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中国の社会

 最初は英語文献研究なる授業を取る予定だったんだけれど、なんとなく引きつけられるものがないので、もう一度、時間割表を目を皿のようにして見てみたら、うっふっふ、あるじゃあ〜りませんか。楽しそうなのが!そうです。で、「中国の社会」なのです。

学校日誌の感想をお寄せください(^o^)

二〇〇二年十一月二十八号(星期四)
 熱心に出ていたこの授業なんだけれど、後期に入ってからあんまり楽しくなくなってきた。今日もイヤイヤ行ったら冬季レポートの提出についてのハンドアウトが配られていて、読んでみると自分が中国の社会、文化、経済について知りたいことを自問して自分で調べてレポートを出すようにという内容だった。これで、もう完全にこの授業に興味がなくなってしまった。ま、この授業を取っても単位に関係しないという理由もあるんだけれど、そんなレポートだったら、じゃぁ、今までの授業内容ってなんだったの?とか思ってしまう。んー、授業にも反映されないレポートってなんだかなー。まぁ、授業を聞いていたから新たに知りたいことが出てきたということもあるだろうけれど。一瞬香港と中国の今の関係について調べようかと思ったけれど、調べる時間があるくらいなら自分のゼミの課題について費やす時間の方が嬉しいので、今日かぎりでこの授業を取るのをやめた。
ひえ〜、3年になってやめちゃった授業は、これで3つ目だぜ〜(^o^;

二〇〇二年十一月二十一号(星期四)
 自主休講

二〇〇二年十一月十四号(星期四)
 休講です。

二〇〇二年十一月七号(星期四)
 出稼ぎに関する講義の最後の日だ。あんまり興味がないので講義はそぞろに聴いていた。新しい言葉に三線建設というのがあった。産業化と都市化を切り離すために中国政府が行った開発のことで、海岸線を一としたら、もう少し内陸を二、そして、もっと内陸を三線としたらしい。これは1960年代と1970年代の閉鎖的、孤立的政策が理由となっているようだ。って、もひとつなんことなのかわかっていない。

二〇〇二年十月三十一号(星期四)
 今日はビデオ鑑賞から始まった。98年にNHK番組「新アジア発見」の中で放送された「ニンニク世界を狙え」というタイトルの番組だ。すごく面白かった。大赤字だった国有企業が一人のやり手社長のおかげでどんどん業績が伸びて今じゃ有数の黒字企業になったにんにく加工企業の紹介だった。私が純粋に疑問に思ったのは、こういう出来る人材をどこから探してくるのかということだった。先生曰く、人材は本当にたくさんいるけれど、それが適材適所という形で現れているのかどうかというところだった。なんかそれで疑問がすーっと消えていくような気がした。また、こういうやり手によって黒字に転換したからといって「企業改革」といえるのかと疑問だったのだが、これも結局は日産がゴーン氏を社長にしたようにトップを変えることによって企業体制を変えるという点で企業改革になるのだろう。ふむふむ。
このビデオのあとは出稼ぎの機構に少し入っていったけれど時間切れとなって中途半端になった。出稼ぎをしている人が就いている職業は工業・建築業が一番多く68%もある。で、出稼ぎというのは農村における余剰労働力が都市に流れてくることを言うのだが、この余剰労働力というのはどういう意味で中国ではどのくらいいるのだろうか?ということが話題になった。今中国の農民人口は4億5千万人といわれていて、おそらく30−40%くらいが余剰人口とみなされるのではないだろうかということだった。

二〇〇二年十月二十四号(星期四)
 今日は授業に出る気がしなくて、自主休講してしまいました。あとで友達に授業の内容を聞いてみると、中国留学の話が大半だったようなので、ま、出なくても良かったか(^o^)とか思っております。

