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「運動会〜中学校編〜」(98/9/27)

こんなに降らなくてもいいのにと思う位雨続きですが、明石の学校は小雨降る中、運動会を強行した所が多かったようです。運動会で一番印象深く思い出されるのは、中学校の「棒倒し」でした。私は「棒倒し」は女子の競技だと思っていたのですが違うみたいですね。でも、いろいろな「棒倒し」を見ましたが、中学校でしていたのが一番でした。私が通っていた中学校は全学年で3クラスしかありませんでしたから、学年縦割りで、赤、白、青(青だったと思うんですが。。。黄色だったかも。あれ2チームだったかな??)の3チームで勝敗を競っていましたが・・・・
あれ、でも「棒倒し」は全女子参加競技で、2本しか棒が無かった様に思うので、得点競技じゃなかったのか、それとも3チームでなくて、2チームだったのか・・・それとも、学年対抗戦だったんだろうか。これは誰かに聞いたら分かるかな?(さすがに記憶があやふや(^_^;))

中学校の「棒倒し」は棒のてっぺんに旗が差し込まれていて、敵方の旗を取った方が勝ちでした。
だから攻守の作戦が必要で、攻める側は見方の「土台」を足がかりにして棒に上る為に小柄な人がいいとか、遊軍を配置して後ろからひっぺがすとか、そういう事を上級生が指示していた様に思ったのですが、さすがに記憶があやふやですねぇ(というのも3年の時には、審判というかそういうのをしていたので、競技に参加してなかったんです)。人の背中を土台にしたりするので、勿論参加者はみな裸足です。別に日頃の恨みを晴らしている訳ではありませんでしたが、結構ハデ(^。^)だった様に覚えています。

全男子参加競技は、騎馬選だったかな。組体操は学年競技だった様に思うのだけれど。
男子・女子競技、学年競技、100m走等の競争、応援合戦など4〜6個くらい参加競技があって忙しいくらいでした。応援合戦も各クラスから選ばれた応援団で考えたものでした。もともと、兄弟校同士の定期交歓会が毎年春にあり、そこで応援合戦をしているので慣れてはいます。学校の応援歌もあるんですが、3年間イヤになるくらい歌ったので、まだ覚えています(^_^;)。

3年生の時の学年競技(これって競技といえるんだろうかなぁ?)は、「仮装競争」でした。
それぞれのクラスの担任と副担任を仮装させるもので、クラスで先生を何に「化けさせる」かを決めて、小道具類をすべて生徒で用意していました。確か、全て男性教師でしたが、「オスカル」だの「女学生」だの「花嫁」さんだの「赤頭巾ちゃん」だの、よくもまぁこんなに考える事が出来るもんだと感心するくらい無茶をしていました。

記憶の細部はあやふやですが、楽しい運動会でした。26日はあいにくな天気でしたが、いつまでも記憶に残せるほど楽しい運動会だったのでしょうか。最近の運動会ではホームビデオをずっと回している父兄が多いと聞きますし、ニュースなどで見る風景はあまりにビデオを回している人が多くて異様に感じてしまいます。レンズ越しの風景を残す事に意味があるんでしょうか。それとも老後の楽しみなのかしらん。私はそんな事をしてるよりも一緒に喜んだり、楽しんだり、悔しがったりする事をもっと大事にした方がいいのになぁと思ってしまいます。

「『心の時代』 さだまさし」(98/9/24)

最近すっかりご無沙汰していたまっさんのCD『心の時代』を手に取ってびっくりした。なんとなんと、ソロデビュー25周年だったんだ!!(忘れていてごめんなさい(^_^;))あの『20th Anniversary Concert Tour[逢ひみての]』から5年経ったとはとても思えなくて、CDを手にしたまま呆然としてしまったのでした・・・。

このAnniversary Concertはすごく思い出に残るものでした。私が行ったのは、大阪フェスティバルホールで行われたものでしたが、第一夜〜第四夜の公演が2回(つまり、まっさんにとっては大阪で8夜のコンサートだったのですね)ありました。それぞれテーマと構成が違っていて、第一夜(1994/1/10)は「愛」(Electric Night)、第二夜(1994/1/13)は「時」(Acoustic Night)、第三夜(1994/2/8)は「生命」(Solo Night)、第四夜(1994/2/16)は「夢」(Classic Night)。おまけにスペシャルシート通し券なるものも用意されていて、その通し券(「4NIGHTS PASS」と印刷されています。もう一夜あったら、5NIGHTSだったんだ(^_^;))は紙製の4枚綴りみたいなものでなく、プラスティックカードで、ちゃんと座席も打ち出し(というのかなぁ?クレジットカードのNoみたいなの)されているんです。確かこの時期もすばらしく忙しい時期で、1夜分だけはどうしても都合を付けることが出来ず、友人に行ってもらった記憶があります。

