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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お知らせ
いつも見に来ていただいている方には本当に申し訳ありませんが、よろしくおねがいいたします。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 夏のおもひで
ここ何週間か、酔っぱらいながら何か書こうと思って、だいたい書けたなと思ったところで眠っていた。朝になったら読み返す気にもならなかった。そしてオリンピックの肝心な場面は見逃した。
「どうや」とか「見てみい」とか「超きもちいい」とか邪気のない言葉を、男に言わせられるのが、いい女ってもんだよなあと。 引退しても、しっとりといい笑顔をしているし。
高校生のときに買った浴衣を着たとか、衝動的に水着を買ったけど着なかったとか、夏も終わりなのにキャミソールを3枚買ったとか。 そんな女の子らしい要素を散りばめながら、実際は仕事にかなりエネルギーをつぎこんで燃えつきている状況です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 官能
少女の苺みたいなくちびるとか、手が触れそうで触れないとか、そういうビジュアルを丹念に描くことで、具体的な行為を映すよりも、観客をどきどきさせていると思う。
あほだなあと思うけれど、日常にちょっとした官能を見つけて楽しんでいる姿勢は悪くない。
カリカリしているよりも、ぽわーんとしているほうが、周りの人にもやもや感を抱かせることだろうし。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 近況
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 幻想
東京郊外のアパートに、何十年も住んでいる。狭いけれど日当たりがよく、眺めがよく、味のある住まいに一人、住んでいる。 昔は出版社に勤めていたが、周りの人と折り合いが悪くなったりして、やめてしまった。そのあとはずっと、フリーで仕事をしている。気の強い人で、人に対して許せないことが多いのだ。
そのころは長い髪を三つ編みにしたりしていて、まだ女らしかった。ここ最近はめっきり短くしていて、白髪も染めず、服装にもあまり構っていない。なんだか、色気というものを無理に押し込めているようだ。
「結婚とかいう話はなかったの? 若かりしころは」などと聞くと、「私だってすごく好きになった人がいたのよ」とむきになって言う。その人とは30ぐらいのとき、ちょっとつきあっていたらしい。どういう経緯かわからないが、結局、ほかの人と結婚してしまったようだ。 「そのひと今でも、雑誌とかテレビでたまーに見かける」という。美術系の評論みたいなことをしている人らしい。 なるほどと思った。叔母が、骨董とか茶事とか、能とか歌舞伎とか、いわゆる「別冊太陽」な世界に傾倒しているのは、その人の影響が大きかったのだ。いまだに、その世界のことを吸収しようとしているのは、その人がまだ心の中に住んでいるからだろう。
でも、思い直した。石けんはいいとしても、その男に執着するなというのはやっぱり余計なお世話だなと。
この核は違ったとか、あれの方がよかったとか、最適な核を求めてあれこれともがくよりも、ご縁のあった人を大事にして、幻想という分泌物で真珠に仕立ててあげればいい、というだけのような気がする。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 罪優感
長身だがえらく細身で、ちょっと体が弱いらしい。強引にたとえるなら、ウディ・アレンから皮肉っぽさを抜いたような感じだ。 あまりにもエロさを感じない、どちらかというと枯れ気味な感じに見えたので、安心してつき合ってきた。
その人はカレーをつくるとき、「楽しいねえ」と何度も言っていた。
「そういうところあんまり好きじゃないんですよ。なんていうか、つくられたところって」と即答した。本音だった。 「そう。でも、男と行くところじゃないし、子どもももうそんな歳じゃないし、ほかに一緒に行ってくれる人がいないから」と言う。 聞いた瞬間、この人の淋しさの深いところに触れてしまった気がして、重さと切なさを感じた。私は安易につき合い過ぎた、と思った。
男として好きな人だったら、自分のほかにサシで遊ぶような女はいないでほしいと思うのに、男として見ていない人には、ほかに遊び友達の女が何人でもいてほしいと思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 島ぐらし
