・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2003/04/01

おしゃれさん

 (いま、仕事的にかなりせっぱつまった時期なのだが、そういうときに軽く発信したくなったりする)


 おしゃれな家具とか家を扱った雑誌やムックが異様に目につく。フランフランもカッシーナも売れているようだし。おしゃれ家電も増えている。

 スターバックスは繁殖する一方だし。インターネットをみても個人がつくったかっこいいホームページはいっぱいだ。

 なんだか一億総おしゃれさんだな、と思う。


 おしゃれであることは悪ではない。

 でも、その人の核というか本質のようなものは、おしゃれのベールに包まれると判断しにくい。いやむしろ、おしゃれのベールではとうてい、本質は隠せないのかもしれない。

 それじゃあ本質ってなんなんだようと言われるかもしれないが、私にもわからない。

 少なくとも、計算されていないところに本質が表れるのは確かだ。

 見ようによってはかっこ悪く、「やっちゃった感」があるかもしれないが、本人はそうせずにはいられないようなところ。においのある部分といってもいいかもしれない。


 例えば、80年代アイドルのグッズをずっと大事にとってある。休日は上野動物園に一人でふらりと行き、小さい動物から順に生き様を確認する。どこの国のかよくわからない楽器や調味料を家にためこんでいる。ベッドの枕もとにぺちゃんこのゾウのぬいぐるみを2匹並べている。・・・


 これらのどこが本質なのかと問われると困るが、少なくとも好きなひとのそういう部分を見つけると、うれしくてたまらなくなる。そのインパクトに比べたら、おしゃれさんなんてもうお話にならない。
 ちなみに最後のはわたしです(ゾウ)。



 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2003/03/06

サロン

 人を評価する言葉は自分を評価する言葉だったりする。


 ある先輩は、取材先のちょっとした有名人を評価するとき、「いい人」という言葉を使う。「あの人、意外にいい人だよね」。

 聞くたびに、先輩あなたこそ「いい人」でしょう、と思う。仕事はできるし辛口な批評もできるが、誰にも不快感を与えない。やや太っているところも含め、とてもバランスの取れたキャラだ。

 それを確信したのは、先日飲んでいるときに、「ドラえもんの道具で何が欲しいか」という話になったときだ。先輩は即座に「ニクメナイン」という薬を挙げた。

 ジャイアンに殴られそうなときに、のび太がニクメナインを飲むと、ジャイアンはにこにこでれでれして、「まあのび太だからしょうがねえや」と、肩をポンとたたいて行ってしまう。「憎めないキャラ」になれる薬なのだ。


 私がよく使う語彙の中で、「排他的」という言葉がある。

 「一見さんお断り」のような雰囲気を漂わせている店や、同じ感覚を持っている人だけの言語でやりとりしているサイトなどには敏感に反応する。なるべく近寄らないようにしている。

 その輪の中に入るのが嫌だと思うし、何よりも、その排他的感覚がわかってしまうからかもしれない。


 数年前、スタジオボイスで「サロン」という特集が出た。97年9月号だ。サロンという言葉は大嫌いだったが、私にとっては無視できない強烈な印象だったので、買ってしまった。いまだに取ってある。

 きっと自分こそが排他的な人間なのだと思う。


 ドラえもんの道具で、自分だったら何が欲しいかと考えたが、思いつくものがなかった。ただ、最も印象に残っているのは、「独裁者のためのボタン」だ。そういう名前の道具ではなかったが、意味としてはそういうものだ。

 ジャイアンに殴られそうなのび太が「ジャイアン消えろ」と言いながらボタンを押すと、ジャイアンが消えてしまう。ジャイアンの家を訪ねると、「うちにはそんな子はいませんが」と言われる。「みんなみんな消えちまえ」と言いながらうっかりボタンを押すと、人っ子一人いなくなってしまう。

 そのボタンが欲しいとは決して思わなかったが、ものすごくこわかったのを覚えている。



 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2003/03/02

誠実さ


 40代の女友達が言った。
 「なんだかんだいって、あいつは誠実な奴なんじゃないかと最近思うようになった」。5年ぐらいどろどろとつき合っている相手のことだ。 私から見ると、「いまごろ気づいたんですかおねえさん」という感じだ。

