ちょこちょこ出張させてもらっていると、その土地それぞれの面白さみたいなものを感じる事が出来ます。私が今いる部所は名古屋から西の小商談を担当し、人数が少ないので、私も出張に出して貰えます。昔は遠くへ行くのも楽しかったけど、今は日帰りで行ける程度の方が身軽で行けるのでほっとします。
けど、観光地に仕事で行くのは気持ち的にしんどいです。今は春休みなので、和歌山に遊びに行く人が多くって。楽しそうな親子連れを見るといいなぁと思ってしまいます。
そう言えば、今日は新大阪駅からスーパーくろしおに乗って行ったのですが、電車待ちをしていたら、京都行きの特急「はるか」が来て、この特急の車掌さんが女性でした。いつも新入社員教育時には、女性の方が改札に立っていたりするのに、その後あまり見掛ける事がないので、どうしているんだろうと思っていたんです。その車掌さんが行く時に、小さなこどもさんに手を振っている様子がとても可愛らしくていい感じでした。最近電車に乗っていて、「電車が好き」という思いを押し付けられて朝から気分が重くなる様な事がちょこちょことあったので、ああいうほのぼのとした車掌さんが増えたらなぁと思ってしまったのでした。
奈良や京都は地名が難しかったりします。奈良で「南京終町」という所があって、私はそれを「なんきんおわりまち」だと勝手に思い込んでいたら(それはやっぱり、神戸に南京街があるのが大きく影響してます)、それは「みなみきょうばてまち」だったんです。
和歌山や名古屋の年配の方と打ち合わせをしていると、しばしば言葉(方言)が分からなくなり、通訳をしてもらう事があります。今日もちょっと苦労してしまいました。ゆっくり話をしている時はいいのですが、興がのってくるともう何を言ってるんだか・・・。
加古川に「カツメシ」という料理があります。加古川ではどんな喫茶店にもある誰でも知っているメニューなんだそうですが、両隣の姫路市にも明石市にもそんなメニューはなく、私もつい最近まで知りませんでした。この「カツメシ」の詳細は
たけちゃんのHP(プロフィールのところ)からリンクされている「街かどチャチャチャ!」に載っています。3/28分にも書いた明石の「いかなごのクギ煮」ですが、クギ煮になったもので1kgが5000円で売られてました。買った事がないのでそんなに高いものだとは知りませんでした。昼網などで生のいかなごが1日に何回か分けて店頭に並んだ瞬間に、あっという間になくなり、今の時期では陳列されていません。(常に売り切れ状態)
しばらく、「明石おさかな普及協議会」を見てなかったら、「旬の魚料理」が一挙に2つも更新されていました。その中の「いかなごのクギ煮」はこの時期になると、どこの家庭でも作り出すまさに「旬の魚料理」なんです。小さな白魚くらいのいかなごが1kgパックになって店頭に出てもあっと言う間になくなってしまうほどで、1人2パックとか制限を付ける店も。好みもあるのでしょうが、私の母は小さな2cm前後位のものが柔らかくておいしいと言いますが、魚も日々成長しているので、そんなに小さいのはなかなか手に入り難いようで港に近い魚屋まで足を延ばす事もあるようです。だから、「旬の魚料理」の写真にあるいかなごは大きい様に思えました。
いかなごの横にはタッパーも売られています。つまり、出来上がったクギ煮を入れる容器も一緒に売られているのです。というのも作ったクギ煮を親戚や遠方の知り合いに送る人も多いからです。
あの小さな魚を1kgと言うのは想像出来るでしょうか?かなりの量になります。それを何kgも作るのですから、根気と気合で作っているとしか言いようがありません。。。(私はまだ作った事がありませんが)
でも作りたては特においしいです。熱いご飯とクギ煮だけでぱくぱくっと食べる事が出来ちゃいます。
