手記 第一回「山科・戦争の爪痕」を訪ねて

慰霊碑と戦争体験

山科平和しんぶん 2008年4月25日号(第190号)より





 晴天の4月20日(日)午前、「第一回『山科・戦争の爪痕』を訪ねて」が、革新・ 山科の会と山科平和を守る会 の共催で行われました。参加者は12名。案内は地元のAさん。

 コースは、上花山福応寺〜旧安祥寺川〜西野西宗寺〜山科中央公園土塁跡〜西本顧寺山科別院殉国碑〜事務所。昼食をしながらビデオ視聴や戦争の体験談を聞き、感想を交流しました。

 戦争末期には、きまざまな金属類が「供出」させられましたが、お寺の梵鐘も例外ではなかったとのこと。福応寺の梵鐘はいったん「供出」させられましたが、「遍昭」の 銘があったため返却されたとのことでした。梵鐘には金属の質を調べるための小さな孔が開いていました。しかし、西宗寺の梵鐘は「供出」をまぬがれることは出来ませんでした。

 福応寺、西宗寺には戦後地元の人たちの手によって「慰霊碑」がたてられており、その趣意書には、戦死された人たちを追悼する趣意書がありますが、過去の戦争が「侵略戦争」であったことには触れられていません。今回見学できなかったのですが、平成7年に建てられた三之宮神社の慰霊碑は他の慰霊碑に書かれている「再び戦争を起こさぬ ように」という文言が書き込まれていないとのこと。

 Aさんは案内の中で「慰霊碑を建てて戦死者を追悼することと、平和を守ることとが直接に結びつくのかどうか。下手をすると次の戦争に結びつけることに利用されないか、一人一人がよく考えることが大切」と話されていたことが印象的でした。

 東西両別院の中間にある連如上人立像跡には、「供出」 のため立像はなく、台座だけが露呈していました。折り好く立像跡のご近所にお住まいの方から、立像が残っていたときの貴重な写真を見せていただきました。遠くは音羽山まで望め、立像も立派なものでした。多くの信者の象徴でもあったと思われる立像まで「供出」の名に おいて撤去してしまう戦時下の非情さを感じさせられました。

 昼食をしながらの写真・ビデオの視聴。小学生の軍事教練、戦死者の学区葬、日の丸をかざした舞踊、奉安殿への児童の最敬礼の様子などなど、国民を戦争に巻き込んでいく生々しい写真でした。

 戦争体験を話された会員のHさんからは、戦時下の軍国主義教育の実態や、食料危機の話。殴られ殴るの教育現場、野草まで食した様子が話されました。

 過去の戦争で空襲もなく、現在基地もない山科ですが、戦争とは、戦地へ赴くことだ けでなく、国民すべてが戦争に協力させられていくという ことが今回の活動に参加して痛切に感じさせられました。

 このような取組、二カ月に一回程度行われる予定です。ぜひ多くの会員に参加いただ きたいと思います。

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