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英語学概論


18th July 2003 (Friday)
 今日は補講だったんだけど、ずる休みを一回してるし(^o^ゞ がんばって補講に出た。出てよかったと思える授業の内容だった。おもしろいこととかなるほどと思ったことだけを羅列してみると・・・

日本では大学をUniversity とすぐ言いたがるが、アメリカでもイギリスでもUniversityは使わない。英作文でも、Colledgeを使いなさいと注意される。注意されるから、あーそーなのか・・・と思うだけだったけれど、イギリスで名門中の名門といわれている、Oxford とかCambridgeは、やっぱりColledgeで、それらが連合したものを、Universityと言うのだ。この名門校であるColledgeには、生徒の寮はもちろんのこと、先生も住み込みで、寝食を共にしているのだ。ちょっと日本の大学とは違ったところだ。
Oxford と Cambridge を合わせて、Oxbridge という名称があることも知った。おもしろいなぁ(^o^) この2校は、いわゆるジェンリー層のボンボンが行く学校で、ジェントリ階級の人しか行けなかった。ので、ジェレミー・ベンサムらが、Oxbridgeの排他性、閉鎖性を非難して、非国教徒が入学できるUniversal Colledge(UCL)
をロンドンに設立した。この大学に行った日本人は、伊藤博文さんら長州藩の5人(チョーシュー・ファイブと呼ばれていたそうだ。おもしろいネーミング!)とか、文部省在外研究員として夏目漱石が留学しているそうです。

で、もう一つの「そーだったのか」は、産業革命で「世界の工場」といわれていたイギリスが、なぜ発展を止めてしまったのか・・その理由なのだ。これは、知っておいた方がいいかも。
ジェントリー層と低俗な労働者階級に挟まれていた、中途半端な存在の中産階級人達が、なにくそ・・・とがんばったのが、製造生産だったのだが、自分たちも段々と金持ちになっていくと、やっぱりジェントリー層の生活がうらやましくて仕方がなかったのだ。自分たちは汗水垂らしてがんばって、大きな財産を築いているが、なんだ、あのジェントリー層は・・・!不労収入で食べていって何も生み出してないじゃないか!とバカにしていたのだが、心の中では、ジェントリー層の生活すべてが自分たちもマネをしたいことだったのだ。で、金持ちが増えるに従って、自分たちもジェントリー層がやっているように、田舎の広大な土地や屋敷を購入して地主になって、不労収入を得、自分の子弟達を、ジェントリー層が行く学校に入れ・・・という贅沢をしはじめたわけなのだ。すると、どんどん製造生産していた人たちが田舎にひっこんでしまったために、産業が段々衰え、やがてイギリスは「イギリス病」(産業不振)にかかって、よろよろになってしまった・・・ということなのだ。
昔、中学だか、高校だかで産業革命で大成功したイギリスが、どうして沈没しちゃったのか、その理由は教えてもらえなかったような気がする。今、その謎は解けたのであったぁ〜(^o^)

先生が、補講なのに出席いただいてありがとうございましたと丁寧に挨拶されるので、ちょっと恐縮してしまった。しかし、補講でもなかなかの生徒が集まっていたので、びっくりした。
今日で、前期の授業は終了しました。また、後期10月3日まで・・・・しばし、おさらば。

11th July 2003 (Friday)
 先週を休んでしまったので、ちょっと合理的娯楽というの説明が抜けているけれど、なぜ合理的娯楽が広まったのかという話から入っていった。それは、ジェントル層と下級層にはさまれた中産階級の人達が奮闘した結果だったのだ。だから17C頃の中産階級によるイギリスの変化というのはかなりのものがある。ピューリタン革命や、アメリカへのビルグリム・ファーザーズ達の逃避や、選挙j改正法やら、本当に彼らの奮闘した結果がたくさんあるのだ。

4th July 2003 (Friday)
 教育実習に行く前は、救貧法をやってたんだけど、実習から帰って来たら、重商主義の話になっていた。ま、この話も聞いてる分にはおもしろいんだけど、なかなかここで復習する時間がみつからない。おまけに、レポートは救貧法か重商主義かどちらかを選択して書いてこいというので、やっぱ、救貧法しかないっしょ・・・ということで、書き上げてしまった。その安心感もあって、今日はずる休み(^o^;
6th June 2003 (Friday)
教育実習のため公休
30th May 2003 (Friday)
教育実習のため公休
23th May 2003 (Friday)
教育実習のため公休
16th May 2003 (Friday)
 今日は2日に習ったことを延々と復習されておりました。ノートを取る手間が省けたけどね(^o^ゞ 1週間抜けたから、記憶を呼び起こしてくれてたのかな。
先々週は友愛協会の話で終わりましたが、1700年に発生した協会は1800年には7000の組織ができていました。驚異的ですね。これは、当時のイギリスにおける産業革命によって工業化がすすみ、農村から都市へ農民が労働者として働きに出てきたことが大きな原因です。農村にいれば昔からの共同体がしっかりできていますが、都会には見知らぬ人たちばかりが集まっています。ですから、心が寂しかったのでしょうね。よって、友愛協会というのは都市における疑似共同体と言えます。
そして、とても大事なことは、この友愛協会は、「自助」の精神を体現しているものと言えるのです。イギリスではとても大切な精神です。つまり、自助=自立ということですね。当時、サミュエル・スマイルズが書いた『自助論』はイギリスでベスト・セラーとなりました。1859年に出版されたのですが、これはすぐに日本でも訳されて(中村正直さんが訳しました)出版されました。その時の本の名前は『西国立志論』といいます。
1793年には友愛協会法ができました。これは協会に法的資格を与えるものです。「自助」とはやっぱりプロテスタントの教義なんですね。聖書にも『天は自らの助く者を助く』という言葉があります。
さて、1601年にできた救貧法ですが、1795年にスピーナムランド制という制度ができたために、救貧支出がものすごい額になってしまったため、(1785年には200万ポンドだったのが、1812年には800万ポンドになってしまっていました。)1834年に救貧法改正が行われました。そこで、今までの救貧法は「旧救貧法」、改正後は「新救貧法」という名前に変更されます。