出張帰りに買った「AERA」3/30日号の“現代の肖像”が「妹尾河童」さんで、思わず「きゃあ」と叫びそうになってしまいました。河童さんは舞台美術家なんですが、私はその本職としての仕事は存じ上げておりません。本も最初は手書きの文字と緻密な挿し絵がもう一つで馴染めませんでした。それが、「河童のタクアンかじり歩き」(文春文庫)で興味の向き方と追求の仕方にとりこになってしまったのでした。
河童さんの独特な手書き文字と緻密な挿し絵の本は「河童が覗いたヨーロッパ」を始めとした「河童が覗いた」シリーズ等たくさん出版されていますが、今回取り上げられていたのは初めての書き下ろし自伝的小説「少年H」の事でした。この本は去年の1月17日に出版されたもので、当時は同じ時期に「失楽園」が単行本化されており、その陰で売れないのではないかと密かに思ったりしたのですが、順調に版を重ね、今でも本屋さんの店頭で平積みされているのを見ると何だか嬉しい気分になってしまいます。(167万部のベストセラーになっているんだそうです)売れない本はすぐに本屋さんから消えてしまいますもんね。
「少年H」は神戸市長田で生まれ育った著者が過ごした戦争体験の物語です。少年のすごく正直な目で見た「大人の社会」に対する疑問の様なものがそのままの気持ちで描かれている様です。自然な神戸弁も心地よくテンポよく上下巻2冊あるのですが、一気に読めました。空襲の記述のあたりは阪神大震災の光景と重なるものがあるものの「故郷へのエール」を込めたと言うだけの事があって、明るい希望のある結びになっています。
この本の表紙絵は息子さんが描かれたもので、須磨の海岸から淡路島を望んだものです。そしてこの本には漢字には全てルビがふられています。昔の本にはそういう風にルビがふられていて、それで漢字を覚える事が出来たので、今の少年少女にも読んで欲しいという思いを込めて昔の様な本にしたとの事です。
久々にもう一回読み直してみよっと。
「明石海峡大橋」(98/3/25)
私が通っていた中学校はJR明石駅から東へ少し行った所の高台にあって、明石海峡を見下ろす場所にあります。校舎だけが高台で、運動場に降りるのも、百何段(!?)の階段を降りて行かなきゃいけない程なんです。お陰でクラブ練習の時にはその階段を活用させてもらいました(T_T)。その中学校は南側には壁がなく手すりだけの吹き抜け状態になっていて、天気のいい日にはさわやかな潮風が心地よい廊下でした。(勿論天気の悪い日は雨風が吹き込んでくるので最低です。)
そんな校舎ですから、見晴らしは抜群。授業中や休み時間でもよく見とれていました。
いろんな物が見えるのですよね。小さく見えるJR(当時は国鉄)の路線に、新型車両が走る日は大騒ぎ。
日本一の過密海峡でもある明石海峡にはそれこそいろいろな船が通過します。潜水艦が上部少しだけ出して通過した事もありました。
夏の天気のいい日には対岸の淡路島の道路を走る車のフロントガラスに反射する光を追いかける事も出来ました。
昭和61年度に事業化決定されて63年から工事が始まったとのことですから私が中学在学中に見たものは、調査用のものだったのでしょうか。対岸にポールのようなものが建てられて、あそこに橋が出来るんだと言ってた覚えがあります。
明石海峡は過密海峡であり、潮の流れの速いところでもあります。実際、海岸から数キロ沖に出るとかなりえぐれて水深が深くなっているんだそうです。そんな所に本当に橋なんて出来るんだろうかと思っていましたが(今でも不思議)、少しずつ少しずつの積み重ねで出来上がってきました。
実際に工事が始まってから、対岸の淡路島の東側はみるみる緑が少なくなり、「あぁ、道が出来ているんだなぁ」と思わせるものがありました。
逆に、橋げたの周囲は危険という事で漁業禁止区域が出来て、それがかなり続いてきたので、かなり豊かな漁場になっているのだそうです。
目に見える大橋に気を取られてますが、そこに繋がる道の建設もすごいです。
淡路側は南は島を縦断して鳴門大橋から四国へ行けます。
神戸側は日本一といわれるジャンクションを介して京阪神へは勿論、北陸道や中国自動車道、山陽道まで繋がる様になってます。