北陸出張の空路のお供に買った雑誌が「沖縄スタイル」。島ぐらしへの憧れといえばわかりやすいが、ようは現実逃避である。 都会から移住した沖縄ライフな人たちをぱらぱらと眺め、レゲエやボサノバで頭の中をゆらゆらと満たす。食い入るように物件情報を見て、いちいち生活を想像する。へんてこな間取りの一軒家を見つけ、「これは」と興奮する。
そこでは、ピンヒールのミュールも、ビトンのバッグも、メルセデスも、何の意味もなさない。海にもぐって適度に肌を焼き、魚や貝を採り、そこらじゅうに咲く南国の花を摘み、健康的にセックスをして、子を授かることが、女としての魅力に直結している場所だった。企業の論理のもとで日々を忙殺している生活よりも、いたって健全に見えた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 表情
平日夕方の新幹線の車中。スーツの男たちに混じって、子ども連れの女の人がいた。 子どもはまだ0歳か1歳ぐらいで、ひどく泣いていた。ビジネスモードな男たちの間で、泣き声はきんきんと響いた。まもなく女は子を抱いて立ち上がり、デッキの方へ歩いていった。 女は疲れているようでも怒っているようでもなく、あまり表情のない、どちらかというとさえない顔立ちだった。無に近い表情で子を抱いている姿を見ると、ちょっと気が滅入りそうになった。 女と子は東京に近づくまで席に戻って来なかった。のぞみの新幹線には「多目的室」という場所があって授乳などができるらしいので、そういうところにずっといたのかもしれない。
夫を目の前にした女は、はじめて屈託のない、穏やかな笑顔を見せた。この人、こんなにかわいかったんだ、としばし見とれた。これだけかわいい表情のできる人なら大丈夫だ、と勝手に人の幸せを確信して安堵したりした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 迫力
そういう人でないと魅力を感じないとか、そういう人であれば誰でもいいというわけではまったくないのだが、蓋を開けてみるとそうだったりする。 理由を考えてみると、そういう人に、ある種の迫力を感じるからかもしれない。
迎合しない、という姿勢を貫ける人はそれほど多くはない。それも、何にも甘えずに。何かに甘えながら肩ひじ張っているチンピラみたいな人もいるが、そういう人は孤独ではない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ちょっと好き
自分もヒマで相手もヒマならいいが、現実はなかなかそうはいかない。なので、理想と現実のギャップが生じて、嫉妬したり、苛々したりする。恋愛がますますエゴに支配されていく。
思いの強さをどう自覚するかは、おそらく相手の魅力の度合いによるのではなく、自分の空いている時間や心の隙間をどれだけ埋めたいかという、本人の事情に比例するのだ。
彼は迷惑しつつも「こんなに愛されてる俺」とまんざらでもない気持ちもあったようだ。実際のところは、やや情緒不安定で、ゆるいバイトしかしていないヒマな彼女の事情が、思いの強さを狂気に至らしめただけなのだ。
ちょっとヒマになると、「ちょっと好き」な人に大好き光線を放ちたくなって空回りする自分のヤバさをよく知っているので、そうやってコントロールしている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ワケあり
自分が一緒に住んであげられない申し訳なさもあった。他人にペースを乱されるのが相当嫌なのだな、という自分を発見しつつ。冷たいのかもしれない、と軽く落ち込みながら。
10代のころ、寮生活に憧れた時期があったので、気持ちはなんとなく分かる。いまは、恋人でもない他人と一緒に暮らす気はないが、そのうち孤独なおばあさんになったらシェアメイトを募集しているかもしれない。
生きるのに必死だと、感傷的になるヒマなどないのだろう。たまに、話しながらおもむろに涙をぽろぽろ流しているが、そのあとすっきりした顔をしている。 強い人だけが生きていけるのだ、と思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 相性
自分としては、特に話が合うとは思わないのだが、そう思わせてしまうところがあるらしい。 仕事柄もあるが、つまらないオシャレな話題から下ネタまで、話を合わせるのには慣れている。 そうこうしているうちに、いつのまにか御休憩や御宿泊に誘われていたりする。「話が合う」というだけで(しかも思い込み)、セックスしていい仲と思われてはたまらない。丁重にお断りすると、男はなんともせつない顔をして去っていく。
ある女子は、うっかり寝てしまった相手に「体の相性がいい」と言われて困ったという。彼女としては特別合うというほどでもなく、明らかにもっと相性がいいと思える相手はいたのだが、そこで否定したときの冷ややかな空気が恐ろしくて、曖昧にしていたらしい。