二〇〇二年十月十七号(星期四)
 今日は休講でございます。

二〇〇二年十月十号(星期四)
 先週に引き続き出稼ぎの問題で、今日は「盲流と民工潮」という題目だ。
なんとなく想像がつくように「盲流」とは、何も考えずに出稼ぎ民族が田舎から押し寄せることを示している。この出稼ぎの人々は旧正月になると汽車に乗って田舎に帰るため、汽車の乗車率が300%という異常事態が発生するのだ。社会問題にもなる。だから、この盲流というのは出稼ぎ民族を馬鹿にした呼び方だとすぐに察しがつく。そして、世論が反発しはじめるのだ。盲流って何だ?ということだ。世論が高まったところで民工潮という名前に変わってきたようだ。

二〇〇二年十月三号(星期四)
 後期からは都市と農村という課題で授業がすすむようだ。さっそくビデオを見た。それは、1994年12月18日にNHKで放映された「出稼ぎ少女達の旅路」という番組だった。中国四川省の営山県出身の16歳と22歳の女の子がメインで出てくる。広東省の深センの工業地帯に出稼ぎに来たのだ。電子メーカの工場というところでは、手先が器用でないと仕事にならないので、年齢は15歳から22歳までと決まっているらしい。すごっ、そんなこと知らなかったなぁ。で、22歳以上になると他の職場に移動するのだけれど、なかなか職は見つからない。だから、きっとやばい仕事に移ってしまう子も多いのだろうなぁと予測できる。
村上げての集団出稼ぎの様子が昔の日本のようだった。そして噂話もどんどん良いことだけが村に広がって行くのだ。つまり町に行けば月にこれだけ稼げるぞといった類のものだ。これって日本に行ったらすごく稼げるぞって密入国する中国人と同じじゃん。で、現実に町に来ても仕事はなくて乞食同然になっている中国人も多いらしい。田舎では町から送金されたお金で「出稼ぎ御殿」を建てて、これみよがしにしている所も多い。ちょっと人間の哀れさを感じてしまった。
二〇〇二年七月十一号(星期四)
 この授業もビデオ鑑賞だった。その前に先生が中国に行くときのアドバイスや注意点を説明してくれた。アドバイスは街で訪れた街の地図を買うこと。これで公共の乗り物でいろんな所へ行くことができる。そして、新聞も買うと役に立つらしい。でも中国語がある程度わからないと何が書いてあるのかちんぷんかんぷんだけど。日報と書いてある新聞は政治経済の内容が多いので、遊びに役立つ事を探したいのだったら、晩報を買う方がいいらしい。これには、映画情報とか京劇情報が載っているらしい。注意点は安全面でいうと、交通事故だそうだ。車は人を見て止まってくれないらしい。速度の早い者勝ちだそうだ。だから信号も当てにならないので、左右前後をよーーーく見て道を渡りましょうとのこと。犯罪も最近多くなったので気をつけるべし。で、病気については、2週間くらいの旅行なら大丈夫だけれど、段々疲れてくる1ヶ月くらいになると免疫がなくなってくるので病気にかかりやすいと言うことでした。私は青島ばかり2回も行っているけれど、上海にも北京にも行ったことがないので、いつか行ってみたいなーと思う。あー、それと私の第二の故郷の香港にも行きたいなーーー(^o^)
 今日のビデオはイギリスとアメリカの合作で、1949年に共産党が中国を建国してから毛沢東が死ぬまでの27年間に何が起こったのかをうまく50分にまとめたものだった。ものすごーく勉強になった。私がずっと前から中国の歴史でわからないことがこのビデオが一挙に回答をくれたような感じですごくすっきりした(^o^)
 私はこのビデオを見て、毛沢東は悪人か善人かとか問うよりも、集団心理の恐ろしさを痛感してしまった。指導者が欲しいのはわかるけれど、国民全員が毛沢東語録をもつほど毛沢東ができた人間だったのかというと私はノーと言いたい。あれは誰でもやろうと思えばできたことだ。たまたま毛沢東だったのだ。あの人にカリスマ性なんか全然見られない。紅衛兵の愚かなこと・・・あーため息がでるくらいだ。
 と、まぁ、すごく勉強してしまったような気分で前期の授業は終了したのでした。夏休みは現代の中国について語った本を読まなくてはいけません。来週末にでも本屋さんでじっくり探してみようと思います。