CDを購入して更にびっくり。25周年記念模様のブックカバーとオリジナルミニトークCDが初回特典で付いてきたのでした。初回特典といえば、初版分だけピクチャーCDです。
オリジナルミニトークCDとは、そのものずばり、長いまっさんのMCのほんの一部分17分14秒の大分文化会館(1998/4/11)でのトークが収録されています。「私は92歳、老衰で死ぬんです」で始まるこのトーク、思わずぷっと笑ってしまいます。ちなみにこのCDは「Vol.2」となっています。ということは・・・そうです、きっと「Vol.1」もあったはずです。いいなぁ。少年隊も「プロモビデオクリップ集」だとか、「トーク集」だとか出してくれたら絶対(多分)買うのになぁ。なーんて、突然の様に少年隊が出てきてしまいましたが、以前から少年隊とまっさんには何か通じるものがあると思っている私。今回のCD11曲の中に「航跡」という歌のワンフレーズが、今年のプレゾンのメインテーマと重なるんだもの。

CDと同じ題名の本が出ているとのこと(『心の時代』サンマーク出版/1,500円)。ついつい明日探そうかなって気になってる。

「9月22日台風7号」(98/9/23)

近畿地方は2日連続の台風上陸でした。21日が8号、22日が7号。8号はそんなにひどくなかったので、なんとなく深く考える事なく、22日の朝、家を出ました。空はどんよりとしていましたが、まだ雨は降っていません。ラッキーと思いながら、帰りの事を考える事なく原チャリで駅に向かいます。乗っているJRは朝から、「台風でダイヤが乱れる恐れがあるので、台風情報には気を付けて下さい」というアナウンスがありました。
大阪駅で降りて、梅田の地下街を歩き、阪神梅田駅の近くを歩いた時、「○○学校の生徒の皆さん、台風による警報が出ているので、今日は学校は休みです。」と言うアナウンスが聞こえました。今時の鉄道会社はそういうアナウンスもしてくれるんだーと思いながら、会社員には警報で会社が休みになることがないな〜と思いながら、てくてく職場に向かう私。

職場に入ってしまうと、私の席はフロアーの真ん中な為、外の様子が分かりません。外の様子が分からないまま午前中は普通に仕事をして終わりました。お昼休み、お昼のお弁当を買いに行くと、ビルの1階の店は「台風接近の為、臨時休業します」ともうCLOSEされていました。「帰れていいなぁ」と思って戻ると、弊社でも「電車が動かなくなる恐れがあるので、業務に差し支えが無ければ帰宅してもよい」という事になりました。今の会社に勤め出して約10年ですが、今迄にこのように早く帰れたのは1回あるだけでした。この時は駅前の百貨店も臨時休業する程でした。
『業務に差し支えがないなら』がミソで、私は午後2時から客先で打ち合わせがあったのですが、取りやめる事も出来ず、客先に向かいます。地下道−地下鉄−地下道で行けるのだけが救いだったのですが、2時頃の本町辺りの風雨はかなりなものでした。
打ち合わせが終わって、お客さんが電話で台風情報を確認して下さったところ、和歌山に上陸したところまでで、電車がどうなったのかどうかは分かりませんでした。同行していた営業さんを見捨てて先に帰らせてもらったら、事務所にはあまり人がいませんでした。15時半頃、遅れ馳せながら私も帰宅の途につきます。大阪駅に近づいた所で、なんだか他の人と違う事に気が付きました。そう、客先は傘が不要だったので、会社に置いていたのですが、そのまま帰ってきてしまったのです。もしかしたら、雨が強く降っているかもしれないのに傘がないのです。。。電車の運行状況が分からない状態で会社に戻るのも鬱陶しく、どうせ原チャリに乗るのだから傘はあまり関係ないかもしれないと、もうそのまま帰る事にしました。

