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生徒・進路指導論

 もともと「学校心理学」という授業が名前が変わって、こんな名前になったらしい。それにしても違いが大きすぎるのではないか?と思いますけれど。先生ももともとは心理学の先生なので、困惑している状態だった。ま、だからと言って「教えられませーーん」と言うわけにいかないから教えましょう・・・ってことだろうか?(^o^;
一日目の授業の話を聞く限り、やっぱり心理学的な話しが随所にあったので、楽しめそうな授業だなとは思った。

学校日誌の感想をお寄せください(^o^)

7月11日(木)
 今日で最後の授業だった。ビデオ鑑賞だった。去年の春頃にBSで放送されたものだ。名前は何って言うのか書き留めるのを忘れてしまった。なんか本当に先生が疲れ切っていると訴えるような内容だったけど、私としては「忙しい、忙しい」という先生は絶対に要領が悪いのだと思っている。これってサラリーマン・ウーマンと一緒じゃん。企業戦士にもやたら「忙しい、忙しい」と言ってさも私は仕事をしているんですよって言いたげな人をよく見たけれど、そういう人に限って全然仕事が出来ないのだ。無駄話ばっかりして時間を潰して5時までに終われる仕事を8時や9時までやってるのだ。そういう人が90%だったと思う。この人たちは別に残業手当を当てにしているわけではない。手当が付こうと付こうまいと関係なくだらだら会社にいるのだ。
番組に出ていたある先生の所には、一家団欒の食事中にも生徒の保護者や、学校関係者から電話がかかってくる。で、楽しい食事を中断して電話に出ているのだ。私にしたら、「バッカみたい」だった。そんなことやってたら、精神的に支障が出るのは目に見えている。おかしくなって当たり前だ。留守録にしておけばいいのだ。ちゃんと電話に出るから保護者も電話していいんだと思ってしまうのだ。
私は小・中学校の先生は忙しくて大変だということを認めないわけではないが、決して先生たちのやり方があっているのに色々なことに振り回されすぎているのだという意見には反対である。
私は今、教職免許を取るためだけに学校に行ってるけれど、やっぱり学校には勤務しないだろうなぁと思う。どちらかと言えば落ちこぼれの子に個人的に教えたいと思っている。

 今日のビデオには私がレポートの課題にしたもの2つとも入っていて、なんだか得したような気分になった。レポート提出は29日だったけれど、授業の終わりにさっさと提出してきた。この授業は前期だけのものだったので、これで終了だ。
後期は10月3日からで、科目名は教育相談となる。

7月4日(木)
 この科目は前期だけの科目で、今週と来週で終わりなので、先生も突然説明がぼよ〜んと飛んで、今日は反抗と暴力についての話だった。人間の性善説、性悪説からちょっと入っていって(私は性善説に賛成したいんだけどなー)、暴力を本能、生まれつきのものと見るか?それとも環境と関係があるものと見るか。で、うまい話が、暴力・攻撃は本能ではなく反応だ・・・ということだった。うまい語呂合わせだ(^o^)
この反応は、発達的な見方(幼児期と思春期にみられる反抗期)と、環境面からくるもとの2つあるようだ。暴力と対になるものは「言葉/理性」である。なぜ起きるか?自尊心をくずすからである。
こういう生徒を目の前にしたときの方法として、ラポールの形成(感情的な安定をもってもらう関係作り。本人にやって良いことは何かを説明する。暴力をふるうのは何故かを問いかける。人から好かれる方法を一緒に勉強しようと持ちかける。)が1つ。
また、モデリング(これは前にも出てきたが、本人はわかっていない間違っていることを教えてあげる。暴力をふるうというのは、つまり「教えてくれ!」という叫びなのだという見方だ。むかついて暴力をふるってしまうのであれば、暴力以外のオプションを教えてあげる。それでうまくいけば褒めてあげる。他人にも紹介して褒めてもらう。人間は褒めてもらうと嬉しいものだ。だからますます良いことをするようになる。という図式。
もう1つは心像体験。傷ついた体験をじっくりと見つめ直す方法。なかなかつらい方法かも知れないが、すごく落ち込んでいたり、悲しかったりした、その時を後でじっくり見つめ直すとまた違った感情が出てくるらしい。あのむかついた時に何を考えたのか、そしてその感情を曲にしたり、詩にしたり、日記に書いてみたり、人に話したりするのである。
そして、もう1つは、行動リハーサルというロールプレイに似たものである。むかつく場面を人工的に作り出して、もう一度演じてみる。そしておかしいところを先生にアドバイスしてもらうのだ。違う角度から良いことをやり直して褒めてもらうと、またそうした良いことをしたくなる。これを強化というそうだ。
 先日から私の心を虜にしている本が、実はこの暴力にちょっと関係しているので、今日の授業は聞き入ってしまった。その虜になっている本とは、トリイ・ヘイデンが書いた「シーラという子」(早川書房)である。出版されてからものすごい反響で今では22カ国語に翻訳されているらしい。そして、その続編が「タイガーと呼ばれた子」である。このほかにもトリイ・ヘイデンはいろいろなケースの実話をもとにした本を書いているので、おいおい読んでいこうと思う。