二〇〇二年七月四号(星期四)
 今日は人民公社の話だ。人民公社は集団化の到達点である。1955年から10年でやっていこうとした集団化はあっという間に5年で終了してしまった。中国ってこういうことはめっちゃ早いらしい。それは民主的な手続きがないからだそうだ。すごっ。集団化のうち、初級合作社までは、それに見合った報酬があったのだが、どんどん大きくなるにつれて農民がいやがるようになってきてしまうのだ。なぜか?もうそれは報酬が少なくなるばっかりで全然楽しいことがないからである。おのために「運動」(中国語ではもちろん簡易文字を使います)が起こってくる。「もう、やめてくれ」ということだ。
今日先生が配ってくれた資料はとっても面白い資料で、中国建国以来の路線の曲折というもので、中国で何かイベントが起こるたびに、中国が左(社会主義的)と右(資本主義的)の間をうろうろするのを曲線で表したものだ。これを作ったのは矢吹晋さんで、「図説 中国の経済」蒼蒼社が出しているもののようだ。これを見て思うのは、中国国民が平和に暮らしているときは、何となく右寄りなのだが、国民が怒ったときとか、資本主義にちょっと浮気しそうになると、あわてて政府が左へ戻そうと躍起になる。この曲線の動きがとにかく面白い。しかし、毛沢東語録とか中国人はみんな持っているとかって言ってたけど、あんまり良い政策をしたようには私は思えないのだが・・・・?実際のところどーなんでしょ。

 夏休みの課題として、外大生に薦める本を一冊読んで来いということだった。そしてなぜその本を薦めたいのかをレポート2枚にまとめて提出ということだ。しょえー、この授業を取ったばっかりに中国に関しても本まで読まなくちゃいかんぜよ〜(^o^;

二〇〇二年六月二十七号(星期四)
 先々週までは、「都市と単位」を見てきたのですが、今日からは「農村部」を見ることになります。が、私というと、今日はめっちゃくちゃ眠くて眠くて先生の話もあちこち飛んでいっています(^o^;
 さて、まず「土地改革と集団化」という言葉にぶつかります。この土地改革というのはもちろん中国語です。で、日本語に当てはめたらどうなるかというと、「農地改革」ということになるのです。この改革は1949年の中国共産党が政権をとるために必要な手段だったのです。なぜか?それは、その当時までの農地というのは、地主が一番権力を持っていて(当たり前といえば当たり前)小作人に土地を貸して、土地代や収穫をふんだくっていたのですね。ま、ここらへんは日本の昔と変わらないでしょう。で、人口の比率を見ると小作人(中国語では貧雇農)や自作農民(中農)、自作農民と地主が一緒の農民(富農)と4階級あるうち、小作人が半数以上を占めていました。つまり共産党はこの小作人達の「清き一票」が欲しかったのですね。で、1949年に中華人民共和国ができるとすぐに改革を始めます。そして3年間で完成させてしまいます。5年も経つと、物の見事に人口の比率はあまり変わらないのですが、土地を持っている比率が逆転してしまったのです。これによって富農と呼ばれていた人たちが不満を言うのは当然として考えられることです。また改革に沿わない富農は殺しちゃうとか財産を没収しちゃうとかかなりの悪さもしていたようです。それに階級闘争は1970年代まで続きます。
都市部の単位の成功とは大きく異なる改革です。
そして農村にも単位と同じような仕組みを取り入れます。それを、互助組といいます。日本の「結(ゆい)」と似たようなものですが、私は「結」すら知りません(^o^; 日本の結は村単位ですが、中国は近所づきあいはあまりさかんでなくて親族、家族を大切にするので、固まる単位とすればそれでした。そして、段々その集団は大きくなっていって、初級合作社(1954年から55年)、そして高級合作社(56年から57年)へと発展していきます。しかし、これは殆ど強制で、イヤがる人が少なくなかったようです。この集団化の目的は高い農具を共有するとか、労働を共にすることで収穫を増やすとか、土地も共有とか、そういうためのものでした。
二〇〇二年六月二十号(星期四)
 休講です。

