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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 予定調和
話してくるのは仕事の話だったりするのだが、わざわざ電話で話すほどのことでもない。 「そんなの、べつに今じゃなくてもいいじゃないですか」 「いや、一日一回ぐらいは声聞きたいなと思って……、バカでしょ」 こういうかわいいことを言ってくれるのが自分の好きな男だったら、どんなにたのしいことか。 と一瞬思うのだが、予定調和に対して気が狂いそうになる自分もいるので、きっとそういう男とは縁がないのだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ エネルギー
エネルギーとは、金持ちになりたいとか、有名になりたいとか、楽をしたいとか、綺麗になりたいとか、身体能力を高めたいとか、人と違うものをつくりたいとか、人と同じ考え方をしたくないとか、そういうものの組み合わせだ。生き方に対するエネルギーと言ってもいい。 オーラがつり合っているかどうか、というと分かりやすい。ただ、一見、そうでないように見えるパターンもある。 例えば、激しい人と温和な人とでうまくいっている組み合わせがある。それは、激しく発散するエネルギーの強さに対して、受け止めるエネルギーの強さがつり合っているのだ。別の方向を向いているようで、エネルギーの量自体は同じで、うまくかみ合っている。 街を歩いている人たちから有名な人たちまで、様々なカップルを見ていると、このエネルギー説は一目瞭然だ。
少し過剰なこちらのエネルギーが行き場をなくせば、それはごまかしきれないものになる。優しくて楽な関係だけではダメで、そのゆるい心地よさを否定しなければならなくなる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 生かされる
彼らが死んでいく前を振り返ると、おおむね、生きるのが辛そうな感じだったように思う。 程度はどうであれ、生きにくさを持ち合わせている人は少なくない。これだけハードな世の中、皆、いつどう死んでも不思議ではない。
死ぬ人は死ぬことで何かのメッセージを発信している。生かされている人は、まだ生きることで発信するメッセージがあるのだろう。
その自分の役割が何なのか分かれば、生きるのはもう少し楽になるのだろうけれど、そうもいかないらしい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 殻
見たことはないが、そんなウミガメの気分で涙を流していることがたまにある。 日曜の夜、一人で部屋にいるときなど。自分や身近な人について考えているうちに、沸き起こってくる悲しみや切なさに、つい向き合ってしまう瞬間だ。 人間、ちょっとヒマになると、そういうことに向き合ってしまうからやっかいだ。自分に酔いしれるというようないいものでもない。特に一人で暮らしているとまずい。
そんな無防備な状態で人と接することができるわけもなく、何の解決にもならないのだが、その状態が気持ちよくないこともない。そのつるつるしたままで、一生、羊水のような水の中に浮いていたい気分になる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 笑いごと
特集は「頑張る女を休んでみませんか」だ。VERYやクロワッサンみたいにオシャレと趣味で昇華できる女ではなく、自己啓発本を手にとってしまうような、心の問題を最重要視する女性向けの雑誌なのだろう。
渡辺淳一は一貫して「男ってのはこういうもんなんだからしょうがないじゃない」という感じでへらへら答えている。 それに対して「女1」は「笑いごとではありません!」とカリカリしている。「女2」の方は、「家庭内ではムダは省かれる。アハハ」などと面白がっている。 対談的には、男の心理がまったくわからずにいらいらしている女1のキャラがいないと成立しないのだろうけど、女2の笑いとばし加減が軽さを引き出して、いいバランスの読み物になっている。
しごとのプレッシャーも。ゆるゆるした男関係も。「そのときどき縁がある人とは、しといてもいいじゃん。女として。アハハ」というかんじで。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 孤独フェロモン
「一人暮らしをすると孤独になるので恋愛したくなり、微妙にフェロモンが出る」――詳しくは割愛するがそういう話だ。
