東京自由大学 コラム
「東京自由大学ニューズレター」から


「追悼 荒木美智雄先生」 鎌田東二 (東京自由大学理事長・京都大学こころの未来研究センター教授) (09.3.24)
「妖精を故郷に普及させること」 井村君江 (妖精美術館館長) (06.3.28)
「追悼 湯浅泰雄先生」 鎌田東二 (京都造形芸術大学教授) (05.12.27)
「大重監督近況インタビュー (2005年8月26日) (05.9.27)
「「生きることの意味」の強度」 上田紀行 (東京工業大学助教授) (05.3.24)
「2004年はどのような年として、後世に記憶されることになるのか」 内海信彦 (画家) (04.12.25)
「自分のことが好きですか」 町田宗鳳 (東京外国語大学教授) (04.7.25)
「型と礼儀」 湯浅泰雄 (桜美林大学名誉教授) (04.3.20)
「創造性について」 恩田 彰 (東洋大学名誉教授) (04.1.1)
「沖縄の海と山の間にて」 加藤 清 (精神科医) (03.10.1)
「ベルリン訪問前後記」 大重潤一郎 (映画監督・沖縄映像文化研究所所長) (03.3.20)
「21世紀の大学は大ピンチだ」 上田紀行 (東京工業大学助教授)(03.1.1)
「人間にとって芸術とは何か」 原田憲一 (京都造形芸術大学教授) (02.10.1)
「宇宙的協奏としての横尾龍彦の瞑想絵画」 鎌田東二 (京都造形芸術大学教授) (02.7.1)


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東京自由大学 コラム#14
「追悼 荒木美智雄先生」 鎌田東二(東京自由大学理事長・京都大学こころの未来研究センター教授)(09.3.24)


 NPO法人東京自由大学顧問で、関西福祉大学学長の荒木美智雄先生が平成20年(2008年)12月19日帰幽され、遷霊式、告別式が関西福祉大学葬として、12月22日、冬至の日に大阪市西区の江戸掘の金光教玉水教会記念館大ホールで執り行われた。喪主は荒木彰子夫人、葬儀委員長は関西福祉大学の古瀬徳雄氏。
 荒木先生は、昭和13年(1938年)京都府舞鶴に生まれ、京都大学文学部宗教学科を卒業後、大学院に進み、途中、米国のウィリアム・カレッジおよびシカゴ大学大学院に留学。20世紀最大の宗教学者ミルチア・エリアーデとジョセフ・キタガワ両教授のもと、学位を取得し、帰国後、東京理科大学、筑波大学で教鞭を執った。特に筑波大学では、エリアーデの宗教現象学の衣鉢を継ぐシカゴ学派の拠点として日本の宗教学会・宗教研究に力強く奥深い風を送り続け、門弟を育てた。特に民衆宗教の研究で功績を挙げ、虐げられた人々の中から生まれてくる意識変革と社会変革の運動としての民衆宗教の力と意義を、深い洞察と慈愛の中で捉えられた。主著は、『宗教の創造力』講談社学術文庫、2001年。
 筑波大学を定年退職された後、国士舘大学の21世紀アジア学部の教授を務められ、その後請われて関西福祉大学の学長に就任。大学改革に全身全霊で当られたが、癌で倒れられた。だが最後の最後まで、関西福祉大学を日本一の福祉大学に改革するという世直しの志を掲げ、教職員と学生をリードし、人間と社会のもつ創造性を最後まで信じておられた。わたしは、筑波大学に博士論文「言霊思想の比較宗教学的研究」を提出し、荒木先生に主査になっていただき、厳しくも慈愛にあふれた指導をいただいた。その荒木先生の底深い宗教性と思いと志を受け継ぎ、NPO法人東京自由大学やさまざまな場面での教育活動や社会活動の中でそれを生かしていきたいと思う。心より尊敬申し上げる荒木美智雄先生のみたまに深甚の感謝と敬意を捧げたい。


2006.2.18「20世紀の知の遺産:エリアーデ」

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東京自由大学 コラム#13
「妖精を故郷に普及させること」 井村君江(妖精美術館館長、比較文学専攻)(06.3.28)


 今日は3月2日、場所は宇都宮グランド・ホテル。いま一泊した東京からの客人を送り、昨日3月1日に私の誕生パーティーに出席できず、今日わざわざお祝いのため東京から駆けつけ宇都宮に来てくれた女友人と、お礼方々ホテルに一緒に滞在することにしたのである。そのホテルの窓から元鮫島邸の広い松林の庭と茶室を眺めながらいまこの筆を執っている。遥か向こうには義経と静御前が東下りに通った道が見える。幼い日、父がこの庭を借り切り、「花電車」を走らせた思い出が懐かしく蘇ってくる。遠い昔である。景品のグリコやマンナ、カルピスの味が懐かしいし、キャラメル大将の歌やミゼット将軍の音楽も耳にある。
 もう今となっては六十数年前のことである。昨日で私は七十四歳になってしまった。それなりに生きてきたわけだが、でもまだこの世で私がやり残している仕事、この世でまだやるべき仕事に、つき動かされてやっているような今日この頃である。特にこの宇都宮という生まれ故郷では、なお更のことである。「年たけてまた越ゆべしと思いきや」の古歌の下の句は「命なりけり小夜の中山」であるが、ここに付けたい下の句は「いよよ華やぐ命なりけり」である。花火が燃え尽きる最後の時、消える前に一時パッと輝くように、命の終る前にひととき、年たけてもまだ華やぎたいもの、と張り切っているわけである。
 これまで研究と称して、私が内外で集めてきた書籍、絵画、彫刻類を市に寄付した。一万二千点あった。主として妖精に関するものであるので、市はこれを機に「妖精機構推進委員会」を設立してくれ、妖精資料活用準備顧問に私を任命してくれた。2009年には市の中心街のビルの一角に、妖精美術館展示場が設立されるまでになった。これを補佐するように、グローバル(イギリス、フランス、ウィーン)な「フェアリー協会」(会員約120名)の他に「うつのみや妖精の会」(約40名)が去年、発足した。公園作りや童話作り、妖精行列や紙芝居等に、主婦や子供たちは張り切って取り組んでいる。前に市が町おこしで取り上げた「ジャズ」や「カクテル」や「ぎょうざ」の他に「妖精」が加わったのである。否、それらの共通分母、共通精神思想と思っている。
 妖精をもっと市民に知らしめる普及するため、妖精土曜講座なるものが市政で行われ、講師は私で今年は5月と6月である。5月28日(日曜)には鏡リュウジ氏を招聘する(市美術館1時)。今は妖精の会主催で「帆田れい(旧姓若月まりこ)妖精イラスト展」が開催中である。(三月十四日迄、STMビル10階)。この展示会場の妖精空間を利用し、私の誕生パーティーが3月1日に行われたのである。東京をはじめ、神戸から水戸から桐生から埼玉から、人々が集ってくださった。多くの人々に支えられて、何かが始まった実感があった。もちろん鎌田東二先生も賭け付けて下さり、石笛、横笛、ほら貝そしてギターまで演奏してくださり、「ふんどし族ロック」「世界ふんどし黙示録」から「弁才天賛歌」を奏でて歌い、満場を魅了してしまった。その際ご説明くださったが、私が倒れる前からのもう20数年来のお付き合いである。お話を聞きながら、日本でのイギリスでの楽しい思い出の数々が、走馬灯のように脳裏を過ぎていった。
 自由大学とのお付き合いも、倒れて退院してからであるが、もう十年近くになろうか。ケルトや妖精学の話をさせていただいたが、今度は私の専門であるオスカー・ワイルドをケルトとの関係で話せと言われている。私はいつの間にか「妖精学」や「ケルト学」が専門になってしまったが、本当は「比較文学」であり「英文学」であり、海外の学者と肩を並べて学会に出られるのは、オスカー・ワイルドでありシェイクスピアでありアーサー王伝説である。日本では明治・大正文学(特に与謝野晶子、日夏耿之介、佐藤春夫等)である。そのうちにこれらの作家を語る機会もあろう。まだこの世を去らぬつもりであるが、人の命はいつ果てるかはわからない。しかし自分では、「いよよ華やぐ命なりけり」と思っている昨今である。何かがいま始まっているからであろう。