二〇〇二年六月十三号(星期四)
 今日は48分のビデオを見ました。1995年にNHKで放映された「瀋陽−国有企業の冬」です。なんだか中国の不況の姿をまざまざと見てしまった感じでした。でもこれは7年前の話しでしょ?今はいったいどうなっているのでしょうか?1980年代前半から行われ始めた企業改革は、1990年代になってから、かなりの中小企業に圧迫を見せ始めます。財産権の再編、法人化などがすすみ、業績の悪かった国有企業はいっぺんに窮地に立たされてしまいます。おまけにこういうった企業(工場)は単位方式ですから、全社員とその家族を、おまけに何千人という退職者を巻き込むことになるのです。
ビデオでは何社かの企業の建て直し方策をルポしているのですが、どこをどー見ても工場長なんて、そこら辺にいるただのおっさんで、何か経済学を学んだとか、経営学を学んだような人ではないのです。そんな人を工場長にして「建て直せ!」って言ったって出来るわけないじゃん!っていうのが私の一番の感想。社会主義の大きなツケがどかーーーんと返ってきちゃったなというのが本音でしょうか。
でも、今じゃ日本でもどこもかしこもリストラ、リストラだし、経営陣もおよそ「やり手なんだろうな」と思えるような人は見ませんね。だから、こりゃ経済が不況になったら社会主義も民主主義も関係ないんじゃないの?って思ったりもします。

二〇〇二年六月六号(星期四)
 今日のオープニングは、ワールドカップのことでした(^o^) 中国でのワールドカップに対する関心度を先生は新聞のサイトで調べられたそうです。で、南京ではどうかという話しが載っていて、病院のホールにあるTVの前には人だかり。で、見ている人は病人さん・・・(-_-;) 重病でベッドから離れてはいけません!と先生からきつくお達しが出ていた人もTVの前にいたそうです(^o^; で、タクシーのおっちゃんは神風タクシーのごとく飛ばしまくってサッカーの話しに興じていたとか。大学はもちろん休講!デパートの店員さんは、お客なんか来るわけないとばかりに店の裏にあるTVをこっそり見ていた・・・で、試合が終わったあと、お酒の飲み過ぎ、暴れすぎで病人が一杯出たそうです(^o^)(^o^)おもしろーい。

 それでは、今日の単位(タンウェイ)についてのお話。単位に対して国民の期待度、意識度はどんなものかを説明してもらいました。結論から言うと、単位ができてからすでに50年は経つのですが、未だに単位に対する意識は薄れておらず、単位にとどまっている方が楽ちんという気持ちがあるようです。なぜなら、単位そのものが生活の一部にすっかりとけ込んで、単位イコール中国という形になっているからです。
で、面白いなぁと思ったのが、所属している単位によって自分の身分もほとんど決まってしまったようなもの・・・というところです。単位自体にも派閥というか、力の強弱があり、国家と近づけば近づくほど力は強いわけです。で、強いと、なかなか手に入らない切符が入手しやすくなる、とか、無理なお願いを簡単に聞いてもらえるとか、そういった構図ができてしまうわけです。
それで、袖の下・・・・なんかは当たり前!になっちゃうのですねぇ(-_-;) 恐るべし中国。