 誠実さとは、約束を守るとか、嘘をつかないとか、浮気をしないとか、指輪をしているとか、誕生日をおぼえているとか、そういうことではない。少なくともそれは本質ではない。
 誠実さのある人とは、根本的に相手の気持ちを考えられる人だ。


 一方、誠実さに欠ける人とは、結局自分のことしか考えていない人だ。そういう人を見るといらいらするし、一緒にいても気持ちよくない。

 例えば、「俺は浮気をしているんだ」と何の展望もないまま妻にカミングアウトしてしまうような夫。そんなパターンの言動をしている人は、気づかないうちに周囲にかなりの害を及ぼしている。

 いったん男女関係になってしまうとそのへんがうまく判断できなくて、そういう善人または悪人気どりな人を信用したり、実は誠実な人を疑ったりすることもある。


 ただ、経験的には、誠実じゃない人とは自然に体を交わらせなくなってくるし、そもそも最初から避けている。生理的な感覚は、理性よりも鋭い。


 夫とか妻とか彼氏とか彼女とかいう肩書きは、ある意味、打算の裏返しだったりする。そこに表面的な誠実さはあっても、根本的な誠実さがないこともある。

 だからまあそういう形とかにこだわらず、自然にセックスしたくなる人を大事にしましょうという話、でしょうか。



 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2003/02/17

つまみ食い


 この歳まで公私ともにいろんな男と会ってきていると、「つまみ食い」の対象と見なされる経験もそれなりに積まれてきている。

 つまみ食いに応じるのも必ずしも悪くないと思う。応じるかどうかの見きわめは、つまみ食いなりの本気度がどれだけあるかによる。つまみ食いなりに、エネルギー(コスト、労力)がかかっている態度に対しては、応じる気にもなる。

 例えば、世界の珍味をその国までわざわざ行って食べてみようというレベルか、デパートの物産展で通りすがりにたまたま見つけたので食べてみようという程度か、そういうエネルギーの差だ。

 べつに自分が珍味だと言っているわけではないが、そういうふうに判断基準を定めておかないと、まれに混乱するので、あえて整理してみた。

 それにしても、なんだか熟成している時間の方が圧倒的に長いような気がする。もういいってぐらい。

 たまには主食として食されてみたいものだ。


 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2003/02/02

不意打ち


 この男とはしばらく距離を置いておこう、と思ったとたんに、男が事故にあったりする。

 しかも、本人からは報告されず、数日後に人づてに聞いた。
 声をかけないわけにはいかなかった。

 車で正面からつっこまれ、全身打撲。通院で済んだが、本人は「死ぬと思った」らしい。


 死ななくてよかったね、としみじみ思った。

 なぐさめるというとおこがましいが、結果として、また距離を縮めることになってしまった。


 これは同情なのか、と自問した。

 同情だけでもない、と思った。どうでもいい人なら、たとえ事故にあってもどうでもいい。そうではなく、やっぱり気になってしょうがなかった。

 理屈でいくら自分をコントロールしようとしても、現実の不意打ちにはかなわない。いったい世の中には、自分の行動に筋を通せる人がどれだけいるのだろう。


 こうしてまた、今年も優柔不断な私が幕を開けてしまった。


 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2003/01/11

牧歌的年賀状


 子どもの写真を使った年賀状を見るにつけ、いったいどういうことなのだろうと常々思う。

 年賀状はその人のいまを伝える媒体として、その表現方法を私は注意深く見ている。「子どもが産まれた」という報告まではいい。その際に写真を載せるのもやむをえない(ただ、どの子もそれほど違いはないように見えるが)。

 だが、その後も毎年、年賀状に子どもの写真というのはどうだろう。「いまの自分」の最大表現は子どもなのか。子どもは別の人格があるはずなのだから、問題はあんただろう、と思う。写真なら本人のを載せてほしい。

 子どもの写真を見せられたら、「かわいい」と言うしかない。よほどのことがない限り、かわいいのだ。かわいい写真を選んでいるし。もうその時点で批評の入り込む余地がなくなってしまう。