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東京自由大学 コラム#12
「追悼 湯浅泰雄先生」 鎌田東二(運営委員長・京都造形芸術大学教授)(05.12.27)


 2005年11月9日、NPO法人東京自由大学顧問の湯浅泰雄先生が呼吸不全によりご逝去されました。享年80歳でした。湯浅先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 湯浅先生は、1925年福岡県に生を享け、東京大学文学部倫理学科と同経済学部を卒業されました。わたしの恩師である仏教学者・三枝充悳(さいぐさみつよし)先生と大学時代からの友人でした。経済学修士・文学博士の学位を持ち、山梨大学教授・大阪大学教授・筑波大学教授・桜美林大学教授(同大名誉教授)、インドネシア大学・北京外国語学院日本学センター客員教授を務められました。主要著書としては、『近代日本の哲学と実存思想』(創文社)、『経済人のモラル』(塙書房)、『身体論─東洋的心身観と現代』(講談社学術文庫)、『ユングとキリスト教』『ユングとヨーロッパ精神』『ユングと東洋』2巻(ともに、人文書院)、『日本人の宗教意識』『東洋文化の深層』『宗教経験と深層心理』(ともに、名著刊行会)『和辻哲郎─近代日本哲学の運命』(ミネルヴァ書房)、『気・修行・身体』(平河出版社)、『気とは何か−人体が発するエネルギー』(NHKブックス)、『湯浅泰雄全集全18巻』(白亜書房)のほか、英文の"The Body: Towards an Eastern Mind-body Theory", New York State University Press、"Science and Comparative Philosophy", J. E. Brill, Leidenなど、多数の著作があります。 . 湯浅先生のお仕事は、『湯浅泰雄全集全18巻』にほぼ網羅されていますが、その内容は、経済倫理、倫理思想史、宗教哲学、宗教心理学、西洋精神史、東洋精神史、日本思想史、心身論、気の科学、ニューサイエンス論など本当に多岐にわたっています。東洋と西洋の精神史の両方に通暁し、精神と肉体の両方を大胆かつ丁寧につなぐ思考を展開されたそのお仕事の壮大さに心からの敬意を表さずにはいられません。あまり注目されることがありませんが、超心理学や心霊研究においても、本山博先生とともに重要なお仕事をされています。神秘的な体験もいろいろとお持ちで、そのような関心と体験に基づく学問的冒険が「人体科学会」の設立に結実しました。わたしはその学会の立ち上げから少しお手伝いをしてきましたが、その過程で、湯浅先生の人体科学会に対する誠実で献身的なご尽力に触れ感銘することが多々ありました。

 「人体科学会」については、オフィシャルサイト(http://smbs.gr.jp/main/modules/news/)に「人間性の本質について学際的・総合的な視点から科学的に研究することを目的しています。現代の社会では科学技術や経済発展が顕著な反面、精神の不安、モラルの衰退、愛の喪失といった心理的危機が広がっているようです。私たちは東西の文明の古い英知を現代において問い直すという立場から、人体科学会を設立しました」説明されていますが、それは湯浅先生の学問的冒険とヴィジョンによって生まれたものと言って過言ではありません。1970年代のニューサイエンス運動、現代科学の見直し、東洋の文化伝統の再発見、臨床心理分野における東洋諸宗教の瞑想法・身体技法を取り入れた新しい治療技術の開発の動き、医療分野での東洋医学や伝統医療の価値と意味の再検討と新しい統合医療とホリスティック医学の広がり、気の研究と実践、人間の潜在能力の研究や心身相関性について新しい見方。これらの流れを踏まえ、従来の学問分野の境界を越えて文科系から医療・体育系、理工系まで総合した人体科学会の生みの親が湯浅泰雄先生でした。

 「今、しっかりと倫理を問わなければならない」と強調されていた湯浅先生のお言葉を噛み締め、その大きなお仕事の一端なりを継承していきたく思います。湯浅先生のお仕事はこれからますます燦然と大きく輝くことと確信します。

 湯浅先生、いろいろと本当に有難うございました。

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東京自由大学 コラム#11
大重監督近況インタビュー(2005年8月26日)」(05.9.27)


1. 大分回復されているようですが、今の身体の状態はいかがですか?

「私の病状は、脳出血によって脳内の視床および被殻を損傷していますので、右半身の痛みを伴っています。これが四六時中耐え難い痛みですので、つらい状態です。 しかし、それ以外はいたって元気な状態です。 言葉は、意外と普通に近い状態です。歩行は右片側が麻痺しておりますので、不自由な歩き方ですが、毎週月・水・金歩く練習をしています。距離は約300mほどです。」

2. 沖縄合宿で久高島を訪れることが出来、みんなが「久高オデッセイ」を楽しみにしていた折に、脳出血で倒れられたわけですが、倒れた当時はどのような状態だったのでしょうか?

「沖縄合宿のときは、皆さんのご期待にこたえられることができなくて申し訳ありませんでした。 倒れた当時は、自分ではちゃんと話せていたつもりでしたが、周りではよく聞き取れなかったといいます。ろれつが回らなかったためです。体はそれまで動いていた体が突然右半身がまったく動かなくなったわけですから、自分でも何がなんだかよくわかりませんでした。それからは食事、トイレ、何をするにしても介助が必要となりました。」

3. 回復してゆくときのリハビリの苦労、回復してゆくプロセスをお聞かせください。

「リハビリは、わずか2時間であっても、体がぐったりと疲れ、一日寝た状態が続きました。それは現在でも同様で、週に3回歩くリハビリ、週に1回全身のリハビリ、家で自分なりのリハビリをしていますが、残る時間のほとんどは横になって休息しております。その間にはうつ病の薬をたくさんもらっていましたが、孤独との戦いがほとんどでした。」

4. 今、どのようにお仕事をされていますか?