二〇〇二年五月三十号(星期四)
 今日はオープニングもなく、すぐに授業に入っていきました。今日は単位(タンウェイ)の背景について。単位形成の背景について考えます。もちろん最初に挙げられるのは、政治経済です。先週にも習ったように重工業化優先政策ですね。そして、強蓄積のメカニズムもあります。農村と都市との間でうまれる経済的利益を重工業建設への投資にまわしていきました。農村から都市へ資本を移動したために、機能できない部分を単位でまかなうというシステムがうまれてきました。つまり単位による「機能代替」です。これは、都市・社会サービス未発達の継続と単位の機能強化の同時進行を促します。そして、単位は社会経済にも関係があり、共同体(家族・宗族)原理の伝統とその代替を促しました。今までは家族内、宗族内でおこなってきた相互扶助を単位という小集団による機能代替へと移してきたわけです。ここで、先生がある資料を渡してくれました。それは、10年前の資料ですが、ある中国の先生が単位に依存する率を調べた結果だったのです。単位が包括する住民に提供するサービスには、年金給付、医療保険、文化教育、職業技術養成、調停、子女就学、住宅、文化・体育、政治思想状況調査、一人っ子政策、共産党関係組織、離婚問題、結婚・恋愛などがあります。で、約2000人にアンケートを取ったところ、離婚や結婚について単位の世話にならないといけないと思っている人は45%とか37%なんですが、他の項目はみんな80%代、90%代なんですね。こんなに住民に愛されている機関っていうのも珍しいのではないのでしょうか。私は、この数字をみて、日本でこんなに支持率の高い機関なんてあるだろうか?と考えてしまいましたね。

二〇〇二年五月二十三号(星期四)
 今日のオープニングは、昨今の瀋陽領事館の亡命者事件の中国と日本のメディアが扱った量の違いについて。中国のメディアでは新聞にしろ、新聞がだしているHPのサイトにしろ、亡命者事件のことはほんとに小さな記事として扱っているだけである。それに比べて日本のメディアは一面を使う勢いで毎日扱っている。この差はなんじゃい?ということだった。私が当たってしまったので、日本のメディアの量が多いのは外務省の不祥事がずっと続いている中での外務省バッシングの続きと答えておいた。中国側の少なさは、やはり中国のメディアは制限付きということが一番の理由とのことだった。中国のメディアは権力を批判する道具として使われることもあるが、稀らしい。やはり国家がちゃんと管理して変なことは書かないということなのだろう。それに中国にとって亡命者事件なんて日常茶飯事のことで特に大きな記事として扱うことでもないのだろう。
 そして、本題。今日は「単位(タンウェイ)の歴史」: 単位の発生は計画経済における当然として考えられるものの一つだったようです。「一五」と書いて、イーウーと読みますが、これは第一次五カ年計画のこと。あー、中学の社会で習ったなぁとかふと思ってしまいました。中学だったのかな?? ちなみに今は「十五」(シーウー)で、第十次五カ年計画だそうです。中国の近代化、産業化のための手段は重工業の発展でしたから、もちろん人手が必要になります。その人手獲得のためには環境をよくしておく必要があったのですね。これって、よく考えるととっても良い考えだなぁとか思うのですが。単位が全盛期だった時代も、最近の個人が営業をできるようになったことを含め、どんどん小規模な単位となってしまいます。

二〇〇二年五月十六号(星期四)
 今日のオープニングは先生が中国のHPで見つけた、今年の流行語ベスト10。結構おもしろいものがあった。まず第一位が「9.11」これは、説明はいらないだろう。で、次に「本・(文字化けしている人は、ここに手偏に立つと書いた漢字があることを想像してください)丹」中国語で発音すると、ベン・ラータン」あはは、ビンラディンのことなんですね。で、次は「申奥成功」オリンピック申請成功! 「入世」おれはWTO加入。 「WTO」これはそのまま。次の言葉は省略。次がワールドカップ出場、次が「QQ」これはチャット用ソフトのことだそうです。中国で流行ったチャット用ソフトなのかも。次が「反恐」(アンチ・テロ)、で、「flash」これはHP作成に欠かせないフラッシュのことですね。  と、まぁ、こんなもん。面白いサイトがありますのでご覧あれ。
http://www.people.com.cn/

 今日は単位の機能について。まず、機能にはどんなものがあるかというと、生活費、住宅、医療、教育、消費生活、余暇、福祉、交通、子女就業、行政機能の代替の10項目があります。つまり、タンウェイって「なんでもしてくれる所」なんですね。これを窮屈とは思わないのかなぁ。なんか自分の家のこととかみんなにばれているような気がするけど。中国だから、そんなことは気にしないのかな。

