ヒトの攻撃性、暴力について−−霊長類学の近年の成果を踏まえて−−
「ヒトは攻撃的、暴力的生きものであって、ヒトの社会において戦争が起こるのは必然で
ある」という俗説は「セビリア声明」によって、基本的に一応片がついていると思うが、現在その「セビリア声明」起草時点から既に20余年が経過している。「それはもう旧いんじやないか」という俗説も出てくるかもしれない。現に、“柳沢随想”というようなもの
(04年6月22日付、及び7月27日付朝日新聞)も出てきている。起草から20余年を
経た今日でも、「セビリア声明」は基本的に正しく、現在それを見直す必要はほとんどないと思われるが、ある部分(遺伝子とか、DNÅにかかわる部分)を除いて、「セビリア声明」
が取り扱ったのと同じ問題に、現時点でアプローチしようとしたすぐれた霊長類学者の論理に沿って、われわれの認識を確認しておくことは十分意味のあることだろうと思われる。
山極寿一 「暴力はどこからきたか」(NHK出版)からの抜粋
第一章 攻撃性をめぐる神話
人類学者レイモンド・ダートの考えたこと
アウストラロビテクス・アフリカヌスという化石人類は、カモシカの上腕骨を武器にして狩猟をしていた。武器の使用は、筋肉、触覚、視覚の協調を必要としたので、神経系の発達を促して大きな脳を形成するように働いた。人類を進化させたのは、攻撃性と武器だった(1949)。収集されたアウストラロビテクスの頭骨には攻撃を加えられたと思われる跡があり、これはアウストラロビテクスが武器を仲間への攻撃に用い始めたことを思わせる
(1955)。(「現在、この考えが間違いであることは、いくつかの証拠によって明らかとなっ
ている。」P26) 感想1
劇作家ロバート・アードレイ「アフリカ創世記−殺戮と闘争の人類史」(1962)
ダートに取材し、ダートの考えを踏まえ、さらに当時知られていた動物行動学、霊長類学の知見も渉猟しながら、初期人類の姿を描き出そうと試みたもので、それによれば、動物が本能として持っている攻撃性を、人間は武器を用いることによって拡大し、殺戟者と
しての歴史を歩んで現代に至っているということである。そして、はるか昔から主要な精力を武器の改良と競争に充ててきた人類という種にとって、戦争を放棄することは不可能
であるという論理に至る。
動物行動学者コンラート・ローレンツ「攻撃−悪の自然誌」(1963)
攻撃性というものは、動物たちの基本的な行動を形づくっている。同種の仲間に対する攻撃は内的な衝動によって引き起こされるものであるが、人間の場合もそれは当てはまる。
しかし、動物たちは攻撃行動とともに、それを抑制する機構も進化させてきた。儀礼的な闘争、相手に自分の傷つき易い部分をさらけ出すような行動は、相手からの過度の攻撃を
受けて傷つく危険を抑止する効果がある。ところが、人間は武器を発達させたために、そのような抑止機構を進化させないまま戦いを拡大してしまった。
1966年、シカゴで狩猟採集民や野生の霊長類を研究している研究者達によるシンポジウ
ムが開かれ、狩猟採集という生活様式があらゆる角度から問い直された。
「シンポジウムでは、狩猟と人間の攻撃性を結びつけるそれまでの考えが色濃く反映していて、かなり混乱した議論が見られる。何人かの研究者は、殺人を含む人間の同種の仲間への攻撃性は狩猟によって育まれたとみなしている。最近まで現代の狩猟民にとっても、
欧米人にとっても戦争は狩猟とほぼ同じような感覚で考えられており、男たちにとって楽
しみとされてきたと述べている。しかし、他の研究者は狩猟民たちが戦いを好まない平和な暮らしを営んでいると主張している。現代の森の狩猟民であるピグミーを調査してきた
コリン・ターンブルは狩猟採集民が攻撃的かという質問に対して否定的な答えをしている。
狩猟は攻撃性を高めることによって行われるものではない。むしろピグミーの人たちは争いを抑止するような社会性を発達させているというのである。プッシュマンという砂漠に
住む狩猟採集民やハツザというサバンナで暮らす狩猟採集民でも、とくに戦いを好むとい
う傾向は見出せなかった。」(P26)感想2
「やがて狩猟採集民の詳細な調査が進むにつれて、狩猟と攻撃性を結びつける単純な図
式は崩れ去った。」(P26)