帰る人はもっと早くに帰ったのでしょう。駅は思いの他混乱はしていませんでした。でも、新快速が全面運休、各停電車も半数が運休となっていましたが、快速電車が走っていたので最悪の状態は免れた様でした。大阪南部や和歌山方面の電車は全面運休しているところもありましたので、帰れるだけマシでした。おそらく西の方は風雨は大丈夫だろうとは思っていましたが、東の方で架線が切れたりすると、西の方で何もなくても電車が来なくなって帰れなくなりそうなので、やっぱり帰れる内に帰らねばって感じでした。16時前ともなると、風雨は随分弱いものになっていました。で、尼崎駅の手前神崎川に差し掛かったところで、電車の速度ががくんと落ちました。橋の上は徐行運転でした。川面を見ると、いつもはかなり下方にあるのが、随分水嵩が増していました。橋を渡ったとたん速度は戻りましたので、風の影響なのか橋の上では徐行運転という事になっていた様です。どんどん西に戻っていくと、空も明るくなって雨も上がってきていました。
須磨から垂水の辺りまでは海沿いを走るのですが、波が高いのに海に入っている人やサーフボードを担いで海に行こうとしている人がいました。河口に近いところでは海は土色です。
垂水舞子のあたりで、またまた徐行運転です。線路と平行して国道がありますが、車に抜かれていく程ゆっくりな運転でした。明石海峡大橋を見ると、車が通っていました。西の空の一部は随分明るく日が照っていて綺麗でした。私が大好きな東山魁夷氏の「晩鐘」の様な色合いの空でした。

明石川も随分河川敷がなくなっていて、かなり水面が上昇していました。西明石駅にたどり着いた時は、ちょうど大阪駅から1時間でした。いつもは50分くらいで運行している区間ですから、徐行していた割にはかなり早く帰れたかなって感じでした。西明石ではもう雨も上がって風も吹いていませんでした。周囲を見ても、そんなにひどい被害はなさそうだったので、家に帰りついてから見たニュースには驚きました。神戸市兵庫区でも川が氾濫していましたし、風雨の被害もかなりなものがあったようです。

ここを見て頂いている皆様も、お怪我や被害にあわれませんでしたか?
まだ台風が発生しやすい気候だという事ですので、まだまだお気を付けて下さいね。

「DINNER SHOW」(98/9/18)

そろそろクリスマスDINNER SHOWの告知を目にする事があるのですが、「あ、いいなぁ」と思ったものがありました。
それは、新神戸オリエンタルホテルで行われる「近藤真彦クリスマスディナーショー」なんですが、一番に目をひかれたのが、『ベビールーム、更衣室有り』でした。おそらく今でもDINNER SHOWに行きたいと思われるファンの大半は私と同年代かお姉さんですから、きっと小さなお子さんがいる方も多いと思うのです。だから、ベビールームがあると、その日に預けなきゃとか考えなくても行きやすくなると思うんです。私もそうですが、「日常を忘れたい」人にとっては、家を出る時から気分を変えたいのでホテルにベビールームがあっても利用しないで済むように対処するかもしれませんが、それでも他に方法の無い人にとってはすごくいいサービスだと思うのです。
それから、『ディナーテーブルの相席はありません。人数(2人〜10人)にあわせて、テーブルを用意する』のもいいなぁと思った点です。知らない人と知り合える機会でもあるんですが、それでもやっぱり知り合い同士だと心おきなく料理も話もSHOWも堪能出来る様な気がします。おまけに2人でもテーブルを用意してくれるのはなんだか親切な感じがします。

よく遊んでくれた友人も小さなお子さんが生まれてからは、なかなかゆっくりと遊ぶ事が出来ないのですが、それでも私が思う以上に「お母さん」の方が外に行きたい、一人になりたい気持ちが強いのではないのかなと思う事もあります。そんなにいつもいつもでなくて、たまには・・・って事でネ。

けど、少年隊のDINNER SHOW告知はまだなんです。ちょっと遅いかなぁ。。。

「舞子海上プロムナード」(98/9/16)

地元民でありながら、まだ明石海峡大橋をまだ渡ったことがないのですが、今日は大橋の根元のところにある明石海峡大橋体験展望施設「舞子海上プロムナード」に行ってきました。ここには、JR舞子駅から歩いて行けます。入場料500円です。