 それから、結婚したとたん年賀状が夫婦連名になり、子どもが産まれるとその名前まで載せてくる向きも疑問だ。いつから家族ぐるみのつきあいになったのか。
 少なくとも夫と妻が同じアイデンティティーを持っているはずはない。でも、あたかもそのように見せられる。個人はどこへ行ったのだろう。


 大学時代、「アバンギャルドじゃなきゃ死にたい」と言っていた男友達が、子どもの写真を配した年賀状を送ってきた。そして家族連名。デザインや写真の選び方は工夫されているが、家族全員の近況を一言ずつ書くなど、表現としてはどこかで見たようなものだった。
 彼の中にアバンギャルドさを見つけるのが難しくなった。


 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2002/12/29

ホンモノとかニセモノとか


 ホンモノとかニセモノとかいう言い方をされることがあるが、よく考えるとその発想はけっこう危うい。

 「世の中にある物」ということでみれば、すべてホンモノともいえるし、「作り物」ということでみれば、すべてニセモノともいえる。

 例えば、ヴィトンのモノグラム柄のバッグがあれだけ氾濫すると、正規の商品であってもチープに見えたりする。逆にモノグラムをパクったデザインのギャル系バッグが、むしろかわいく、オリジナリティーにあふれて見えたりする。

 例えば、リリー・フランキーは「自分は何をやってもどこかニセモノっぽい」と自任しているらしいが、その文章を、私はどんなコラムニストのものよりも好きだったりする。

 真面目に見えることがホンモノで、不真面目に見えることがニセモノ、ということはない。大事なのは、どれだけ考えられているかだ。不真面目に見えても、それがよく考えられているものであれば、おのずと完成度は高くなり、思いも伝わりやすくなる。

 ホンモノとニセモノという選別意識をもって、多くの人は、自分や自分のしていることを守ろうとしているのだろう。それは、弱さの裏返しかもしれない。


 以前、あるラブホテルにクリムトの絵が掛かっていた。「ラブホテルなのにクリムトの絵がある」と言うと、男が「ラブホテルなのに、っていう発想自体が違うんじゃない?」と言った。確かに、同じ値段のシティーホテルよりもモノや機能が充実していたし、むしろラブホテルのほうがホスピタリティーが高い、ということはあるかもしれない。

 こういうことを教えてくれる男は、まだまだいっぱいいるのだろう。そういう男たちは、たとえ一時の縁であっても、自分にとってすべて「ホンモノ」だ。


 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2002/12/14

きもちわるさ


 飲んでます。

 どうでもいい男になかば期待をこめて誘われるとき。この対応は難しい。人間、人に対してそう簡単に冷たくできないわけで。でもやっぱり、その期待がどこかきもちわるかったりするわけで。

 これが好きな男であれば(セクシャルな意味ではなく)、「はい、よろこんで!」という感じなのだが。

 そのきもちわるい期待の正体をつきつめてみると、意外に単純だった。

 きもちわるい男とは、結婚したそうな男だ。

 そうなのだ。単にやりたがっている男のほうが、まだきもちいい。


 結婚したい女もうざそうだが、結婚したい男は相当きもちわるいオーラを発している。そういう男に限って、相手との距離感や、その本心を読み取れていない。

 これでは悪循環だ。つらいのう、男。



 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2002/12/04

ささやかな日


 午前中、めずらしく主婦を取材。ライターとかコーディネーターとかいろいろやっている人。とにかく死ぬほど働いている。しかも楽しげに。ひまなおばさまもすごいが、忙しいおばさまはもっとすごい。かなわん。

 夕方、大物のインタビューがドタキャン。代わりにたまたま電話を受けた売り込み元を訪問。行ってみたらなんだか貧乏くさい人たち。つらい。街頭で署名を求められてもどうしても署名する気にならない人たちみたいな。貧乏なのと貧乏くさいのとは違う。がんばっているのはわかるが、社会を動かすにはもう少し洗練が必要だ。それはバランス感覚だ。センスとも言う。小泉純一郎がなんだかんだといって人気があるのはそのへんだ。

 すっかり萎えたので口直しに家の近くの屋台でうまい魚とおかずを買う。「お嬢ちゃんかわいいからおまけしといたよ」。言うのはなぜかおばちゃん。いいけどそんな3人分ぐらい肉じゃが食べたら太るよ。もう10時だし。屋台では紺のスーツに白いシャツ軍団が酔っぱらっている。ネクタイで鉢巻しそうな勢い。平和なり。