「先だって(7月)、堀田カメラマンと久高島に撮影にいっておりましたが、私は電動車椅子で動いておりました。しかし実際の業務は息子の大重生やNPO事務局の亀田崇史君にすべてお任せでやっておりました。とりわけ久高島でのことは伊豆和君(伊豆有加さんの弟さんです)に、またそれ以外のことは須藤義人(沖縄大学講師)に助けられていました。従って、NPO活動や撮影、すべて若者達の力に負っています。」

5. 3月の宗教学者会議で「久高オデッセイ」のPart1が上映されました。そのときのお話をお願いします。

「国際宗教学宗教史会議、このときは、上映終了の折、みなさんに暖かい拍手をいただいたこと、そしてシンポジウムの折に鎌田東二さん、宮内勝典さんのご発言はもとより、参加されていたネイティブアメリカンのJo Ag Quis Hoさん、またアフリカのJacob Oluponaさんの両先生の発言には驚き、とてもうれしく思いました。久高オデッセイを宗教という側面からではなく、信仰という面から深い共感をもってごらんいただけたことがとてもうれしく、今後の可能性をわれわれ自身にも見せてくれたという思いがしました。 その折は、東京自由大学の皆さんに受付などをはじめご協力をいただき、まことにありがとうございました。」

6. これから「久高オデッセイ」の制作をどのようなヴィジョンで進めてい くのか、構想などをお聞かせください。

「まず、第一部作の完成に今向かっておりますので、そのことしか頭にはありません。無事に進んでいってくれればと念じております。 私が久高オデッセイに込めているのは、今の時代も、いつの時代も変わらぬ人間の魂そのものであります。「人はどう生きてきたか、またいかに生きていくか」という重要な問いを、一人ひとりに投げかけてくる作品になると信じています。 ぜひ、後世に受け継いでいってほしいと念じている次第です。」

7. 最後に、脳出血を超えて今お仕事に復帰された、最大の原動力は何だったのかをお聞かせください。

「まずは久高オデッセイを完成させるということでした。それと、東京自由大学をはじめ皆様方の励ましは大いに心の支えとなりました。また、介護施設で働く若者達の姿、新しい若者達の登場には大いに可能性を感じたものです。 なにとぞ、これからも久高オデッセイの完成およびその後の製作作業に対してご支援を賜りますよう衷心からお願い申し上げます。」

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東京自由大学 コラム#10
「「生きることの意味」の強度」 上田紀行(東京工業大学助教授・文化人類学)(05.3.24)


 一月に新著『生きる意味』(岩波新書)を刊行した。
 この本には、ここ数年間追究してきた問いへのひとつの答えとして書かれた。それは「私たちの、人間を、そしてこの社会を深く探究しようとする言葉は、どのようにして現実の社会に対して訴えかける強度を持ち得るのか」という問いである。
 その問いはかなり以前から私を支配してきたが、決定的になったのは98年から2001年にかけての三年間、毎日新聞の論壇時評を書いたことだ。毎月、山と積まれた論壇誌を読み、時評を書きながら、私はそこで語られている言葉の多くがあまりに陳腐であるように感じられてならなかった。長期不況が続き、日本人は自信を失っている。だから景気を回復させ、「元気な日本」を取り戻さなければいけない。強い日本を回復させるためには自虐的な自己反省をやめ、愛国心を取り戻すことだといった、単純な世界観の横行。
 しかし、そういった単純さに大きな違和感を感じながらも、私は自分自身の言説の強度を問わざるを得なかった。景気を回復せよという主張にせよ、愛国心を取り戻せといった主張にせよ、それらは一見明確で、言論としてもある種の強度を持っているように見える。だからもし街頭でテレビ局のインタビューに捕まれば、多くの人たちが「やっぱり政治に求めるのは景気の回復でしょう」と言ってしまう。しかし、この社会の抱える問題についてより深い探究をしていると自負しながらも、私自身の語ろうとする言葉は言論としてそれだけの強度を持ち得ているだろうか。

 「癒し」?「魂」?「探究」?「学び」?・・・そんなことやっていったい何になるの?どんな力を持ち得るの?・・・そういった問いと毎月戦い続けなければいけない。そして、私は本が書けなくなってしまった。社会に対する「強度」を持ち得る言葉でなければ発する資格がない。現実に流通している言説の陳腐さに閉口すればするほど、自分自身に課せられたハードルは高くなるばかりだったのだ。
 そうして「失語症」の長いトンネルが始まった。もう一生、本は書けないかもしれないと思ったことも数回ではない。
 そこから私を書くことへと連れ戻したものは何だったのだろう。それは「憤り」、「怒り」であったように思える。強大国アメリカが、テロの根絶という大義名分のもと、貧しい国を攻撃し続ける。そして日本国内でも、弱肉強食を当然とするような改革が進行する。多様で豊かな文化を育んできた私たち人類は、どうしてこんな浅薄なシステムになびこうとしているのか。どうしても許せないという憤りが私の怒りのエネルギーを?き立てることとなった。
 一方で、私は様々な出来事の間の連関を感じざるを得なかった。グローバリズムが世界を覆い、ブッシュがイラクを攻撃することと、私の隣の家で若者が閉じこもり、自分の手首を切っていることはまったく別の問題だろうか? 私たちの内面で起こりつつある崩壊と、外なる世界の崩壊は関係ないのだろうか? そうした、私たちの意識から世界大の潮流までを捉えうる「状況の言葉」こそがこの時代に訴えかける「強度」を持った言葉ではないだろうか。

 そうして『生きる意味』は生まれた。
 私たちの直面している危機の根底には、私たち自身の「生きる意味」が合理化され、効率化され、私たちの実存の深みへと到達できないという、「生きる意味」の危機がある。その危機からいかに私たちの「生きる意味」を再構築していくことができるのか。
 あまりに大きな課題だと思う。しかしこの時代の苦悩と悲しみは、私たちをして憤らせ、新たな探究へと誘う、人類史的な転換点への契機ではないのか。浅薄な合理性と、むき出しの暴力の噴出に歯止めをかけ、新たな時代をもたらす基盤は「生きる意味」の強度にこそあるように思われるのである。

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東京自由大学 コラム#9
「2004年はどのような年として、後世に記憶されることになるのか」 内海信彦 (画家)(04.12.25)


 おそらく11月にブッシュ大統領が再選されたことは、後世に不可逆のターニングポイントとして追憶され続けることになるのか。そして9.11後の世界は、今後いっそうの苦悩を強いられることになるのだろうか。そしてブッシュ政権に追従するこの国の政府が、2月に自衛隊をイラク(ウルク、あるいはメソポタミアと読み替えられよ)に派兵し、7月の参院選で二大政党の双方が目指している憲法改正が事実上承認されたことは、すでに取り返しのつかないところにまでこの国が歩み始めたことを、後の世に知ることになるのか。国家の専横への自省をかなぐり捨てた時代に生きている私には、子孫の世に深い責任を負っていることを痛感する。