淡路島には鉄道がないので、道路だけの橋になります。(だから車でないと通れない)
明石海峡大橋が4月5日に開通します。
ふと気が付いた意外に多い(!?)「まっさんと少年隊」の共通点。
今回はその共通点を列挙してみましょう。
1.“どちらも長野五輪のテーマソングを歌っていた”
そして新曲が出るインターバルが長い(と言うか、マイペース)。とは言え、まっさんは自分で作詞作曲をしているので、少年隊よりかはインターバルが短いかな。五輪テーマソングに限って言えば、少年隊の方が印象に残るものでしたね。
2.“メディアよりもライブの方が多い”
どちらもメディア露出が少ないですねぇ。その代わりコンサートだとか舞台だとかそういうライブの方が多くて、圧倒的に面白いです。だからこそ息の長い活動を支えるファンが育つのだろうかとも思います。見ているお客さんのお行儀もいいですよね。ちゃんと座っていられる所と総立ちになる瞬間のパワーと。そういうメリハリがあると余計に一体感が感じられます。
3.“どちらも聖地を持っている”
まっさんは夏の長崎。稲佐山の野外コンサートに全国からファンが集まってきます。
少年隊は夏の青山劇場、プレゾン。どちらもファンの間では夏の代名詞にもなっていて、一度は行ってみたい聖地なんです。
4.“MCが好き(長い)”
まっさんのコンサートは歌も長いが、MCも長い(^^)。
少年隊は若干1名、MCが長い(^^)。
MCが長い事だけが原因では無いと思うのですが、コンサート、プレゾンとも充実した時間が長いんですよね。で、私はそれ(2時間以上の舞台)が普通だと思っていたので、2時間以下だと損した気分になってしまうのです。けど、普通はそれくらいの時間(1時間半くらい)が多いみたいですね。
5.“とにかく話が面白い”
上記の内容と重なっているかもしれないし、これは私だけかも思ってるかもしれないけど、持っていたイメージが変わったのがどちらもラジオだったんです。まっさんのは3/18分に書いている通りです。
少年隊は私は最初はかっちゃんのファンだったのですが、初めて生の少年隊(プレゾン)を見た時に、ニシキへの声援が大きかったのが当時何も知らなかった私には意外(ごめんなさい!!!)でした。何がきっかけだったのか忘れてしまったけど、ニシキのラジオを聞いた時に思わず笑ってしまっていて、基本的には3人一緒が一番好きなのですが、以来ニシキのファンになってしまってます。思うに、第一印象が今いちの人にはまってしまうともう抜けられないのね。
6.“お子さん”
まっさんち−男の子、女の子。
かっちゃんち−男の子、女の子。 えぇ、もうこじつけ以外の何物でもございません(^^;)。
(番外編)
3/20の「探偵ナイトスクープ!」で「どんな変わった夢、印象に残った夢を見ましたか」というテーマで調査をしていて小学生の女の子が、「ジャニーズジュニアと一緒に踊っていた夢を見た」といい、「どんな舞台で踊っとったん?」と言われて「少年隊の後ろ」と言ってました。
「少年隊」と同世代でありながら、ファンになったのは随分遅めでした。
忘れもしない大学4年の1月、卒論の締め切りに追われていました。私は共同執筆していたのですが、共同執筆でなければ留年してもいいと思う位追い込まれていました。私達のは実験ではなかったので、お互いの家で遅くまでまとめていたりしていて1月は寝不足でフラフラの状態でした。
私と4年間サークルが一緒だったRちゃんは実験が必要な学科にいて、遅くまで教室で実験を繰り返し卒論をまとめていたそうです。そこの教室ではラジオがあり、よく少年隊の「ABC」がかかっていたのだそうです。
やっとの事で卒論が出来上がり、提出後に久しぶりに会ったRちゃんはもうすっかり少年隊のとりこになっていました。そして頭がスポンジ状態になっていた私も大学を卒業する頃にはしっかりとりこになってしまっていたのでした。