 家のポストを開けると寿切手の封筒。「突然ではありますがこの度レストラン○○において人前式にて結婚式を挙げその後ささやかな食事会を予定しております つきましては」。眺めつつ魚と肉じゃがを食べる。これこそささやかな食事。ささやかな日。ささやかな幸せは特になし。いい男とも会わず。



 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2002/11/24

肉を食わせる女


 会社帰りの電車で、仕事上の知り合いの女の人と偶然会った。聞くと、同じ最寄り駅で、家もすごく近かった。すかさず彼女、「明日、早いですか? よかったら近くの店で飲みません? ていうかウチで飲みますか?」。
 夜12時近くまで仕事してしまった金曜。そんな素敵な提案に乗らないわけがなかった。

 つまみを買ってマンションの部屋に着いたとき、彼女の携帯が鳴った。男の声が聞こえた。コートを脱ぎ、ストッキングを脱ぎながら携帯で話す彼女。「あーそうなんだ、そりゃ大変だねー。がんばってよー。まあまた肉でも食いに来なよ」。

 肉でも食いに。たぶんさっき話していた、この辺でおいしくて有名な焼肉屋のことだろう。2〜3分話して彼女は電話を切った。
 「いいんですか、彼氏じゃないんですか?」「ううん、違うから」。

 かなり美人なのに、その性格は思っていた以上に豪快だった。部屋も男っぽい。大きいテレビと固そうなベッドと酒の瓶とロックのCD。「嫁が欲しくてさー、だって家に帰ってご飯ができてるなんて最高じゃない?」。わかるような気がした。この部屋を見てなおさら。

 男とのつきあい方については意見の合う部分が多かった。

・休みの日にはほとんど会わない
・買い物は一人でしたい
・「明日どうしてるの?」とか言われるとうざい
・携帯でメール交換はしない。そもそも相手の携帯アドレスを知らない

 さっき電話をかけてきた男は、友達以上恋人未満ということらしい。そういう関係の持ち方もなんだか似ている。とはいえ、私の場合はなんだかんだと気持ちに揺れがあるのに対し、彼女にはどっしりと安定感があった。33歳。焦りも悲壮感もなく、人生楽しそうだ。

 「つまみに」と彼女が出してくれたのは燻製の肉だった。フルーツでもチーズでもなく、肉。なんといっても、「肉でも食いに来な」とあれだけかっこよく言い放てる女はそういない。その男気に、ひさびさに参った。



 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2002/11/17

偶然のラジオ


 「今日のゲストは倉本聡さんです」。

 土曜の午後6時。一人で車に乗っていると、J-WAVEから聞こえてきた。「北の国から」が特別好きなわけではないのだが、あまりメディアに出てこない倉本聡が何を言うのだろうと、耳を傾けた。

 さすが、北国に引きこもって超高視聴率ドラマを書いていただけあって、何かを超越したような人だった。倉本聡は長渕剛と仲がよく、二人ともいつも何かに怒っているところが共通しているらしい。

 そんな中、偶然についての話があった。

 倉本聡はNHKと喧嘩してスタジオを飛び出し、その足で羽田空港へ向かい、気づいたら札幌にいたという。その後、北海道内を巡って、住む場所を探した。どこかの岬に決まりかけていたところ、飲み屋で偶然、隣りに座った男に「富良野って知ってるか?」と言われた。翌日、その男が富良野を案内してくれた。倉本聡は一目で富良野が気に入った。そこから、「北の国から」が始まった。

 倉本聡が飲み屋でその男と出会わなければ、あの長寿ドラマはなかった。そんな偶然について、しばし考えた。

 私も、あの飲みの席で、あの男に出会っていなければ、いまこうして車に乗っていなかったかもしれない、と。自分の車で自由に旅している男だった。その車に乗ったとき、その自由さをうらやましいと思った。他にも何らかのきっかけはあったが、周囲の心配もよそに私が中古車を買ってしまったのには、男の影響が大きかった。