 マヤ暦によれば、2012年が大周期の結節点にあたるらしい。あと十年余で今以上の地獄のような世界が現れてくるのか、人々がアナクロニステックで横暴な近代国民国家に見切りをつけるのか。ミュンヘン会談のとき、世界は後戻り不可能な道を通り過ごし、殺戮と破壊の時代が直後に到来したことは、今を生きる私にも理解できる。では今、この瞬間に過ぎ行くこの年が、どのような近未来に連なるのだろうか。私は若い世代に接する機会が多く、その精神状況に危機感を募らせてきた。虚栄の豊かな国に暮らし、日常にまみれていては、劇症性のウイルスに蝕まれるように若い人々は腐りきっていく。こうした現状への代案を若い世代とともに考え抜いたきっかけが、この夏のネイティブ・アメリカンとの三週間にわたるワークショップであった。学生15人を連れてひたすら移動する走行5000キロの車の旅は過酷ではあれども、唯物主義と拝金教の末期にあるこの国の姿を遠望するこころのカタルシスでもあった。

 ニューメキシコ州タオス・プエブロには親戚同様の家族が暮らしていて、これまでにも3度、若い人たちを連れてワークショップをしてきたが、今回ほど意味深い旅はかつてなかった。アリゾナやテキサス、ニューメキシコの広大な大地にある聖なる大地で、いくどとなく偉大な存在を意識して確かに感じることができた。タオスでは長老のシャーマンに出会い、ふたたび創造のちからを得ることができた。悠久の大地に立ち、夜空を眺めれば宇宙が見えるのではなく、宇宙のなかにいる己の姿が見えてくる。銀河が見えるのではなく、銀河のなかに生きるいのちである自らが愛おしく、同胞であるすべてのいのちとの強いきずなが沸き起ってくる。そしてその土地に暮らした人々の先見と悲しみが、こころをとらえからだのなかに強いちからが漲ってくる。ネイティブの人々の神話が、現実の世界と重なり、私はタオスにいくたびに畏怖の念とともにその洞察に瞠目することになる。そして私たちは、長い旅の最後にニューヨークのグラウンド・ゼロの前に立ちつくし、言葉を失った。私はそこで二百年ほど前に暮らしたネイティブの男の声を、確かにこころのなかで聴いたように思う。これは初めてニューヨークを訪れて以来、二度目のことになる。

 9.11の直前にアメリカを訪れて以来、私にはアメリカを訪れることができなくなっていた。ニューヨークの親友のスタジオが崩落したWTCにあり、知人も含めて何人かが9.11で犠牲となった。アウシュビッツを4度も訪れてレクイエムをしてきた直後の私には、この世の終わりが到来した実感があり、もはや自分の芸術は無力でないかとすら思えてならなかった。私はいくつか予定されていたアメリカでの個展や講演などすべてを断った。その後の、アフガニスタン、イラクでのアメリカ国家の行動は、アメリカの友人のなかでも深刻な亀裂を生み出したが、誰一人戦争によって幸福になるものなどおらず、私の知る限りでもアメリカ人社会が懊悩し憔悴していることは明らかだった。9.11以後の世界は、第4次世界大戦の始まりの時代にある。私はアメリカにいて、日本は参戦国であり、名指しで攻撃予告されていることに、あらためて戦慄した。

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東京自由大学 コラム#8
「自分のことが好きですか」 町田宗鳳 (東京外国語大学教授・比較宗教学、比較文明論、生命倫理学・東京自由大学元監事)(04.7.25)


 私は、このごろしきりと、自分の心の垢落としということを考えている。人間も五〇年あまり生きれば、いろいろと心に垢が溜まってきても不思議ではない。人生、苦労しただけ賢くなる面もあるが、反対に余計なものも身に付いてくる。
 肩書きやら知識やらを、やたらと欲しがるのが人間だが、そんなものを手に入れたところで、少しも魂は向上しない。そういう当たり前のことが、段々と分かってきたのである。
 とくに我欲ほど、身に毒なものはない。オレがオレがの世界は、地獄の世界だ。強欲な人間が、幸せを獲得するのは、ラクダが針の穴を通るのよりも難しい。オレのことは後回しにしても、少しでも自分の周囲にいる人間の幸せを願ってあげる。そういう心のゆとりが、心の垢を落としてくれるような気がする。
  そこで矛盾したことをいうようだが、人間にとっていちばん大切なことは、自分のことを心から好きになってあげることだ。現代社会の特徴の一つは、知らない間に、自分嫌いの人間を大量生産することにある。生活の慌ただしさの中で、生まれつき備わっている自分の真の価値というものが見えなくなってしまうのだ。いつも他人と自分を比較して、僻んだり、奢ったりしている。うつ病、自殺、犯罪、そういうものが蔓延する社会というのは、そこに生きる人間が自分を愛せないでいる証拠だ。
 「自分は才能がないから、あるいは性格が真っ直ぐでないから、自分のことが好きになれない」などと、まちがっても口にすべきではない。どれだけ欠点や弱点があっても、そのままの自分を好きになってあげてほしい。
 他人への思いやりや愛情も、自分を好きになることができない人には、とうてい無理な話である。よく他人のことを悪く言う人がいるが、あれは自分自身を許しもできなければ、愛しもできないでいるからだ。
 宗教を信じるということは、要するに自分を信じることでもある。自分を信じることも、自分を愛することもできない人間に、宗教の何たるかが分かるはずがない。宗教について、たくさんの本を読み、立派な人の話を聞き、何か知ったような気になるのは、禁物である。ましてや自分が宗教を通じて、神秘的体験や超能力を持とうとするのも、完全にまちがっている。
 そういう意味で、東京自由大学が単に教養を積むための場所であってほしくない。そこに集まる人が、少しでも心の自由を獲得するために、都会の喧騒の中にあって静かに内省する場所であってほしいものだ。
 大切なのは、日々の生きざまである。あなたが自分を心から愛し、「今日も、こんなに楽しい日を送らせて頂いて、ありがたいなあ」という自然な感情を抱いていることのほうが、私のように禅寺で20年も修行したという肩書きより、よほど大切である。自分の心から、少しずつこだわりを捨てていく。肩の荷を降ろして、気楽に生きていく。そして、万物に感謝する。それが宗教の極意である。
 そういえば長い歴史を経るうちに、宗教そのものにも垢が溜まる。ドグマというのがそれである。人間に赤心を取り戻すのが、本来の役割のはずだのに、信者の心をがんじがらめにしている宗教のなんと多いことか。まったくの倒錯の中で、自分が特別な人間のように思い込んでいる宗教家もたくさんいる。
 私は、今年で脱坊主20周年を迎えるが、つくづく教団組織から離れたのは、自分にとって幸せな選択だったと思っている。次に来るであろう20年という歳月を、できるだけ楽しく、やんちゃに、走り抜けたいというのが、私のわがままな願いである。

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東京自由大学 コラム#7
「型と礼儀」 湯浅泰雄 (桜美林大学名誉教授・哲学)