大学卒業後はそれぞれ違う職場でしたから、毎日の様に囁いてくれるRちゃんの様な人もいなくなり「とりこ度」も薄れつつあったある日、Rちゃんから電話があって、どこから調べてきたのか「夏に大阪でミュージカルあるねん。行こう!」と言われ、ミュージカルそのものにはそんなに興味が無かったもののRちゃんが熱心だし、久々にRちゃんにも会えるからとミュージカルに行く事に同意したのでした。
何の予備知識も無いままフェスティバルホールに向かった88年の夏。
帰り道「What’s your name?」が頭から離れなくなってしまっていたのでした。
86年「こどもの城 青山劇場」の柿落としとして少年隊がオリジナルミュージカル公演を始めて以来毎夏続いているものです。このミュージカルの事をPLAYZONE(以下プレゾン)と言います。
88年は「カプリッチョ ―天使と悪魔の狂想曲―」で、偶然にも私達が初めてみたプレゾンは大阪では初めての公演だという事でした。
生で見た少年隊の舞台にすっかりはまってしまった私達はプレゾンを夏の恒例行事と位置づけし、皆勤を果たしているのでした。(ちなみに今年も7/12〜8/9まで青山劇場、8/15〜17の大阪フェスでの公演が決定しており、ファンクラブでは既に申し込みが始まっています。)
昨夏のプレゾンは例年になくいい席(端っこながら前から5列目!飛び散る汗までも肉眼で見る事が出来るんですよ!)で、興奮覚めやらない中で何気なくインターネットでHPを見つけてからDeepにはまってしまった私をパソコンが苦手なRちゃんは「私は付いていけない」とあきれた顔で私を見ます(^^;)。それでも今までの恩返しとばかり、インターネットから得られた情報をせっせとRちゃんに流しているこの半年です。
後輩達が活躍している中で、少年隊はテレビやラジオから遠ざかり、会社の人からは「え、まだ解散してなかったん?」と言われてしまったりするのですが、休憩約20分をはさんで約3時間弱のプレゾンで別世界で1年分の命の洗濯をして清々しい気持ちにさせて貰えたと感じさせてくれる程の舞台を見せてくれます。
私は「プロ意識」を感じさせてくれる彼らを見ていると「あぁ頑張らなきゃなぁ」と思うのであり、そしてまた今年も行ってしまうんです。
「まっさん」というのは、さだまさしの事です。
私が中学生の頃、私の友人でまっさんを好きな人が多く、音楽の授業の始めの5分間に行われるミニミニコンサート(好きな人と好きな楽器を使って、好きな歌を演奏するというもの)で「天までとどけ」とかそういうのを演奏した記憶があります。私は何となく好きではなくて「何でこんな歌を選ぶんだろう」と、結局3年間ずっと好きではありませんでした。それが変わったのは高校生になってからの事でした。何故か高校生になっても周りにはまっさんを好きだと言う友人が多く、ラジオが面白かったとかそういう話題になる事も多かったのだと思います。ラジオを聴く様になったきっかけは忘れてしまいましたが、聴いてみるとそれまでに抱いていたイメージが一掃されてしまいそのままはまり続けて今に至っています。
まっさんにはまる人の多くは、「曲」にはまる人と「歌詞」にはまる人と大きく2つに分ける事が出来ると思います。(「話」にはまる人も多いかもしれません)私はどちらかと言えば「歌詞」の方に気持ちが動く方です。いつも今位の季節になると私の好きな歌の一つである「桜散る」の歌が情景をもって頭の中に浮かんできます。愛した人が見えなくなる程の散る桜。一度は体験してみたい桜吹雪の情景です。
コンサートに出かける客層も老若男女の垣根がありません。私がびっくりしたのは会社帰りのサラリーマンのおじさん3人連れを見掛けた時でした。なんでだか不思議にほんわかとした気分になりました。
まっさんのコンサートは歌も長いけどMCが長い事でも有名で、2時間を超える事はざらにあります。最近はちょっと御無沙汰してますが、コンサートチケットも年々取りにくい状況になってきています。ファンクラブに入っても必ずしもチケットが取れるとは限らないとの事ですがそれでも取れないよりはマシかなと思うと入った方がいいのだろうかとも最近は思っています。
