夏にはあまり、いい思い出がないです。小学校低学年だった1〜3年の間は夏になると中耳炎になりプールに入れませんでした。水泳の基礎を習うこの3年間にプールに入れなかったのは「泳げない」」基礎を作るのに十分な期間でした。中耳炎が直ったかと思えば、お腹をこわしたりして、ほぼ一夏を寝て過ごした事もある。。。しばらくして丈夫になると、今度は夏期講習会だの補習だので、夏休みが潰れる事に。。。補習と言っても、全生徒絶対参加なので、それなら最初から夏休みは20日間だとしてくれてればいいものをあくまで夏休みは40日間だという事でそれなりの宿題も出ていたので大変でした。。。楽しい夏休みを満喫出来る様になったのは大学生になってから。学校にもよるのでしょうが、夏休み&春休みが1ヶ月、冬休みが1ヶ月、秋休み(前期試験休み)が2週間で、年間合わせるとほぼ半年も休みでこんなんでいいんだろうかと思った事がありました。
・虫の声
リ・リ・リ・・・と鳴くのはコオロギ????
あれっと思ったら、もう蝉は鳴いていませんでした。ツクツクホーシは鳴かなかったのになぁと思っていたら、リリリという声が聞こえてきます(鈴虫ではありません。これくらいは分かる)。早朝だとか夜だとかはもう涼しい感じがして、もわぁっとする暑さを感じる事が日々少なくなってきています。日中はまだ暑いですけどね。
・じんましん
びっくりしました。初めてではないんですが、そんなにしょっちゅう出る訳でもなくて、今回で3回目くらい。最初は虫にかまれたのか、ぶつけたのかなと思ったくらいの赤さでした。が、3〜4時間もするとその赤いところが盛り上がってきて「腫れ」になって、それがどんどんつながっていくのです。。。最初は皮膚の柔らかい所を中心に出ていましたが、一晩たつと、手指の先から足の爪先まで腫れてむずがゆい状態になってきました。。。塗り薬と飲み薬で治まりましたが、今だに原因は分からず仕舞い。体力の落ちている時には、普段何でもない事に反応したりする事があるみたいです。
・PLAYZONE
去年まで2人で寂しく(!?)プレゾンに行っていたのですが、今年はネットやオフ会を通してお知り合いになれた方が増えたので、楽しい時間を持つ事が出来ました。二人で遊んでいた時も楽しかったのですが、それが増幅される感じでした。
・ウイルス
この前26日にディスクをフォーマット(全消去)するウイルスの事を25日に知らされました。ま、自分で調べとけよと言われればそれまでなのですが、どうせニュースとかで教えてくれるなら、20日あたりからもっと余裕を持って教えて欲しかったです。回避するには、26日にパソコンを立ち上げないか、日付を変えればいいとニュースで伝えてました。ぱっと思い付く日付を変える方法は、パソコンを立ち上げてから日付を変える方法ですが、もしウイルスに感染していたら26日に立ち上げた時点でおしゃかです。なので、その前から日付を変えて、26日が過ぎたら忘れずに日付を元にもどしておかないと。。結局はウイルスチェックをかけて駆除しておかないといけないって事ですね。
またまた、やってくれました!って感じでしょうか。
夏休みに鉄道沿線で「スタンプラリー」をしているのを見かけますが、同じ様なものです。いろんなページに隠れている「スタンプ」を40個集めたら、何かいいもの(といっても、特製おやつか、お部屋か、宝物、壁紙の類だとは思うのですが)が貰えるのだそうです。
ちゃんと自分のスタンプ帳があって、「スタンプ」を集める度にスタンプ帳の所定の場所に埋まっていきます。それも一つ一つちゃんとスタンプのデザインが違います。一つのスタンプを集めると次のヒントが付いていて、それを頼りにホームページ内を探していくものです。
収集癖のある人には堪らない遊びだと思います。
ポストペットのホームページにとっても、ホームページをくまなくアクセスして「スタンプ」を集めるという事は、この機会にいろんなページを認識してもらえるという利点もあります。(ネタばれになってしまうので、あまり詳しくは書けませんが)何度も同じホームぺージにアクセスしていると、どのページにアクセスするか大体決まってきます。インデックスページを経由せずに直接「お気に入り」指定をしているかもしれませんしね。今回の「スタンプ」集めはそういうマンネリ化を防ぐ意味合いがあるんじゃないかと思います。ここに目を通して欲しいとか、ここのページを見て欲しいと思ったところに「スタンプ」を置いていれば必ずアクセスしてくれるんですもんね。