 このごろ、サンフランシスコに住んでいる村川さんという日本人のカウンセラーの方とときどきメールでお話をすることがある。新年の便りの中にこんなことが記してあった。

 彼は日本とアメリカを行き来しながら、アメリカの哲学者や心理学者たちにアジアの文化を理解してもらうための仕事をしている。彼はこう言っている。「いままでアメリカと日本を行き来しながら私が感じるのは、日本や中国は文化的伝統の中で身体経験を深く掘り下げる技法をたくさん持っているが、その伝え方やどう伝えるかという枠組がないために、その真髄はまだまだ西洋に伝わっていない、ということです。」確かにその通りだろうな、と思ったが、そのあと村川さんはこんなことを書いている。

 「私の子供の学校やスポーツ活動などでアメリカ人と話をしていまして、日本の身体文化の重要な貢献の一つである型と技の問題は、今のアメリカ社会においても意味を持つものではないか、と最近感じております。アメリカでは今、中産階級の子供たちは、野球やサッカーと並んで空手や合気道などの武道を学ぶようになっています。そうした子供たちの親は、武道の型や礼儀をとても重要なものだと感じているからだそうです。」

 私たちは慣れてしまっているのであまり気がつかないのだが、どうもこのことは日本の身体文化の伝統の大事なポイントではないか、と私は感じた。日本の武道や芸道では「型」を重要視する伝統がある。能楽、茶道、舞踊などの場合をみても、このことはわかる。型を習得するということは、身体の技の訓練という意味だけでなく、その技の伝統の中に流れている心を受け継ぐ、という意味がこめられているのではないだろうか。つまり、身体と心の関係を「身体から心へ」という方向でとらえているわけである。西洋近代の哲学のように、常に心(自我意識)を先立てる態度とは反対である。

 私の知り合いにも何人か武道家の人がいるが、合気道の稽古を見ていて面白いなと思ったことは、投げられるときの受身の訓練を重視していることである。これは無論、怪我をしないようにという配慮もあるのだろうが、受身の技というのはいわば負け方の訓練であるとも言える。ボクシングのような西洋の格闘技には、負け方の訓練などはないようである。ここには日本の武道の伝統にある礼儀の精神とつながるところがあるように思う。礼儀とは相手の人格に対する尊敬を意味する。試合の始めと終わりに互いに礼を交わすということはとても大事なことなのだと思う。合気道の創始者・植芝盛平は「武とは愛なり」と言っている。相手と戦うことが相手を愛することだというのは、論理的には矛盾しているが、大事な問題のような気がする。人間関係においては、根本的に自他の対立の上に立つ見方が必要である、ということだろうか。柳生流の剣法の創始者・柳生宗矩は、剣の極意は「殺人剣」から「活人剣」へ転回するところにある、と言っている。これは彼が禅の師匠・沢庵から受けた教えを武術に適用したものである。勝負を争うための剣の技は、人間にとってはまだ下等な技である。そういうレベルをこえて、お互いの人格を向上させることが武道の技がめざす究極の精神だ、ということなのであろう。

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東京自由大学 コラム#6
「創造性について」 恩田 彰 (東洋大学名誉教授)


 今日刻々と起こっている問題については、緊急に解決しなければならない。また未来の課題については、起こりうる政治的、経済的、社会的、文化的状況を適切に予測して、それに対する新しい対策をたてて処理していくことが必要である。

 そこで私たちに求められるのは、創造性である。特に今までにない新しい活動をしたり、今まであるものとは比較できない、新しい価値をもった物や技術や思想などを創り出す独創性である。その意味では21世紀は創造性の本質である独創性が求められている時代である。独創性とは、歴史的に新しい価値を生み出すほどの革新的な活動の特質、およびそういう活動をする能力である。またその人らしさを示す独自性や個性を基礎として、それが新しい社会的、文化的な価値を生み出す場合においていうのである。

 わが国では産業界において創造性開発が要請され、その研究と実践が行われるようになったのは、昭和39年ごろからである。特に新しい物や技術を発明する研究開発に力を入れるために、創造的な科学技術者の養成が求められた。さらに一般職の管理職や一般従業員の創造性が要請されるようになった。その後2,3年遅れて学校教育界において創造性教育の研究や実践が始められ、全国各地で活発に行われたが、今日ではそれらが定着しつつある。次に国家公務員や地方公務員の創造性開発の研修が盛んに行われるようになった。また、経営の面ではすぐれた創造的経営者の発見と育成が求められるようになった。さらには国の政治の政策にも創造的人材の養成が強調されるようになり、日本の首相で創造性の重要性を政策演説で取り上げた人は、最近では私の知るかぎり4人おり、特に最先端科学技術の開発政策および教育改革の政策には、その表現は多少ちがっても詳しく取り上げられている。また国際間の外交交渉や紛争における問題解決が複雑を極め、その処理が困難になっているので、迅速にして適切な問題解決で、私たち人類の知恵というべき創造性の開発がますます必要になってきている。

 また身体の痛み、心の悩みや問題を解決したり、人間的成長を援助する心理臨床やカウンセリングにおいて、問題解決や創造性開発の手法が重視されるようになり、問題解決療法や創造的表現活動を行わせることで、治癒や成長を促進する治療法が工夫されている。また心身の障害の治癒過程を創造過程としてとらえ、治癒的創造力の開発が求められるようになった。さらに禅、ヨーガ、密教、上座仏教における瞑想法が、セルフコントロール法としてリラクゼーションに有効であることが認められ、心の深層の気づきや洞察を促したり、創造性を開発することから、瞑想法を心理療法や心の健康と関連づけて研究することが盛んに行われるようになった。

 今日創造性や心理臨床の研究の傾向として、東洋の知恵が求められ、悟りや気づき、直感または想像力を引き出す瞑想の研究が、西欧の研究者の関心を集めている。

 1970年代から世界の研究者、特に精神医学、臨床心理学、心身医学などの研究が盛んになってきた。心身の治癒との関連において、瞑想法そのもの、またはそれを手直ししたもの、またはその原理を活用する研究が出てきた。

 最近わが国においてもトランスパーソナル心理療法が注目されている。トランスパーソナル心理学に基づいて、人間を身体と心と魂を統合した全体としてとらえ、自己治癒、自我の確立、自己実現および事故超越にいたる人間成長を目標として、超個的意識の気づき、覚醒や悟りや解脱といった高次の意識の体験を促進する技法である。それは西欧のキリスト教神秘主義に基づくトランスパーソナル心理学ならびに伝統的な心理療法と東洋のヨーガ、ヒンドゥー教、禅、チベット密教、上座仏教、道教などの東洋に発達した思想や瞑想法が統合されたものである。ここに東洋と西洋の心理学ならびに心理療法の両アプローチの統合と新しい心理療法の創造という課題がある。心理療法もカウンセリングも、その源流にさかのぼれば宗教に突き当たる。今日、この分化したものを再び統合して新しい心理療法を創り出していく実践がトランスパーソナル心理療法が目ざしているものである。なおこれとは別に瞑想の国際的統合研究が活発に行われるようになってきた。東洋に発達してきた瞑想法が、西洋の心理療法の中に取り入れられて、臨床活動に役立つ研究が積極的に行われるようになったのである。伊東博は長年のカウンセリングとワークショップの経験に基づいて、東洋の身体の気づき、禅やヨーガの瞑想、心身一如のニュー・カウンセリングを生み出している。これは日本発信型のカウンセリングであるといえよう。