友人女子は、溺愛していたウサギを亡くしたとたん、史上最高のモテ期が到来したと言っていた。 自分を振り返ってみても、声をかけられたり誘われたりするのは、どこか孤独オーラを発しているときだと思う。
たとえ形としては恋人や伴侶と呼べる人がいたとしても、どこか孤独感や満たされな感を漂わせている人を見ると、いいねえと思う。ナイスフェロモンだ。
ニブさと引き換えの幸せよりも、フェロモンと引き換えの孤独を選びたい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 月並みな
違うだろう、と思う。自分が結婚したいのだ。親を思ってというのも嘘ではないのだろうけれど、結局は安定したいという自分の気持ちが強いのだ。 「独身の人がうらやましい」という人もいる。それも本音は違うはずで、結婚という状況に安住しているからこそ言える戯言にしか聞こえない。
飲みの席なんかでは歯切れよい言葉も出てくるのですが、どうも。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 更新時期
他人のそういう状態を見ると、その緊張感のなさに苛々しつつも、どこか羨ましいとも思っている。でも、代わりたいかといわれれば、代わりたくない。
惰性ばかりだったとは言い切れないのかもしれない。相手としては惰性ではなかったのかもしれない。たとえ惰性だったとしても、否定されたことの痛みがないわけはないだろう。 相手に対する尊敬はまだある。ただ、気づいたら尊敬よりも失望の方が勝っていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 与える
それが分からないのか、与えられることばかり求めている人もいる。
こちらの希望を尊重しているつもりなのかもしれないが、そうであれば的外れだ。こちらからの情報やエネルギーを得たいと思って会おうとしているのであれば、自分からも何か与える気構えを見せてほしい。 店の決定一つに、与える行為の希薄さが表れている。店の情報誌を漁り読みする必要はないが、大人なんだから、と思う。
というか、大人なんだから。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 飼われ感
彼の女に対するポリシーは、「電話されたら負けだから、すべての女に自分からしつこいぐらいに電話する」ことだという。「今何してるの?」なんて電話をさせる隙を相手に与えないことで、同時進行も可能だったようだ。
常に電話する側になることで、相手をコントロールする位置に立つ。「女とつき合っているすべての男は、女に飼われているも同然」という彼。その「飼われ感」を少しでも緩和するために、自分がコントロールできる立場を保とうということか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 老女
いくつかの地方の街で朝、喫茶店に入った。東京の喫茶店でモーニングセットを食べているのはだいたいサラリーマンだが、地方では圧倒的に老女だった。 ほとんどの老女は一人で、ゆっくり、黙々と、バタートースト、ゆで卵、サラダ、コーヒーを食していく。食べ終わると、隣りの席のばあさんと世間話をする。顔見知りなのか初対面なのかは分からない。当たり前のように、淡々と話している。
商店街をほうきとちりとりで掃除する、寺の階段を一段一段ゆっくり上がる。 おそらく夫はとうに亡くしていて、人間が本来、向き合わなければならない孤独と対峙している姿だ。だが、それらはとても自然で、すべてが穏やかに流れているように見える。その成熟した穏やかさは、うらやましくさえある。
ため息が出る。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ED
あれで勇気づけられるEDの人も世の中にはいるのかもしれないが、かえってプレッシャーを感じる人も多いのではないか。 たたないときはたたないで、そんなにがんばって治さなくても、と思う。その人が抱えている何かによる自然な反応なのだろうから。お金をもらってその機能を提供しているような人であれば話は別だが。 コラムが書けないときは書けない、ということの言い訳のたとえとして。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ピーターパン
玉緒がパチンコにはまったり、バラエティーの仕事をこなしたりしていたのも、夫への思いを消化するためにバランスを取っていたのかもしれない。