6月27日(木)
 最近先生は調子が良くないらしい。私のまわりにも風邪をひいて鼻をぐしゅぐしゅしている人がいる。梅雨の寒さが風邪を誘発するみたいだ。今日は真夏日だったけどねー。
 今日はまったく13日の復習をしただけだった。

6月20日(木)
 突然の休講(T.T)

6月13日(木)
 今日は、無気力の解消法についての授業から始まった。まず、成功経験を与えるのが良いらしい。つまり達成感を味わわせるということだ。これは無気力でない人間にだって効果があると思う。で、能力がないというニュアンスの言葉を発しないように気をつけることが大切。褒めるのも、「おだて」ではなく、ほめる側が進歩を理解・認めたうえでの自然な褒め言葉が望ましい。昔の学者さんはいろいろ研究したのですねー。あえて失敗をさせたうえで、失敗原因を「努力不足」とするのです。決して能力不足としないことが効果があるとしているようです。ほんとに人間を育てるのってむずかしいこと!
あと、自分以外の人間の行動を見たり、その話を聞いたりすることによって自分の行動を変えていくモデリングという方法もあります。でも、これって見ている人間が良いことをしてくれないと、良い方向に変わっていきません。そして、なによりも大事なのは、努力したことを評価してくれる環境つくりが一番大切なのではないでしょうか。がんばって良い点を取って、「やったやん!」って言ってもらえることが何よりも嬉しいことに違いありません。
 で、次に引っ込み思案というところに入っていきます。最近は生活様式が昔と違いますから、どうしても引っ込み思案な人間が多いのではないでしょうか。それは一般にソーシャル・スキル(人付き合いの技術ですね)が未熟なせいですね。そしてこれが極端に欠けると社会的不適応になるわけです。ソーシャル・スキルには10程の定義があります。で、何か傷害が出た場合はソーシャル・スキル・トレーニングというものが必要になってきます。これには6段階あります。
第一段階は、言語的教示です。第二にモデリングです。実演やビデオによって本人が知らなかった社会を見せて、新しい行動を習得させます。すると本人は「いけないこと」だと思っていたことが実は社会では正しいことであったり、「正しい」と思っていたことが社会では「間違っている」ことを認識したりするわけです。でも、こういう人が増えてくるなんて、なんて悲しい社会なんでしょうね。第三にはロール・プレイというものがあります。そして、第四段階の強化がありますが、この強化の説明をするには時間が足りないということで、来週に引き継がれることになりました。

6月6日(木)
 今日は問題のある生徒を学校外の専門機関にゆだねる時の注意点などを聞いた。生徒の親が直接専門機関に訪れるというのは、学校不信、先生不信の場合が多いのでとにかく親の気が済むまで話しを聞いてあげるのが良いみたいだ。しかし、教師が相談に来るのはとってもやりやすいみたいだ。
ここでも、やっぱり学校−機関−親との連係プレーを密にし、スムーズにしておくべきとの注意があった。ま、そりゃそーだろうな。
で、次に無気力についての説明に入った。なんだか先生の専門である心理学的要素がたくさんあるのかして、先生の顔がいきいきしてきた。なぜ無気力になるのか?それは、何をやっても駄目という結果が生み出す場合と、何をやってもうまくいく結果が生み出す場合があるのだそうだ。後者については気が付かなかったなぁ。そんな贅沢な悩みがあるなんて信じられない!けど、今の少子化における子供はきっとそんな状態なんだろうなぁ。やっぱり、いろいろ困難なことにぶつかって、それにうち勝って「やったぁ!」という喜びを知らないと駄目だそうです。