明石海峡大橋は神戸側と淡路側に大きなアンカレイジという大きな建造物があるのですが、この建造物が重しとなって吊られている橋です。だから、がっちりと固定されてる訳ではなくて、たわんだりもするんですね。。。で、そのアンカレイジからエレベーターで地上から約47メートルのところまで上がります。で、そこから海側に約150メートルほど歩いて行けます。勿論、落ちたりしない様に、ガラス越しだったり、金網越しだったりするんですが、頭上は車が通っている橋部分、足下には、緊急車両用の道路(といっても金網っぽい下が見える状態)があったりして巨大な橋を感じる事が出来るのですが、やはりその下に広がる吸い込まれそうな程青くて深そうな海が今日は綺麗でした(ちょっとゴミも見えてしまいましたが)。
展望ラウンジでは軽食も頂けます。もちろんお土産ものも揃っています(^。^)。その先に展望広場があるのですが、そこでは床がガラス張りになって足下47メートルの海が見れるところが2ヶ所あります。見た感じ、はめ込み式っぽくなっていて、その上には乗る事はできませんでしたが、上でとんとんとする人や小さなお子さんとかは平気で上に乗って下を見ている人がいました。私はなんかついつい「このガラスが外れたら」とか何とか考えちゃって恐くなるので、絶対に上に乗れないでしょうねぇ。。。そうこうしている間にも、頭上で車が通っている音や振動が響いてきたりもして、「あぁ、橋の下にいるんだ」と実感できます。

今日は夏を思わせる程くらいすごくいい天気で、海がきらきらしていてきれいでした。今日は大きな船とか見る事が出来ませんでしたが、プロムナードから橋の下を通過する船を見ることが出来たら、また違うんでしょうね。海はずーっと見ていても飽きなくて、いつまでも見ていたい気分はありましたが、それでも足下が空間だと落ち着きませんでした(^_^;)。

「兵庫県内想定被害規模」(98/9/15)

9月10日の神戸新聞の記事で、予測される5種類の地震について兵庫県が地域防災計画修正で示した県内想定被害規模で、市区町ごとごとの死者予測や倒壊家屋、避難者などを算出した詳細データが明らかになったというものがありましたが、他の新聞では取り上げられなかったようです。
兵庫県内で予測される5種類の地震というのは、有馬高槻−六甲、山崎断層(西播磨)、中央構造線(淡路島南)、日本海沿岸、南海道(県南部)の各地震で、それらの地震による被害を季節を春秋、夏、冬の3パターン、発生時刻を6区分して想定されたものです。

その中で、最大の被害が想定されたのは「有馬高槻構造線−六甲断層帯地震、冬の午後6−7時」で、最悪の場合18市18町に及び、阪神大震災の倍近い被害が予測されるという事です。明石市ではこの地震による被害が一番大きく、中でも鉄道事故による被害が大きいそうです。これは、場所によって違うようで、建物被害、火災、道路災害、倒壊物、落下物等あります。またほぼ死傷者の出ない安全地帯として7町あるそうです。

各地震の発生予測までは触れられていないそうですが、六甲断層帯は断層が多数集まっているので、大震災で動いたサイクルに関わらず動く可能性が捨て切れないそうで、山崎断層の最新活動が868年で、活動周期が千数百年〜二千数百年に1回なので、警戒は必要なんだそうです。

地域別の具体的数値を出した事で、県が市町に災害対策についての見直しを求めているんだそうです。地震だけでなくて、大雨や台風などでも災害は起こると思うのですが、被害を受けた方達の救援支援もなんとかならないものかと思います。確か兵庫県で救済案としてまとめていたものを国会かどこかに提出していた筈ですが、どうなったのでしょう??大震災から3年半を過ぎて尚、仮設住宅が解消されていない事実を県外の方がどれだけ知っておられる事でしょう。
どんなに対策や備えをしていても、災害は起こる時には起こってしまうもので、そうなってしまった後に生活していく為の備えや保証はどれだけ出来ているんでしょう・・・

「甘いもの」(98/9/10)

疲れた時には甘いもの。でも帰る頃にはお店も閉まっているのでなかなか買う事が出来ません。気が付くと、12時17時21時なので、ケーキを食べる時間なんてありません(T_T)。買えない、食べられないとなるとどんどん食べたい気持ちが大きくなってきます・・・ってなところで、今のお気に入りは・・・。
でも済みませんm(__)m。うろ覚え情報ばかりです。調べる時間と資料がどこに行ったのやら・・・。