 そう考えると、たとえいまごろその男がどこかのおねーちゃんとよろしくやっていようと、素直に感謝の気持ちで満たされてしまうのだ。


 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2002/11/16

ノスタルジック・ユーミン


 頭の中をユーミンの曲が流れている。確か、サーフ&スノウというアルバムに入っていた曲が。

 外が寒く、部屋の中で暖かくしているときに、たまに思い出すのがユーミンだったりする。しかも中学生の頃に聴いていた曲。

 昨今の音楽シーンを鑑みてユーミンを持ち出すのは正直恥ずかしいものもあるのだが、思い出してしまったものは仕方ない。ユーミンだ。

 なかでも、「A HAPPY NEW YEAR」という曲に、中学生の私はシビれた。いまでもシビれている。以下のフレーズに。


  今年もたくさんいいことが あなたにあるように いつもいつも


 これこそ究極の愛だと思った。

 愛の歌といえば、あなたに会いたいとかあなたなしでは生きていけないとかI want youとかneed you とかmiss you とか、自分の都合を押しつけるものばかり。そんなことを言われても、こっちも忙しいんだし、一人の時間も欲しいし、逆に重荷になったりする。

 自分が介在するか否かは別として、相手の幸せを願うのが愛情ではないか。


 そう思って、まだ少しだけ持っているカセットテープの中にユーミンが残っているか探してみたが、あっさり捨てていた。たぶん毎年冬になればFMなどで何かしら流れるだろうと軽んじたのかもしれない。

 きっと今年の年末も、車に乗りながら偶然「A HAPPY NEW YEAR」を聴いたりして、わけもなく神聖な気持ちになったりする自分がいるのだろう。
 ノスタルジック・ユーミン。


 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2002/10/31

芸風としてのエロ


 興味深いサンプルがとれた。エロを芸風にしている男だ。
 来週取材する予定の内装デザイナーで、事前取材として彼が出演するトークショーを聴きに行った。この世界では超売れっ子、といえる。

 「飲食店のデザインでは、その場所でおねーちゃんを口説けるか、それが大事」という彼は、二言めにはエロを持ち出す。

 「トイレの照明は暗めにする。明るすぎると、女の子がトイレに立ったときに気持ちが冷めちゃうから」
 「待ち合わせ場所は間接照明にしたい。蛍光灯の白々した光だったら、女の子が遅れてきたとき、あわてて化粧した粉が飛んでいるようなのが見えたりして気分が萎える」
 「こういう場所だったら、僕は立ち飲みの串焼き屋にする。でも奥に合コンできるような個室を置く」

 私もエロをよく持ち出す方だが、こちらはエロに対して人類学的なアプローチを試みているのに比べ、この人から感じるのは、エロへの実践的アプローチだ。

 外見からもそんな実践的アプローチが見受けられる。もともと男前な顔立ちなのに、皮ジャンを着たり大きいサングラスをかけたりして、さらにいっぱいいっぱいにかっこつけている。なのでちょっと笑えたりもするが、これもおそらく戦略で、芸風なのだと思う。

 この人の20年後、30年後を見てみたい。60になってもエロを芸風にしているだろうか。たぶん、若いいまに比べてエロにも深みが増して、それが店のデザインに反映されるのだろう。そんな素敵な店なら、ぜひ行ってみたい。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2002/10/27

合コンプレイ


 商社と合コンした。合コンという名のもとの取材みたいなものだったのだが、予想以上の収穫があった。いやもう、鼻血が出そうなほど。
 男陣は、隣りの席から苦情が出るぐらい、異様にテンションが高かった。二次会のカラオケでは全裸になる奴までいた。うなされそうだ。

 男陣から女陣に発せられた質問のエッセンスをまとめてみる。

 ・彼氏いる?いない?
 ・いままでに似てると言われてうれしかった芸能人は?
 ・今日の合コンへの意気込みは? 下着の色で表現すると?
 ・今日の下着の色はちゃんと上下そろってる? 手抜き工事してない?
 ・好きな男のタイプは?
 ・いままでにつきあった男のタイプは?
 ・体位は上と下どっちが好き?
 ・いままでにエッチした場所でいちばん変わったところは?
 (例:駅のホーム、ビルの屋上)

 おそらく、かなりベタなのだと思う。ただ、特に下ネタに関する露骨さでいえば、他の追随を許さないものがあった。というか、いままで男ばかりの世界にいたせいか私の合コン経験自体、たった2回目なのだが。

