| 月曜日 | 火曜日 | 水曜日 | 木曜日 | 金曜日 | 集中講義 | |
| 学部X限 15:55〜17:25 (最終授業日) |
英語学特殊講義a |
(前期)教育原理 (後期)教育方法論 |
(前期)教育心理学 | TOPに戻る | ||
| T限 17:30〜19:00 (最終授業日) |
英語UB作文 |
英語教育法 | 英語UB会話 |
中国語UA(2) |
英語UB講読(1) |
(夏休み) 教育課程論 |
| U限 19:20〜20:50 (最終授業日) |
英語UB講読(2) |
中国語UA(1) |
英語UB講読(3) |
米国の社会 |
情報科学概論 |
| 先生は1年の教育概論でお世話になった熱血先生だ。とっても教育学に熱心で先生という仕事を誇りに思ってられる。概論の外から先生を呼んでの講義スタイルはとっても好評だったので、この先生の株も上がった感じ。 さてさて、今年はどんなお話が聞けるかな。 |
| 1st October 2001 (Monday) 前期だけの授業だったので、教務課に単位が取れたかどうかの発表をみたら、ちゃんと名前があった。よかった。 |
| 12th July 2001 (Thusday) 今日は先々週が期限だったレポートの結果報告をしてもらった。特に多かった課題や特に熱心に調べてきていた人の紹介などをして、その中でも特に先生がすばらしいと思われたレポートの紹介として2つのレポートを書いた人が発表していた。びっくりしたんだけど、みんなすっご〜い熱心なんだねーー。私は1200字とか言われると、その通りにしちゃうのだけれど今日発表していた人は文献も一緒に添付していたからかもしれないが、何ページにも渡ったレポートを提出していたみたいだ。うーーん、ちょっと反省。でもなー、なんか興味のないものにレポートは書けないしなーー(-_-;) 今日のスピーチは在日韓国人で、朝鮮学校で先生をしているハンサム・ボーイだった。言いたいことがたくさんありすぎたみたいで、もひとつ何を言わんとしてるかがわかりにくかったけれど、朝鮮学校でもいじめとか不登校ってあるのか聞いてみたかったな。 今日でこの授業も終了。去年と同じく四つ葉のクローバーをつけて、今まで提出したレポートなどを返してくださった。ほんとにマメな先生です(^-^) |
| 5th July 2001 (Thusday) 風邪のおかげで気力をなくしているため、授業に行く気がしないのを渋々行ったので遅刻して行った。けど、授業は始まったばっかりだった。不登校についてレポートを出した人がいたのか不登校生の話をしていた。細かいことは抜きにして、鳥取県が一番不登校生の比率が多いそうだ。なんでなんだろー??大学にも不登校生っているらしい。急に人の目が気になったりしちゃうのかな。人間の心は測り知り得ないものがあるけれど、これも世の中がおかしくなってきていることを裏付けるものなのだろう。だって昔は学校は楽しくて夏休みとか長期休みになると友達に会えないからつまらなかったりしてたのになぁ〜。 今日は院内学級について。私は自分の進みたい道を時々忘れて途方にくれることがあるんだけれど、今日の授業に出ていて良かったと思ってしまった。そうそう、私は院内学級とか、養護学級とか、隠れた存在の学校で何かの助けになれたら・・・と思っていたのだった。その中で院内学級なんて働いてみたい所だなぁと思ってしまうのだ。今不登校生達が来ているセンターで先生の代理みたいなことをしているけれど、これはこれで子どもを観察する時が持てるので有意義な時間だと思っている。 障害児というのは分類すると、視覚障害、聴覚障害、精神薄弱(精神遅滞)、肢体不自由、病弱虚弱、言語障害、情緒障害などが挙げられ、院内学級は、この病弱虚弱の子どもたちが受ける授業のことだ。正式名は病弱身体虚弱特殊学級というそうだ。この子たちは、1ヶ月から6ヶ月未満の入院治療を必要とする子たちだ。 院内学級なんてすぐ出来るものだろうと思ってしまいがちなのだが、病院と教育委員会と親との三竦み(さんすくみ)構造が一致しないとなかなか実現しないものだそうだ。三竦みって一体なんだろうと思って国語辞典を調べると、「蛇はなめくじを、なめくじは蛙を、蛙は蛇を恐れるということ。転じて三者が互いに牽制しあって、身動きできない状態。」だそうだ。 病院とはもともと病気を治療する場所であって、経営が重要であり、学校であるべきではない。