特別報告

日本平和大会in沖縄

−− 自治体と平和・基地・安保・国民「保護」体制、非核・平和のまちづくり(2007.11.23〜25)−−M・T生


 11月23〜25日に沖縄で開催された日本平和大会へ、多くのみなさんのカンパにより行かせていただきまし た。ありがとうございます。

 せっかくの機会なので、さ らに4日間延長して沖縄各地を巡りました。

 12月22日に報告会を開催させていただきましたが、本紙上でも生の感動を伝えられればと思います。

 平和大会の様子を、特に標記の分科会の内容を中心に報告させていただきます。

【私が歩いた沖縄】

 11月23日 開会総会(那覇市)
     24日 分科会・全体集会(那覇市)
     25日 キャンプシュワブ 人間の鎖・辺野古(名護市)
     26日 海洋博記念公園(本部町)高江へリパッド反対 テント (東村)
     27日 普天間基地(宜野湾市)
     28日 平和祈念公園・ひめ ゆりの塔・喜屋武岬(糸満市)
     29日 旧海軍司令部壕・首里城・県庁(那覇市)

【インド洋から自衛艦が帰ってきた】

 この大会を通じて一番大きな出来事は、「テロ特措法」に基づいてインド洋に派遣された自衛艦が、我々国民の総意で戻ってきたことです。これまでの歴史上なかったことです。これに加え、先に行われた教科書検定を巡る問題で沖縄が大いに怒った。その沖縄で開催されました。

【分科会報告】佐藤光雄(日本平和委員会代表理事)

−−自治体の役割変質と戦争協力への軌跡−−

 地方自治法は憲法と同時施行され、中央政府の責任で開始する戦争に対し、地方自治体が防止する役割を 持つ。しかし、今年4月の改悪によって、防衛、外交 について地方自治体は一切口をはさめなくなった。

 2000年アーミテージ報告(有事法制、集団的自衛権行使、改憲等を要求)、01年「テロ特措法」、02年 「イラク特措法」、03年「有事三法」が成立。なお、03年の有事法成立の際、琉球新報が4ページの特集を組み、民主党の前原議員と自民党の久間議員が裏舞台で話したことを特集していた。テレビではケンカして いると見せかけようとか、さらに前原は、久間が渋ったテロも自然災害も戦争事態も関係なく訓練をさせることを決めた。04年「有事立法」「防衛大綱」により、海外任務を本来業務にして専守防衛の方針を捨てた。07年「日米合意文書」を発表しました。これにより、地方自治体の自治権を奪い、米軍再編を決めた。

 予測事態の発動と同時に、自治権はすべて奪われる。安全保障会議という大統領的組織が権限を行使する。市町村職員が「赤紙」配布する。そして米軍・自衛隊 に対して役務提供や物資の提供を義務付けられる。

 特に「改悪日米物品役務提供協定」(ACSA)により現在、イラクで航空自衛隊は活動をしているが、04年に、防衛省・総務省がテレビの放映権を奪うとの脅しで、マスコミが許可制に合意してしまい、報道ができなくなった。

−−駐留軍等(等は自衛隊)の再編の円滑な実施に関する特別措置法(いわゆる米軍再編法)−−

 米軍基地135はもとよ り、自衛隊基地3000余の基地も米軍が求めれば、使用できることになった。これにより、日本全体の問題となった。当面、米軍はは、33自衛隊基地の使用を求めている。現在、座間・岩国・名護の3市のみが抵抗してい る。

 また、日本が出資した駐留軍再編促進金融を行う 「国際協力銀行」 は、1戸につき8000万円もする(3箇所の風呂、 さらにプール付きの)住宅を グァムに7100億円も出して建設しようとしている。

  これらのことを含めた利権をめぐる防衛省問題は、ロッ キード事件以上の疑獄事件に発展する。これについて は、内部通告が政党にきて いる。国民世論が大事。
 この法律は2017年まで継続し、今後3兆円 (国 民一人当り2万5000円) の負担があり、別枠でMD開 発が1兆円かかる。その他、 自衛隊員の年金は軍事予算からでていない。また米軍基地も別予算で、トータル で7兆円を超える。