二〇〇二年五月九号(星期四)
 今日は上海の労働者の不安というテーマのビデオから始まりました。7分くらいのビデオから質問を考えるようにとの提示がありました。うむむ〜。それは上海の国営工場で長年働いてきた女性がリストラされるかも知れない・・・という不安を抱えた2〜3日の様子をビデオにしたものでした。結局は優秀な工員ということで何回も表彰された彼女だったからかはわかりませんが、リストラされずに今まで通りに仕事をしていけることになりました。何人かに質問をさせて、先生がわかる範囲で答えをくれるというユニークな授業をしていました。
 で、今日の本題は何かというと「単位」(タンウェイ)というものなのですが、これは大学卒業に必要な単位のことでもなければ、長さや重さを表す単位のことでもありません。中国の都市に暮らす人々を理解するのに必要な概念であり、一種の「街」のようなものです。
 中国に住んだことがないので、どんな感覚なのかわかりませんが、大学は一つの街のようだというのは良く聞きます。大学内に学舎や体育館、運動場など勉学に必要な建物はもちろんのこと、食堂やお店があって、少し離れると、先生達の宿舎があって、もちろんそれは独身寮とかじゃなくて家族も住める宿舎で、家族が簡単に買い物ができるための商店街があって、郵便局や銀行やはたまた幼稚園に小学校に中学校もある・・・てな具合です。これは、大きな工場などに見られる単位です。規模が小さくなるのは商業関係に多いそうです。なんとなくわかる気はしますね。工場って働いている人数が多いですから、街のように商店や学校を持ってもそれなりに経営していけるのでしょうね。でも、これってなんだかとっても良いシステムのような気がするんですけれど。うちの大学もそうだったらいいのに・・・とか思いますけれど、よく考えるとうちの大学の周りは結構大学が転々としていて、そのために近くに銀行や郵便局はありますし、商店もあります。で、極めつけは駅から歩いて1分ということですねーー(^o^) こんな環境のいい大学はないっす。
で、この単位という訳語の問題なのですが、なかなか良い訳語が見つからないということで、「タンウェイ」と訳すのだそうです。
授業が終わってから、先生に「英語ではどう訳しているのですか?」と聞くと、やっぱり「タンウェイ」なんだそーです(^o^; でも、Working Unit ということもあるそうです。ちょっとピッタリというわけにはいきませんね。

二〇〇二年四月二十五号 (星期四)
 今日は中国政府発行の統計年鑑から人口の移り変わりのページを見ながらの考察になりました。まずこの資料を見て感ずるところを何点か見つけて欲しいと言われ、いろいろと見てみました。5分くらい経って先生がランダムに生徒を当てて気がついた点を発表していきます。私も当てられてしまいました。で、全人口はおよそ50年のうちに3倍弱増えているのだが、都市部の人口を見た場合、2倍から3倍になる間が20年近くかかっていることを指摘してみました。結果として比重率も1970年代前後は停滞時期のように17%代から動いていません。ま、核心を少しかすったような答えだったようです。
 今日のテーマは「都市化の変換」:ざっとまとめると・・・・
1950年代の都市人口は急増期:内戦を含めた戦争からの都市復興期だったわけです。で、現在は住居の移動は憲法で禁止されているのですが、この時代は規制がなかったので、都市部への人口移動もかなりあったわけです。
1960年代の都市人口は停滞期:都市農村の分離政策が行われました。また統計上の町と県、市などの区別の仕方の違いなどから数字の変動が出てきたことも一因となりました。
1970年代の都市人口は微増期:この頃から一人っ子政策が出たようです。また文革があった時代でもありました。指導者の交代という大きな事件もありました。毛沢東から登小平になったのです。なんか毛沢東って語録をしっかり握られるくらい偉大な人だったと思っていたのですが、先生の話を聞いていたら「アホだったのか?」とちょっと思ってしまいました(^o^; 登小平は経済発展が大事とどんどん中国の経済的力をつけていくようにがんばっているようです。
1980年代の都市人口は増加期:文革の精算をする時代でもありました。文革の犠牲者達であった知青(下放知識青年)を都市部へ戻しました。改革解放政策の時代です。
1990年代の都市人口も増加期:社会主義市場経済をすすめていきます。あと田舎からの出稼ぎの人口移動が統計に反映されずに増えているのも事実です。
日本の人口は戦後から急激に増えていますが、中国の都市部人口はゆっくりゆっくり平坦な道を歩んでから徐々に増えている・・・という感じです。

