男の生態・クラブ編 00/10/22
出張中、いわゆる女の子のいるクラブに2軒行った。
一つは、店の作りも女の子の質も値段も高そうな店。もう一つは、苦労人の若いママが経営する庶民的な店。
そういう店に行ったのは初めてではないが、めったに行かない種類の世界だ。おのずと店の女の子の生態や、同行の男たち(取材先)の振る舞いを観察してしまう。
女の子とどうやりとりしているかで、男をなんとなく以下の2種類に分けられる。
1 客とホステスという一般的な役割に忠実に、ちょっとエッチっぽくやりとりしている
例:女がやたら男をじっとみて、顔とか髪とかに服とかにさわる(男が女に甘えた雰囲気を出していなければ、女はそういうことはしない)。もちろん、男からもさわる。
2 相手がホステスでもわりと対等に話している
例:最近読んだ本の話や、仕事の話とかをする。男の態度はまあ紳士的といえる。たまに肩をはたいたりするぐらいのスキンシップはする。
高級な店でも庶民的な店でも、1の男は1だし、2の男は2のままだ。上品・下品という言い方をすると、上品な男は下品な店にいても上品に見えるし、下品な男は上品な店にいても下品に見える、ということだ。
「SPA!」に連載していた「ビバ!キャバクラ」という漫画などを見ていると、ああいう店に行く男たちは欲望がムラムラした感じなのが普通かと思っていたが、必ずしもそうではないらしい。上品な男の場合、お店でクールに飲んで、クールに女の子を「アフター」に呼んで、うどんとかを食べて「ごちそうさまー、おやすみなさい」と別れる。でも、絶対一回は関係してそうな親密な雰囲気も見て取れる。
そういう上品テイストでクラブに通っている男は、「男と女の話っていうのは、よく複雑に考える人いるけど、単純なんだよ」と言っていた。その場では、「じゃあ複雑に考える私はバカか?」と思った。
でも、後から考えると違う。やっぱり体の構造が違う。男は単純に考えられる構造になっているのだ。女はそうじゃないから、年がら年中、恋愛に悩んでいるのだ。好きで悩んでいるわけじゃない。
やっぱずるいよ男。女が恋愛に悩んでいる間に、いろんなことを極めてオタクになったりするのだ。
恋愛はクールに仕事はホットにとかいうかっこいいことは、女には無理じゃないか?
尚子が気になる 00/10/09
高橋尚子が気になっていた。
あまり肯定的なニュアンスではなく、だ。
そういうことを言うと、複数の身近な人には賛同してもらえなかった。「あの脚力はすごい」、「彼女にとって、あの距離を走るのは本当になんでもないことなんだ」といった意見が返された。異論の余地はない。スポーツ選手を評価する、まっとうな意見だと思う。
だから、「なぜ私が高橋尚子を肯定的に見られないのか」という疑問が残った。はじめは自分でもよくわからなかった。単に、頂点に立った人をねたんでいるだけなのか私は、と嫌な気持ちにもなった。
でも、同じ金メダルを取った人でも、柔道の田村亮子や水泳のイアン・ソープなどのことは、素直に受け入れられるのだ。
高橋尚子の何が気になるのか。NHKで日曜に放送していた彼女の特集番組を見たり、その後風呂の中でも考えたりした末、自分なりの答えが出た。
彼女の活躍の裏に、小出監督の密な指導があることは有名だ。彼女の優勝はほぼ必ず、小出監督とセットで語られる。監督が高橋をひたすらほめて伸ばした、という教育方法も話題になった。
そうした指導方法を否定するわけではまったくない。それであれだけの強さを身につけて、金メダルを取ったのだから、そうあるべきだったのだと思う。日本中の人が感動して、勇気づけられるのも当たり前だ。私だって、レース後に高橋が監督と抱き合っているところを見て、じんとした。また、高橋の「気負いのなさ」が注目され、新しい日本人像としてとらえられたことも、歴史的な価値があると思う。
ただ、彼女の発言のなかで、以下のような言葉が気になっていた。
「とても楽しい42kmでした」
「金メダルを取った次の日の朝もいつものように6時に目が覚めて、走ってしまった。自分は本当に走るのが好きなんだと思った」
「金メダルをもらったときは、うれしいと同時に、さびしい気がした」
(レースが終わって監督と会うまでの間に)「これでまた監督にほめてもらえる、と思っていた。監督のほめ言葉が聞きたかった」
なぜ気になったのかというと、上記のはじめの二つは、もしかしたら、本当にもしかしたら、だれかに期待されている答えを言葉にしているのではないか、と感じたからだ。だれかというのは、高橋を応援する日本国民すべてかもしれないが、高橋がいちばん意識していた相手は小出監督だと思う。