 原子力空母寄港のため、日本の全ての重要港湾は17メート ルに改修を始めている。また、たとえば舞鶴の全ての 店舗、自動販売機まで調査 するなど、米兵が住める町 にしようとしている。

−−日米共同実働演習−−

 今年(2007年)11月5日〜16日までイラクに参戦した米軍が、自衛隊と実戦訓練を行った。過去最高の3万人が参加した。これは自治体の首長も知らないまま行われている。 新聞は報道しない。閑係する保守的首長も怒っている。

 諸悪の根源「日米安保条約」を廃棄することが大事である。 「知り、知らせよう。事実 を直視しよう」学習、討論、 対話、宣伝、共同が大事である。

(続く)

(下記文章の間にまだ報告が続いていますが、省略しています)


特別報告


日本平和大会in沖縄(番外編)

−− 山科平和しんぶん187号より−−



 先月に続いて、沖鈍で行われた平和大会や沖組の基地、街、人、風土などについて見たまま感じたままをレポートしたいと思います。


沖縄の美ら風に吹かれて

 沖縄の気候は暖かく、南国そのものです。島はプーゲンビリアの花が咲き、セミが鳴き、蝶が舞うという気候です。ホテルや店に入 ると冷房がかかっていました。また、雨季とも思えるぐらい冬の時期は雨が多いのも特徴ではないかと思います。ちょうど台湾近海を台風が通過しており、旅の前半は半袖で過ごしましたが、後半は雨と風にあおら れて、傘まで折れてしまうほどでした。

 テレビでは男性は韓流ブームで女性は沖縄ブームではないかと思えるような状況ですが、街を歩くと、地元の若い女性はテレビにいつ登場してもおかしくない容姿の整った人が多くいました。方言も柔らかくて素敵でした。

 食べ物は、好き嫌いがあると思います。私は、ヤギ、豚などの料理と泡盛というお酒がおいしかった。ただ、 ジュウシーという焼き飯は おいしかったが、沖絶そばは太めでかためで味は信州そばの方がおいしいと思いました。

北部高江の変なオジサン

 北部東村高江のへリバッド基地反対テントを訪ねました。そこには、辺野古の反対テントから移ってきた 佐久間さんという60歳過ぎの男性が昼夜常駐してい ました。テントの隣には、防衛局の雇った人が常駐しており、お互い、にらみ合 い(実は方針として、けんかせず過ごしている) なが ら共存しています。

 テントは国道脇にあり、 国道の両側は国有林ですが、その中にへリバッド(着陸台)を作らせないために、建設機械や資材の搬入を監視しています。ヘリバッドはすでに存在するのですが、辺野古に新基地ができるこ とを想定して、海から上陸した兵隊がへりに乗りこみ付近の国有林でサバイバル訓練をするのが目的で、海に近い場所に新たに作ろう としているのです。この森はベトナム戦争当時、ゲリラ訓練用に使用され、腹を空かせた米兵が民家に食べ物を求めてきたらしいです。

 佐久間さんは実は大阪出身で、一人でこのテントに暮らしています。私も一夜 だけ泊まりましたが、当日は台風の雨がすごくて、テントの下は川になるほど水が流れ、ボンボンベッドの上に寝袋を敷いて寝ました。水・電気・ガス・トイレが なく、よくここで何ヶ月も暮らせると思います。しか し、何事もゴーイングマイウェイの人で、食料を持ち込むのを忘れた私は、朝食抜きでしたが、横で弁当を食べていました。翌日は宜野湾市の普天間飛行場を見に行く計画でしたが、ここへ案内してくれた役員さん も現れず、もう一泊かと諦めかけたところへ、テレビの取材などがあり、便乗して無事脱出に成功しました。 (読売テレビで2月ごろ、 ヤンバルクイナとへリバッドというタイトルで深夜の時間帯に放送を予定しているそうです。)