「スタンプ」だけでなく、「アイテム」も6個ほど集めないと、全ての「スタンプ」が集まらないことになっています。それが、くすっと笑える様なアイテムだったり、機能だったりするので面白いです。
ところが、予想以上に多くの人がこの「スタンプラリー」に参加した為に、SO−NETのホームページにもアクセス出来にくくなった為に、一時休止して、サーバーへの負荷が軽くなる様にシステムの調整中だそうです。
せっかく遊ぼうと思ったのにな・・・。もう今晩中での再開は無理だと思うので、もう寝ようとは思っていますが。
今年もまた「ポカ」をしてしまいました。
大阪公演初日、前から10番目くらいという比較的いい席であった気持ちの油断のせいか、オペラグラスを持っていくのを忘れてしまいました。「チケットと財布さえあればなんとかなるさ!」と非常に大きな気持ちでフェスに向かいました。でも、オペラグラスなんて必要ないくらいいい舞台でした。
悲劇は2日目。
ごたごたしながら、チケットを眺めて、オペラグラスも忘れないで!っと家を出たのでした。自宅から大阪までJR新快速で40分。友達とは大阪駅で16時に待ち合わせです。大阪駅直前で、定期を出すついでに「チケットあるかな」と冗談の積もりで鞄の中を見たら、冗談じゃあない!チケットが無い!チケットが無い!!どんなに探しても小さい鞄ですから、無いのは一目瞭然。チケットが無いんです(T_T)。そう、眺めてたチケットを鞄の中に入れてこなかったんです。呆然自失。
ここで取りに帰るべきなのか、どうしたらいいのか、私の思考回路必死です。もう大阪駅まで止まらないので、16時くらいに到着です。そこから往復の時間だけでも80分。開演は17:30ですから、往復してるだけでぎりぎりの時間。自宅に戻ったり、大阪駅からフェスに向かう時間はほとんどありません。おまけに今年はオープニングのフライングは見逃せない一幕です。とにかくフェスに向かって事務局窓口に直行しようと決断しました。
事務局窓口には、私だけではありませんでした。(良かったよぉ)そこで、名前住所等々を記入して、チケットと同じ値段のお金を預けて、空席確認の後、仮チケットを発行してくれて、無事席に付くことが出来ました。預けたお金は、10日以内に記入した書類の片割れと、もともとのチケットそのものを配達記録(80円+210円)で事務局に送れば、返送手数料を差し引かれた上で現金書留で返金してくれるという事でした。ちゃんとチケットを取っているにも関わらず、こんなヘマをしたお陰で、払わなくてもいい「返送手数料」を取られる始末。
でも何よりもショックだったのは、「プレゾン」を観に行く事が目的なのに、なんでチケットを忘れるのかなという事でした。だって、ずっと楽しみにしていて、もう目的はプレゾンだけなのに、家に忘れてくるんだもん。ほんと、情けなかったです。
書類には、座席とか書かなきゃいけません。覚えていたのと、友人の隣ってのがあったので、すぐに記入できましたが、自分の座席は覚えておかなくちゃいけませんね。あと、チケット代と同じだけの金額を預ける事になるので、それだけのお金を財布に入れておいた方がいいみたいです。会員NOを書く欄もありましたので、ファミリークラブに入っている人は会員証も持っていた方がいいでしょう。
もう、配達記録で投函しましたが、念の為にとチケットと書類のコピーを取ると、なんと!半券(入り口でもぎり取られる方)に「無効」の地模様が浮かび上がってくるではありませんか!不正防止の為のものなんでしょうが、こんな事でもなければ気づかない事柄です。(気づきたくなかったよ!)
返送手数料がどれだけさっぴかれるのか分かりませんが、これを授業料として、来年からは絶対にチケットを忘れるまいと決心した次第です。まぁ、急いで取りに帰ったとしても、タクシーを使ったり、新幹線(奥の手)を使ったりしていたら、同じ位かそれ以上の「手数料」を使ったことでしょう・・・
でも、なんか「少年隊」に関しては、自分でも信じられないくらいのポカをしています。大阪公演だと思って取ったチケットが名古屋公演だったり。なんでだろ?緊張してるのかなぁ??
