴を折っています。一年のサイクルは、夏の「山科・平和のための戦争展」がスタートで、そこで見学者に折って貰った鶴から、毎月の例会へとつなぎ、次年の6月下旬にある「国民平和大行進」の滋賀=京都引き継ぎ式に持っていきます。毎年2000羽程度になります。例会は、今年の9月で58回を数え、のべ参加人数は320名、折った鶴は、例会で9586羽、全体では1万4000〜1万5000羽になります。

 こうした会が続いた理由は、@会場を提供していただける方があること。A定例化していること。B鶴を「原水禁大会に届ける」という目標が明確なこと。Cお茶やお菓子、ぜんざいなどが出て、みんなのコミュニケーションの場となり、いつも笑いあり、涙ありの楽しい会となっていること、などです。

(4)毎月9の日(9日、19日、29日)には、街頭宣伝や署名活動が実施されている。

 山科には「平和ネット」というネットワーク組織があり、山科平和を守る会も参加しています。その方たちと協力して、毎月の9の付く日に、街頭宣伝活動や署名活動に取り組んでいます。続いているのは、毎回必ず参加をしていただける方があるので「○○さんが来てくれるので、中止できない」と励まし合って行っているからです。原水禁署名や憲法改悪反対署名など、毎月100筆程度の署名もあり、一年間でかなりの署名を集めています。

(5)夏の「山科・平和のための戦争展」取り組みの中心として24年間連続した取り組みを行っている。

 「山科・平和のための戦争展」(同実行委員会主催)は、今年で24回目になります。山科・平和を守る会もそのメンバーとして積極的に協力してきました。京都の伝統行事「六地蔵・地蔵盆」に合わせた取り組みで、今の形に定着したのは、10年前です。毎年2000人〜3000人の見学者があり、広島・長崎の原爆被害のパネル展示をはじめ、イラク戦争・ナパーム弾・劣化ウラン弾・クラスター爆弾などの被害、靖国問題や軍国主義教育の問題、原水禁世界大会の様子や世界の平和運動の紹介など、多彩な展示をして、山科の人たちに平和の大切さを訴えています。

(6)他団体とも協力しながら、山科の平和運動の中核として活動している。

 山科には、日本の平和と幸せな生活を求めて取り組んでいる多くの団体があります。「憲法9条を守ろう」と取り組んでいる山科・9条の会、「平和夏祭り」に取り組んでいる山科民主商工会、映画「日本の青空」上映に取り組んでいる革新・山科の会、平和を求めて宣伝・署名活動に取り組む「山科・平和ネット」等々。そうしたいろいろな団体と協力しながら、山科の平和運動の中核として、活動を進めています。

(7)日本平和大会など全国集会に代表を派遣している。

 日本にはいくつかの平和に関する全国集会がありますが、3・1ビキニデー、日本平和大会、日本平和委員会全国大会、青年のピース・エッグなどに対して、地域からカンパを募り、可能な限り代表を派遣しています。また、派遣者からの報告集会も実施し、全国の情勢や取り組みを地域に紹介しています。今回の「9・29教科書検定意見撤回を求める沖縄県民集会」にも、代表は派遣できませんでしたが、支援カンパの取り組みを行いました。

(8)山科平和しんぶんの発行や、ホームページを通じて、活動を広く社会に紹介している。

 山科・平和を守る会では毎月「山科平和しんぶん」を発行して、現在で182号になります。時事に関わる情勢や主張を発表したり、「三人寄れば学習会」「平和のための折り鶴会」など、さまざまな取り組みを紹介しています。

 また「山科・平和を守る会ホームページ」は、2004年5月に開設し、以来3年間、さまざまな情報や主張・取り組みを発信してきました。アクセス数は、初めは月平均100件程度でしたが、現在は250件程度に増えてきています。

 「山科平和しんぶん」「山科・平和を守る会ホームページ」ともども、日本平和委員会から「優秀賞」をいただいています。

(9)自立した健全会計で会の運営を行っている。

 山科平和を守る会の活動は、会員による自主的なボランティア活動が基本です。しかし、「山科・平和しんぶん」の発行や、ホームページの運営、各種取り組みなどには若干の費用もかかります。そのために財政活動が必要です。現在、山科平和を守る会の財政は、会費・事業収入・カンパから成り立っています。担当者から役員会に対して毎月会計報告があり、一部に会費納入の遅れがありますが、大所帯の割には全体として赤字を出さないで健全会計で会を運営しています。

(10)今後の課題や方向

 山科は、先のアジア・太平洋戦争で、他の日本の各地と同じように、若者や一家の大黒柱が戦争に動員されたり、貴金属の供出や、物資の統制を受け、人々が苦しい生活を余儀なくされたのですが、幸いにも空襲には遭いませんでした。

 戦後、主に大都市の郊外住宅地域として発展を続け、人口が急増、終戦時3万人程度の人口が13〜4万人を擁するまでになりました。1960年代には、日本の原水爆禁止運動の高揚もあって、山科でも平和運動が高まりましたが、その後一時期停滞することになります。

 1990年代から、日本が再び戦争への道を歩むことに危惧を抱いた人達が中心となり、山科平和を守る会を再建、そのご15年近くに渡り取り組みを進めてきました。ねばり強い取り組みの中で、山科地域でも一定の市民権を得るまでにはなってきましたが、残念ながら今日の情勢に見合う規模の運動にはまだなっていません。

 今後、山科で平和を願っている多くの人たちの心をどう集めて、大きな声にしていくのかが課題になっています。


 このほか、取材の場では、日本平和委員会や平和新聞に対しても、さまざまな要望が出されました。
(A)