ピーターパンの魅力に翻弄され、振り回されるウェンディ。妖精のティンカーベルに嫉妬するウェンディ。子ども心に、妙に共感した。
夢でよかった。けど、現実もそれなりにせつない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 熟す
「だから今日はちゃんとメールしたでしょ」 会えないことに不満をもらす女を諭しているようだった。
好きであれば会いたいのだろうけれど、それを主張して相手を困らせるのは本末転倒のような気がする。 じりじりと、会える機が熟すのを待つのも一興ではないかと。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 興味ない
終電に乗り、駅から家まで歩いているときだ。「飲みに行きませんか?」ときた。 「今からじゃだめなら、来週でも再来週でも」と言う。長期的スパンな誘いだ。普通は「今すぐ飲みに行って、あわよくばやりたい」的な感じなのだが。 「いやあーだめですねえ」 「つきあってるひといるんで」――あながち嘘でもない 考えたこともない架空の状況を話している自分に違和感をおぼえながらも、そう言うとやっと足を踏みとどめてくれた。 「すいませんねー、また」
そのくせ、こうしてネタにしてしまう。いろんな意味で嫌な女だと思いますが、まあエンターテインメントとして。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 旅
「きっと奴もこういう感じでモテているんだろう」と想像できるから、寛大になれるのだ。 おねえ様にかわいがられたり、おじ様を手の平で転がしたりしてきた二人が、もとのさやに戻る。口には出さずとも、冒険して一皮むけた感じは漂うのだろう。 そういうのもまた悪くないのかもしれない。 かわいい子には旅をさせる。ただしその間、自分も旅をするのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 片想い
月に1〜2度は帰ってきていたが、その久しぶりの父がいる場で、母が何かの拍子に「でも、現地妻がいるのよね」と言ったことがある。 普段そういうことはあまり言わない母なので、急に何言っちゃってるんだこの人は、と思った記憶がある。ただ、その言い方があまりにも明るくさらりとしていたので、軽い冗談だと思ってその場は流れた。 いま考えると、あれはけっこう本気で言っていたのではないかと思う。 本当に現地妻がいたかどうかは別にして、少なくともそのとき母は、父に片想いしていたのだ。
そのとき相手の心を占めているのは、異性とは限らない。仕事や趣味に相手の心を奪われて、片想いということもある。
片想いしていた相手は、だいたいが忘れた頃に連絡してくる。そういうときには、もはや別の男が登場していたりして、どうしたものかと思ったりする。(その瞬間、モテ気分を味わうことも確かだが。)
たとえ結婚しても、離婚しても、独身でも、40、50、60になっても片想いかーと思うと、生きていくってせつない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ラブとエロ
ラブとエロは表裏一体だと思うのだが、どうなのだろう。たとえ小学生でも、「好きな人」にはエロを感じるはずだ。
あるいは「誰々は本命」などと定義する人もいるが、それも疑わしい。本命とは何なのか。安心できる人といった意味であれば、都合のいい相手ととらえることもできる。「都合がいい」という意味では、セックスフレンドと大した差はないようにも思える。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ダメな人
楽な方へ楽な方へと流れればいい。仕事をしなくなり、部屋が汚くなり、体の線が崩れ、顔に緊張感がなくなる。簡単だ。 それにブレーキをかけるのは、「こんな自分を認めて生きていけるか」という、プライドのところだ。いつも綺麗な人や、仕事をばりばりこなしている人は、ひとえにプライドの高さがそうさせているのだろう。 プライドの高さとは、客観的な目によって培われる。何らかの形で人の目にさらされない人が、プライドを保つのはけっこう大変だ。 人が仕事をしたり、社会活動をしたり、結婚したり、子を産んだりするのは、単に経済的、精神的な理由だけでなく、ダメな人にならないための知恵かもしれない。客観的な目をあえて設定するのだ。 ―――だから何だ、と言われそうだが。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 色気