震災のあった年の5月に本社機能を阪神間から移転する会社がある中、大阪から神戸に移転してきた「フェリシモ」という会社があります。この通販の商品の一つに「毎月義援金100円」というのがあるのですが、これが当初3年間と決めていた期間を3年間延長する事になった、息の長い小さな善意となっていると8月9日の神戸新聞に紹介されています。協力者は徐々に減るだろうと思っていたそうですが、今迄ほとんど変る事なく、最近になってからも初めて義援金を寄せる人もいるんだそうです。500円や1000円だと家計にひびくけれど、100円だと気軽に出来ると好評で、塵も積もれば・・・という積もり方で、この7月末で2億5000万円集まったそうです。
この義援金の使途や顧客の声、被災地の様子を伝えるニューズレターが通販商品と共に送られてくるので、どういう風に使われているのかも明確です。今までに、ボランティア活動の支援に9000万円、震災遺児の心の傷を癒す場として建設される「レインボーハウス」設立資金に7000万円、被災地の学校や福祉施設への支援に7000万円贈ってきたそうです。
「毎月義援金100円」だけでなく、ベルマーク収集も開始し、整理はボランティアがあたり、これまでに1000万点を集めて、被災地の学校86校に10万点ずつ寄贈したんだそうです。ベルマーク1点が1円だとは知らなかったし、学校から離れるとベルマークもあまり意識した事がありませんが、馬鹿にならないもんですね。
町並みも綺麗になってきて、住んでいる私たちでさえ震災の記憶が薄れる事もありますが、近所の仮設住宅もやっと綺麗に撤廃されていましたが、電車からはまだまだ仮設住宅を目にする事が多いです。仮設住宅は「仮の家」、この暑さの中ではとても住みにくいのだろうと思います。撤廃された近所の仮設住宅が建てられた所は元々はその近所のじいちゃんばあちゃん達が朝早くから整備をしてきれいにしていたゲートボール広場でした。それがこの3年間ずっと仮設が建てれた状態で、仮設が撤廃された直後も石がごろごろしていたりゴミでぐちゃぐちゃな状態でしたが、今日見たら、きれいに整えられていました。少しずつ、少しずつ目に見える震災の後は減ってきていますが、そのしわ寄せはきっとどこかに偏っているんだと思います。
だからこそ、小さくても息の長い善意が必要なんだと思います。
「みーはー倶楽部」の麻弥さんが、徳島公演の事について確認された事、インターネット上で流れた情報の事を整理してまとめておられます。内容については
こちらへ。(98/8/11)今日が少年隊プレゾン’98の千秋楽で、事故も怪我もなく無事に終わったみたいです。今年も無事に終わって何より。本当におめでとうございました。
来週は大阪でのプレゾン公演が3日間5公演しかありませんが、楽しみに待っております。
ところで、同じジャニーズ事務所の後輩でもありますSMAPの徳島公演が大変な事になっているようです。コンサートを来週に控えて、急遽中止になったからです。2日あるコンサートの内の1日分しか会場が抑えられていなかったからというのが中止の理由だそうです。インターネット上ではここ1〜2週間の間に噂になっていたのですが、それ以外の媒体ではまだまだ少ない様に感じました。実際に私が取っている新聞には記事として載せられてませんし、テレビでも見ていません。インターネットや記事が載ったと言われる新聞を取っていない人の中には、まだ中止になった事を知らない人もいるのではないのではないかと思います。夏休みに入って、インターネットが出来ない環境や、出張先や帰郷先から直接コンサートに向かおうとしている人に本当に連絡が付くんでしょうか??