また死に一歩ずつ近づいている子どもたちのために授業をさせるための空間を与えるくらいならば、ベッドを入れて患者を確保したいはずだ。だから病院は学級作りに非常に消極的、また教育委員会は学級を作るために最低教師一人に年間500万円の予算を必要とするのだけれども、学級を作ったところで毎年生徒がいるとは限らないという現状にあってしまう。よって病院にも強く「学級を作りましょう!」と言えない。親は絶対に学級を作ってほしいけれども、運動を続けるための時間が子どもの看病などに当てられてしまってなかなか出来ない。この3つの弱点が互いに作用してしまって、前になかなか進まないという状況のようだ。 しかし、院内学級を作って生徒が悪くなってしまったという例はないそうだ。自分の病室から学級まで数メートルしか離れていないのに、ちゃんと制服に着替えて登校してくるそうだ。これで単調な病院生活から解放されるのであろう。生活のメリハリをつけることによって生きる意欲が湧くということだ。 心の病で学校に行けない子がいる。でも身体的な理由で学校に行けない子がいるとわかったら、ちょっとは自分がわがままであるとか気付かないかなとか思ってしまうのだけれども、これって見当違いなんだろうか。 今日のスピーチは看護婦をしながら外大のU部生で英語を学んでいる人だった。さすがに社会人から大学に戻った人だけあって話の内容は全部頷けるものだった。がんばって勉学してほしいと思った。 |
| 21st June 2001 (Thusday) 今日は江戸時代の教育について。 昔から教育の場というと、学校と地域と家庭が三角形を作っていたのですが、1980年の高度成長期のあと学校と家庭との線がくずれてしまいました。家庭から見ると学校そのものが問題の発生源とみなしているありさまです。反対に学校と地域をつなぐ強いつながりを求めることになり、それの手段として平成12年4月より始まった「学校評議会」というものができました。先生から調べておくように言われましたが、学校を評価するものなのでしょうか? でぇ、この学校と地域とが密着していたものが、江戸時代の寺子屋だったわけです。寺子屋は自然発生的で17世紀から18世紀に爆発的に増えました。先生は、農民の中でも教養のある人、お坊さん、神主さん、お医者さんなどでした。女性もいたそうです。 寺子屋と学校の大きな違いは、寺子屋では個別授業であったということです。今の学校のように黒板などはありませんでした。ちなみに黒板って明治5年に学校制度ができてからのものだそうです。何を教えてもらっていたかというと、庶民が生活に困らない程度の読み書き、そろばんなどでした。一対一なので、学科ごとということではなく全般的なものを教えてもらっていたようです。このため教育は一生続く・・・という概念でした。 さて、この寺子屋での教育は一生続くということでしたが、とても面白い現象がありました。「筆子塚」です。これは先生のために生徒が建てたお墓のことを言います。だいたい5人にひとつの割合でお墓を建てたそうです。で、供養する人がいなくなってはいけないので、筆子(生徒)の家系が先生の供養を代々引き継ぐことまでしています。なんて素敵な話なのでしょう!これを永代供養といいます この筆子塚を研究している高校の社会の先生を取材した20年前のニュースステーションの録画を見せてもらいました。久米宏の若いこと! ビデオの先生は50歳前後って感じでしたが、今はどうされているのでしょう? こんな筆子塚のようなロマンティックな話が戻ってくるような平和な日本に戻るといいのですけれど・・・ |
| 14th June 2001 (Thusday) 今日ふとハンドアウトを見ていたら、先週の授業はフレーベルの話だったみたいだ。題目は「なぜ彼は幼稚園を作ったのか」だって。どんな話だったんだろう。 で、今日は子育てと子殺しについて。1960年まで動物には子殺しはないと言われていたそうなんだが、1961年にインドの特殊な猿を研究していた日本人が動物にも子殺しがあると発表したそうだ。当時は誰にも相手にされなかったらしいけれど、今では高く評価されているようだ。そのあと鳥にも子殺しがあるとか。ま、これは動物のメカニズムのためであって、決して意図するものがあるわけでもなさそうだ。 人間の子殺しは、宗教的な理由であったり、経済的なものが多い。人間の場合7歳までの子をしなせてしまうなら神なので許せるみたいな話もあった。 なんか、教育原理とどういう関係なんでしょ? |