5月30日(木)
 今日は校内の組織と連携。昨今の教育現場は色々な問題があるようです。で、先生も疲れているとか。そして問題を一人で抱え込んで悩んでいる先生も多いとか。連携の最小単位は「ホウレンソウ」。これ、良く聞きますねー。これって学校の業界言葉だったんだ。ただ、A先生の教室で問題が起きたとしても、それはA先生の性格が悪いからだとか、A先生の先生としての能力がないからだというような批判はしないでおくべきだそうです。なんだか私なんぞ、ついついやってしまいそーー(^o^;; 人の性格や能力を問題にしても解決法には結びつかないので、みんなで「何が問題なのか」を考えるのが先決だということでした。解決法には会議をするのが一般的な方法ですが、これにも色々な手順があってなかなかみんなが一致団結してやれるものなのだろうかという不安が先生の説明を聞いていてフツフツと沸いてきました。
最近保健室登校なんて言葉も流行っているそうですが、保健室のあり方、また保健室を受け入れる前に考えなければいけないことがあるようです。保健室と同じように教育相談室というのも最近の学校ではあるようですが、これも学校の先生が相談室にいるべきか、それとも外部から先生に来てもらうか・・・学校と先生との関係がいろいろとあるようです。
ほんとに、何もかもうまくいく・・・ってことはないのね〜(-_-;)
5月23日(木)
 今日は生徒理解における考え方について。ま、50分くらいの授業の中(先生が来るのは、いつも1時くらいで、それから出席を取るから20分はロスしている)で、生徒側の問題があるとすれば、それは「本人自身や周りの人間が、当人の力を信じていないことから起きている」らしい。著名な心理学者 Carl Rogers 氏は、もともと農学部出身だったのだけれど、植物のパワーを見ているうちに人間にも同じ事が言えるのではないかと気が付いたそうだ。つまり、人間だって諸条件がそろえば成長するということだ。で、3つの「人格の建設的変化の条件」を記したのだが、先生曰く、それはほとんど実行不可能だそうです(^o^; なぜならその条件というのが、1.無条件の肯定的感心: とにかく生徒の言うことを「ふん、ふん」と自分の感情、経験を無視して肯定する態度を示すのです。 2.共感的理解: 「そんなバナナ!」とか「何をアホなこと言ってるねん」とか、そんなことを思わずにとにかく生徒と共感して理解を示すのです。 3.一致、素直さ、真実さ: とにかく聞いている方は正直であるべき。
なんか、矛盾しているような気もしないではないが・・・。これらは、相づち一つでも相手の反応に対する気持ちが変わって聞こえるので、相づちとかは大切ですよーということだった。要は「満足感」を相手に与えることなんですよね。

5月16日(木)
 今日はテストについて述べたビデオを見た。・・・んだけど、ビデオに新しい人が出たり、新しい言葉が出るたびに先生が停止してコメントするので、全然ビデオを見たという感じがしなくてめちゃくちゃフラストレーションが溜まった。あんなビデオの見方は初めてだもんね。「むかつく!」
で、テストにはいろいろな種類があって、まずSATといわれる進学適性検査がある。これは認知テストと性格テストの2通りがある。この中でも有名なのはロール・シャッハ・テストだ。あのインクをポタッと落として紙を重ねて、「これ何に見える?」というやつだ。でもこれは精神医療にのみ使用される。普通の人用には、絵を何枚か用意して「これでストーリーを作ってください」というやつ。これは結構わかるそうだ。というのも、話しを作るということは自分が経験したことに依ることが多いので、今までどういう人生を歩んできたのかがわかるからだ。でも統計的処理はむずかしいらしい。あとは「木の絵を描いて」とか、「椰子の木を描いて」みたいなテストがある。ヒステリーなど精神疾患かどうかを見るテストとしては、MMPIが有名だそうだ。
 さて、今度はそのテストの歴史。まず、Francis Galton郷が、知能は遺伝と環境に依ると発表。その次に、Alfred Binetが1905年に初めて知能テストを作った。しかし、これはちょっと職業とかの種類によっては適切でないテストだと判明。次に1916年に Louis Terman が知能指数の概念を発表。知能指数とは、精神年齢を生活年齢で割って100をかけたものだ。
次に David Wechsler が個別用の知能検査を生み出した。成人用には Wais 子供用には Wisc という試験で言語性知能と動作性知能を別々に調べるものだ。これは1937年、1939年のこと。
 さて、よいテストであるための条件とは何かというと。まず、妥当性、そして信頼性、そして標準性を備えていることである。これって、去年の英語教育法でも習ったなぁ。
また、テストの結果いかんによっては自分に自己暗示をかけて、「自分は駄目な人間だ」とか「自分はよくできる人間なんだ」と思ったりして、テスト自体がよいものなのか、悪いものなのかの是非が問われることになる。
 知能検査って、もともと白人男性が作ったものが多いので、どうしても基準が白人の男性にしているものが多いそうだ。そんなの、ナンセンス!