※ 伊東 博 1919年秋田県生まれ。横浜国立大学教授。専門・教育学、心理学。  日本カウンセリング学会、人間中心の教育を現実化する会、等の会長を歴任。カウンセリングの研究、カール・ロジャーズの人間中心療法やアレクサンダーテクニークなどの心身技法、東洋の心身技法研究し「ニュー・カウンセリング」を創出する。主な著書『心身一如のニュー・カウンセリング』(誠信書房)。2000年没。

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東京自由大学 コラム#5
「沖縄の海と山の間にて」 加藤 清(精神科医)


 今は昔、とは簡単に言えません。今が昔と同時に現出する事が沖縄にはあります。私の敬愛する医学部同期の学友S君が、沖縄戦の昭和20年3月31日、那覇近海にて潜水艦を浮上させ敵艦隊と砲撃戦を交え、沈没戦死しました。彼の墓場は海底の後生(グショウ、冥界)から竜宮に至り、今はニライカナイ(海の彼方の楽園)になっています。現在から60年近く前の私の深層記憶が蘇り、ヤンバル(沖縄本島の北部地域)の聖山(ひとつの御嶽、テイサガンムイ)の頂上からはるか遠くの濃紺の海を見渡すと、不思議にもニライカナイが近付いてきました。このことが沖縄で血を流した人々への私の晩年の自覚的鎮魂の思いを賦活し、最近10年の沖縄参りをする理由の一つとなりました。

 テイサガンムイは村(シマ)の人びとにとっては登山タブーの拝所でしたが、そのシマのカミンチュウ(神女)に特別に許され登りました。神事行事としてのニライカナイへのお通し(祈願)により、山奥から遠くの海の底まで気が繋がったのも、そのおかげと思いました。

 海神祭り(ウンジャミ)ではシマの男たちとして、我々のグループが参加し、ハリー船をニライカナイに向かって漕ぎ、帰りには来訪神を連れて戻り、岸辺にいた神女からの神酒を戴き、祝福を受け、女性たちと共に喜びと幸を分け合って乱舞しながら豊饒豊漁の予祝をしました。本島の北端近くにある安田(アダ)のシヌグの祭りでは、男たちの一員として各人が山に登り、体中に木の葉やつる草を纏い神人となり(実際その気になる)、山を下り、山の下で待機していた女性群の頭を手持ちの枝でお払いし、女性は男性にお酒でサカムケし、男性群は海に入り禊してシマのために祈願をしました。

 以上のように、祭りが海(女性、オナリ)と山(男性、エケリ)との共同一体で行われていて、男性は勇ましく行動し女性はそれを内面深く受容していました。海と山の自然の力動性、男女の性の融合、祈願の高揚等は確かに沖縄の霊的時空間を開くにふさわしい様相を示していました。

 沖縄本島及び離島には千以上の御嶽があります。これらの聖地は大和内地にある村の鎮守の小さい社に相応するのですが、その場所はきちんと決まっています。現在米軍基地に組み込まれた御嶽は消失していますが、基地がなくなるとまた必ず復活するでしょう。御嶽は森(ムイ)に囲まれ、村のカミンチュウの祈りにより守られています。御嶽はクバの木(男性)と石(イビ、胎内)より成り、その造りは非常に単純簡素であることに驚嘆します。私たちは沖縄の大地を巡り御嶽を探し廻るのですが、宮古島で土地を少し掘っただけの泉(カー)の御嶽を見つけ感動しました。カミの在所の様相から沖縄文化の深層にある、どうしても実体化できない、何もないこと(nothing)の大切さ、自然(ジネン)に生きることの重要さを学びました。

 沖縄の風土は、海と山、天上と地下とがあたかも樹木のように、上下左右と外に向かって無限に広がっていく可能性を秘めつつも、森とか御嶽がこのコスモスの中心に向かって互いに連結し凝集していきます。その矛盾に満ちた自然が、ときに神秘的にも感じられました。フランスの哲学者ガタリが沖縄に来て、この風土をリゾーム(根茎)的と言ったのもうなずくことが出来ます。

 われわれが沖縄に参入して行く本心は、沖縄の多様性の深層を捉え、荒れて行くヤマトの心、姿を少しでも良くして、新しい歴史が展開していくのを期待することに尽きます。

 最後に海軍特攻潜水艦で私たちの代わりに沖縄沖で命を捧げたS君の神歌を掲げます。

ワレ ナハ キンカイニ センニュウス
カイジョウ ヒソカニ ウカガエバ オドロキイサム
テキ カンセン オビタダシク イシュウス
ワレ イッセンヲ マジエテ リュウグウニ イタラン

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東京自由大学 コラム#4
「ベルリン訪問前後記」 大重潤一郎(映画監督・沖縄映像文化研究所所長)


《 前 記 》
今、後世に、とりわけ精神的に身動きとれずに苦しむ若者たちに若者たちに何を伝えていかねばならないのか。私は最近30年来通った沖縄に単身赴任した。住んで始めてそこが起伏に富んだ隆起珊瑚礁の島であることを実感した。岩盤そのものの上で生活しているのだ。

 思えば人類は数万年前から崖地の洞穴に住んだ。一万年余も続いた縄文時代は岩盤に立脚し自然が生かしてくれるという安心をベースに深い叡智を培った。しかし、弥生以降、国家形成とともに始まった稲作後は扇状地から三角州へと埋め立てられた地で、生きてゆくための安定を求めて暮らし始めた。そして現在平野部に人口が集中する。そのために若者の生活観が希薄となり魂が沈み込む事態を招いている。彼らは安定より生きていていいのだという安心を求めているのだ。今、人は如何に生きてきたのか、その原点を問い直す時に来ているのではないか。
 そうした思いから私は昨年、梅原猛、比嘉政夫両先生はじめ多くの方々のご賛同を得て「沖縄映像文化研究所」を設立した。2月末にはNPO法人の認証が下る予定だ。これから海で繋がる地域の基層文化を再発見し、映像化してゆく。その第1号として昨年1月から12年がかりで「久高オデッセイ」の4本組製作を開始した。只今会員募集中だ。

 久高島は沖縄本島南部、斎場御獄(世界遺産)から遥拝した「神の島」である。12年に一回行われていたイザイホーは昨年末で24年目を迎えたが後継者不足でまた、行われなかった。再開は不可能と思われる。しかし島に一年暮らして見えてきたのは、琉球王府時代に制度として課せられたイザイホーは消えるが、太古から地下水脈のように島人の心に息づく、天、海、大地、生命を祈る心は健在だ。いずれ12年後 には新たな祭りが再生すると予感している。そんな折、かつて東北の基層に取り組む小川紳介監督を大島渚監督に訪ねてもらい、その対話を記録した「小川プロ訪問記」がベルリン国際映画祭より正式招待を受けた。2月中旬私はかの地で今の時代を確かめたいと思っている。