そのまっさんの公式HPへこのHPから見に行く事が出来ます。公式HPとは言っても、さだ企画だけで作成しているのではなく、ファンが作った優れものHPは取り込んでいるみたいです。中でもすごかったのは全曲歌詞集。五十音/アルバム検索も出来るようです。歌詞の中に出て来る「花」一覧HPというのもありました。
最近は過去に作った歌をテーマ別(「優しい気持ちになれる」とかそういうテーマだったような・・・)にCDにまとめているのが売られている様です。そういうのもいいですが、私の中で一番印象に残っているアルバムは「夢の吹く頃」でかれこれ10年位前のものです。その中の「理・不・尽」という歌を聞きながら「負けてたまるものかと」転職を決めたのでしたが、もしかしたらその時負けときゃ良かったのかもしれないと思う今日この頃(^^;)。おまけにそのしんみりとしたいい曲の前が「昨日、京・奈良、飛鳥、明後日」という冗談の様な微笑ましい曲があってなかなかお気に入りだったのです。
プログラムを組む仕事をしているものの、パソコン暦は浅くここ3年程。それまではずっとオフコンの仕事をしていました。自宅にあるパソコンは2代めDESKPOWER。1代めは会社での特別販売で購入したもの。最初は「家に帰ってまでディスプレイを見たくない」と購入するのに大変消極的だったのだが、「お徳だよ」の一言で購入決定。当時はまだWindows3.1でインターネット環境を自分で設定するのも面倒な事と当時はまだプロバイダ契約をするのにも結構な費用がかかる事で専らNIFTY専用。当初はNIFTYでの遊び方が分からず、掲示板やフォーラムを覗いてみても濃い人が多く、また先住人の中に入って行けませんでした。見てるだけでは退屈だけど、参加するにはちょっとって感じ。しばらくはメール交換(文通)も試みた事もありましたが、なかなか続かず挫折。そんなこんなでNIFTYにも見切りを付けようかみたいな頃に出会ったのがHPPS荘。
ホームパーティ(現在パティオ)でのメンバー募集している所に渡りに船とばかり参加させて頂いたのでした。このHPPS荘はテーマのないひとりごとオッケーの空間で管理人さんを始めとしたメンバーの人柄が良くて居心地のいい所です。でも特に何でも書きやすくなったのはオフ会を経験してからでしょう。通信の向こうの顔が見える事が見えない時よりももっと身近な感じがします。実はオフ会に参加したのは私は2回目からでした。1回目の時はまだ言った事がないのですが(^^;)、緊張のあまり体調を崩してしまい結局行けなかったのでした(あぁ、今だから言える事??)。でもそのオフ会に行っていつも文字だけで話をしている人達と会うと言う事は不思議な体験でした。会うのは初めてなんだけど、初めてでなくて話も盛り上がり、結局そのオフ会がきっかけで私の通信暦は今に至っていると言ってもいい位なのです。
Windows95が世間でデビューしてもビジネス上ではすぐには移行しません。しばらく様子を見てある程度安定しているのを見極めてからWindows95での仕事に取り掛かります。だからしばらくは自宅マシンがWindows3.1でも問題は無かったのですが、とうとうWindows95に変えなくちゃ家にマシンを置いている意味が半減してしまう状況に至り、でもWindows95にバージョンアップするにはディスク容量も少なく(当時540MB)、手間も面倒って事で知り合いに*万円で譲り、96年末に2代めを購入したのでした。