| 7th June 2001 (Thursday) 今日は自主休講しちゃいました(^o^; |
| 31st May 2001 (Thursday) まず最初に今年の神戸市の教員募集事項の簡単な説明があった。朗報というべきかな。募集人員が去年より大幅に増えているのだ。例えば去年は小学校が90人だったところが260人、中学校が60人から110人だって。高校はあまり変わってないらしい。まぁ、教壇に立つことはないと思うんだけれども枠が広がったって聞くことは嬉しいことだよね。これは2001年が第7次公立小中学校改造計画年ということもあるらしい。 今日はペスタロッチーについて。彼は1746-1827年の人でルソーの影響をかなり受けている人なので、やっぱりホントの人間らしさを求めているような感じだ。彼の有名な著作には「隠者の夕暮れ」、「シュウタンツ便り」がある。後者は孤児院を開設したあとに書かれた本で、なかなか興味深いものがあった。また買って読まなくちゃね。 先週からルソーの「人間不平等起源論」をちょろちょろと読んでいるんだけど、なかなか進まないのが現実。2行くらい読んでると眠くなってしまう(^^;) 宮城まりこって知ってる人は、きっと十の位が同じ歳の人だと思うけど、宮城まりこさんはペスタロッチーの崇拝者だそうだ。今日、宮城まりこさんの名前を久しぶりに聞いて、「あっ」って思った。教壇には立たないけど、きっと同じことができるかも知れないなんて思ってしまったのだ。 私はやっぱり弱者のために仕事がしたいと思う。 今日のスピーチは「熱い先生はだめなのか?」だったけど、なんだかなーだった。自分で経験したことをスピーチするのと、理想をスピーチするのでは、感じる度合いが全然違う。メディアから拾ってきたようなことが、たくさんスピーチの中にあって、かなりウソくさい内容だった。それに熱い先生とか熱血先生なんて、TVドラマが作った言葉であって、熱く燃えている先生なんか先生から好かれるわけがない。黙っていても、自分のことを見てくれている先生、それが熱い先生だ。 |
| 24th May 2001 (Thusday) 今日は5月24日なんだけど、今月はとてもゆっくり進んでいるような気がする。いいことなのかな?悪いことなのかな? 今日はルソーという人物について。よく聞く名前なんだけど、いったい何をした人?って感じ。ちなみにBookshelfで調べると、『(Jean-Jacques Rousseau ジャン=ジャック―)フランスの啓蒙思想家。理性に対して感情の優位を主張し、人為的な文明社会における人間の堕落をつき、自然に帰ることを説いた。「人間不平等起原論」「社会契約論」で人民主権を説いて大革命の原理を打ち出し、「新エロイーズ」で情熱の解放をうたってロマン主義の源流をつくり出し、「エミール」で自然に即した人間像を示し、「懺悔録」で自己を赤裸々に語った。(一七一二〜七八)』となっている。 近代教育については国内外を含めて、たくさんの人(エラスムス、コメニウム、ルソー、ペスタロッチ、フルーベル、ヘルバイト、エレン・ケイ、モンテッソーリー、デューイ、倉橋惣三、遠山啓、イタール、コルチャック、セガンなど)が文献を残したりしている。ルソーのそのうちの一人だが、みんなに共通しているのは、「子供の興味や関心、子供の自己活動、そこに子供の発達の独自の価値を認めた」ということです。そして、それを認めるだけでなく、人間固有の権利も主張して、子供の発達の保障と実現の場としての学校を提供するということです。実現の場というのは、公教育です。この人たちのことを研究するわけは、学校教育の原点に戻るためなのです。 で、ルソーなのですが、彼は生まれて10日で母親を亡くします。自分が生まれたために母親が死んでしまったという経験や母親のいない多感な幼少期の経験から彼はたくさんの文献を残したような気がします。「学問芸術論」(1749)学問と芸術は人間を幸せにしなかったというもの。「人間不平等起源論」(1755)人間の不平等はなぜ起きたかを解いている。人間の底にお金、地位、名誉を望む心があるからだとしています。人間は本来の自分を見失っている、だから「自然に帰れ」と言ったわけです。この自然というのは山とか海という意味ではありません。