 《 後 記 》
 朝5時に起きて関空へ向かう。空港でエコノミークラスにもかかわらずビジネスクラスのチケットを渡される。帰便も同じ事が起きた。何故か今もって判らない。機内で久々一人の宴を始める。宇宙は晴れている。1万メートルの上空で海の底にいた魚を食すことの不思議に酔う。ヨーロッパ圏内とりわけドイツに入ると集落が見事に点在していることに眼をみはる。フランクフルト経由でベルリン着。丁度夕陽が地平線に沈む。それから晴天の日が続く。珍しいことらしいがその分、大気がヒリリと顔を刺す。到着早々パーティーだ。映画祭のメイン会場に隣りあうベルリンフィルのロビーにむかう。様々な人種の映画人やマスコミ人が2千人ほど集う。世界は広いと思う。20余年前、映画祭参加を夢見て求めた礼服を着ようと7キロ減量しての本番だ。めくるめくように会うべき人と次々と対面する。時計を見ると日本時間で翌朝の10時となっている。2日分をぶっ通しで生きている。

 そしてその夜もサヴォイホテルでのパーティー。アイスランドの映画で受賞したアメリカ人グレイ氏、日本で映画を撮る中国人李さんの若き映画人と意気投合する。そして何よりこれからお世話になりたいと願う映画祭の新旧の事務局長はじめ、他の映画祭のディレクターともコンタクトする。鎌田東二さんに構成案、音楽で尽力頂いたビデオダイジェスト「縄文革命」が大いに功を奏する。出品作品中記録映画は極めて少数であったが公式招待に至るまでのエピソードを聞き、映画の世界にも神は在ると思い知らされる。最終日前日映画の殿堂デルフィで上映と対談がある。小川監督の遺志、大島監督の志に感謝しつつ「久高オデッセイ」を語る。最終日授賞式、赤い絨毯に着飾った関係者が集結する。アヌーク・エーメがなつかしい。金熊賞には低予算で作ったアフガンの映画が選ばれる。さすが硬派のベルリン国際映画祭、世界の舞台の方が、より純粋な眼を光らせているかもしれない。励ましを受けているようだ。

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東京自由大学 コラム#3
「21世紀の大学は大ピンチだ」 上田紀行(東京工業大学助教授、東京自由大学理事、文化人類学者)


 21世紀の大学は大ピンチだ。

 と聞けば、多くの人々は、マスコミ等で言われているように、少子化による学生数の不足で、定員割れの大学が続出し、大学倒産が相次ぐという意味でのピンチを思い浮かべることだろう。大学が消滅し、多くの教員や職員が路頭に迷うことになる。確かにそのピンチは重大だ。
 しかし、より重大なピンチがある。それは、そもそも大学なるものが質的に崩壊してしまうのではないかという危機である。いくつかの大学が倒産し消滅してしまうのは、人口減によるもので、いわば外的な要因によるものであり、仕方がない部分もある。しかし問題なのは、その「大学不況」を生き残った大学も、その生き残りの過程で変質してしまい、内的に崩壊してしまうのではないかという恐れである。
 たとえば、国立大学の独立法人化。私の勤める東京工業大学も平成16年度からは独立法人となる。教員や職員も公務員ではなくなり、大学は一つの民間企業となる。(といっても、一般企業とは異なる補助や保護は若干与えられるが)今までのように、国が大学の経営を保証するのではなく、大学は独自に経営手腕を発揮し、互いに競争しあいながら、質を高めなさいというわけである。そこには、「競争・淘汰・改革」という現在進行中の構造改革の流れがある。

 東工大のような大学にとっては、「待ってました」の改革かもしれない。これまでも産業界とのつながりが強く、企業からの委託研究なども多く行ってきたから、公務員のたがが外れ、教員も企業の役職を兼務できたり、もっと多額の研究費を「投資」という形で呼び込むことは歓迎されるだろう。
 しかし、この「企業化」で多くの影響を受けると思われるのは、文系学部に他ならない。それも、経済学や情報学などの、いかにも「儲かりそう」な学問はいい。けれど?哲学や歴史学、文学などは、一部を除いてはとても儲けにつながりそうもない。となれば、儲かる分野を増強し、儲からない分野はリストラするという流れも生まれてくる可能性もある。すでに私立大学ではその流れは顕著であり、その傾向が国立大学にも流入してくるということだろう。
 私が危惧しているのは、一つには、そうした「儲からない」学問が大学から消え去っていくという、事実的な問題である。いちど伝統が失われれば、それを復興するのはなかなか難しい。また、他方でそれと同様に危惧されるのは、私たちが学問さえも「儲かるか」で判断してしまうようになるという、その視点自体の変化である。すべてが功利性で判断されるという現代の状況に、学問も、大学も巻き込まれてしまえば、後には殺伐とした世界が残されるだけではないのか。

 「儲からない」イコール「重要でない」ことなのだろうか。「役に立たない」ものは淘汰されるべきなのか。そのとき、私は強調したいことがある。それは「役に立つ」とはいったいいかなることなのかということだ。確かに「日々お金を稼ぐ」ものは役に立つように見える。しかし一方で、「一生に一度あるかないかの人生の危機に瀕したとき、その危機を探求し、そこからの解決の道を指し示す」ような思想は、無駄なものだろうか。
 確かに、今までの「儲からない」学問分野は、大学の外部との接点を著しく欠き、社会性も欠如していたことは間違いない。だからそこに「有用性」の軸を持ち込むことの意味はある。しかし「儲かる」は決して学びの中心ではない。社会性に開かれながら、我々の存在の琴線に触れるような学問のあり方が求められている。そして、狭い功利性を越えた、本質的な学びと成長を希求する声がこの社会に満ちていくことこそが、21世紀の大学を本当の意味で生き残らせることになるのである。

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東京自由大学 コラム#2
「人間にとって芸術とは何か」 原田憲一(京都造形芸術大学教授 東京自由大学顧問 地球科学者)


 人間(現生人類)は約10万年前に出現しました。東京大学の松井孝典さんによると、先住者であるネアンデルタール人は言葉を明瞭に発音できなかったそうです。一方、優れた発声能力をもつ人間は、例えば日が沈む方角に一昼夜歩いた所に湖があるという、目に見えない出来事を仲間に語ることができるので、「神」や「権威」という抽象的な概念を生みだし、宗教や国家などを作り上げていったというわけです。また、ネアンデルタール人は、花束を添えて女の子を埋葬していたようですが、芸術作品と呼べるものは残していません。一方、人間は、抽象的概念を非言語的に表現する「芸術」を早くから発達させていました。南アフリカ東部海岸にあるブロンボス洞窟の7万7千年前の遺跡から出土した線形の図形を刻んだ土の塊、フランス東部のショーベ洞窟で3万年前に描かれた壁画などが、その証拠です。今日では、世界中の誰もが祭事や祝事に着飾って歌舞音曲を楽しんでいますし、日常の衣食住にも「美しさ」を保とうとしています。こうした状況からすれば、芸術は人間の専売特許だと言えるでしょう。