W杯サッカーチケットの時も大騒ぎとなりましたが、これも元々は旅行を主催した側からの情報ではなくて、テレビニュースから流れてきたものでした。サッカーの時にしても、今回のコンサートにしても、もっと早くから情報を流してくれていたらと思うのですが、「返金するんだから文句はないだろう」ではあまりにも誠意というものが感じられない様に思います。チケット代だけ返金してもらっても、遠地から行く場合には交通費や宿泊代がかかる訳で、この時期繁忙期なだけに割高になりますし、徳島では阿波踊りの時期でもあるので特に料金が高いんだそうで、キャンセルするにしても1週間前となると利用者にしてもホテル側にしても大変な騒ぎになることでしょう。
興味のない人には、たかがコンサートかもしれませんが、チケットを取るにも苦労もしたし、チケットが取れた人にはとても待ち遠しい日々だったと思うんです。少々遠くても、自分の住んでいる所ではコンサートが開催されないのでは、泊りがけでも行こうかなと思うでしょう。この時期お盆や夏休みで帰省や旅行や阿波踊り等が重なってしまっては簡単に予約も取れなかったでしょう。それでも楽しみにしてきたんだと思うんですね。でもこれってお金には換算出来ないものでもありますが。
こんな時には、どうしてもタレントさんの名前が出てしまうのですが、悪いのはタレントさんではなくて、このコンサートを企画主催し、こんな直前まで連絡も何もしないでいた側だと思うのです。直前まで、中止にならない様になんとかしたいと思っていたのかもしれませんが、こんな風に中止になるくらいであれば、やはり途中で状況説明をする必要があったのではないのかなと思うし、もっと前で中止を決定していてもよかったのではないのかなと思ってしまいます。先に謝っちゃうと駄目みたいな風潮もありますが、悪い事を認めるのがそんなに駄目な事なんでしょうか?他人に言われたから、指摘されたからって認める方がもっといけない事だと思うのですが。
今回の徳島公演の件は、皆が納得出来る様な解決がなされる事を願ってやみません。
園長先生と言えば、一般的には幼稚園の先生を思い出すかもしれませんが、私の場合には高校の先生を思い出します。今日家に帰りついたら、高校の同窓会報が来ていました。
高校の3年間は私の人生の中でいろいろな意味で一番「強烈」な日々でもあります。
私が通っていた高校は当時かなり厳しいという評判の学校で、私の学年は入学時には160人以上はいた筈なのに、卒業時には120人そこそこまで減っていたという・・・とにかく学校(校風、校則)が気に入らないのであれば、辞めていただいていいと生徒や父兄にも口癖の様に言ってた園長先生でした。
中学・高校の創始者でもある学園長は、とにかくバイタリティのある方で、岡山にも作った姉妹校(中学・高校)の両方の学園長業務の傍ら、英語Rの授業も受け持たれていて、それこそ学校生徒の隅々まで把握されており、自宅では塾もされていたようです。英語Rの授業も半端でなく、クラス毎に授業が出来る訳ではありませんでしたので、「学年授業」が週に3時間2回(1時間授業と2時間授業。ちなみに1時間=70分授業でした)ありましたが、100人以上いる授業でありながら、みなぎる緊張感はすごいものがありました。教材は翻訳の出ていない、トーマス・ハーディ(映画「テス」ならご存知の方もおられるでしょうか?ハーディはその原作者です。)の、忘れもしない「A Pair of eyes」の原書を3年かけて読むというものでした。。。
英語Rの試験で点が悪かったりすると、赤点差分(40点−取った得点)角材でお尻を叩かれたり、びんたをくらったりしていました。中でも忘れられないのは、赤点を取った生徒だけ補習をするのだと園長先生の自宅に呼ばれた事でしょう。当時は土曜日は学校は休みではありませんでしたから、月〜土曜日まで緊張の中で学校生活を送り、さらに日曜日まで園長先生宅で英語Rの補習というのは憂鬱で堪らなかったのですが、補習授業での園長先生は学校で見せる厳しさよりも、「この馬鹿たれどもを何とかしちゃらんと」って感じの優しさを感じる事の方が多かったです。予習的な意味合いの強い補習授業でしたから、びびる事なく授業に臨めた事がすごく自分にとって良かった事だと後から思い至りました。
32歳の若さで中学・高校を創設した園長先生の志はどんな所にあるんだろう、一度聞いてみたいと思いながらも、異常とも感じられる程の学校や生徒に対する強い思い入れや愛情に近寄り難いものを感じて、話をする事なんて出来ないと思っていましたが、本当に話を聞く事が出来ないまま、私が高校3年の1学期の期末試験が終わった直後に、園長先生は52歳という若さで急逝されてしまったのでした。
今日届いた同窓会報には、園長先生と園長夫人とが、学校創立当時に、100年後の学園のあるべき姿に想いを馳せながら植樹の位置を測量して決定されたのだとありました。山のすそ野の緑の多い学園だとは思っていましたが、そういう想いが込められていたとは、今まで知りませんでした。
先生が学校を創立された歳を超えてしまった私は、何をしているんだろう、何が出来るんだろうと折りにふれて考えることがあります。亡くなられて15年経ちますが、私の中ではまだまだ影響力を持って生きておられるんだと感じます。