たとえ舞い上がっていても、「相性のよさ」を振りかざして相手にプレッシャーを与えるのはつつしんでほしい。 などというと、「思わせぶりなことするな」と言われそうだが。いえ、女は常に、自分にメリットのあることを実行しているだけなのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 裏腹
「僕は奥さん一筋」と言いながら、適当に女と遊んでいる人を知っている。 「俺は遊び人(女関係で)」と言いながら、いざというときには小心者という人も知っている。 セックスに自信のある発言をしている男はたいてい、ひとりよがりで女が合わせているパターンだろう。そんなニブい男に至っては、検証にも値しない。
「一生幸せにする」などとやすやすと口にする向きにも、個人的には違和感をおぼえる。幸せにするってどういうことか、わかってんのかと思う。言われたことはないが。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 職業的浮気
「そうやってホメ殺して、また次の人を取材するわけでしょう」 なかなか鋭いことを言う人だ。 別にホメ殺しているつもりはないが、相手に何らかの価値を認めて取材をしているわけなので、自然とそういうふうに感じられるのだろう。 実際、記事が出てしまったらもう、次の取材先のことを考えている。スパンの短い恋愛をしているようなものかもしれない。
監督と俳優、作家と編集者、建築家と施主、美容師と客――。異性でなくても、同性同士でもそういう面はあるだろう。 密度の濃い信頼関係をいろいろな人と結んでいく行為がある限り、小さな浮気心と嫉妬心の発生を無視することはできない。そういう事実をクールに受け止めるのが大人社会だ。
などと、ものわかりのいいふりをするのが自分のダメなところだとは気づいているのだが。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ リカ
漫画といっても、コマ割りもなく、絵にちょっとした吹き出しと文をつけただけのものをいくつも描いて、話を展開させている程度だった。
描いていたときの私は、善良な美子ちゃんに共感しているつもりだったが、いま考えると、感情的でちょっと意地悪なリカのほうが断然、キャラが立っている。
リカは、結婚して家庭におさまっているなどということは、まずありえない。仕事も野心的にこなし、デートする男も複数いて、でも皆にはヤラせない、というおいしいとこ取りをしている感じだ。 欲張りなのだ、リカは。 そして、実は、「かわいい」と言われるよりも、「おもしろい」と言われることに喜びをおぼえるのがリカだ。かわいいだけでおもしろくもない美子のことを、リカは嫉妬していただけでなく、おそらく軽蔑していたのだろう。 美子に憧れていた小学生の私だったが、美子とリカを描き分けている時点で、美子にはなれなかったのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 編集
そうだよなあ、と思う。 人に取材してハイエナのようにネタを取り、メディアの都合のいいように編集していく。取材されるほうにしてみれば、「自分をこんなふうに編集しやがって」と不本意になることもあるだろう。 「俺をこんな安い人間に見せるな」とか、 自分も、取材されて「なんだか遊び慣れた女みたいになってるよオイ」と戸惑ったことがあるので、気持ちはよく分かる。 多くの人は、自分をかけがえのないものだと思っているだろうし、特別な存在だと思っているだろう。
後者のほうは、単に善良な人というのではなく、どこか肝がすわっている人だ。自分の生きかたや仕事には十分、こだわりがあるのだが、自分を大きく見せようとしない。「あなた方の都合のいい大きさで切り取ってください」というスタンスだ。
人をピエロにするやくざな職業として、自分もどんなピエロにでもなりましょう、と。 そうなれれば、いろんなことが、楽になるかもしれない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 殴る蹴る
私は部屋で男と絡まりあっていた。身近にいる男と似た特徴を持っていたが、そのものではなかった。夢の中では、そういう間柄の男という設定だったようだ。 絡まりあいながら男はふと、思いつめたように、「電撃結婚」と早口に言った。 意味がよくわからなかった。 「あなたが?」男は頷いた。 「だれかと?」男は頷いた。 「なあんだ彼女いたんだあ」と言いながら私は床につっぷし、そのまま声を上げて泣いた。そしてしたたかに男を殴り始めた。 男を殴り、蹴り、押し倒した。男はされるがままだった。押し倒された男の腕を引っ張り、「出てってよ」と玄関口まで引きずり出した。 男がドアから出ようとするのを見て、まだ怒りがおさまらなかったのか、私は再び男の腕を引っ張ってドアの中に入れると、さらにお腹のあたりを蹴った。 男は苦笑いしながら私を見て、「感情をあらわにしているさまがかっこいい」というようなことを言った。はあ?何言ってんのこの男は、とやりきれない気持ちになった。 そのあたりで夢はフェイドアウトした。