レーヴ・ド・シェフのケーキ
最近行ってませんが、来週行く予定。楽しみ楽しみ楽しみ!!!
神戸垂水にあるケーキ屋さんで、JR垂水、明石(魚の棚よりまだ南側)、新長田の駅周辺にもお店はあるのだけれども、1〜2年前くらいに垂水の上の方に工場直営店が出来てます。車でないと行けない場所でありながら、私が行く時はいつも待たないといけません。しばらく行っていないので、メニューが変わっているかもしれませんが、800円くらいですばらしく大きなミルフィーユを食べる事が出来ました。いちごなんてスライスされていなくて、小ぶりながらも丸ごと10個くらいはありました。

4C3 のケーキ
うーん、うまく表記できませんが、C3の3はCの右肩にのっかってる小さな3です。こちらのお店は梅田大丸百貨店。よくよく見たら、アンテノール(だったと思う!?)の表記があります。人だかりがしていたので、何かと思ったらケーキ屋さんだったのです。けっして安くはないケーキが飛ぶ様に売れていきます。いろいろな種類をたくさん箱に詰めてもらっています。写真でお見せ出来ないのが残念なくらい見た目も奇麗です。味はもう、一口食べたら、もうもうもう!!!!っていうくらい美味しいです。

モロゾフの水トリュフ
梅田阪神百貨店のモロゾフには、季節限定物で「水トリュフ」があります。アルコールの入った「シロップ」の中に「トリュフ」チョコレートが浮かんでいます。向かいの大丸百貨店にも三ノ宮のあちこちにもモロゾフはありますが、この「水トリュフ」は阪神百貨店にしかありませんでした。小さくて、1個150円。つるるんとして美味しいチョコレートです。

フーケの「夢たまご」
Fuquit(フーケ)は神戸のケーキ屋さんで、おいしいケーキは山ほどあります。それでも敢えてスポンジケーキの「夢たまご」(うーん、うろ覚えですが、多分夢たまごだったと思う〜)を挙げるのはありふれたお菓子なのに、やっぱりふんわかと美味しいからです。フーケには「生チョコ」もあります。JR新大阪駅構内のお土産もの売り場の中に「生チョコ」のお店(フーケじゃないんですが)がありますが、フーケはもう何年も前から「生チョコ」を売ってます。板状ではなくて、丸い感じのこってりとしたチョコレートです。

「旧居留地十五番館」(98/9/7)

神戸市立博物館の南側に「L.L.Bean」のお店があります。その西側辺りに「旧居留地十五番館」という建物があります。この建物は1880年頃、居留地の15番地に建てられ、当初はアメリカ領事館として使われたものだそうです。平成元年には国の重要文化財に指定されたものです。阪神大震災で全壊したのですが、建築当初の材料を再用し、当時の技法もできるだけ踏襲する方針によってこの4月28日にリニューアルオープンました。

扉が閉まっていて、知らない人にとってはなかなか入り辛いのですが、ランチ、ディナーが比較的お手軽なお値段で食べる事が出来ます。ランチは、ハヤシライスが1000円弱、ハイカラハヤシライスセットが1300円、本日のランチ(9/5は鯛のソテー)が1300円。ディナーは3500円〜5500円くらいのセットが3つありました。ランチは、サラダとコーヒーが付いてます。セットで付いてくるサラダは割と小さな物が多いのですが、ここのは結構なボリュームがありました。ハヤシライスはさらっとしたものでした(美味しかった〜(^。^))。ソファも座り心地が良くてゆったりした雰囲気が味わえます。

中で待っている間に、復原工事の報告書という本が置いてあったのでぱらぱらと見たところ、この復原工事というのがとても手のこんだものだと感じました。震災直後の写真もあるのですが、ホントに見事な程ぺっしゃんこ!その中から使えるものや、壊れたものをパズルの様に組み立てていく過程や工事の様子がたくさんの写真を使って紹介されていました。暖炉の前で使われている梅模様のタイル(青色−但し、今の十五番館のは復原もの)と色違いのものが明治時代に建てられた青森の建物で使われているとか見ているとなんだか時間を超えた不思議なものを感じた様な気がしました。

「久しぶりの三ノ宮で」(98/9/3)