他に「消極教育」欲望の深い人間の中に子供を入れるなと言っています。そして「エミール」「社会契約論」などを書きました。 300年前に書いた人の文章が、そのまま現代の日本に言ってあげたい・・・これは偶然なのでしょうか。それとも、やはり人間はいつの時代も欲望にとりつかれている動物でしかないのでしょうか。 「エミール」の抜粋分を書いたプリントが配られて、それを読んだ感想を書かされたのですが、とっても興味が湧いたので今週末にさっそく本を買って読んでみようと思います。エミールは当時は衝撃的な内容だったので発禁になったそうです。 今日のスピーチはアメリカ・ボストンで7ヶ月の留学を体験した人でした。今日のスピーチはとても引き込まれました。話もまとまっていたし、楽しいお話でした。お仕事として向こうの小学校と中学校で先生のアシスタントをボランティアでされたそうです。刑務所帰りの少年などもいて、はらはらどきどきの生活の様子を聞かせてもらいました。彼女はこの経験から先生になろうと教職を取り始めたそうです。まさに人生を変えてしまった出来事だったのですね。 |
| 17th May 2001 (Thusday) うむーー(-_-;) 今日は何を習ったのかさっぱりわからん(^o^; 子供が発達するうえで教師として大切なこと??だっけか??講義を聴きながら、先週の教育心理学で発達心理学っていうのを習ったばっかりだったのを思い出した。やっぱり子供には子供にあわせた教育が必要ってことかな。80年前にインドで見つかった狼少女の話が引き合いに出されていた。狼に育てられた少女も7年後にはかなり人間らしい表情を見せるようになって、妹を亡くした時は1粒の涙だったのが、7年後に自分だけ部屋に置いておかれて、みんなが買い物に外出したときは大泣きしたという話題などがあがっていた。泣くことって人間らしいこととして挙げられることなのかな。私は動物も泣くと思ってたんだけど(^-^) でもやっぱり寿命は短くて、妹は2歳で亡くなっているし、姉の方は17歳くらいで亡くなったようだ。 でもね、狼が人間を育てたという事実を考えたら、狼少女が見つかったという事実よりすごいと思うんですけれどねぇ。ひょっとしたら小さい子なんだから、エサにもできたはずなのに育てたんだよ!? そこがすごいと思うけどなぁ。 で、恒例の生徒による発表会が残り30分であったんだけど、テーマは「好き・嫌い」な教師の分岐点だったんだけど、今日の人も何だか的を得ない発表だった。ま、ひとつ印象に残ったのは、「生徒のために何ができるかを考えられる先生」ってことだった。教師の原点だと思うけど、これってなかなかできることじゃないよね。 |
| 10th May 2001 (Thusday) ある授業には感心したり、ある授業にはなんとなくがっかりさせられたり・・・。そんな授業です。 今日はなぜか「人間らしさとは?」の続きがあって、(予定外だそうです)先生がみんなから集めた人間らしさを表す行動を、多かった順位に並べていったら、なんだか頭が混乱してきたと言われます。で、その理由を聞いていると、「なんだかなー」でした。この先生は、あんまり物事を素直に取らない人ですね。いつも側面から物を考えるタイプ。ま、そういう面も必要なのでしょうけれど、「おいおい、それは違うでしょーが」と言いたくなる時が時々あります。 で、今日出た質問が「先生を辞めるときに生徒の前で挨拶をするとしたら、どんな言葉をかけるか」でした。私はなんとなく、みんなは(若いですからね)、激励の言葉をかけるだろうと思いました。私は違いますよー(^o^; 「ありがとうございました。みなさんのおかげで私も成長することができました」ですからね。こんな言葉、私の歳じゃないと出てこないよねーーー。あはは(^o^) で、次に先生にピックアップされた人が15分ほど自分が会った素晴らしい先生のお話をしてくれたのですが、準備不足なのか話がまとまっていなかったので、何が言いたいのかわからなかった。 先生は「すごく大事なことを2つほど言っていた」とか言いますけど、「ふーーん、そうかいな」って感じ。で、そのスピーチに対して感想を書いて授業は終了ってことになったのですが、私は「先生が指摘されたようなことは、何一つ感じられませんでした。発表すると事前にわかっていたのであれば、準備不足だったようですね」と書いてやった。なんて私は意地悪おばさんなんだろう。 |