 しかし冷静にみると、彼らの異様なエネルギーは、決して性欲むきだしというものではなく、サービス精神の高さゆえなのだと感じた。すべては「合コンプレイ」なのだ。もはや合コンという様式を楽しんでいる。
 たぶん彼らは仕事についても、同じぐらいのテンションとサービス精神によって、かなりのレベルでうまくやっていると思う。

 「エッチのときに女の子の生理の血を見て失神した」という男もいた。バカだなーというエピソードをおくめんもなく暴露する。そんなバカを演じながら、タシケントから電話がかかってきたりする。ニューヨークじゃなくてタシケント。なんだかわからないすごみ。

 エリートらしいエリートにはそそられないが、バカを演じるエリートは好感度高し。などと思うのは、向こうの思うツボなのだろうが、まあエサにはされずに済んだ。酔っぱらって送り届けられたけど。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2002/10/20

乗り越えるべき男


 いつも思うのだが、チャペルでの挙式には違和感をおぼえる。

 牧師は白人だったりして、結婚と愛について説教をたれる。歌ったことのない讃美歌を歌う。バージンじゃないくせにバージンロードと呼ばれる通路を歩く。

 こんな気持ちを抱くのは、うちの父も同じらしく、弟の式でも「ものものしいな」と言っていた。こんなときでも冷静で、感覚に正直な人なのだ。

 いちばん気恥ずかしいのはなんといっても「誓いのキス」だ。夫婦や恋人同士がしょっちゅう人前でキスする欧米と違って、日本ではあくまでもそれは習慣ではない。にもかかわらずいきなりキスだ。不自然だろう。

 このときはやはりうちの父もぴくっと反応していた。「ここまでやるかね」という感じで。そりゃそうだろう。日本においてはキスは日常ではなくエロだ。二次会の最後に友人たちの前でキスさせられるのはいいとして、家族の前でエロはタブーなのだ。

 披露宴では、父は新婦の父と打ち解けて愉快そうだった。しかし最後のあいさつで、また本領発揮。無難に済ませればいいものを、「司会はホテルの人に頼むというから、ちゃらちゃらした感じなのかと思っていたが、意外に押さえた仕切りで…」と、批評に入っている。ひやひやする。
 新婦の父はもうお手本のように眼鏡を外して「涙もろいお父さん」なのに、この差は何か。

 「弟が私を卒業した」とかいって、感傷的になっている場合じゃなかった。この厳しく鋭い男をなんとか乗り越えなければ、私は私の人生を新展開できないかもしれない。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2002/10/19

卒業していく男


 弟が結婚する。

 男、女、男の三人兄妹の末っ子。落ち着いていて、バランスがよく、堅実で、趣味がいい。アグレッシブではないが、その安定感が彼の持ち味だ。姉の私からみても、なかなかいい男だと思う。よくもここまで成長したもんだ。

 小さい頃は、めそめそしていた。3年保育の幼稚園の年少組に入ったとき、同学年の友だちになじめず、遠足では年長組の私と一緒にお弁当を食べていた。

 寝るときに「本を読んで」といわれて読んであげることもよくあった。休日の朝は、よく私のふとんに入ってきて、「寒い寒い」などと言って“貧乏家族ごっこ”をしたりした。
 クリスマスの日、枕もとにプレゼントが置いてあるのに気づいた弟が私を起こし、二人でひととおり楽しんだ。ふと時計をみると、まだ夜中の2時で愕然とした。

 兄はヒーローみたいな人で、それに憧れていた私と弟とは、それなりに何かを共有していた。

 そんな弟が、いつのまにか感じのいい彼女をつくっていた。そして、さしたる迷いもなく、結婚するという。その彼女の写真を見て、私に似ていると指摘する人が何人かいた。

 そうか、弟は私を卒業していくのだ。とっくに卒業していたのだろうけど、改めて実感する。

 卒業していく男、か。昔つき合っていた男が結婚するというニュースを聞いたことは、まだない。そんな日が来たら、いま弟が結婚するときのように、「あんたも成長したよのう」という気持ちでいたい。昔の男も、兄弟みたいなものだ。


トップへ