そして後の二つこそが、高橋の本音に聞こえる。これまで、監督に期待されて金メダルを取ること、それだけが高橋の精神を支えてきたのだと推測できる。だから、それが達成されてしまって、その支えていたものがなくなってしまったら、少なからずバランスが崩れてしまうのではないかと思う。そうした不安を無意識に表したのが、後の二つの言葉ではないだろうか。
高橋尚子の強さは、本来のマラソンの資質だけではなく、暗示にかかりやすい純粋さによるものが大きいと思う。だからこそ、小出監督の目に止まり、あれだけの厳しい指導についていき、見事に期待にこたえられたのではないかと思う。
高橋尚子が良くも悪くももっと「大人」になりきってしまっていたら、もしかしたら優勝していなかったかもしれないし、28歳にしてあんなにあどけない顔をしていないのではないかと思う。年下の田村亮子やイアン・ソープの方が、私にとって明らかに「大人」の顔に見えた。
また、8年前に水泳で金メダルを取った14歳の岩崎恭子はあどけない顔をしていたが、「いままで生きてきて、いちばん幸せです」という言葉は、本音に聞こえた。
何度も言うように、高橋尚子の資質や、彼女の優勝や、小出監督との密な師弟関係を、否定しているわけではまったくない。歴史的な、評価すべき人物だし、出来事だったと思う。
でも、彼女がもしかしたら「優等生」になりきっていないだろうかとか、彼女が大人として本当に自分の意志で行動しているだろうかと考えると、少し心配になる。
LOVEマスター 00/09/11
この先、自分にとって行きつけのカフェとかできるのだろうかと考える。
カウンターの中にマスターがいるタイプを想像しているから、喫茶店という感じなのだろう。
たとえ行きつけになっても、あまりマスターと談笑したりしたくはない。あくまでも客を放っておく人が望ましい。
だからマスターは無口な方がいい。何を考えているのかわからないくらい。
やましいことを考えているわけではなく、頭の中でカツオとマグロの絵を描き分けていたり、ニーチェの言葉を引用して文章を組み立てていたりしてほしい。
でも、一人で店にいるときに「噂の眞相」をもくもくと読んでいて、客が来たらあわてて隠す、というようなマスター。
以上は、昔好きだった人のイメージで組み立てた人物像。自分の身を削るようなことを暴露して、読者の気をひこうとするのが私の常套手段だ。
生ぬるい「カフェ」 00/08/31
こんなコラムのページを作ってみたが、カフェという言葉はうさんくさくていつも好きになれない。
間違っても「カフェ行こー」とか言ったことはない。
というか、みんなけっこうこの言葉は使っていないと思う。
それなのに、女性誌には「カフェ特集」。
よくわからない。耳に心地いいというやつか。
表参道のオープンカフェとかは、なんかもうあの世界だ。オシャレなものを追っている感じの人たちが、丸テーブルに斜め座りしている。カプチーノにはシナモンスティックがついていて700円。
そういうところに行かないわけではないのだが、この雰囲気とか人とかに、ときどき耐えられなくなる。
昔、仲の良かったある男子は、そういうところに気恥ずかしくて入れないという人だった。
その気持ちはまっとうだと思う。
カフェ的なものに対する反発と、なんとなく同化してしまうこともあるという現実。それがいまの自分。
カフェに漂う生ぬるい空気を踏みにじるように、そこで展開する濃い部分をいろいろと描写していきたい。
あと、カフェとは関係なく、興味深い人間についても書く予定。
秋葉で珈琲 00/08/31
仕事の関係で秋葉原へ行くことは多くなった。とはいえ、まだ日常ではないのでいろいろと新鮮。
本日の秋葉訪問の合間には、ルノアールとドトールに入った。
ルノアールはすいていて中途半端にレトロなところが快適だ。ソファーもある。
近くの席にいた男女がわりとディープな会話をしていた。カップルではなく、昔の同級生でいまはそれぞれ別の会社に勤めているという感じ。
「私本当はカウンセラーになりたかったの。この波乱万丈の人生経験を生かして(笑い)」と、女。カウンセラーになりたいと言う人は、その人自身が痛い場合が多い。深刻そうに言わないところがより一層ディープだ。たとえ秋葉原にあっても、こんな大人の会話が似合うルノアール。
ドトールでは、秋葉系4人組の近くに座る。そのむささはもう気持ちいいくらいだ。
「あいつ2ちゃんねるデビューしたって」「それやばいよ」
ルノアールとは別の意味でディープ。本来ならサラリーマン御用達のドトールでも、その価格の安さから、秋葉では「彼ら」の独壇場だ。
スターバックスは秋葉に進出しないのだろうか。彼ら色に染められるさまを見てみたい。
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