| 26th Apr. 2001 (Thusday) 先生は随所随所で自分に対する自信のなさを口にする。聞いていてあんまり感心しない。ま、それが手のうちなら別にいいんだけど。それに、そこに気がつく学生もたぶん皆無だろう。 今日は「人間らしさ」について。地下牢に何年も閉じこめられていたような少年が発見され、教育によって言語も習得し外見は人間のようだが、学者の間で「彼はやはり人間ではない」という議論が発生。それに対して「いや、彼は人間である」ということを証明するための事例をあげるとしたら、どんなことがあるか?という質問から始まった。ほとんどは「笑った」「他人に親切にした」とかそういう類がでていた。けど、動物も笑うし、チンパンジーなんか優しさとかわかるしな。私は「困ったときに宗教に頼ろうとした」にした。宗教なんて人間が作り出したものだからなぁ。これは絶対に他の動物の世界にはないもんだもん。あはは。 このクラスは学部のクラスなので、総勢100人はいるみたいだけど、全員に前に出て黒板に書かせるっていうのは面白い授業だなと思った。でも、なんとなく私は先生の「答え」には賛成できない。 あ、あと「うそをつくのは良いことか、悪いことか」という疑問があった。100%の人間が「悪いことではない」と答えるらしい。私は絶対に「悪いこと」だと思う。 |
| 19th Apr. 2001 (Thusday) 今日は教育研究の領域についての解説。教育というものには「正解」がありません。それをわかりやすく説明してくれたのが、医者と学校の先生の違いでした。 「教師は生徒の前で立ち往生する能力を持つことも必要だ」について同感か異議ありかを問われました。これはそういうことも必要である。立ち往生する自分とどう向き合うかは教師として必要だということでした。なぜなら教師という仕事は知識の切り売りをしているわけではないからです。 それでは、「医者は患者の前で立ち往生する能力を持つことも必要だ」と言われた場合、どうでしょうか。これじゃぁ、今流行の医療ミスにつながるようなことですよね。医者はすぱっと言ってしまえば「マニュアルを持っている」、でも教師はマニュアルを持っていないということです。 同じ先生と呼ばれる職業ではありますが、「知識」の違いについて、いろいろと考えさせられることがありました。 ちょっと余談ですが、校門はなぜ出来たのかという話を聞いたのでここに書き留めておきます。 まだ寺子屋が学校だった時代から今の学校というものに移る仮定で、学校を卒業して国民となり、その頂点に天皇がいて子供は「天皇の子」と呼ばれていました。よってかなり特別な場所として区別するために塀ができ、そして校門となったのだそうです。 今日は大きなレポートの課題が出た。「教育に関する具体的領域(キーワード)を設定し、それについて譲歩を収集・整理してコメントを加えて報告する」というもの。 今朝のNHKのニュースでちょうど企業から来た校長先生というのがあったので、それについてレポートをまとめようかなと思う。提出期限は6月28日(木) キーワードの提出は来週4月27日(木曜日)! |
| 12th Apr. 2001 (Thusday) 教育概論の1日目の授業でも教わった教育免許を取るために受講しなければならない科目の一覧をおさらいした。とにかく多い。59単位を取らないといけないのだ。それも2000年度に大学に入学した者から適用なのだ。うーーーん、1年早く入学してたらよかったかも(^^ゞ でも、勉強は勉強。たくさん勉強しなければいけないって逆に考えたら、とてもラッキーな気がする。人生を生きている間に勉強して習得できることなんて、ほんとに少ししかないんだから。 今日は第一日目の授業だったので、教育原理の説明と最後に教育についての自分の意見をまとめて提出して終わった。 教育原理の講義テーマは「教えられる側から教える側への態度変更」−目線を変える。つまり自分だったらどうするかをいつも気にしてみよって感じかな。 5月には、狼に育てられた少女が残したメッセージという内容の講義もある。んー、この授業もなかなか奥が深そうだ。 そうそう、1月に見学に行った不登校生達が集まる学校へのボランティア先生に応募したら受付してもらえたようで、5月に説明会を行うので来てくださいということだった。まさか自分がこういったボランティアに参加するとは思わなかったけれど、今はとても嬉しいし楽しみにしている。 |