インターネットも出来る環境となりましたが、そんなに興味もなくたま〜にNIFTY経由で見る位でした。一度「少年隊」で検索した事もあったのですが、当時はまだ個人HPまでカバーしていなかったか、探し方が悪かったのかで到達出来なかったのでした。以来思い出す事も無かったのですが、97年夏のプレゾンの興奮さめやらない気持ちの中でふと「もっかい検索してみよう」と思い立ち、検索してみると「え、こんなにあるの!?」「何で今まで知らなかったんだろう」と思う程密度の濃い情報満載のHPがあったのでした。プレゾンに行く前に知りたかったなぁと強く思ったものでした。でもそんなに書込む事もなく、決まったHPだけにアクセスするだけでしたから、NIFTY経由でも問題なく細々とインターネットを楽しんでいました。そんな中でPostPetを教えてもらい、PostPetを使いたいばかりにプロバイダ契約をしてmomoアカウントを取得してしまったのでした。(とにかく限定版に弱い私)
ホームページを作る事に強い思い入れみたいなのはありませんでした。掲示板や少年隊情報はちゃたろ★さんとまゆなさんの所の「ETERNAL BOYS」が充実してますしね。ホームページを作るって言っても何を題材にしたらいいのか正直わからないしで、作ってみたいとは思うけど作れない・・・ともんもんとしていました。が、ここに来てNIFTYが料金改正をして標準コース(15時間使用で2,000円/月)、特例コース(50時間使用で5,000円/月)であれば、5MBまでの容量を自由に使える事、送られて来るNIFTY SERVE MAGAZINEでホームページ作成の特集をしていて、「あ、簡単!」と思った事、ふ〜さんにおしりを叩かれた事、Office97でHP作成出来る事等々で「いっちょう、やってみるかぁ」と思ったのでした。(でももしかしたら仕事が余りに忙しくてそういう事をして逃げたかったのかもしれない・・)
NIFTYのパティオにしてもHPの掲示板にしても書込んだ文章は日々流れていってしまうので、残しておきたいなと思う内容はしつこく書込む事になってしまいます。でも自分のHPがあればそこに書き留めておけばいいので迷惑をかけなくて済みます。自己満足と言えばそれまでなんですけどね。
私の今の仕事とは直接関係は無いものの、知っていて損は無いし、近々社内イントラで自部所のHPもなんとかしなくてはならないので、そういう気持ち(貧乏性)も少しはあるのでしょうね。まぁ、仕事柄多少はパソコンについて勉強はしているので、まるで分からない状態ではありませんが、かと言って目茶苦茶詳しい訳ではない私がこれからHPを作って行くのですが、どういう方向に進むのか全く予想もつかない状態です。でも他の方に迷惑だけは掛けたくないのでそれだけは心がけようと思ってます。
最近なかなか日の明るい内に帰れなかったりして、ずっと気が付かなかったのですが、JR大阪駅のホームから「阪急ファイブ」の辺りを見ると・・・「あ、あれは観覧車?あんなとこに??」という感じの建造物が。こんな街というかビルの中に?と不思議に思っていたら、13日付けの神戸新聞夕刊にその建造物に付いての記事が載っていました。
「阪急ファイブ」の建替えに伴う建設だそうで、10階建てのビルを切り込む様に回るのだそうです。乗り場がビルの7階で地上からの高さは106メートル。ゴンドラには日本初の冷暖房と最新の制振装置が付いて今秋オープンの予定だそうで、電飾を施した夜間営業もあるとの事です。なんだか仕事で嫌な事があったら逃げ込みたくなりそうですね。
「たふちゃん」というのは、大学生になって初めて先輩に付けられたものです。それまで中学高校と常に名字の呼び捨てで呼ばれていたので、新しい環境で言う事が出来るニックネームというものを持たなかった私にとってパソ通でハンドルを考えていた時に「これこれ」と安易に決めたものです。由来はそのままの意味で「タフであったから」です。
ある教育学部系サークルの大会で3日間の昼間は議事運営の手伝い、夜は当日の議事録と翌日の議事進行方針をまとめなければならない中で3日間の総睡眠時間は6時間そこそこであるにも関わらず元気にしていた私は端から見ていて異様だったのでしょう。大会途中から「たふちゃん」と呼ばれる様になっていました。
少年隊関連で使っている「じぇい」と言うのは、名前のイニシャルから取ったものです。「少年J」や滋英さんの“じえい”ではなく、単純にJからです。