二〇〇二年四月十八号 (星期四)
 先週覗いてみた授業はペケだったので、あーでもないこーでもないと頭を悩ませてたんだけど、おっと、こんなところにこんな授業があるじゃん!と見つけたのが、この授業だった。楽しみに教室に向かうと、前の授業が終わってなくて、廊下に人があふれている。次の授業(つまり、この授業)の開始時刻を知らせるチャイムが鳴っているのに、まだ延々と授業をしている。誰じゃ、この授業をやってる先生は!(`´)
 気を取り直して・・・・と。取ってよかったぁ〜と思いましたね。まず先生が良かった。懐の大きなあったかそうな先生でした。話しのところどこで出てくる年齢にヒントとなる話しを考えると、30代かなとも思うけど、んー、40代前半かも。で、授業の進め方もいいですねーー。先生の知っていることを、ずらずらと言うのではなくて、生徒はどう思うのか、どう考えるのか一緒に考えていく授業ですね。日本もそろそろ小学校時代からこういう授業をしていかないと、いつまで経っても自分の意見が言えない生徒ができちゃいます。
 今年の「中国の社会」の授業テーマは「中国の都市と農村」だそうです。で、中国を考えるのですが、決して日本人の視点で中国を見てはいけないのがポイントです。これは、日本人にありがちなケースですね。私がまだバリバリのワーキング・ウーマンだった頃、日本人ビジネスマンは日本が一番だとばかりに大手を振っていましたからね。自分の思い通りにいかないのは相手が悪いからと思うのですね。決して、その国の立場になって事を進めようとしません。で、反感を買ってしまうので上手なビジネス展開ができないわけです。
 話しがまた逸れちゃいました。で、都市と農村について考えるにあたって、日本人が都市という言葉を聞いてイメージするのは、高層ビルとか人口の多さ、大企業がたくさん進出しているとか、匿名性がある(隣近所のことを知らない)などです。しかし、中国人が考える都市というのは、そういった観点からだけではないということです。これから、そういうことを学ぶわけです。
2000年の中国の調査による人口を見ると、都市部に4億5594万人(全体の36.09%)、農村部に8億739万人(全体の63.91%)です。さて、この都市部に36%の人口が集まっていると聞いて、多いと感じるか少ないと感じるか。ほとんどの日本人なら「少ない」と思うのではないでしょうか。日本では実に7割の人が都市部に住んでいるからです。で、日本の都市部に住む人口が3割を越えた年はいつ頃かということを見ると、1945年あたりなんですね。ちょうど戦争が終わって高度成長期に向かうあたりでしょうか?そこで、この1945年の日本の4割と、2000年の中国の4割は一緒なのか?と考えるとどうなんでしょう?もちろん違います。で、また元に戻りますが、「日本の文脈で中国を考えてはいけない」ということになるわけです。いかに相対化して中国を見ていくか・・・それをしながら中国を学ぶようです。
ところどころに中国語が入るので、なんだか「なつかしぃ〜」と思いました。時間を見て中国語を勉強し続けたいものです。

==英語文献研究==
11th April 2002 (Thusday)
 要は貿易をする際の用語や流れを英語で勉強していきましょうということだ。こういうのは勉強を先にするより実地でしてから授業を受けた方が、頭にどんどん入っていくだろう。って、大学でそんなことを言っても無理か。なんとなく流れはわかっているので、基本的なことを英語で勉強するのもいいかなと思って、取ったんだけど、ひょっとしたら、同じ時間に「中国の社会」という授業があるので、そっちを取るかも。中国語の勉強、またやりたいなー。