5月9日(木)
 先週の授業で観察法の話しがありましたが、そこで先生が面白いことを言ってたのに書き忘れたので書きますが、観察法の中に自然的観察法というのがあって、その例に、容疑者と刑事が入って対話している部屋を被害者や目撃者に見せて「あれが犯人か?」とか聞く場面を挙げられました。で、心理学を勉強している人には参考として、カウンセラーとカウンセルに来ている人の話を別の部屋で聞かせるということもあったそうです。でも最近は倫理上の問題からそういうことは止めているそうですが−。で、その部屋を覗けるのは鏡のおかげだということなんですね。特殊な鏡でこちらから見えても向こうからは鏡としか見えていないのです。で、先生が言うには、「ラブホテルの鏡には気を付けなさいよ」・・・・それだけだったんですけれどね(^o^;

 さて、生徒を理解する上での、先生としての正しい姿として情報の整理をするというのがあります。自分の固定観念を知って、生徒を見たときに自分の固定観念を機軸にして見ていないか、それに気が付いたらなるべく固定観念を取り除いて生徒を見るようにしなければいけません。これは安定観の基準でもあるのです。で、反対に他人の固定観念に気が付いたときは、それをモロに言うとかなりショックを与えますので、最初はこの固定観念のために自分の首をしめて苦しんでいる相手の苦労に共感してあげるのがよいそうです。そして、「苦しいでしょう、大変でしょう・・・」と言いながら、徐々に相手の固定観念の存在を知らせていくようにするのがいいようです。そんな大層なこと、できるかしらん?
また、面接という方法もありますが、面接というのは一方通行だと考えられがちですが、実はお互いに面接しているのですね。例えば、会社の面接に行ったときに相手から面接されているだけと考えがちですが、こちらもその面接官を通して会社の雰囲気なり、状況なりをキャッチしようとしているわけなのです。
あと、テスト関係がいろいろあって、心理検査やソシオメトリックテスト、学力検査、知能検査、性格検査、心理検査などもあるのですが、先生はかなり慎重にするか素人は行ってはいけない!とはっきり言われていました。で、面白いなぁと思ったのは、こういうテストは実施する人の態度でもテスト結果が違ってくるということでした。なんか、すごく言い当てているかもしれません。テストを実施する人も訓練を受けて資格を持っている人が良いそうです。んー、奥が深いっす。

4月25日(木)
今日のテーマは「生徒理解」
生徒を理解するなんて教師として当たり前じゃんと思うのだけれど、実はそうは問屋がおろさない・・と。むずかしいのですねぇ。生徒を理解するってことは。近頃の先生は「最近の子供は理解できない」とぼやくそうですが、実はそれは「理解しようとしていない」とも言えるのですね。先生も疲れているんですよねー。で、先生も人間、ずっと同じ事をしていたら新しいことをしようと思うこともなく、従来からのやり方で生徒と接するわけです。やはり先生も方向転換する時期が必要だと思うわけです。近年の子供は大人の言うことを素直に聞く時代には住んでいませんしね。
先生は生徒が発信している信号を読みとらないといけないわけですが、まぁその信号もいろいろあります。家庭のことだったり、勉強のことだったり、異性のことだったり・・・・また子供がもつ資源 resource も見つけてやらないといけません。これは子供と教師の共同作業が一番好ましいと言えます。先生が見つけたからといって直接働きかけるのでなく、子供にそれとなく気づかせてやるのが一番いいと言えます。つまり先生は表に出たり裏から支えて黒子的役目もする必要があるわけです。
それには、観察という作業が必要となります。観察の方法にもいろいろありますが、一番良いのは「参加型観察」で、生徒と一緒になって生徒から自分を観察され、自分も生徒を観察・理解しようとするという立場にいることです。
言うのは簡単だけど、30人も40人も相手じゃ、できないよねー(-_-;)とは思います・・・・
4月18日(木)
先週の講義をもう一回おさらいをして、それから、教育相談の意義ということへ移っていった。
生徒指導と一言で言うけれど、いったいどういうことを言うのか、
1.企画・運営
2.各種の生活規律の指導
3.情報・資料の収集と整理
4.教室・家庭訪問、部活での直接指導
5.他の教師への連絡と助言
6.校外の各種機関との連絡、連携
7.そのほか、必要とsれる諸活動         となっている。
こういうのは現場にいかないと実感わかないっす。