ひさびさに「ほほう」というようなヒット作だったので、とりあえず記録しておく。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 栞
本の黄ばみほどではないが、搭乗券の色も薄くなっていたので、最近のものではないと分かった。裏に小さく「99」と印刷されていたので、おそらく99年の11月に福岡へ行ったのだろう。 単なる出張だったのだろうと思うが、ふと発見してしまう、こういう半券のたぐいは、妙になまめかしい。 その半券には、私の知らないそのときの父の緊張感や高揚感、あるいは倦怠感がまとわりついていたはずだ。
誰しも、家族や恋人に見せる自分と見せない自分、見られたくない自分を持っている。それは、相手に対する無意識の礼儀なのかもしれない。
じっと見ていれば、たまに細い光が差して、闇の一部がチラリと照らされる。そのぐらいが、どきどきしていいような気がする。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (前のコラムが誤解を招きそうなので早めに更新)
バイキング形式の朝食を、ある男と食べる機会があった。男は自分の皿にゆでたまごを持ってきていた。私はゆでたまご好きなのだが、バイキングテーブルに置いてあるのが生たまごに見えたので、自分の皿には持ってこなかった。 男がゆでたまごの殻をむき始めたので、なんだゆでたまごだったのなら持ってこようかなと私は言いつつ、ほかのおかずを食べていた。まもなく殻をむきおわると、男は私の皿にそのゆでたまごを置いた。 予想外のことだったので「いいの?」と言うと、男は「うん」と言う間もなく新しいゆでたまごを取りに行った。
自分のことは自分でやる、という感覚で育ってきたので、人に対しても自分のことは自分でやんなさいよ、という気持ちがなんとなくあった。 なので、肉親でもなく、利害関係もない相手に、当たり前のようにゆでたまごをむいてもらったとき、こういうことをされるとうれしいんだ、としみじみ思った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 動物たち
例えば、 例えば、 例えば、
「何かあったら俺んとこへ来い」というような男気が見たい。オオカミでもライオンでもなく、ゾウのような雄大な男気。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 変わる
たった半年か一年ほど前に書いたものを見ても、今の自分との違いを感じる。それ以上前になるとなおさらだ。昔の私は強がりで生意気で幼稚だなあと思う。
それを聞いて愕然とした。確かに、人の変化は魅力的に映りやすい。でも、おそらく本当は、その人の変化するところよりも、変化しないところを好きになっているはずなのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 愛・その3
Tと3年ぶりに会ったという男が酔っぱらいながら私に言った。 「僕はT君のことが大好きなんですよ。どおですかT君は」 「いやあ、大好きですよ」 その人は何度も同じことを言っていた。 3年間会わなかったけど大好き、というのがいいなと思った。前回の占い師に会って以来、愛とは何かつらつらと考えていたが、こういうのも素敵な愛ではないかと。
依存しない愛というのがテーマかもしれない。私には。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 占
占い師は、どちらかというと経営者として有能そうな50歳ぐらいの男だった。断定口調でいろいろと指摘され、多くは思い当たることだった。抽象的な質問をぶつけてくる人で、「愛」について禅問答のようになった。
「お金は別に。愛情に対して……ですかね」 「孤独を恐れてるんだね」 「ということでしょうか」 「じゃああなたは売れない芸術家と一緒になれる? あなたは才能を認めているんだけど世間には認められていなくて、あなたが食べさせなければならない」 「………無理かもしれない。仕事ができて自立した人がいいので」 「冷たいね」 「想像したことがないので、なんとも」 「経済力と愛情の両方を求めようなんて無理だよ。理想を求めすぎる」 「そうでしょうか。自立してくれる程度でいいんですけど」 「じゃあ、愛情とは何? 一言でいうと」 「愛情ですか? 一言で? うーーーーーん」 「………答えられない?」 「うーーーーん」 「僕は、愛情とは、その人がいないと生きていけないことだと思う。その人を失ったら、息ができない」 「………」 「その人から生きるエネルギーをもらっているということだよ」 「ああ、生きるエネルギーですね。それはわかるような」 「でも、ほとんどの人には当てはまらないけどね。結婚式なんかで永遠の愛を誓い合っているけど、ぜんぜん嘘。慣性に従って、居心地がいいだけの人への感情を本当の愛だと勘違いしている」 「本当の愛ねえ…」 「僕も経験したことはないからわからないけどね」 「経験したことがあるからおっしゃっているのかと思っていました」 「ない。あったらここにいないよ」