旅先で、いい男には出会わなかったが、いい女はいた。何人か印象に残っている。 ・ローカル線にヤンキー彼氏と乗っていた、中山エミリふうの女の子(18歳ぐらい) なかでも印象的だったのが、 ・公衆浴場の露天風呂にいた、小池栄子あるいは浅野温子ふうの女(27〜29歳ぐらいか、不詳) だ。とにかく強烈な色気を放っていた。目の力が強く、体はミロのヴィーナスぐらいの豊満さ。 私が男だったら、一発お願いしたい、というか、ちょっとでもかかわってみたい。 案の定、彼女は風呂から出たら男と一緒だった。予想通りの自由業っぽい若い男だったが、彼女とつりあうほどの貫禄はない。残念だ。
上の3人にも色気はあった。でも、種類が違う。上の3人の色気は、何かの瞬間に一転してつまらないものに変わってしまうような代物だ。たいていの女の色気は、その程度だろう。 一方、露天風呂にいた彼女は、人間としての強さというか生命力のようなものをなみなみとたたえていて、それが色気に昇華されている感じだった。 もしも彼女が戦時中の世にいたら、闇ルートでレアな物資や食料をうまいこと仕入れて来て、自分の子どもたちに食べさせていそうな。それでいて悲壮感もゆがみも感じられない、そんな人になっていたことだろう。 たぶんそんな女は、いつまでも男に飽きられない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 研ぎ澄ます
一人暮らし歴9年。今日、ひさしぶりに両親と食事をしたところ、 それについて深く考えたことはない。でも先日も初めて会った仕事先の人に飲みの席で言われた。「あなたは結婚していないでしょう。生活感がないから」。 そんな雰囲気を発しているのかと改めて思った。
ただ、一人でいると夜、テレビもつけず、やや暗めの部屋で、考えごとの中にトリップし、気づいたら眠っていた、ということがよくある。 そんな静寂を打ちやぶって、わりとつき合いの深い人が電話してきたり、訪ねてきたりすることもある。はじめは邪魔された感じでおっくうなのだが、結果的にトリップ状態から救ってもらえたとも思える。 他者の効用を感じる瞬間。
ある意味で妥協、ある意味で融和。それを目指すのか、より一人で自分を研ぎ澄ますのか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ タフ タフでなければ生きていけない。 肉体的にもだが、特に精神的にだ。 仕事していると、つくづくそう思う。もちろん仕事していなくても大変だ。 タフでなければ、いまごろ気が狂って死んでいる人がたくさんいるだろう。いろんなことの重みに耐えかねて。 それでも耐えられる人は生きていく。生きているだけでみんな、大したもんだ。 そんな中で流れ星みたいに通りすぎるものを、人は幸せと呼ぶ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 顔 自分にとっては切実じゃないけれども刺激的な映像がテレビから流れてくる。 それらに対してどう思うかというところでは、多くの日本人にそれほど大差はないと思う。少なくとも、オリジナルな情報や知識を持っていない限り。
知人だということもあったかもしれないが、彼女の顔つきに釘付けになった。自分の目で見たものについて淡々と語る表情。メディアの中の、あるいは世間一般の、知識だけでものを言う人すべてが圧倒されるような、静かな強さだった。 イラクの様々な映像は衝撃的ではあるが、私にとって切実だったのは、彼女の表情だった。人間の顔つきとは、こんなに違うものかと思った。
最初は、何も考えていない顔ばかりだと感じた。おそらくそれは、戦時下の人々の表情と暗黙のうちに比べていたからかもしれない。そんなものは、違って当たり前だ。 けれども、だんだんいろんなものが見えてくるようになった。その人の暗さとか、前向きさとか、苛立たしさとか、冷静さとか、攻撃性とか、目先のことしか見えない性質とか、マゾヒズムとか、サディズムとか。 たぶん今まであえて見ようとしていなかったものを、改めて見ている感覚だ。そういう見方をすると、目をそむけたくなるような人も少なくない。 けれども、いま日本で生きている自分にとって、この人たちの顔を見ることは、間違いなく切実なのだと思う。
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