教育相談というのは後期の授業の題名だけれども、生徒・進路指導を話すうえでぴったりと分けるわけにはいかないので今日はその話題にも触れた。
最近は、いろいろな問題が表面化してきたため、相談用に専門家が各校に一人設置されるようになったらしい。うちの学校も火曜日の午後にカウンセリングタイムなんていうのがあって、心配事があったらいらっしゃいということらしい。本当に教育というのは、難しいなぁと思うのは「生徒の個性をみつけて、生徒が納得できる仕方で将来を切り開くのを手伝ってやるのが仕事だ」なんて聞いた時に、そんなこと一人一人にできるのかなぁと疑問視してしまう。「不本意に偏差値だけで進路を決定したりすることのないように、生徒のアイデンティティー(identity)の見つけ方、確立に力を注ぐ努力をしなければいけない」・・・・とかねぇ〜(-_-;) どーなんでしょ。
4月11日(木)
参考テキストは内山喜久雄・山口正二編「実践 生徒指導・教育相談」(ナカニシヤ 1999)だそうだ。別に買わなくても良いらしいので買わないことにする。節約、節約(^o^;
生徒指導を英語にすると、何が一番ぴったし来るかというと、guidanceらしい。なるほど。
今日は、第一章の生徒指導と教育相談の第一節「生徒指導」について。
生徒指導には2側面があって、一つは治療的指導(すでにおこっている問題に対する指導)、もう一つは開発的指導(問題が起こらないように予防するもの、個性を引き出す、潜在しているものを顕在化する)があるということ。その指導の対象は全生徒であること。ついつい、問題のある生徒に目がいきがちだが、危険信号を出していない生徒もいるので、対象は全生徒であるということだ。
生徒指導の目標としては、
1.自分を伸ばしていくことを助ける。
2.人間関係(生徒と教師、生徒同士、生徒と保護者など)の改善と促進
3.明るく人間味豊かな行動の形成 : ここで、先生は「暗い」と駄目なのか?と思いますけれどねーと言われたので、「ほんとだなー」とついつい考えてしまった。中学生あたりから自分探しが始まるから、人生明るく楽しいことばかりじゃないと思う。それを無理矢理、明るく生きなさい!というのは酷じゃないのか??
4.基本的生活習慣の育成 : 先生は習慣というものについて、とても良い話しをされた。つまり、よい習慣をつけていると、余計なエネルギーを使わなくて済むということだ。つまり省エネ(^o^) 何か行動を起こすたびに「これは良いことか、悪いことか」を自問、判断するためにかかる時間を考えてみた場合、良い習慣をつけていれば判断に迷わないので物事がスムーズに運ぶということだ。また、新しい事態に対応できやすくなる。新たな習慣に切り抜けられる別の習慣が生まれるということだ。つまり、これは「人生の知恵」なのだということ。
徳のある人は、良い習慣のついた人とも言えるということだった。すごくよくわかるような気がする。

結局、生徒指導の目標とは、「自分を自分でガイダンスできる力を持ってもらうこと」だそうだ。ふむふむ。
「自分はどうしたいのか? 何を目標にしているのか?」それを考えられるようにするのだ。って、こんなのもう人生の折り返し地点にいる私でも、なかなかすぐに答えが出ないんですけれど・・・・(^^ゞ