「動物行動学の発展にともない、もはや人間以外の動物においても、単純に本能という言葉だけで攻撃行動を説明することはできなくなった」「動物は環境からの触発刺激に応じて機械的に攻撃衝動を発露させているのではなく、状況や経験にしたがって葛藤への対処
の仕方を変えることがわかってきた。」〈P27)
「ドウ・ヴァールは人間も生まれつき攻撃性をもっているという考えのもとに、その攻撃を協力や連合へと転化させる霊長類の和解行動について多くの研究を展開している。
集団生活をする動物にとって、攻撃とは単に自己を守り主張するための行動ではないと私も
思う。それは他者との関係を調整する手段の一つであり、その発現と解消の仕方は社会性
を特感づける力となる。」(P28)
「狩猟採集民に関する1966年のシンポジウムの結果は、1968年に「Man
the Hunter(人間−狩をする者〉」という本になり、多くの人々が狩猟採集民と狩猟を見直すことになった。
この本には、狩猟が人間に何をもたらしたかという問いが繰り返し現われる。狩猟という
生活様式は人類の進化史の99%を支配し、人類の形態的、生理的、遺伝的、そして知性的
な特性を形作る要因となった、というのがその答えである。『狩猟は少なくとも男たちの攻撃性を高めたのではないか』という問いが繰り返し登場するが、前述したように、これに対して肯定的な答えは得られていない。」(P28〜29)
「狩猟、戦争、個人の暴力を同じ攻撃という言葉で表し、同じ衝動から発する行動としてとらえるのは、むしろ言葉による錯覚なのだ。少なくとも狩猟と戦いという行動は、人類の進化史の中に混じり合って発達してきたわけではない。」(P32)
「現代の生態学や行動学では、異なる種と種の間の争いと、同じ種内の争いとは違う性質をもっていることは常識である。」「同種の仲間に対する攻撃には、相手が納得すれば攻撃が抑えられるようなルールがある。」(P34〜36〉感想3
「同種の仲間どうしの間に見られる争いも、単独で暮らす動物と集団生活をする動物とでは発現の仕方が異なっている。」「集団で暮らす動物では、争いが秩序や平和と密接に関係していると考えられるのだ。」(P35)
「r同種の動物どうしの争いは、相手を抹殺することではなく、限りある資源をめぐっていかに相手と共存するかを模索することにあるのだ。」(P36)
「人間の社会に見られる争いごとも、もともとそういった食と性をめぐる葛藤から生じ
たはずである。争いの解決の仕方も、同じような集団生活を送る動物たちと似たようなものだったに違いない。人間の争いに動物たちと違う特徴があるとすれば、人間の社会に大
きな変化が起こり、争いとその解決法がそれに応じて変わったからである。その変化とは、
そして変化を引き起こした要因とは何だったのか」(P36)感想4
以上が「問題」の経過と、そこから生ずる山極氏の問題意識である。その「問題」,に対
する答えを出すための準備として、以下の各章(第2章 食が社会を生んだ、第3章 性をめぐる争い、第4章 サルはどうやって葛藤を解決しているか〉において、ゴリラ、チ
ンパンジー、ニホンザル等の社会の実態を描き出し、それに依拠して人間の社会の姿に迫ろうというのである。それが第5章 暴力の自然誌−子殺しから戦争まで(P171〜)で述
べられるのであるが、その前に次のようなことを最小の予備知執として確認しておこう。
霊長類は〈たとえばオランウータンのような例外はあるが)一般に群れをつくって生活
している。それは、捕食者(ライオン、ヒョウなどの肉食獣〉による危険を避けるという意味からである。群れはカの強いオス(核オスと呼ぶ)を中心にその周りにメスが集まって構成されるが、ニホンザルの場合は核オス以外のオスたちもまた周辺メンバーとして群れに所属している。ゴリラの場合、群れの構造は核オスー頭だけがメスの集団を引きつれている場合(単雄複雌)と、複数のオスが群れの中に存在している場合(複雄複雌)とが
ある。さらに群れに所属しない単独生活者のオスも、例外というわけではなくかなり存在している。
第5章 暴力の自然誌−子殺しから戦争まで
196毎年、杉山幸丸はインドのダルワールにおいて、ハヌマンラングールのオスによる子殺しを観察し報告したが、当時の学会では、それは自然に起きたことではなく病的な現象