 ところで、我々は奇岩の連なる海岸にたたずんだ時など、「自然の造形」「天然の美」という言葉を思い浮かべます。また、同じ海岸でも、四季の変化や日差しの変化、さらに霧や雲といった気象の変化が加われば、そこに新しい美を見いだします。しかし、もし世界を回ってみても単調な景観と少数の生き物しか見ることができなければ、また気候や気象に変化がなければ、自然美を認めることはないでしょう。従って、地形や植生そして気候や気象など、自然界は多様性に満ち満ちているからこそ自然美があるのだ、と言えるわけです。ところが、自然界が多様性で満たされ、地球が今のように美しくなったのは、地質学的にはごく最近の出来事なのです。

 もし、タイムマシンがあったとして、46億年前の地球誕生時までさかのぼってみると、マグマの海で覆われた地球がどす黒く光っている光景しか見えません。それから20億年前まで一気に駆け抜けても、一見に値する景色は見えないはずです。ハワイのような火山島がプレートの動きで大海原を移動し、他の火山島と衝突・合体して大陸に成長していく過程が見えるだけでしょう。新たにできた幾つかの大陸は、1億年周期で分裂と衝突を繰り返していきます。その度に、新しい海が開けたり大山脈がそびえ立ったりしますが、赤茶けた大地の表面に生き物を見つけることはできません。海辺に立ってみても顕微鏡サイズの単細胞生物が漂っているだけです。7億年前になぜか陸地の大部分は氷河で覆いつくされますが、数千万年で氷河は溶け去り、海水面が上昇して大陸周辺に浅海が広がり、クラゲのような多細胞動物が繁殖し始めます。5億5千万年前のカンブリア紀になると、お馴染みの三葉虫や海ユリなどが現れ、海は急に賑やかになります。しかし陸上に生き物の姿はまだ見えません。4億年前になってようやく海岸線にシダ植物が姿を現し、内陸へ進出する森林を追って昆虫と両生類が姿を現します。それ以後、陸地も賑やかになっていくのですが、鳥が飛びはじめるのは1億5千万年前、木に花が咲きはじめるのは1億年前、そして草が現れて内陸部や高山地帯の裸地をお花畑に変えるのはわずか4千万年前です。2百万年前になると10万年周期で寒冷化(氷期)と温暖化(間氷期)が繰り返されるようになり、高緯度地域ではロッキー山脈のような氷河地形が形成され、中緯度地域では四季の変化が確立します。人間が出現するのに相応しい、花鳥風月に彩られた舞台がようやく整ったわけです。

 「宇宙は、自らの存在を知らせるために、人間を生み出した」という天文学者にならえば、「地球は、自らの美しさを知らせるために、人間を生み出した」と言えるでしょう。しかし現代人は、芸術の地球史的意義を忘れはて、美では儲からないとばかりに、もっぱら真や善や利のみを追求しています。その挙句、世界的に環境を破壊し、妬みと争いの種をまき散らしています。現代の混迷を克服するには、先進国の住民が、人間だけがもつ「美を認める心」と「美を表す手業」を取り戻すことが不可欠でしょう。

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東京自由大学 コラム#1
「宇宙的協奏としての横尾龍彦の瞑想絵画」 鎌田東二


 瞑想画家としての横尾龍彦が提唱するのは、「水が描く、風が描く、土が描く」という世界と技法である。人間が描くのではない。私が描くのではない。そこでは、描く主体は私ではなく、水であり、風であり、土である。

 それでは、どのようにして、水が、風が、土が、描くのか。水や風や土と私が同調し、その道具となることを通してである。水や風や土が私のイメージの道具となるのではない。その反対に、私がそれらの道具となり媒体となるのである。私が水や風や土の意志と波動とエネルギーを変換する回路となるのだ。

 そのような横尾龍彦の描法は、その名のとおり、「龍画」である。それは、龍が風に乗って空を翔け、水の中をめぐるような、波動の流れと一体となる「流画」である。気息やヴァイブレーションの流動に身をゆだね、分子の波動が微細に変化し変容していくことを映し出す気配の錬金術師・横尾龍彦。

 その描法には異界からの風が吹き渡っている。異次元界からの魂風が。それは、神秘不可思議なそよぎでもあるが、大変明晰な合理と直観が一如となった流動でもある。無意識・無差別・無分別界からの風のメッセージ。無の宇宙の中に清々と風のそよぎが立ち現れてくる。その風の起源は何処であるか、定かではないが、確かに存在する。

 宮沢賢治の童話に「龍と詩人」という作品がある。詩人は瞑想状態の中で、龍の歌う歌を聴いて、それを詩に書く。詩人スールダッタのその詩法は、こう表現される。「風が歌い、雲が応じ、波が鳴らすその歌をただちに歌うスールダッタ。星がそうなろうと思い、陸地がそういう形を取ろうと覚悟する。明日の世界に叶うべきまことと美との模型を作り、やがては世界をこれに叶わしむる預言者、設計者スールダッタ」と。

 この「風が歌い、雲が応じ、波が鳴らす」世界とは、「水が描く、風が描く、土が描く」世界と同じではないか。「風が歌い、雲が応じ、波が鳴ら」す波動や声を、「月明かりや林や鉄道線路」から採って来たという宮沢賢治の詩法と、「水が描く、風が描く、土が描く」という横尾龍彦の画法とは、同じような瞑想的描法ではないか。そこには、宇宙そのものの律動に耳を澄ますコズミック・パーセプションがある。

 宮沢賢治は『農民藝術概論綱要』の中で、「神秘主義は常に起こってくる」と予言し、「職業芸術家は一度滅びねばならぬ。誰人も皆芸術家たる感受をなせ」と歌った水が描く時、風が描く時、土が描く時、「職業芸術家は一度滅びる」であろう。その時、誰もが「芸術家たる感受」の受信装置となるであろう。横尾龍彦が誘おうとするのは、そのような万人芸術家の道、いや万象芸術家の道である。

 横尾龍彦は宣言する。「水に描いてもらう、風に描いてもらう、土に描いてもらう、そして、死者達に描いてもらう。自然の奥に潜む真理の声に描いてもらう」と。

 その「声」の感受者となろう。その「声」の回路となろう。その「声」の媒体となろう。

 このような「声」の媒体(メディア=霊媒)であるということの意味において、横尾龍彦の芸術は、シャーマンのワザオギと近似する。そして、その「声」は多様多元な宇宙からの音信を奏で、変奏する。そこでは、横尾龍彦の芸術は、宇宙的協奏を奏でるシャーマンの歌声であり、その律動の響きそのものなのである

                       横尾龍彦画伯の作品

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