 日本電波ニュース社の人 と一緒に宜野湾市の普天間 飛行場へと向かいました。

教育と観光の町

 普天間飛行場は、周囲を住宅が取り囲んでいます。 海側は公園などがあり、リゾート、山側は沖縄国際大学、琉球大学がある文教地区です。嘉数の丘という飛行場全体が見渡せる場所に 登りましたが、滑走路は波うっていて、飛行機の離発着には適さないぐらい老朽化していました。沖縄国際大学は基地のすぐ横にあり、作られてから37年も経つ老朽化したへりが墜落したのです。私たちは住宅の屋根スレスレをかすめて着陸する飛行機を見ました。ま た、高江に向かうであろうへりが飛び立つのを見ました。市長は飛行場の返還後の活用を考えているとのこ とでした。この町であれば、活用は可能と考えますが、町の不動産屋に「軍用地売 ります」の看板があり、年間収入はいくらと書かれており、沖縄を歩いていて、工場や会社などを目にすることはほとんどなく、基地 に依存する沖縄経済、雇用 の厳しい現状を感じました。

 次号に余裕があれば、南部地域の戦跡を巡ってきま したので報告したいと思い ます。

特別報告

日本平和大会in沖縄(南部番外編)

−− 山科平和しんぶん188号より−−


 再び、那覇市に戻った私は、沖縄戦の激戦地である南部にある糸満市を目指しました。

 まず、摩文仁の丘にある「沖縄県平和祈念資料館」へ行きました。1945年3月、90日におよぶ鉄の暴風(住民一人当り40発の砲弾が打ちこまれた)により、20数万が死亡し、そのほとんどが民間人で した。この歴史的教訓を今に伝える施設です。この建物の2階には明治から太平洋戦争までの「沖縄戦への道」、破壊された民家などが再現された「鉄の暴風」、日本守備軍 が南部へと撤退し、その中で展開された「地獄の戦場」、住民の思いが詰まったたくさんの「証言」、戦後、土地を奪われ軍事基地化する沖縄と住民の抵抗が展示されています。

 この階をじっくり見るだけで2時間ぐらいかかり ました。多くの修学旅行生や一般見学者が訪れていました。パネルや映像、再現された当時の様子それと、証言コーナーに集められた言葉はどれも当時の状況を今に伝える重みがありました。それを テープに収めました。読 んでいるうちに自然と涙がこぼれました。資料館 の外には「平和の礎(い しじ)」という沖縄戦で亡くなった人の出身国・地、名前を刻んだ刻銘碑が無数に海に向って並んでい ました。アメリカ人の名前もたくさんありましたが、台湾、朝鮮国などはわずかで、子孫の複雑な思いが伝わってきました。

 次に、「ひめゆりの塔」 へと向かいました。沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒200人余りが、陸軍病院に配属され、その後米軍に追われて南へと移動し、最後は「解散命令」が出 され、ある者は米軍に殺 され、また自決するなど、愛らしい女学生の希望に満ちた写真が展示されており、戦争の罪の大きさ を感じました。

 さらに路線バスの本数もなかったため、歩いて最南端の地、喜屋武(きゃん)岬へと向いました。

 ここは、追い詰められた住民が断崖から海に飛び込んだところです。さとうきびの畑を歩いて向う道中に、那覇空港へ向う 旅客機と同時にひときわ金属製の高音を発して飛ぶ戦闘機を何機か見ました。

 出発する日、那覇市の近郊にある「首里城」「旧海軍司令部壕」を見学しました。また、県庁の基地対策課に寄り、資料集を無料でもらいました。

 こうして一週間におよぶ沖縄調査を終えました。

 最後に、沖縄は「軍隊」 に苦しんでいる島だと思 います。太平洋戦争の時 は南部地域が、現在は米軍基地が集まり、最近起 こった女子中学生暴行事件に見られるように中部地域が、これからは名護市の新たな基地建設や高江のへリパッドに見られる北部地域が苦しめられようとしています。

 首里城見学で見た沖縄は貿易を中心に経済を発展させ、平和を望みおおらかに暮らしていました。 江戸時代に島津藩に制圧 されて以後、苦しめられているように思います。

 沖縄を本当の平和の楽園にする道は、一部の基地の移設では納まりません。日本国中の基地をな くすことが必要です。日米安保条約の廃棄が必要 だと感じました。

 みなさんのカンパに感謝をします。(終わり)