(「種の存続に危機をもたらす行為が自然淘汰で生き残るはずながい」)として片づけられてしまった。それから10数年経過してからこ他の霊長類やライオンにおいても、オスによる子殺しが知られるようになり、改めてそのことが調べられるなかで、それまでは知られ
ていなかったいろいろなことがわかってきた。
「杉山の発見から15年以上たってから、サラ・フルディはそれまでの事例をまとめて、
これが性選択理論で説明できると宣言した。オスによる子殺しは、オスが自分の子孫をた
くさん残そうと競合した結果であり、@他のオスの子供を排除し、Aメスの発情を早め、
B自分の子どもを確実に残そうという繁殖戦略として理解できるとしたのである。」(P172
〜173)
(くしかし、子殺しという行為をそれだけとり出して考えると、それはやはり、いかにも自然の摂理に反することのように思われる。そうであれば、当然それに対して抑止力が働く筈である。それが自然の論理であろう。そして、まさしくそれが働く。)
「それまで菜食の霊長類は、捕食の危険を逃れるという理由以外に集まって暮らす強い動機は持たないと考えられていた。」「しかし、オスによる子殺しの危険があるとすれば、
メスは単独でもメスだけでいても無力になる。」「だから乳児を子殺しの危険から守るため
には強力なオスの保護が必要なのだ。」「葉食、草食で捕食者の危険が低いマウンテンゴリラがなぜまとまりのよい単雄複雌の群れを作るかが、これで説明されるというわけであ
る。」(P173)
「乳児をもつ群れが他群や単独のオスと出会う事例を分析したデヴィッド・ワッツは、核オスが健全な場合は子殺しは208回の出会いのうち1度という頻度でしか起こらないのに、核オス不在の場合には2回に1度起こっていると推測した。核オスの有無が乳児の生
死を分けるのである。核オスには、子殺しを抑える役割があるのだ。」(P175)
山極氏は主としてゴリラについて調査を行ない、子殺しがどのような状況から生じ、どのような経過、形をとって抑止されていくのか考察している。(P174〜175)
核オスが死亡した場合、通常、メスは他の群れへ移籍するが、子殺しの行われていない
地域では移籍が行われず、メスだけの群れを長期に亘って維持し、後に別のオスが核オスとして入り込んでくる場合もある。その場合、新しい核オスはそこで子殺しをすることはない。(P177)
子殺しの発現している地域では複雄群の割合いが多くなり、子殺しのない地域では複雄群はほとんど見当たらない(P179〜180)。
子殺しが起こるようになると、それが起こり難い形に群れの構造を変える(複雄群をつくり出す)方向にメスが行動するようになるのであろう(くP182)。
「たしかに、子殺しはゴリラのオスの繁殖戦略として進化してきた可能性はある。しか
し、それはいつも行使されるものではない。環境の激変によってオス間の関係が不安定になったとき発現し、子殺しを収束させる方向へメスの行動や群れの構造が変わると思われるのである。」(P184)
子殺しは「霊長類に普逼的な行動とはいえない。」(P184)
「まだ若いオスが自分の群れを作る手段として発揮されるのではないかと思われる。」
(P185)
「人類の社会に起こる暴力や幼児虐待は、類人壊とは比べものにならないくらい多様で複雑な人間関係が原因である。しかし、その多くに性の問題がからんでいることは否定で
きない。」(P189)
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感想1
*人間の暴力が狩猟生活から来ているという「狩猟仮説」は現在では学問的に否定されている。
感想2
*「狩猟生活が必ずしも攻撃的な人間を生み出すわけではない」ということは、日本の歴史の中からも見出すことができるのではないか。たとえば、アイヌの人たちに伝えられている「神詠集」の中には、自然の中に神を見るという姿が浮き彫りにされている。
感想3
*動物が同種の中で争う場合、互いが殺し合うのを避けるために「加減する」というのは、イヌ(おなかをみせる)、ヘラジカ(角合わせで勝負が決まる)など多くの事例がある。
感想4
*人間の社会におきた「大きな変化」とは何か?
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