久々に三ノ宮(神戸)を歩きました。
私はジュンク堂という本屋さんが一番のお気に入りなのですが、知らない間に三ノ宮ジュンク堂が地下1F地上3Fに拡張されていました。地下部分も広くなっていたように思います。貰ったチラシには、8/1増床OPENと書いてありました。
ジュンク堂書店は大型書店として神戸で初めて成功した本屋さんですが、ここ数年驚くほど店舗展開をしています。詳しくは分かりませんが手元にある資料では仙台から鹿児島まで16店(でもその内、神戸明石姫路で8店あるのですが)あります。書店経営がどういうものなのか、想像もつかないのですが、こんなに急展開していて大丈夫なんだろうかと、大好きな本屋さんだけに心配になっていました。ましてや震災後、三宮店の真向かいに当時はジュンク堂よりももっと広い本屋さんがOPENされました。最近では夜中の2時まで開店している本屋もOPENされています。でも久しぶりに足を踏み入れた三ノ宮ジュンク堂はやっぱりいつもと変らず本も人も多い店内でした。

大好きな本屋なのになぜ久しぶりかと言うと、4年前に明石にもジュンク堂がOPENされたので、わざわざ三ノ宮まで行かなくても済むようになったからです。明石のジュンク堂が入っているビルの経営者が変ったので、改装していて9/1にリニューアルオープンしました。新聞広告上で、4年前の明石出店の際に、人口50万人以上の大都市(明石は約30万人)でなければ大型書店の経営は難しいと業界内外から無謀だという忠告があったのだそうです。それでも明石店が軌道に乗る事がきっかけとなって、ジュンク堂もジュンク堂以外の大型書店も全国の中核都市に次々に出店しているんだそうです。
明石店で在庫30万冊を超える品揃えということですから、三宮店はそれ以上にある筈です。通勤帰りの大阪の書店では、広い本屋さんでも「売れる本」しか置いていなくて、特に最近はどんどんたくさんの新しい本が出ていますから、ちょっと前の本だとか探してもなかなか見つからないのですが、ジュンク堂に行けばたいてい見つける事が出来ます。自分の読書傾向と合っているからお気に入りなのか、本屋さんに影響されて、本屋さんに合った読書傾向を育てられたのか、今となっては良く分かりません。長年慣れ親しんだレイアウトが変更されて不安を感じていましたが、それでも探しても見つからなかった読みたい本が見つかった時に「あぁ、大丈夫だ」と安心しました。

今日は「SEIDEN」にも行って来たのですが、昔(と行っても10〜15年くらい前)には「星電社」と呼ばれていた家電を扱う店が神戸近辺にしか無いとは、つい最近まで知りませんでした。会社の後輩に「大阪にも(店は)無いでしょう?」と言われて初めて気が付いたのでした。「SEIDEN」は、今年の3/28にリニューアルオープンされていたようです。家電関連しか取り扱っていないという感覚があったのですが、久しぶりに行ってみると、「ステーショナリー」のフロアーがあって、いろいろと楽しいものがありました。
普通の文房具から画材や、もういろいろなモノ。特に目を惹かれたのが、「和紙」売り場でした。和紙を使った小物もありますが、新聞紙くらいの大きさのいろいろな柄の和紙も種類が多く、見ているだけでも楽しくなります。ちょっと高級っぽいものからがらくたに近いものまで、本当に種類が多いです。パソコンソフトとステーショナリーのフロアの所で時間切れとなってしまったので、他のフロアーは分かりませんが、以前の店内と比べると広く明るくなった様に感じました。

国際会館の建て替えも随分進んできている様です(地下鉄の駅が新設されてるみたいです)。
新しいものがたくさん出来て、久々に行くととまどう事も多いのですが、歩いていると「やっぱり三ノ宮だなぁ。大阪と違う」と思います。

「ことば」(98/9/1)

8/30は、ダイアナ元英皇太子妃が亡くなられた日でした。テレビを見ていて気になったのは、「1周年」だとか「記念日」だとかの言葉が使われていた事でした。今、手元に国語辞書が無いので、確認出来ないのですが、「1周年」という言葉には、結婚5周年だとか、創立50周年だとかなんだかおめでたい時に使われる事が多い様な感じがするのです。「記念日」は日本語訳されたものがスーパーとして表示されていたのですが、これにもなんだかひっかかるものを感じました。多分、「memorial day」と言ったのだと思うのですが、これって辞書の一番目の意味には確かに「記念日」があって、多く使われていると思うのですが、形容詞のところにちゃんと「かたみの」とか「追悼の」っていう意味があるんですよね。だから「記念日」と訳さなくても「追悼の日」とかに訳せると思うんです。亡くなられた人を想うのって「記念」じゃないですよね。なんかちゃんとしたニュース番組だっただけに、余計に引っかかってしまったのでした。。。