9th May 2003 (Friday)
 今日は先生の都合で休講です。

2nd May 2003 (Friday)
 この授業を受けるのは、とっても苦痛。なんせ教室が狭い。おまけにゼミの後で、いつも先生と何か打ち合わせかなにかで遅れることになるので、席の確保がむずかしいのだ。今回はゼミで一緒の3年生に頼んでおいた。
今日も救貧法についての話だった。救貧法をめぐって、いろいろなことが起こったんだけど、だんだんプロテスタント的な考えが発達してきて「貧しい=怠け者」になってしまいます。で、怠け者のためになぜお金を恵んでやらないといけないのだという風潮になってきて、どんどんイギリスでは富に対する考え方が変わってきたわけです。人口が増えると同時に貧困な人達も増えてきて、収容所に入れてあげることができなくなります。で、収容所には入れられないけどお金だけは補助してあげましょうということで、院外救貧が復活します。しかし、この院外救貧に100%依存されては困るので、友愛協会というものが自然発生します。これは自助組織で、会員を募ってお金を出し合い、プールしておき、会員の誰かが困ったらプールしたお金から貸してあげたり、補助したりしてあげるわけです。なんかCo-opのことじゃないの?とか思ってしまいましたが、先生に質問はしませんでした。
1782年にギルバート法が成立しましたが、ギルバート法の本質は、この「自助の精神を育成していこう」というところだったのです。


25th April 2003 (Friday)
 ゼミのあと先生に質問してたせいで、先生がもう来ていらして席も満杯。座る所を探すのに一苦労だった。こんなに人が集まると先生も嬉しいだろうね。
今週はイギリスで1601年からあった「救貧法」が1946年になくなっちゃったという話だった。なぜなくなったのか・・・という説明が、歴史を語らなければできないということで、まるまる1時間半は歴史の話になった。けど、とーーーーっても面白かった。知らないことを教えてもらうのって本当に楽しい。
イギリスは福祉国家です。「ゆりかごから墓場まで」という言葉は有名ですよね。これは、ベヴァリッジという人が報告書に書いた言葉で福祉国家の全体像を表しているといえましょう。福祉国家の基本は、社会保険と生活扶助と完全雇用です。これは第二次世界大戦が終わった1946年に制定、1948年に施行されたのですが、その陰で消えていった法律が、救貧法だったのです。この法律はなんと350年も続きました。
そもそも救貧というのは、当時のカトリックの教義である「慈善」でありました。チャリティーですね。この慈善事業は誰がやっていたかというと、修道院だったのです。当時の修道院は大小あわせて800ほどあり、イングランドの土地の1/4も所有していたのです。大金持ちですねー。この修道院は、後のヨーロッパのホテルやレストランの起源(ホスピタリティー)ともなっています。
慈善をしていた修道院も、ヘンリー8世のおばかさんによって潰される時がきます。ヘンリー8世は世継ぎが生まれないと言っては結婚した女性と離婚しては、新しい奥さんを娶っていました。でも当時は結婚や離婚はローマカトリックのローマ教皇からの許しをもらえないとできなかったのです。うっとうしくなったヘンリー8世は「えーい、しゃらくせい!」とばかりに、ローマカトリック教会から手を切り、「国王至上法」なるものを作り、イギリス国王が一番偉いんじゃーっと言います。
イギリス国王というのは昔から貧乏で、お金が欲しいヘンリー8世は修道院が良いお金になることに目を付け、修道院解散法なんちゅう法律も作ってしまいます。そして、修道院が保持していた土地や財産を没収してしまうのです。なんてひどい奴なのでしょうか。そして、貧民を助ける修道院がなくなったことで、救済する人がいなくなり、これを国家が肩代わりしなきゃということになったのです。これを作ったのは、ヘンリー8世と二人目の奥さんのアン・ブリンとの間に生まれたエリザベスです。のちのエリザベス一世で、彼女は生涯独身だったのですよねー。
来週の授業も楽しみですねー(^o^)


18th April 2003
 次の英語学概論が休講なので、X限に英米文学講義を聴きに行ってしまった。で、家に帰ってからよく見ると、英米地誌は絶対に取らなくてはいけない授業だったのが判明して、(゜◇゜)ガーンの世界だった。実は、ちょっとすでにこの授業がイヤになってきてたりする。なんでかなーと思ったら教室のせいだった。私はこじんまりした教室で講義を聴くのが好きなので、大教室での授業はいやなのだー。でも、そんなこと言ってられないなー。あー、はやくも2回目で欠席になってしまったー(T_T)
11th April 2003
 さっそく授業開始だ。今年の英米地誌のテーマは「第二次世界大戦後の英国」だそうだ。今日の授業は、英国と呼ばれる地域の歴史と名称、なぜ英国の国旗はあんな模様になったのか、そして、英国が植民地としていた国々と結ぶ
commonwealth というつながりについての説明があった。