前回のコラムで、犬にフリスビーを投げるような愛情について書いた。だが、その占い師が言わんとする愛情の姿は、そんなバラ売りできるチョコみたいなものではなさそうだった。 結局、彼の言う愛情の全貌はよくわからなかったが、おそらくそれを得られる人は、ものすごい幸せとものすごい絶望を味わうのだろう。羨ましいような、恐ろしいような。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 無雑作に
今ぐらいの暮れの日で、日本酒のたくさん置いてある、どちらかというとオヤジ客の多い店だった。 暮れの過ごし方についての私の提案に、男が気のない態度を表した。私はあからさまに不機嫌になり、鍋の中でやわらかくなった野菜を自分の取り皿に乱暴に移し始めた。「乱暴に」とは、その男の表現だ。自分でも驚いたが、気がつくと私は泣いていた。
居酒屋で泣く女など、相当迷惑だろう。隣りのテーブルでは、男女4人ぐらいのグループが、ときおり下ネタを交えながら鍋をつついていた。幸い彼らは私の泣きに気づいていないようだった。あるいは気づかないふりをしていたのかもしれない。
自分でもつまらないことで泣いたものだと思う。 男は私が泣いた発端は分かっても、理由はほとんど理解していないようだった。自分が泣く理由さえはっきりと分からないのに、人が泣く理由など理解できるものではない。
その言葉を聞いて私は少しむっとしたが、それでいいとも思った。分かったふりをされるほうが、むしろ溝は深くなる。 そんなこんながあっても体を合わせてしまえば、お互いに少しは分かり合ったような気になる。言葉は永遠に真実にたどりつかないが、行動は少なくともその場の真実だ。
だが、犬が日がな一日、庭の木を眺めながら何を思っているかは知るすべもない。たとえそのとき、犬が心の中で涙を流していたとしても、そんなことは犬に任せておくしかない。 悲しそうな犬の目の前をかすめるようにフリスビーを投げ、なかば面倒くさそうな彼の態度を無視してでも気を紛らわせてやろうとする。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 女職業
場所柄、利用客は夜の商売の人、しかも韓国の人が圧倒的に多い。なんというか非常に濃いクロウトっぽさ。日本人のOLグループのねむたい会話などは聞こえてこない。 夜が深くなるにつれ、洗い込まれた白いガウン一丁をまとって、女たちが仮眠室にわらわらと集まってくる。 リラックスチェアや床の上にごろごろとマグロのように転がる女たち。そんな女の体に挟まれていると、家にいるときのようにくよくよと考えることはない。 「癒し」や「ごほうび」といった甘ったるさもなければ、「女を磨く」とか「自分ブランド」といった最近のアンアンみたいな鼻息荒い感じもない。そこにあるのは他者の目ではなく、自己管理という黙々とした営みだ。
思い切り避けるように方向転換したら、どこかへ行ってしまった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 甘やかな酩酊
白ワインかと思ったらスパークリングワインで、開けると泉から湧き出るように金色の水したたる。ボトルの感じと蓋を見れば一目で分かるはずも。そういう間抜けなことをしてしまうのもまた一興。絨毯から漂うは共犯的に微笑む快楽の香り。 濃厚な深紅のアマリリスを購入。花粉の出るめしべだかおしべだかが出てきたらすぐに取ってしまうようにとの指示。断たれる生殖行為。 衝動的に聴きたくなったビートルズ後期のアルバムも購入。普段より大きめの音量で部屋中を満たす。
つまみは白かびチーズ、ブロッコリー、天草特産かりん糖ちりめんじゃこ入り。 購入したばかりの本は坂口安吾。偽善と欲望に対して意識的な人。あまりに意識的すぎて、本命の女とは生涯セックスしなかった。そしてどうでもいい女と溺れていた。体だけを愛していると自認しながら。
自分の時間をどうやり過ごすか、誰を選び誰を選ばず、どうつき合いどう距離を置くのか。 うわっつらな女の集団でつるんだり、つまらない男と会食したりするくらいなら一人で酒盛りしている。 排他的な人間だと思う。変な緊張感を少しでも感じると居心地が悪くなる。人に対して一面では惚れこみつつ、他面では失望し、ダメ出しをする。そして一人の時間を増やしていく。 孤独な夜を酩酊して踊りながら過ごす。そんな時間を少なくとも甘やかに過ごせるうちは、当分はタフに、なんとかごまかしつつ、生きていくのかもしれない。
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